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8 毒牙を剥く

 エフェスが言った。


「――何故、そこまでする?」

「覇国を打ち払うためだ」


 決まり切ったことを尋ねるなと言うような口調で神官長が言った。

 

「この戦、覇王バンゲルグ一人を討てば終わる。覇王は軍事政事共に強力無比の指導者だが、それ故に彼の喪失は覇国の国体喪失も同じ。さすれば、白虎平原に戻らざるを得ないだろう」

「わたしの知っている魔術師も同じことを言っていました」


 マーベルがやや語気を強くした。知っている魔術師とはシェラミスのことだろう。


「ラッセナで覇王が為したことを、知っているな?」

「ギャスレイ総統の公開処刑――ですね」


 マーベルの眉根が苦い記憶に強張った。投影珠から映し出された、覇王手ずからによるヨラン・ギャスレイの公開処刑。しかもそれが頭部を石畳を以てすり潰すという凄惨極まりない方法であったとなれば、忘れようとしても忘れられるはずがなかった。


「――あれは、示威ですな」


 ヴァリウスが口を開いた。


「覇国に逆らえばこう(・・)なるぞという警告、そして同時に自分はこれ(・・)が出来るのだという力の誇示。少なくとも俺はそう思いました」

「わかるのは、孫だからか?」

「というよりは、生まれも育ちも白虎平原の虎の民だから――ですかね。あの地は長い間、力こそが全てでした。生命よりも体面が大事、そういう土地柄でした。そしてそれは今もさほど変わったとは言えません。ガウデリス覇国が戦闘民族を名乗るのは、不毛の地で生きてきたことに対する誇りと裏返しの自嘲自虐でもあります」


 アーディルの問いかけに、ヴァリウスもまたにんがりとした笑みを浮かべて応えた。アーディルもうなずきながら言葉を続けた。


「覇王バンゲルグは七十を越えた今なお強い。そして彼を守護する軍団もまた強力無比である。幻魔兵は歩兵に相当するゴベリヌスですら並の歩兵では倒すのも困難である。その上、最大の脅威と思しき幻魔騎士はの戦力は限定的ながら獣神騎士にも匹敵しよう。しかも、恐らくまだ増やせる」

「ふ――増やせる、のですか!?」

 

 マーベルが言った。その顔色は蒼白に近かった。


「幻魔兵は増やせるという話は?」

「は、はい、存じています」

「そうだ。その数は推定で五万か、下手をすれば十万にも届くと思われる」


 十万の幻魔兵の行軍。それはまさしく悪夢としか形容出来ぬ光景だろう。


「幻魔騎士は、今は十名もおるまい。技術的な問題やも知れぬ。だが幻魔兵と根を同じくするならば、恐らく増やすことも出来るだろう。対する獣神騎士は――その伝承は各地に残されているが、現時点で行動が確認出来ているのはお前たちも含めて片手の指で足りるほどだ。そして、こちらを増やすことは容易ではない」

「……神官長、あなたの言いたいことはわかった」


 口を開いたのはヴァリウスだった。

 

「覇王を斃したいならば、まず幻魔騎士を一人ずつ斃してゆくことが必要――と言うのだな?」

「左様。覇王バンゲルグを守護する盾を一枚一枚引き剥がし、丸裸にし、(しこう)して討つ。これが大前提となる」


 そのためにも、獣神騎士の戦力が必要なのだ。


「――鎧を鍛え直す、という話は興味がないでもない。だが、先にやらねばならぬことがある」


 エフェスは自分の眼に暗い憎悪の火が灯るのを自覚しながら言った。

 

「血に飢えた虎、覇国の兵は、一人残さず狩る。改めて言われるまでもないことだ」

「すぐにでも行かねばならぬか」


 アーディルの眼がエフェスの眼を直視してきた。


「勝てると思うか、死せる龍を鎧う幻魔騎士に。二度も敗れた相手に、そのままのお前で勝てるか?」


 エフェスは何の反応もしなかった。この神官長ならば、エフェスとバイロンとの因縁を知っていても今更奇異には感じなかった。


「勝つ。如何なる犠牲を払ってでも」

「その言葉は、獣神騎士には禁句だぞ、エフェス・ドレイク」

「俺は奴に勝たねばならない。獣神騎士としてではなく、天龍剣後継者として」

「無意味な意地だな」

「……無意味で結構」


 激昂の言葉がついて出るのを、外からの絶叫が押し留めた。

 

