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6 蛇たちと戦士たち

 そこはラッセナ市でも身分の高い者が住まう住宅街だった。そこにジャストン・マルティン議員の自宅はあるが、彼はそことは別に仮の住まいを持っていた。そこは彼の妾宅でもあった。

 

 妾宅に集まり、和睦派の議員たちと話し合った後、ジャストンは彼らを見送った。

 

 酒を少し呑んで寝台に横たわり、愛人に身体を揉ませた。決して美しいとは言い難い女であるが、気の利く端女(はしため)のように便利に使っていた。尤もジャストンはただ一人以外、女の美醜にこだわったことはない。 

 

 穏やかな睡魔に襲われているところ、声をかけられた。

 

「議員、お話があります」

 

 ジャストンは愛人を退け、部屋に入ってきた女と向き直った。

 女はジャストンより背が高い。長身なのもあるが、ジャストンが五尺二寸(約百五十六センチメートル)ほどなのも理由だった。同時にそれもジャストンが眼の前の女を嫌う理由の一つでもあった。

 

 尤も彼が好きな人物は一人しかいないし、その相手もとうに冥府の河を渡ってしまっていた。


「椅子をどうぞ。話とは、メディッサ殿?」

「お前の周囲を嗅ぎ回っている斥候を何人か始末しました――が、直に嗅ぎつかれるでしょう」

 

 美しい女には違いない。だがその眼は、まるで体温というものを全く感じさせなかった。言うなれば蛇のような眼の女だった。口調にも、露骨なほどにジャストンに対する蔑みが表れている。

 

 メディッサ・ラドファル。百の蛇を飼い慣らす女――百蛇衆の頭目であれば蛇の眼を持つのも当然と言えよう。並の軍人とは修練の数も潜った修羅場の数も違う。

 

 眼にした死体や、死体にした人の数も。その気になればジャストンなど瞬き一つのうちに殺せるだろう。


「期限は間もなくなのでしょう? それまで護衛を引き続きお願いしますよ、メディッサ殿」

「無論です。それともう一つ」

「何か」

「魔術師たちがモグラの巣に入りました」


 モグラ――即ちドワーフの隠喩である。


「襲撃は仕掛けないのですか?」

「監視に留めておけと命じられております」

「獣神騎士を仕留めるに絶好の機会では?」

「仕留められれば、ね」


 蛇の眼が細められた。


「彼らは決して侮れません。テレタリエでは二百名で取り囲みましたが、そのうち五十名を失い、しかも相手を無傷で済ませてしまった。百蛇衆が、一人ではないにせよ素肌の剣士相手にです」

「……装甲は?」

「していたら、全滅ですよ。尤もあの場にはレイディエンがいました。彼が出てきた場合、どうなったかはわかりません」


 獣神騎士については伝聞でしか知らぬが、天龍剣の剣士の力ならばジャストンは知っている。その誰も彼もが、武芸の不得手な彼には人間離れした強さの持ち主としか思えなかった。だからジャストンには天龍剣の宗家であるドレイク氏の血を継ぐエフェスの実力は、全く予想出来ない。


 レイディエンもまた幻魔騎士の称号を持つ男であるが、エフェスに対抗出来るかはわからなかった。


 願わくば共倒れになるがいいとジャストンは思っている。ただし自分がいない場所で、だ。獣神騎士と幻魔騎士、双方が思うままに暴れれば、周囲に及ぼす被害は甚大なものになるだろう。


「いっそ、貴女自身が出向いては? 魔術師か獣神騎士の首を取れば命令違反は帳消しでしょうが――それとも、エフェス・ドレイクが怖い?」


 メディッサが薄く笑った。しかしその眼は氷の針のように冷たく鋭い。蛇が笑みを浮かべたらそれはきっとこういうものだろう。それは殺気にも近く、ジャストンは全身にのしかかる恐怖に必死で抗った。


「それは否定しません。しかし私以上に彼を恐れているのはお前でしょう、ジャストン・マルティン――いや、元はメリヴという姓でしたね? 何しろお前は龍脊山脈に我ら覇国軍を引き込んだ裏切り者なのだから」

「これは手厳しい」


 声を上げてジャストンは笑った。恐怖と、それ以上にこみ上げる怒りを悟られぬためだった。

 

