7 北の龍虎
「戦人の眼をしているな」
深い青の眼がエフェスの瞳を見つめてきた。エフェスともあろう者が、息苦しさを覚えるほどの圧迫感だった。
「その若さで余程の修羅場を潜ったと見える。お前の祖父ファルコを思い出す」
「祖父を知っているのか?」
思いがけぬ言葉に、エフェスが問いを投げた。アーディルは僅かに頷いた。
「知っているとも。バンゲルグ・ガウのことも」
今度はヴァリウスが目を見開いた。二人ほどではないが、マーベルもまた驚きの表情を隠していない。ガウデリス覇国の主たる覇王バンゲルグの名は、今や三歳の子供ですら知るところである。
「……もう、五十年近くも前になるか。彼らは武者修行を称してこのウィロンデ大陸を渡り歩いていた。天龍剣と王虎拳、流派門派は異なれども莫逆刎頸の友人として、共に武芸を研鑽する仲だったのだよ」
初めて聞く話だった。ただ、古老たちの話によれば昔は天龍剣と王虎門で相互に交流があったことはエフェスも聞き及んでいる。その双方の総帥であるファルコとバンゲルグに友誼があっても不思議はない。
「一時はファルコの娘とバンゲルグの息子の一人を娶せるつもりもあったらしいが、お前たちが知るように結局実現はしなかった。何しろあの娘は……まあ、それは良い」
神官長は軽く咳払いをした。
「マーベル・ホリゾント」
「は、はい!?」
出し抜けに名前を呼ばれ、マーベルの声が上ずった。
「お前の祖国アズレアとシャノワの縁戚関係、結んだのは彼らの祖父二人の暗躍があったそうな」
「そ、そう――なのですか?」
アズレア公国とシャノワ王国は、隣国同士の宿命として長年に渡り国境を巡る争いが耐えなかった。マーベルの祖父に当たる先々代大公、その妹を若き王太子に輿入れする際は多くの反対意見があったものの、結果的には大正解だったと言える。やがて王太子が王となり、アズレアとシャノワの国境は明確にされ、同盟国として相互不可侵の条約が締結された。夫婦仲も睦まじく、男女合わせて四人の子が生まれた。王は王妃一人を妻と定め、生涯側室を持たなかった。
アズレア公女とシャノワ王太子のロマンスは、二国だけでなく中原中でも良く知られた話だ。
「それだけではない。ヘブリッドの魔術師連続殺人事件、トランドールの飛竜百頭狩り、アルギウムの暗殺集団との闘い……すぐに思いつくだけでざっと十もの逸話がある。それほど多くの伝説を若き二人は成し遂げたのだ。活躍が広範囲に渡りすぎているため、真偽が疑わしいものや未確認のものもあるが――『北の龍虎』の名が当時の中原武林で畏怖を以て語られたのは間違いない」
「見てきたような言葉ですな」
ヴァリウスが言うと、アーディルは平然と言った。
「実際私は、彼らが町村に害為す飛竜の群れを次々と屠ってゆくのを見たのだぞ。一時期行動を共にしていたときもある」
エフェスの脳裏に、若き頃の祖父らが長剣を揮い拳を舞わせるその姿がありありと思い浮かんだ。ヴァリウスもマーベルも、恐らくそうであったに違いない。老いてなお、祖父ファルコは鬼神の如く強かった。天龍剣の古老や高弟をまとめても、ファルコの剣には及ばなかった。
そして生前、ファルコが「ただ一人だけ、終生の好敵手と認めた相手がいる」と語った記憶がある。祖父は微かに笑って名前を言わなかったが――それこそまさしくバンゲルグ・ガウその人であったに違いない、という確信が今のエフェスにはあった。
「やがて私は別れた。その後北に帰った二人に何があったのかは知らぬ。バンゲルグは白虎平原を平定、一統して覇王を名乗りガウデリス覇国を打ち立て、龍脊山脈へ侵攻し、ファルコは龍脊山脈の陥落と前後して死んだ――皆が知っていることだ」
冷徹に神官長が告げた。感傷を断ち切るように。
「――あなたは思い出話を長々とするつもりで俺たちを呼んだ訳ではないのだろう。早々に目的を話していただきたい。それによって、あなた方エルフが受ける利益もだ」
