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1 大河上の襲撃

す、すまねえ……オラの腹が弱いばっかりに……

 ヘブリッドの商船〈燕尾(スワローテイル)〉号の操舵室へ呼び出された時、シェラミスは嫌な予感がした。

 

「船長、何かありましたか?」

「クーヴィッツの軍船です」


 操舵室の窓の外を船長が指差す。前方に十艘近い船団が見えた。バルエシオ大河は中原の国境線でもあり、その近隣の国家は例外なく水軍を持っている。陸軍ほどではないが、クーヴィッツ水軍もそれなりの歴史と精強さを誇る軍団であった。


「カンテラと旗での信号で『停船せよ』です。何とも居丈高な旗振りですな。あれが河賊なら砲弾をぶち込んでやるんですが」


 船長もシェラミスの身分や職能については知っていた。その上で船乗りらしい荒っぽい口調を使っているので、シェラミスは案外彼のことを気に入っていた。


「同意だけどやめときましょう。こうなることは予想していました」

(しゃく)ですが、大人しく止まりますか」


 軍船と商船が接舷する。乗り込んできた中年の軍人は口元に立てた髭を撫で付けながら、居丈高に告げてきた。襟章から大尉とわかった。


「これより臨検を開始する! 船の乗組員はご協力願いたい!」


 請願という形式を取ってはいるが口調は恫喝のそれである。それを受けてシェラミスが軽く手を上げた。


「質問よろしいでしょうか」

「許可する」

「臨検の理由を教えて頂いても?」

「その質問には回答できない」

「言えないことでもあるのでしょうか」


 シェラミスは素直に引き下がらなかった。白眼の勝った眼で大尉が彼女を見た。十代の少女と思ってこちらを完全に舐め切った眼だった。


「シェーラ嬢」

「はい」

「無駄な詮索はやめたまえ。御父上に迷惑をかけることになるぞ」

「……すみませんでした」


 ここでシェラミスは形だけの詫びをした。シェーラというのは偽名だし、彼女の本当の両親はとうに冥府の河を渡っている。それをこの男に教えてやる義務も意志もない。


 噛み付いてみせたのは商人の娘としての偽装もあったが、また眼の前の軍人がいけすかなかったからでもあった。船長がシェラミスに片目を瞑ってみせた。


 いくらか質問を受け、それを用意していた答えで躱した。大尉と数人の水兵を船倉に案内する。 

 

 扉の前にエフェスが寄りかかるように立っている。胸甲などの装備は解いたまま、腕を組んで眠っているようにも見えた。エフェスが顔を上げた。

 

 シェラミスは冷や冷やした。くれぐれも船内で騒ぎを起こさぬように事前に釘は刺したもの、どこまで話を聞いているか疑問だ。シェラミスは内心に毒づいた――あいつめ、自分がいくら強いからって無法がどこまでも通じると思ってるのか?


「そこの男、船倉に入りたいのだがな」

「駄目だ」


 エフェスは居丈高な大尉を一瞥した後、もう見るべきものはないとでも言うように眼を閉ざし、顔を伏せた。


「荷を守るのが俺の仕事だ」

「貴様――」

「駄目だ」


 エフェスが眼を開け、大尉と水兵を睨みつけた。紫水晶(アメジスト)の瞳は決戦前の怒りを静かに放ち、気温がいくらか冷えたかのようにシェラミスにも思われた。クーヴィッツ軍人たちは青醒めた顔で、人ではないものを見る眼でエフェスを見た。全員が剣の柄に手をかけた。


「やめなさい。所詮食料品、見られて困るようなものはない」

「……承知」

 

 シェラミスの一言でエフェスが殺気の放散をやめ、扉の前から下がった。

 

「……私が知る中で、最も凶暴な傭兵です。融通も利かないが、とにかく腕は立ちます」

「まるで獣よな」

 

 すれ違いざまに大尉が露骨な悪態をついたが、エフェスは反応しなかった。――ランズロウも言っていたが、いつでも人を殺せる技を持つ者は余裕の度合が違うのだろう。

 

 積み重なった麻袋のうち一つを裂いて中の麦の溢れる様子を見せると、軍人たちも不承不承納得したようだった。シェラミスは安堵した。奥の方にはエフェスの龍魂剣やマーベルの弓矢、そして自分自身の鉄炮(エスピンガルダ)の入った箱がある。あれを見咎められるのは少々どころではなく不味い。

