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11 選べ、命の使い道を

 都市は戦場と化した。巨大な暴力とそれに抗う者たちによる闘争が、破壊と死の連鎖反応を周囲にもたらす。その中心地を戦場と呼ばずして何と呼ぶのか。

 

 そしてマーベルたちは今、戦場に背を向けて走っていた。

 

 悔しい。悔しくないはずがない。

 

 弓矢の腕は自信があった。狩人でもあった母と祖父から教わった弓は、アズレアでも一番だと言われたこともある。その弓は、この場では役に立ちそうにない。どれほど研鑽を積んでも、出来ることと出来ないことは厳然と存在する。けれどその悔しさを噛み殺して進むしか今はなかった。


 ようやく、広い敷地内でも最も規模の大きい邸宅の玄関前に立った。ここが総帥府だ。

 玄関前には糊の利いたお仕着せをまとった、如何にも執事らしい老紳士がいた。


「シェラミス・フィファルデ様御一行でございますな。我が主、ギャスレイがお待ちです」

 

 執事の案内を受け、五人は書斎へ通された。


 窓を背にし、執務卓を挟んでその男は椅子に座っていた。年齢は五十前後であるはずだ。鞣し革のような褐色の肌に刻まれた皺が長年の労苦を伺わせた。顔には疲労の色が濃い。それでも彼の威厳は失われることがなかった。


「クーヴィッツ軍総帥、ヨラン・ギャスレイ大将です」

「ギャスレイ総帥、へブリッドの外交官として参りましたシェラミス・フィファルデと申します」


 シェラミスだけが用意されたソファに座った。立ったままでエフェスは訊いた。総帥はまじまじと彼を見た。


「単刀直入に訊く。ガレイン・ザナシュはどこだ?」

「その剣……お主が天龍剣エフェス・ドレイクか。ガレインとの関係は知っている。連れてゆくがいい。場所は、西塔の鍵のかかった一画だ」

「承知した」

 

 シェラミスが指示を下していく。

 

「マーベル卿、彼のフォローをお願い。ダーレル、君もね――ギャスレイ総帥閣下、こちらのユーリルはわたくしの侍従です。手元に置くことを御了承願います」

「結構」

「あの、いいですか?」


 ダーレルが(まなじり)を決して前に出た。室内から出ようとしていたエフェスも動きを止めて彼を見た。

 

「クーヴィッツに住む者として一つだけ言わせて下さい、ギャスレイ総帥。あなたはこの状態でどうして何もしないんですか?」


 総帥はダーレルを見た。

 

「お主は――

「ガレイン叔父の甥のダーレルです。ドワーフ商工会長の弟の」

「そうか、お主がか」

「はい。街の様子はご存知ですか」

「ああ」

「では、何故闘わないんです。皆闘っています。姉ちゃんやドワーフの皆も。その一方で闘えない人たちもいる。それでも総帥、あんたは何故闘わないんだ……?」


 ダーレルは泣いていた。その涙はマーベルの心の代弁のようでもあった。やがて総帥は言った。


「では包み隠すことなく答えよう。何も出来ないからだ」

「……何も?」

「根本的なことは何も――我々がやっていることは対症療法でしかない。病巣を完全には取り除けぬ」


 ダーレルは二の句を告げぬ様子で、じっとギャスレイの顔を見つめた。ダーレルの方をちらと見て、ギャスレイは続けた。


「覇国の進撃は我々軍首脳部の――否、中原全ての軍人の予想を上回って強力で、迅速で、そして狡猾だった。前線の兵は疲弊の極みにあり、国庫も底を突きかけている。その上一部の議員は覇国の尖兵だという噂まで流れている。一方で軍部の過激派は玉砕覚悟の国家総動員まで私に打診してきた。そんなことをしても戦争の期間が少し長引くだけで、結果はさして変わるまい」

「この戒厳状態はあなたの意志にはよらぬものだと?」


 シェラミスが口を挟んだ。ギャスレイは口元を歪め、自嘲するように笑った。


「いや……戒厳令発動を認めたのは、軍部の暴発をさせぬためですよ。ガレインの拘禁もその一つだ。ガレインの影響力は大きい。ことによれば、奴自身が思わぬほどに」


 総帥は口元に苦い笑みを刻んだまま言った。


「ところが……軍の一部にも覇国に通じる者があろうとは」

「だからあんたは闘わないんですか」


 食ってかかろうとするダーレルより先んじて、マーベルが前に出た。


「あなたも、闘っていたのですね」


 マーベルはそう口にした。深い共感がそこにあった。自分の手ではどうしようもない戦況に藻掻き、足掻き、恐らく悪夢を見もしただろう。無力感に苛まれながら、それでもより良い未来を求めて。例えその結果が敗北だとしても。


