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12 流水の騎士

 ランズロウが身を前に投げ出すように踏み込んだ。

 

 真っ向から振り下ろされる槍の穂先が鬼蜘蛛(デオフォロブ)を捉え、真っ向から両断する。金髪の戦士は室内に逃れるように転がり込んだ。


「おやおや、わざわざ袋小路に入り込むとはね!」


 女将の嘲笑が響く。ランズロウは入り口よりやや引いた場所で皆を守るような位置を取りつつ、主人にだけ聞こえる声で言った。

 

「子供たちを奥へ」


 シェラミスがうなずき、さりげなさを装って誘導した。

 

「女将、これで蜘蛛は全部かい?」

「ええ。あんたは凄腕みたいだけど、これだけの数、全部捌けるのかい?」


 ランズロウは余裕気な笑みを浮かべ、これが応えだとでも言うように穂先を三度走らせた。

 

 まず異変は音である。子供たちの部屋の床が沈んでいく、否、斜めに傾いていく。床の木材が重々しく軋みを上げて破断してゆく。子供たちは不安に悲鳴を上げた。亀裂音がところどころから鳴り響く。女将は顎が落ちんばかりに口を開けてその様子を見つめていた。

 

 鬼蜘蛛の一体が室内へ飛び込もうとした。ランズロウの槍がその身を口から腹まで貫き通した。

 

「邪魔をしないでくれよ。いいところなんだから」


 彼は槍を大きく振って女将の方へ鬼蜘蛛の屍体を飛ばした。悲鳴が上がる。鬼蜘蛛の兄弟が女将の盾になって幻魔焔からその身をかばった。


 音はなおも続く。

 

 切り取られた床が叩きつけられ、階下の客から悲鳴が、建材と建材から雷鳴の如き騒音が、そして部屋から朦々と埃が上がる。

 

 床は完全には抜けなかった。家具も何もない空間は辛うじて奥側の一辺で繋がっており、そこから下階に降りるための傾斜になったのだ。


『さあ、逃げろ!!』

 

 ランズロウとシェラミス、レオの声が完全なハーモニーを成した。


 けしかけられた子供たちが雪崩を打って傾斜を滑り、階下の出口を目指す。中には弱って走れない子供もいたが、誰かが肩を貸しあるいは背負い、助け合って取りこぼしはないようだった。


「逃がすんじゃないよッ、倅たち!!」


 女将が金切り声で叫んだ。まさしく蜘蛛の子を散らすように鬼蜘蛛たちが動き出す。殆どシェラミスも階下に滑り降りながら負けじと声を張り上げた。


「ランズロウ! 許す(・・)! 存分にやれ!」

「――御意に、我が主(イエス・ミストレス)


 主人の声にランズロウは首に下げた細い銀鎖の護符(アミュレット)を襟元から引っ張り出した。それはヘブリッドの守護神、王室の氏神たる星海鯨レヴィアタンをかたどったものだった。彼はそれを鎖からもぎ取り、呟くように言った。

 

「装甲」


 水が溢れた。それはテレタリエ地下の暗渠を流れる水であり、大気に満ちる蒸気の本来の姿だった。水がランズロウの姿を覆い隠す。アミュレットがバラバラに分割された。

 

 やがて水が飛沫となって散った。その中から出現したのは、青銀の甲冑を身にまとった騎士である。骨の如き槍は即ちランズロウ・キリアンの得物〈鯨座(ケートス)の骨〉に相違ない。


 そう――ランズロウもまた獣神甲冑〈星海鯨(レヴィアタン)〉をまとう獣神騎士であったのだ。鯨の歯めいたバイザーの奥で、緑の魔瞳玉(アイリスストーン)が爛と輝いた。


「星鯨騎士ランズロウ参る――」


 穂先を前に突き出した。数十本の水の球が獣神騎士の周囲に浮かび、飛刀(ダガー)めいた形状と大きさに変わる。群れを為して宙に浮かぶ水の刃はある種の魚群のようにも見えた。


「獣神戦技〈流水飛刃(アクア・ダガー)〉!」


 水刃が飛んだ。鬼蜘蛛目掛けて。それはランズロウの視界内どころか、視界の外の蜘蛛も同じだった。水が鬼蜘蛛を貫き、致命的なダメージを与える。しかも水は幻魔焔をも抑え込んだ。


 瞬く間に鬼蜘蛛が死んだ。


「おのれッ! 良くも腹を痛めた倅たちを殺したなッ!!」


 女将が血管を額に浮かび上がらせた凶相で叫んだ。


 途端にその身体が一回りも二回りも大きく膨らんだのは、眼の錯覚でも気のせいではなかった。漂う気配が邪気を孕む。申し訳程度の幻魔焔が周囲に踊る。女将の顔に亀裂が走り、六つの眼が増えた。背中から四本の節足が生え、四肢もまた伸びて節足に成り代わる。


 その姿は鬼蜘蛛だった。ただし、彼女の「倅」たちの変化した姿よりなお巨大な鬼蜘蛛だった。


「さながら〈女王蜘蛛(モードロブ)〉かな……? 恐らくは騎士級幻魔兵(ウルク・ハイ)……」


 呆然とした様子でも幻魔兵の観察を怠らぬシェラミスの知的好奇心は、いっそ天晴(あっぱれ)と称すべきだろう。レオが彼女の袖を引いて強引に安全圏に寄せようとしていた。

 