 

 幸いエフェスの睨みが効いたのか、これ以上の検分はなかった。船倉から甲板に上がり、船長が革袋を握らせた。

 

「大尉殿、お納め下さい」


 金貨の重みに大尉はあからさまに上機嫌になり、鼻歌でも口ずさまんばかりに笑顔になった。

 

「フン、船倉でのことは見逃してやらんでもないぞ、船長」

「ありがとうございます。今後ともご贔屓に」


 大尉は気を利かせたつもりか、今度は軍船八艘で〈燕尾〉号をラッセナの波止場まで送ってくれる運びとなった。船団からすれば帰港するついでの厚意なのだろう。本音を言えば有難迷惑だが、断れば勘ぐられる可能性はある。

 

 一行にはやましいことなど――無論あった。何しろ彼らは政変(クーデタ)への関連の疑いをかけられ、拘禁されているという元鉄牛騎士団長ガレイン・ザナシュ卿の居場所を探し出し、救出するという役目を担っていた。


 それにガレイン卿救出が成功したとしても、ヘブリッドによるクーヴィッツへの内政干渉になりかねない。シェラミスが商人の娘という偽装身分を通しているのも、外交官としての特権の数々をこの場で用いなかったのも、このためだった。


 事と次第によっては(そんな事態は可能な限り避けたいところだが)、武力の沙汰に及ぶやも知れぬ、という可能性は十分ある。そのために二人の獣神騎士を帯同しているのだが、危険を避けることと有事に備えることは決して矛盾はしないだろう。


 穏健に、隠密に――作戦の方向性としてはこうである。


 尤も、船に乗る前からエフェスは不穏な気配を放ち続けている。それがシェラミスには気に食わなかった。マーベルの話では、彼が最も敵意を向ける復讐対象がラッセナにいるのだという。シェラミスはエフェスの離脱や暴走を覚悟していた。


 初対面から薄々感じていた印象がやっと確信を深めた――この天龍騎士は間違いなく強いが、間違いなく危うい。


 前後左右に二艘ずつ、合計八艘の軍船に囲まれて〈燕尾〉号が移動する。すれ違う船に乗る人は皆凝視していた。明らかに目立っている。これでは「隠密」もあったものではないな、とシェラミスは考えた。


 ラッセナについたのは日も傾いた頃である。波止場に差し掛かったあたりで、異変に気づいた。


「どうしたの?」

「一番北側の軍船を見て」


 マーベルがその方向を見た。弓手に取って視力の良さは武器であり、特に彼女の眼は猛禽のように鋭い。シェラミスでさえ妙な気配を感じ取ったものを、マーベルの眼が見逃さないはずがない。


「何か……暴れてる?」

「鞄を、ランズロウ」


 ランズロウが鞄を差し出した。シェラミスが目立たない位置で双眼鏡を出し、見た。

 

 酒樽のような人影が軍船の上で暴れ回っている。複数である。水兵が吹っ飛ぶのが見える。一艘目を制圧し、二層目に接舷させて乗り込んだ。その制圧は更に早い。水兵たちがまるで子供のようにあしらわれていた。


「水賊かな?」

「軍船を襲いますかね」

「襲わんだろうね。ましてや船団をだ」


 他の軍船が対応に動いている間、北側に位置する軍船から〈燕尾〉号の右舷に一際小柄な影が跳躍した。シェラミスは一瞬子供かと思った。その影は甲板に前回りの受け身を取りながら、立ち上がった。

 

 緑褐色の髪に若草色の瞳の少女だった。身の丈は五尺(約百五十センチメートル)にもいくらか足りないだろう。身につけているグローブもブーツも上着も分厚い鞣し革に鉄の鋲を打たれた、如何にも頑丈で重そうな代物である。

 

「あんたが〈蝶の館〉のシェラミス・フィファルデさんかね?」

「そうだが、君は?」

「よかった」


 小柄な少女は発達した八重歯を剥いて笑った。攻撃的な笑いだった。思わずランズロウがかばうように前に出た。


「ウチはドワーフ商工会代表、メルチェル・バーリルって言うんだ。あんたらを助けに来たンよ」


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