「神官長」

 

 天幕の中へ、エルフが入ってきた。

 緊迫した面持ちを張り付かせたまま、彼は膝を折った。背中には傷があった。深い。


「森の中に侵入されました。ナゼットが……やられました」


 アルジェがしゃがみこんで言った。

 

「何が起きたの、デムリン? 敵の数は?」


 デムリンが血を吐いた。黒い泥のような、大量の血反吐である。


「デムリン!?」

「アルジェ、血に触れるな」


 アーディルが言い放ったあと、デムリンは力ない動きで血の泥に顔をうずめた。ヴァリウスが顔をしかめて言った。


「死んでるな――毒でも食ったか?」


 神官長は眉間に人差指を当て、首を振った。


「西の出口のあたりか。私の遠視でも捉えられぬ敵だ」


 神官長は天幕を出て、現場へ向かった。ジェイランやアルジェは無論のこと、エフェスらもそれに続く。

 

「……随分腰の軽い神官長様ね。偉い方なのに」

「齢六千歳を超えてなお好奇心が旺盛なのだ、あの方は」


 マーベルの呟きに耳聡くも応じたのはジェイランだった。


「その好奇心は、保守を是とするエルフに於いては確かに風変わりではある。しかし、あの方がいらっしゃらなければ今のエレルフォムはないし、もしいなくなればたちまち機能不全になってしまうだろう」


 だから神官長アーディルを護らねばならないのだ、という気概がジェイランとアルジェには感じられた。


 神官長が脚を止めた。その十五歩ほど前方には尖った耳の女が倒れている。これがナゼットだろう。大量の血の泥が草叢を汚している。草いきれに混じってまだ新しい血の匂いが鼻に届く。

 

「し、神官長――」

 

 ナゼットが整った顔に恐怖と苦痛の顔を浮かべ呻いた。

 

「やめとけ」

 

 駆け寄ろうとするジェイランの肩をヴァリウスが掴んだ。

 

「……その手を放せ、ヴァリウス殿!」


 ヴァリウスは放さなかった。ナゼットを見据えたまま、彼は言った。


「『友釣り』だ。死なない程度の重傷を負わせ、助けに来ようとする仲間を待ち伏せ、殺す。死体の山が積み上がる。その手でデムリンはやられた」

「な……ッ!」


 ジェイランが何か言おうとして絶句した。あまりに悪辣だ、とでも言おうとしたのか。これが人間(ホミヌス)もやることか、と。アルジェもまた顔面蒼白で細い肩を震わせている。状態としては彼女の方がより深刻だ。

 

「このまま座視していろと……!? それでは余りにも……」

「そうは言っていない」

 

 前に出たのはエフェスである。彼は左手に鉄鞘のまま剣を掴んでいた。

 

「俺が行く――抜剣、装甲!」 

 

 抜き放たれる龍魂剣。稲光が束の間荒れ狂い、消滅とほぼ同時に天龍騎士の獣神甲冑をまとったエフェスが疾走する。その脚力はまさしく迅雷である。

 

 瞬く間にナゼットを通り越し、盾になる位置に立つ。そして振り下ろした龍魂剣が金属音と共にそれを切断した。黒光りする蛇腹状の外骨格、長い触覚、獰猛なほどに肥大した二本の牙。蠕動(ぜんどう)する無数の節足――

 

「む……蜈蚣(ムカデ)……!?」


 アルジェが言ったように、襲撃者の正体は蜈蚣だった。それも十尺を優に超える大きさの大蜈蚣である。

 

千足蜈蚣(グーゴルピード)――白虎平原でも見るのは珍しい奴らだ」

「……ということは!」


 ヴァリウスとマーベルのやりとりの最中に草叢がざわついた。足元から這い出る黒い影。それも一匹や二匹だけではない。樹幹を螺旋によじ登り、仕様に絡みつくおびただしい数の大蜈蚣。――群れの中から毒の滴る牙を剥いて、一匹が襲いかかってきた。

 

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