「バイロンは、今は貴女の元にいるのでしたね? 彼を貸して頂けるならば、私がメディッサ殿の代わりに行きましょうか」

「残念ながら、それもまた禁じられているのですよ。お前が彼を憎悪していることはわかっています」


 蛇の眼としばし睨み合うようになった。


「覇国には本来存在しない騎士号――覇王がその名を敢えて名付けられたのが幻魔騎士です。単体で最強の武力を持つ彼らはおいそれと貸し出せませんし、そもそもお前にバイロンを御せるものとも思えません」

「軍部は――どうなっているのです?」

「それはお前には関わりなきこと」


 メディッサは蛇の笑みを浮かべた。


「何、裏切り者は裏切り者としての役目を果たせばいいのです。今回もまた、国を売りなさい」


 ジャストンは言わば覇国の政治的な「草」――即ち土着して情報を収集し、連絡を取り、あるいは手助けをし、場合によっては寝返りの根回しを行うための工作員だった。

 

 龍脊山脈に生まれ、虚弱な彼は体術を嫌って読書にのみ耽り、周囲の環境や人間を憎悪した。両親すら嫌悪の対象だった。唯一ジャストンが憎まなかったのは幼馴染のリュイカだけだったが、彼女は若くして死んだ。

 

 龍脊山脈と天龍剣が覇国の眼の上の(こぶ)であることは知っていた。裏切りの使嗾(しそう)にあって、率先して情報を流し内通を行なうのに一切の躊躇はなかった。


 一度裏切れば何度でも裏切ることが出来る。以降彼は覇国の「草」として生きることを決めた。それがあらゆる者から侮蔑される生き方だとしても、他に道はなかった。


 メディッサの腰の当たりで器具が歯を合わせるような音を立てた。それはある種の獣を組み合わせて結わえたものであり、百蛇衆の連絡道具でもある。


「斥候がこの屋敷に近づいています。ジャストン、決して動かぬように」


 どんなに蔑まれようが、我が身にはまだ利用価値がある――忍従にも屈辱にも、ジャストンは慣れていた。


 × × × × ×


 鎖分銅が己の右腕に巻き付いたとき、ヴァリウスはそれを腕だけでなく全身の力を使って引っ張った。手、脚、腰、背中の筋肉が盛り上がり、その身は左足を軸にして捻った。連動した力が鎖をぴんと張らせた。ヴァリウスは更に力を込め、鎖を使って持ち主を引き寄せた。長さは一丈半程度、持ち主は決して離さない。それがいけなかった。ヴァリウスは翻転して踏み込み、鉄篭手に覆われた拳が胸骨と心臓を叩いて砕く。


 闇の中で数人が動いた。把握していない気配を含めれば、もっといるだろう。既に五つの死体が横たわっていた。


「……ここが潮時かね」


 少なくとも百蛇衆に見つかった以上はそうだろう。可能ならばジャストンの身柄を手に入れたかったが、やむを得ぬ。逃走だ。

 

 ヴァリウスの眼が包囲の切れ目を探して動く。拳を硬め、強引にでも突っ込もうとした。

 

 不意に、生温い風を感じた。風ではない、闘気だ。

 

 足音と共に闘気が近づいてきた。明らかに百蛇衆とも違う。かすかに鎖の音もした。百蛇衆が道を譲るように開けたのは、その存在の巨大さに怯えたためか。

 

 月明かりに照らされて、その者の姿が明らかになる。フード付きのマントを目深にかぶっている。背丈は恐らくヴァリウスと同程度。たくましい四肢には鉄鎖が絡みついていた。

 

 放散され続ける闘気は衰えるどころか次第に高まってゆくのがわかる。獣神騎士ヴァリウスをして肌に(あわ)(しょう)じせしめるほどの闘気――ヴァリウスは逃走することを忘れていた。

 

「……あんたは何者だ」

「バイロン――幻魔騎士バイロン」

 

 男らしい、重々しい声だった。

 

 バイロンが背負った剣を抜いた。それは龍の鱗を組み合わせて作ったような、異様な大剣である。

 

 無言のまま、圧力がヴァリウスへ迫った。それはバイロン自身の踏み込みだ。大剣が真っ向から振り下ろされた。

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