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14 遡行

 その日の商会の朝は慌ただしかった。


 一番の問題は領主の不在だった。近年は領主が事実上の独裁を敷いており、議会は長い間殆ど機能不全状態だったのである。そこを動かす必要があった。(くだん)の集合住宅に絡む問題でもある。働いていたのは不法の住人たちだが、彼らをいつまでも牢に留め置く訳にも行かない。


 そう言った各方面への折衝や調整など、政治的な面倒臭い問題をシェラミスは商会の面々に丸投げして回避することにした。それは彼女らの仕事ではないのだ。


 抜けるような青空の朝、食事の場は即彼らの会議の場になった。


「ガレイン・ザナシュ卿はラッセナで拘禁されているようです」


 ユーリルの思いがけない言葉に、粥をすする匙を止めてシェラミスが「何故」と問う。


政変(クーデタ)の容疑です。彼は元鉄牛騎士団長、軍部にも慕う者は今も多い」

「……ガレインが政変に加担などするものか」


 反駁(はんばく)の声を上げたのはエフェスだった。茶で手を温めていたマーベルが訊いた。


「あなたはガレインという人を知ってるの、エフェス?」

「ガレインは天龍剣に於ける師兄――兄弟子だ」

「ああ、そうだったね」


 シェラミスが情報をまとめるように言う。

 

 天龍剣は表には知られていないが、その実密かに中原の武人の間で評価が高い。門戸は狭いがその分資質の優れた者を求める傾向があり、修行もまた厳しいが成長は着実。本国より出向していた軍人や騎士が実は龍脊山脈で天龍剣の手ほどきを受けていた、という話も少なくないのだという。


「確かな情報なの、ユーリル?」

「複数の筋からの情報です。また、ラッセナに三日前から戒厳状態が敷かれているという伝書鴉の文が今朝届きました」

「……一刻を争うかも知らんな」


 シェラミスは手渡された文に目を通してから、エフェスに話題を振った。


「ガレイン卿は修行熱心な人だったらしいね。特に十五年前――覇国の龍脊山脈侵攻の頃からそれが顕著だ」

「太師父――俺の祖父が龍脊山脈に留まった後、中原の天龍剣門弟をまとめるのはガレインの役目だった」

「それが対覇国戦線のまとめ役もか。多忙だね」

「ああ」

 

 シェラミスは笑ったが、エフェスは笑わなかった。


「エフェス、ひょっとして君はガレインの意を受けて行動していたのかな?」

「そうだ。最後に彼に会ったのは二月以上も前になる」


 ということは、アズレアをエフェスが訪れた前後だろう。


「ガレインが拘禁を受ける身なのも知っていたの?」

「いや、初耳だ。元より一箇所に落ち着く身ではないしな――その件でエアンナは何も言わなかった。ただ使い魔(ファミリア)でテレタリエに魔殖樹があるから行けと伝えてきただけだ。そこから先の指示はない」

「連絡もない?」

「そうだ。シェラミス師、あんたたちはこれからラッセナに行くんだろう」

「そのつもりだよ」

「だから俺もラッセナに行く」


 断固たる口調だった。


 エフェスは自覚しているだろうか、とマーベルは思った。彼女が横目で見るその紫水晶(アメジスト)の瞳が敵愾(てきがい)に満ちていたことを。


 弓手であるマーベルは視力に自信があり、ついで読唇術も身につけていた。領主邸でエフェスに挑んできた仮面の男は、明らかに悪意を以てエフェスに近づき、嘲弄していた。そして驚くべきことに、エフェスと互角以上の闘いを演じてみせたのである。マーベルは、人間に限って言えばエフェスほど強い男はいないとさえ思っていた。

 

 もしマーベルが矢を射込んで中断でもさせなければ、エフェスの身は無事では済まなかったかも知れない。

 

 エフェスがラッセナに行く理由は、何も兄弟子ガレイン・ザナシュ救出だけではあるまい。そこには仮面の男が絡んでいるのではないかとマーベルには思えるのだった。


 昼頃、シェラミス一行は商会が保有する船に乗った。河船ではあるが、造り自体は航海用とさほど変わらない。幅の広いバルエシオ大河を渡る船なのだ。ただしレキセン川はバルエシオ大河よりも川底が浅いため喫水も浅く造られており、従って海船の設計は流用されていない。


 バルエシオ大河は大陸を東から西に横断するように流れている。商船は河の流れを遡行(そこう)して、テレタリエより東に位置するラッセナへ向かうことになる。

 

 子供たちは商会が預かっていた。中にはラッセナ育ちで、戻りたがる者も勿論いた。しかし戒厳状態にある都市に彼らを連れてゆくのはためらわれた。ミルカは体力が戻っておらず、しばらくはベッドの上で安静の身である。介添(かいぞえ)にはレオが志願した。

 

 戻る家のない子供もいた。そう言った者には商会である程度の教育を施し、本人の希望次第で職業の斡旋もする。しかし路上に戻る者も少なくないだろう。

 けれどそれは別の話である。少なくとも今は。


 見送りに来たレオが乗船する一行を何も言わず、じっと見つめていた。エフェスが、そしてランズロウがすれ違いざまにその肩を軽く叩いた。心配するな、という無言の言葉だとマーベルは解釈した。


 やがて船が動き出した。天候にもよるが、テレタリエからラッセナへの到着は五日から八日の後と言われている。それでも陸路よりは随分早いのだ。


 マーベルは一人船室の外に出て、川の流れを見た。もうすぐ、レキセン川とバルエシオ大河の交点に行きつくところだ。


 (やぐら)の一つにはエフェスがいた。その姿を認めるなり、彼女は近づいた。


 最初は気配が希薄で、眠っているのかと思った。しかしその眼は半眼に開いていた。

 

「えーと……起きてる?」

「瞑想をしていた」


 半眼のまま、エフェス紫水晶(アメジスト)の瞳がマーベルの方を向いた。


「何を考えてたの?」

「斬るべき敵のことを」

「あの仮面の男?」

「あれはただの道化だ」


 エフェスの眼が、そして気配が鋭さを増した。それは今ここにはいない敵を睨むようでもあった。


「ただあの男は、俺の斬りたい男がラッセナにいると言った」

「――それは」

「幻魔騎士バイロン。龍脊山脈を攻め落とし、俺の祖父を殺した男だ」


 口調に怒りと憎悪がにじんだ。エフェスが露わにした隠しきれぬ激しさに、マーベルは体温の冷えるのを感じた。


「……信じられるの、敵の言うことを?」

「本来ならば、あんな道化の言葉など信じるに値しない。だが、俺は五年間待った。奴の姿を探し、斬る機会を待ち望んだんだ」


 言葉は静かで冷たく、しかしその底意は激しく熱かった。


「バイロンを斬る……そして、俺は――」


 そこから先は、エフェスの口からは聞こえなかった。

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