 ランズロウは無言で女王蜘蛛の出方を伺った。何しろ全員の脱出が終わっていない。窓際の露台(バルコニー)から飛び降りる者もいれば、脱出に手間取る者、それを手助けする者もいる。彼らに報いるためにも、この女将の成れの果てをどうにかしたかった。眼を突き潰すか、節足を斬り離すか、それとも……


「倅たちの命は! あんたらの命で償いなッ!」


 女王蜘蛛がランズロウを跳び越えて跳ねた。向かう先は斜めの床、そこにはまだ子供たちがいた。ランズロウが彼らをかばうように女王蜘蛛の下に潜り込む。子供たちは安全な位置まで逃げ出していた。

 

 槍の穂先が届く前に節足が柄に体重をかけて、己が身を傷つけるのを阻んでいた。女王蜘蛛は口の鋏角(きょうかく)を威嚇的に(うごめ)かし、女の声で叫んだ。

 

「忌々しい青魚めッ! 手足落として歯を抜いて陰間にしてやるッ!」

 

 斜めになった床が今度こそはへし折れた。建材が連鎖的に折れて歯止めが利かない。更に女王蜘蛛の重みも加わって陥没は止まらず、遂には床が抜けた。それは一階の天井も床も諸共にぶち抜き、ランズロウと蜘蛛はもつれ合うように瓦礫や建材と共に落下してゆく。


 落下しながら節足が次々とランズロウを攻め立てた。〈鯨座の骨〉がそれを捌く。彼の動体視力でも完全には捕捉しきれぬ速度、彼は読みと反射神経で応じた。穂先が節足を掠めて切断するが、そのすぐ傍から再生が始まる。押し切れぬ。


 自由落下の果て、二者はようやく地に足を着いた。ランズロウはまず距離を置き、空間の様子に注意を払った。

 

 だだっ広い空間だった。光苔(ヒカリゴケ)がぼんやりとした光を放つ闇の中、捻じくれた黒い樹々――魔殖樹(ジェネレーター)が林立していた。その根方には干からびた屍体がうずもれるように存在していた。


 今度こそランズロウの脳裏から容赦という言葉がねじれて消えた。


「〈流水飛刃(アクア・ダガー)〉!」


 水の刃が出現し、獰猛な肉食魚めいて女王蜘蛛に食らいつき、噛み裂いてゆく。しかしその再生速度は尋常ではない。受けた傷は十や二十では利かぬはずだが、動きは一切衰えがなかった。傷を受けた傍から癒えてゆくようだった。

 

「斬った裂いたではあたしは殺せないよ、色男!」


 女王は数本の糸を吹き付けた。それは魔殖樹を数基まとめて貫き、斬り倒した。糸は鋭利な刃なのだ。ランズロウの槍が乾いた音を立てて糸の刃を弾く。


「死んでおしまい! 新しい倅の餌にしてやる!」

「獣神戦技〈炸血水棘(ブラッド・ソーン)〉」


 叫んだ次の瞬間、女王蜘蛛の節足が禍々しい色の血を拭き上げて弾け飛んだ。次は腹、次は胸、次は複眼――小さいが確実な炸裂が容赦なく蜘蛛を彩った。

 

「な――何を――」

「水の使い道は多いのさ、マダム――例えば、炸裂させるとか」

 

 水の操作――それが星鯨騎士の権能である。そしてランズロウの力を受けた水は、ただの一滴ですら彼の意に従う。女王蜘蛛に突き刺さった水の刃はそのまま毒のように彼女の体内に水滴として残り、主の声を待っていたのだ。


 節足八本全てが順に弾け飛び、女王蜘蛛の巨体が沈んだ。頭部を地に付けるようにしながら、その複眼はなおも鎧騎士を睨みつけ、鋏角の口は呪詛の言葉を吐き散らす。

 

「色男……ッ! ころじでッ、ごろじでやる……ッ!!」

「そして大質量で擦り潰すとか――とにかく、それは無理な願いだ」


 ランズロウは槍を高く掲げた。水晶球のように水球が穂先に生じ、それは一呼吸の間に直径三丈ほどにまで膨れ上がった。


「獣神戦技〈水王鉄鎚(アクア・ハンマー)〉!」


 水の鎚が女王蜘蛛へ振り下ろされた。折しも場所は暗渠に近い。今のランズロウはその水を操ることが出来るのだ。如何な女王の巨体も、川と繋がった暗渠全ての水量と比するべくはない。

 

 水球が飛沫に変わり飛散した。周囲が陥没し水撃の痕跡は残るものの、女王蜘蛛の姿は跡形もない。押し潰し、その痕跡は流されたのだ。水によって。

 

「お前たちの失策は――数えれば限りないが――この場で僕に闘いを挑んだ、ってことさ」

「何カッコつけている、ランズロウ!」


 頭上からシェラミスの叱咤が飛んできた。ピアスの通信珠も連動しており、少々うるさい。

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