「あんたねぇ! アーディル様に非礼は許さないわよ!」
エフェスの言葉に、手を腰の剣の柄に置きながらアルジェが素早く立ち上がった。彼としては至極当然の言葉のつもりであるが、どうやらそれがアルジェには気に障ったらしい。
「アルジェ、やめよ」
神官長の制止に、アルジェは露骨に不満げな表情を見せて下がった。
「お前の言う通りだ、ファルコの孫よ。――いかんな。やはり歳を取ると繰り言が必要以上に多くなるのはどの種族も変わらぬらしい。ましてやエルフは多種族以上に年長者に配慮する傾向がある故、指摘する者もおらぬ」
エフェスの言葉に同意を示しながら、神官長は決断的な口調で言った。
「烏滸がましきことだが、エレルフォム女王スラーシャ陛下の名代として、覇王バンゲルグ討滅の協力を申し出る」
エレルフォムの女王スラーシャ――その名を聞いてアルジェの表情に今まで以上の緊張が走った。
「す、スラーシャ女王の名はエルフにとって、神にも等しいと聞き及んでいますが」
「如何にも。陛下は我らの象徴であり、神祖である」
マーベルの言葉にアーディルが厳かな口調で応えた。
「……その名による誓約は、即ち口にした者――特にエルフたちにとっては絶対。生命すら賭す覚悟を意味する……ということですね?」
マーベルの祖国アズレアはエレルフォムと近国であり民間の交流も比較的多かった。当然エルフたちに神の如く崇拝されてきた女王の知識も、ある程度は持ち合わせていたのだ。
「人の世に関わらぬはずのエルフが、何故覇国に興味を持たれる?」
今度の問いはヴァリウスから発せられた。
「〈蒼の森林〉の面積が減りつつある。覇国の使う黒い樹――魔殖樹によって魔力が奪われ、その影響を真っ向から受ける形になったのだ。〈蒼の森林〉は大陸中の木々とつながっている故……我らが大河流域に足を運んだのは、異変をこの眼で確かめるためでもある」
魔殖樹は排除してもその後長く後を引く、いわば毒にも近いものを土地にもたらす。土は腐り、木は朽ち、虫や鳥や獣も住まぬ不毛の荒野。エフェスもヴァリウスもそれを見ていた。
エフェスが言った。
「それで、あなた方は何が出来るというのだ?」
「エレルフォムの最精鋭たる護樹騎士団の派兵により、覇国軍の侵攻を食い止める」
「それは――大いに助かります」
マーベルが驚きと共に素直な感想を口にした。エルフは歩兵でも十人力を誇る。その最精鋭ならば、どれほど心強いか知れない。
「そしてエルフの持つ技術によって、お前たち二人の獣神甲冑を鍛え直そう。その不完全な若い鎧を」
「なんと」
ヴァリウスが眼を見張った。鏡がないのでわからないが、エフェスも同じような表情をしていることだろう。
「――気づいておられたのか」
「〈王虎〉の鎧は今なお覇王バンゲルグの元に。そして〈天龍〉の鎧は砕かれた。お前たちの獣神甲冑二領はその代理として急造されたもの――違うかな?」
神官長の指摘は、全く異ならなかった。ヴァリウスが皮肉げに言いたくなるほどに、正確な指摘だった。
「詳しい――ですな」
「以前調べたからな――本来は護符となるべき獣神甲冑だが、お前たちの鎧はその鞘と篭手がそうなのであろう」
エフェスとヴァリウス、どちらともなく首肯した。
「お前たちの自覚の有無はともかく、発揮出来ていない『力』もあるはずだ」
――恐らくは、ある。実感としてエフェスは、本来の一割ほども天龍騎士としての力を発揮出来ていないのではないかと考え続けていた。
「本来は新造の獣神甲冑は、十年単位の時をかけて獣神騎士個人になじませ、徐々に護符の形に圧縮していくものなのだが――その時こそ惜しい」
そこでアーディルは、軽く溜息を吐くように言った。
「そのための設備は、恐らくエレルフォムにしかない。共に参れ、〈蒼き森林〉へ」




