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7 虚無に剣を揮う者

 大剣の空を裂く風切音がした。まるで獣の吠え声のようだった。

 

 バイロンの左に回り込みながら、ヴァリウスは左の鈎打ちを放つ。狙うは顎。バイロンは身を引きながら剣を横に揮った。身をかがめたヴァリウスの頭部二、三寸上を掠めて大剣が通過する。右手を地に着けながら、そこを支点にして下段の蹴りを放った。まともに喰らえば脛を折る王虎拳の〈円規掃腿〉が地表すれすれで走る。鎖の男はそれを跳躍して回避、そこからまた大剣が振り下ろされる。ヴァリウスは転がりながら躱し、体勢を立て直して地を蹴った。揮われる拳を大剣の腹が受け止める鈍い金属音が響く。

 

 バイロンの軸足が入れ替わり、盾にした大剣が薙ぎ払われた。ヴァリウスが背後にした煉瓦の壁が、斬撃によってただの粘土のように破砕される。異形の大剣が通過するより僅かに早く、ヴァリウスは跳躍した。高く掲げた踵をそのまま振り下ろす〈烈虎鉄槌踵〉。頭部を砕かんとする踵を、バイロンは鎖を巻きつけた拳で迎え撃つ。驚愕の感情を押し殺しつつ、王虎騎士は斬られた壁に立った。

 

 左右から鎖分銅が飛んできた。百蛇衆の妨害である。

 大剣が二度揮われ、鎖を断ち切っていた。バイロンは鎖分銅を掴んで無造作に投げた。間断なく、遠くの闇で人一人が倒れる音がした。


「手を出すな。出せば殺す」


 百蛇衆の方を見もせずに、バイロンは重い声で言い捨てた。

 口調には感情は感じられなかった。ただ闘うにお前たちは邪魔だから手を出すな、という程度の意思の表明に過ぎない。それがむしろヴァリウスには不気味だった。

 

 それでいて闘う意志は感じられた。理由をヴァリウスは訊きたかったが、問いかけるだけ無駄という気もした。知りたいことは何も語らないだろう。


 ならば拳で語るのが一番だ。


 足元が粉砕された。大剣の一撃だ。それよりなお早くヴァリウスは後方へ跳んでいた。


 踵を返して壁の向こうへと走り抜ける。

 

 背後に追ってくる気配を感じた。後ろを見るまでもなく、バイロンだ。健脚と快速には自信のあるヴァリウスでさえ追いつかれかねないと思うような疾さである。

 

 高さ六尺半超ほどの石塀が眼の前に迫った。ヴァリウスは勢いのままに跳んだ。

 

 着地した先は共同墓地である。破砕音が轟いた。濛々たる白煙が消えるより早く、バイロンが飛ぶように迫った。後には撃ち壊された石塀の痕跡が残った。

 

 ヴァリウスが後方へ跳ぶ。斜めに揮われた大剣が御影石の墓石を二つまとめて粉砕する。

 

 飛来した大小の石塊(いしくれ)をヴァリウスは宙で掴んで(さら)い、投げた。あたかも散弾として放たれたそれを躱すのは困難な距離である。バイロンは大剣を盾にして受けた。

 

 ヴァリウスが飛び込む――揃えた両足を前に突き出した〈鉄虎飛身脚〉。全身の撥条(バネ)と速度、そして三十貫(約百十二キログラム)近いヴァリウスの体重が乗った一撃で大剣に更なる負荷をかけた。バイロンは踏ん張るように耐えるが、足元の土が後退の轍を刻む。

 

 これでも倒れんとは――内心に舌打ちを吐き捨て、ヴァリウスはバイロンの左手に回り込むように降り立った。拳を突き上げたが、バイロンの鎖を巻いた腕が懐に潜り込み、ヴァリウスの視界が縦に一回転した。投げられたのだ。

 

 背中から全身に走る衝撃よりも、ヴァリウスの戦士としての本能はバイロンの鉄靴の底を意識した。立ち上がることで躱すと、至近距離に敵の正中があった。

 

 呼吸一つにも満たぬ間に、右と左で下腹から顔面へ突きを見舞う。それは膝と肘で容易に防がれる。驚くべきバイロンの反射神経である。

 

 ヴァリウスは更に踏み込んだ。

 

 弓矢めいて引き絞られた右肘――〈猛虎硬爬山〉がバイロンの水月を穿った。そのはずだった。

 

 バイロンの手が肘を止めていた。凄まじい指の力だった。骨の軋む音に、強引にヴァリウスはもぎ離し、十歩の距離を置いた。

 

 装甲、という考えがふと頭をよぎった。

 普段の相手ならば思いも寄らぬ発想である。獣神甲冑を身にまとえば身体能力は飛躍的に向上する。神々の用いる魔法に等しい獣神戦技をも使うことができる。

 

 ……だがそれは生身の人間に揮うための力ではない。理外の魔性や化生に用いるための力だ。――ヴァリウスは気の迷いを振り払った。少なくとも相手が生身の人間である以上、武芸者として生身の人間であらねばなるまい。獣神騎士としての契約と、それ以上に矜持の問題だった。

 

 一方で、戦士としての矜持の一つも封じる必要があった。背の高い樹々が並ぶ防風林が近くにあった。

 

 バイロンが踏み込み、大剣を叩きつけてくる。篭手に忍ばせた鉤縄をヴァリウスは木に投じ、そのまま己の身体を引き上げることで一撃を躱した。

 

 ヴァリウスは更に身を引き上げた。バイロンが遠ざかる。さしもの幻魔騎士も飛び道具までは持っていないとみえる。そして追うのを無益と判断したのか。バイロンは凝然とこちらを睨み据えて動かない。


 防風林の樹々を縫って、ヴァリウスは離脱した。挑まれて逃げるのは業腹だが、これ以上は無益だ。

 

 追手はなかった。それでも樹々を渡って移動は続けた。全身が汗で冷たかった。


「あれが幻魔騎士か……」

 

 ヴァリウスが白虎平原を離れて久しい。覇国について知らぬこともままあるし、それは多少ではあるが増えている。


 その一つが幻魔騎士だった。ガウデリス覇国最強を謳われる戦士たちの称号。ヴァリウスにもその程度の知識しかない。


 幻魔騎士バイロン。

 闘ってわかることなど殆どなかったと言っていい。まるで人の形をした獣と闘った気分だった。その癖、闘うために闘っていた。愉しみも歓びもなく、それだけのために闘っているようだった。それは怒りにも似ていたし、虚無にも似ていた。


 虚無なる怒り。

 

 ヴァリウスも闘いは決して嫌いな方ではない。だが、あの男ともう一度闘うのは御免こうむりたかった。闘えば、虚無に引きずり込まれかねない。闘っている間は全く気づかぬことだった。気づかぬうちに虚無が引きずり込んでゆくのだ。

 

 そして、強かった。バイロンの大剣は力任せと見えながらその実無数の変化を孕み、その上で最効率で敵を屠るための斬撃を仕掛けてきた。あれほどの剣の遣い手はと言えば、ヴァリウスが思い浮かぶのはエフェス・ドレイクただ一人である。

 

 あの二人がぶつかったなら、どちらが勝つか――そこまで考えて、ヴァリウスは思い至った。エフェスの剣とバイロンの剣は奇妙に似通うところがあった。

 

 恐らく、そして間違いなく、あの幻魔騎士は天龍剣を遣っていた。

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