「マーベル・ホリゾント卿、政事も軍事も、本質は結果なのだよ。失敗の責任は誰かが負うしかないのだ」


 マーベルは頷くしかなかった。ダーレルは無言のままうつむいていた。


「ここで降伏するのは、死だぞ」


 エフェスが言った。

 死という言葉の意味するのは、個人のものだけではない。国家や国民の生殺与奪の権限全てが握られることを意味する。

 

「エフェス・ドレイク、今更説かれるまでもないことだな。死を以て償うのは容易い。だが逃れられぬ運命ならば、命の使い道は自分で選ばせてもらう」

「国民を巻き添えにしても、か」

「これで終わりに出来るならば」


 エフェスの紫水晶の瞳に名状しがたい光が宿り、しばし総帥を見つめた。エフェスは納得したように息を一つ吐いた

 

「行くぞ」

「これを持っていけ」


 ギャスレイが投げてよこしたものをダーレルが宙で受け取った。それはクーヴィッツの守護神、剛角獣ベヘモットをかたどった護符(アミュレット)である。


「奴から預かっていたものだ、返してやって欲しい」


 シェラミスは何も言わぬままマーベルたちの方を見ていた。ただ、じっと見ていた。


 書斎の扉をくぐると、三人は駆け出した。

 

「エフェス、あの人、可哀想ね」

「武人に同情などするものじゃない。やるべきことをやって敗北した。それだけだ」

「……そうね」


 マーベルは自分がまだ未熟であることを思い知らされた。思えば、彼女の年齢以上の軍歴をギャスレイは重ねているのだ。人生の半分以上を軍に捧げた男に対し、言うべき言葉は本来何もないのだ。


「それにあの男、嘘は言ってないが、真実を全て語ってもいない」

「どういうことなんです?」


 ダーレルが訝しんだ。マーベルははっとした。


「……総帥に覇国の監視があったのね?」


 ギャスレイ総帥が不用意な言動をした場合、彼は死ぬことになる。あるいは彼の近親者が。無論監視の存在すらほのめかすことも許されない。気づくのが遅かった。

 

「俺もあの場で気づいた。シェラミスなら事前にその可能性に至っていたのかも知れないが――俺もお前たちも芝居が出来るような人間じゃないから、敢えて教えなかったのだろう」

 

 事前に監視の存在を教えられていたら、その眼を余計に意識していたかも知れない。それが敵を余計に刺激したことも十分に考えられる。

 

 その状況下で、ヨラン・ギャスレイは敢えてシェラミスとの対談に臨んだのだ。全く、何という覚悟だろう。彼が敗軍の将だとしても、その点は敬服せざるを得ない。


「……命の使い道、か」


 エフェスが聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。


 西塔へは渡り廊下で一本道である。進んでいくうちに大きな扉に出くわした。エフェスが乱暴に蹴り開けると、そこは広い空間だった。無数の椅子、金銀の装飾や祭壇、西日の指すステンドグラス、置かれた鋼鉄のベヘモット神像――神殿だ。

 

 向かい合うようにして西側の扉が配置されていた。一同は足を止めた。


 扉の前には影が二つ立ちふさがるように並んでいた。恋人のように腕を絡ませた男女である。背丈も同じほど、奇妙に似た印象を与える顔立ちは、親族か何かかと伺わせた。

 

「ねえ、獲物が来たよ、シューラ」

「まあ、エリダン、そんなのを見ないであたしのことだけを見て」


 男の方は笑顔を浮かべ、少し哀しげに首を振った。

 

「駄目だよシューラ。彼らを殺せば覇王も僕らの結婚をきっと許してくださるよ」

「そうねエリダン。あたしたちの未来のためにも殺してしまいましょう」


 エリダンとシューラは同時に前を向くと、絡み合わせた手を繋ぎ前に――即ち、敵たる獣神騎士とその一行に突き出した。


「「装甲」」


 幻魔焔が燃え上がり、二人の姿を包み込む。その中から影が躍り上がり、エフェスがロングソードで迎え撃つ。金属音が高く上がり、火花を散らした。

 

 幻魔兵は舞い上がり、夕暮れの斜光の中に影を落とした。鱗翅目の翼を持つ蟷螂(カマキリ)とも呼ぶべきその姿に、マーベルは息を呑んだ。

 

「〈邪妖精(アンシリーコート)〉の一種か。面倒な相手だ」


 エフェスが忌々しげに呟いた。

 

「「流石獣神騎士――お前たちに何の遺恨もないけれど、この場で死んでくれないかな?」」


 男女の重なった声が嘲笑めいて耳に届いた。

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