8 殴り込みの朝
朝が来た。
「ほら、仕上がった」
砥石をかけたレイピアが手元に戻ってきて、マーベルは惚れ惚れと刀身の美しさに見入った。
ドワーフの隠れ家の、小さな工房である。テレタリエの領主邸の戦闘でエフェスがこのレイピアを遣ったので、多少なりとも損傷が気になっていたのだ(そもそもエフェスは武器は使い潰すものと認識している節がある)。折よくこの隠れ家には日常道具を作ったり補修するための工房もあり、マーベルは剣の修理をドワーフに頼んだのだった。
「ありがとう、ドゥーンさん」
「さしたる傷もなかったでな、お安い御用よ」
マーベルは名前で呼んだが、ドワーフたちの名前を覚えきれていなかった。ただ観察していると、ドワーフたちはこのドゥーンを重んじているように思われ、顔の皺からも恐らく最年長なのだろうとマーベルは見当をつけた。
「エフェス、あなたの剣も研いで貰ったら?」
ちょうど工房にエフェスが来たので、声をかけた。
「俺は余剰の剣がないか訊きに来ただけなんだが」
「見せてくれるかね」
ドワーフも好奇心を隠しきれない眼をしていた。エフェスは観念したか背中の剣を外すと、柄尻に手を置いて立てて見せた。ドゥーンがしばし鞘に納まったままの剣を眺め、溜息を吐いた。
「お前さん、これをなんちゅう使い方をしとるか」
「わかるか」
「わからいでか。数え切れん数の骨を鞘のまま砕いておるな。ドワーフの鼻を舐めるでない。……ちといいかね?」
エフェスが頷くと、ドゥーンは手で剣の柄を握った。軽く握っただけで、彼は手を離した。
「剣、鞘、共に一級の魔術師が鍛えるのを手伝った見事な逸品だな。血と鉄の臭いはするが、それ以外に錆も破損もない。お前さん以外に抜けん訳だ」
「ああ。然るべき時、然るべき場合にしか抜けない剣だ」
「儂も魔術鍛造の道具を扱ったことはあるが、ここまで強固な代物はお目にかかったこともない。手に余るな、これは」
マーベルも、一度しかこの剣が抜き放たれたのを見たことがなかった。ごつい鉄の鞘とは裏腹に、青く透き通った水晶のような美しい刀身だった。エフェスのまとった鉄の龍の甲冑以上に、その剣に眼が行った。
「しかし剣に傷はないのか? 魔術鍛造の武器は同じ魔術鍛造の武器と打ち合えば、折れることもあるが」
「ないな。俺が知る限りない」
「そうかね、フムン……」
「あんたは何が言いたいんだ?」
「いや、持ち主がそう思っているだけ、ということはありそうだと思ってな」
「……それは?」
エフェスが怪訝な視線をドゥーンに向けた。
「つまりだ、見た目は傷一つなくとも刀身を構成する鉄が、例えば長年の酷使で傷んでいたとする。その場合、いつ折れたとておかしくはあるまい。儂が言いたいのは、これぞ」
「……覚えておこう」
エフェスは短く応えた。それはマーベルには重大な示唆が隠されているように感じられたが、口には出さなかった・
「エフェス! いい剣みっかったかね!?」
工房に響き渡ったのは小柄なハーフドワーフ、メルチェルの声だ。
「いや、まだだ」
「そうかね。ドゥーン、そっちの用事は終わったの? だったら剣を見繕ってちょうだいな! ところでマーベル、欲しいものはあるかい? 矢の在庫はあったっけ?」
「忙しそうね、メルチェル」
「うん。今からカチコミかけにゃならんからね」
「カチコミ?」
「あ、殴り込みって言った方がわかるかい?」
殴り込み。
「いや、殴り込む訳じゃないから」
一同が囲む食堂のテーブルで、シェラミスが眉間をもみながら言った。彼女は手元に置いた手紙を前に出した。
「クーヴィッツの魔術師が、文字通り命がけでオーレグにこの手紙を渡してきた」
「その魔術師は?」
椅子に座ったマーベルが訊く。
「死んだよ。土の下さ」
シェラミスが少し嗄れた声で答えた。背後に影法師めいて立っていたユーリルが空のカップにハーブティーを注いだ。
「それで、内容は?」
「内密に会談をしたいということだよ。送り人はなんと、ギャスレイ総帥その人だ」
一同の顔に様々な感情が浮かんだ。驚愕、困惑、緊張、怒り――そうでないのはシェラミスとメルチェルだけである。いや、メルチェルも困惑しているようだった。
「あたし個人がギャスレイ総帥と一度逢いたい、という旨の手紙を送ったのさ。あたしの今の身分は外交官だしね。そしたら律儀にも直筆の返信が来た」
「なんて言うかさ……大胆だよねぇ」
メルチェルが溜息混じりに言った。主語を欠いた慨嘆だったが、それがギャスレイ及びシェラミスの二人に対する言葉なのは明らかだろう。
「なんてふてえ野郎だ!」
「この際フン捕まえちまいやしょうぜ!
「いてこましちまえ!」
席を立ちいきり立つドワーフを、メルチェルが叱責した。
「うっさいよ! アンタら! 他に代案があンのかよ!」
無論ドワーフたちに代替案などあるはずもない。彼らは黙りこくった。
「……正直ギャスレイのあン畜生はムカつくけどね、話すことがあるなら聞いておかにゃならないさ。ブン殴るにも一応の理を聞いとかなけりゃあ後味が悪いだけだよ」
メルチェルは自分に言い聞かせるように呟いていた。そうでなければ怒りが暴発しそうだとでも言うようだった。
「でも、魔術師が手紙を渡して死んだって言いましたよね、シェラミス師? ということは」
「ああ、そうだ。多分、この会談をさせたくないという奴がいる」
ぱん、と柏手が打たれた。全員がランズロウの方を向いた。
「わかりました。邪魔する奴らを全て排除すればいいのですね」
「全く……そういうのはエフェスの役割だぞ……」
エフェスが、口を開いた。
「この街には、覇国の斥候がいる。ということは、その意を受ける者がいるということだ。それを全て殺せばいい」
言葉は如何にも物騒だが、その意図は皆に十分伝わった。シェラミスが一同を見回した。
「約束の時刻は夕刻、場所はラッセナ城の敷地内にある総帥の私邸だ。それまで準備をするとしよう」
ドワーフたちの間に戦気がみなぎった。マーベルは思った――やはりこれでは殴り込みではないか、と。




