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11 一振りの剣として

 二つの気が混じり合い、荒れ狂った大気が出口を求めて爆ぜた。フロアの窓硝子が粉々に砕け、阿片の生温い香気と冷たい外気とを入れ替える対流風がエフェスのマントをなびかせた。

 

 ジャマダハルの刺突が来た。刃がエフェスの胸甲を裂く。そこから斜め十字に揮われる二連撃。胴と腹を狙うそれをエフェスは身を翻して躱しつつ、相手の軸足たる左(くるぶし)を踵で抉る。レイディエンは軸足を右に入れ替え回避し左の前蹴りで逆襲、エフェスは黒篭手でそれを受け流した。


 立ち位置が入れ替わる。背中を狙ってのジャマダハルの刺突、振り向きざまに躱しながらエフェスは右胴への斬撃を送る。それを左のジャマダハルで受けながら、右のジャマダハルが鉤突きを放ってきた。それをエフェスは腰を捻り、左腕を内側に入れて食い止めた。力と力が拮抗する。優男に見えて、凄まじい膂力だった。


「テレタリエには交易都市としての価値もあった。霊脈の要穴が複数あるというのも気に入った。しかし、それはもうどうでもいい!」


 ぎりぎりと鍔を競り合うような腕と腕。エフェスの額にも汗がにじむ。


「私の真の目的はお前だ、天龍剣」

「光栄だ、などとでも言うと思ったか」


 吐き捨てて、エフェスが強引に体重をかけながらそのまま踏み込んだ。


 僅かにバランスを崩したレイディエンの頭部を狙って斬り払う。仮面の男は腕を外して身を沈め、左剣を胴へ突き込んだ。エフェスは身を捻り、斜めに剣を斬って落とす。右剣で斬撃を弾きざまに右剣で喉を狙った。エフェスは僅かに背を仰け反らせ、鼻先を通り過ぎるジャマダハルの刃を見送りながら、右の爪先を跳ね上げた。レイディエンもまた間合を外し、距離を置く。


「だが――興醒めだ。そんな玩具のような剣は捨てろ。背中の龍魂剣を抜き放て!」


 この相手は龍魂剣の縁起を知っている――ますますエフェスは目の前の男に対する警戒を深めた。


「あるいは抜けないのか? 抜けない理由があると?」

「道化相手に揮う龍魂剣じゃない」

「抜けば、幻魔騎士の秘密がわかったかもしれないぞ」


 エフェスは構えをゆっくりと上げた。剣の拵えがかすかに鳴る。


「興味はなくもない。だがそれより、貴様の首をよこせ道化」

「戦士として戦場に散るは本懐――だがお前がそんなでは、この首はくれてやれないな。もう少し私を愉しませてくれ」

「戦に愉しみなど無用」

「お前ならそういうと思っていたよ……ッ!」


 レイディエンが低い姿勢から迫る。大腿部狙いの突き。エフェスは跳躍し、下から上に突き上げるジャマダハルを上から下に振り下ろすレイピアで迎え撃つ。


 着地点は領主の傍である。レイピアが閃いた。レイディエンが向き直るのを見計らい、固定具から切り離したフラスコを掴んで投げつけた。左右のジャマダハルが揮われ、玻璃(ガラス)の丸(ビン)を打ち砕いた。色のついた液体が淡く煙を拭き上げながらフロアに散る。

 

 エフェスはその一瞬で背後に回り込んでいる。

 

 レイディエンの反応はそれに追従した。その身はかがむように、踵は跳ね上げるようにエフェスの会陰(えいん)を狙う。〈蠍尾腿〉の崩し。エフェスはかろうじて下半身への一撃を躱す。しかしその胸甲を足裏が捉えた。レイディエンの下半身の関節が連動し、増幅した力を接触点に伝える。衝撃がエフェスの正中を射抜くように走り、六尺超の長身が宙に三寸浮いて三丈後退した。〈寸打〉を脚で為すとは――衝撃はエフェスの体内に留まり荒れ狂っていた。床に倒れ伏さなかったのはひとえにエフェスの矜持のためでもある。


 追撃は肩からの体当たり、〈鉄山靠〉。壁に叩きつけられたエフェスの顔に、胴に、腿に蹴りが連続で飛ぶ。直撃を避けることしか出来ない。右の突きが胴を襲う。その一撃をエフェスの左の肘と膝が挟み取った。剣を握った右手が拳を硬め、そのままレイディエンの顔面を殴り抜けた。レイディエンが吹っ飛び、床を転がってゆく。しかし威力が十分ではないことはわかっていた。不自然な体勢での殴打だったからだ。


 ダメージが抜けぬまま、エフェスは荒い呼吸を整えつつ油断なく床に倒れ臥す男を睨んだ。このレイディエンという男、動きはまさしく王虎拳を主体としながら技は変幻自在、水のように留まることを知らぬ。決して大言壮語が虚言ではない。獣神騎士に匹敵する技倆の恐るべき手練だった。

 

 レイディエンもまたゆらりと立ち上がった。ダメージはエフェスより軽いだろうが、何度か頭を振っていた。

 

「今のは脳が揺れたよ……」


 レイディエンが血の糸をこぼす口の端を吊り上げた。その眼に浮かぶ感情は仮面のために窺い知れない。しかし闘いを通して、エフェスは気づいていた。


 この男は憤怒している――何に由来する怒りなのかまではわからないが、間違いなくレイディエンは憤怒している。仮面の下の笑みは、それすらこの男の感情を隠す仮面なのだ。卒然と、エフェスはそう理解した。

 

 だからどうした、と心の中で呟く。今為すべきはレイディエンという男の理解ではなく打倒である。覇国の兵禍に加担した者は死を以て償わせるのみ――それがエフェスの(ことわり)だった。

 

「今の一撃を入れた時、私が吹っ飛んでいった時、お前はどう思った? 心の中で密かに快哉を叫んだか?」

「貴様の好きに考えろ」


 そして改めてこう思う。この手の輩はやはり相手にするだけ無駄だ。

 

「ただ一つ答えてやる――戦に臨む時、俺は一振りの剣となる」

「……闘うために生まれた、ということか、お前は」


 エフェスはレイピアを水平に構え、胸の高さに上げた。レイディエンは左右の腕を交差し、腰をやや落とす。


 次が決着の時。そう思い定めて両者が踏み込んだ瞬間、二人の間を縫うように三本の弓矢が射込まれた。エフェスとレイディエンは飛び退りながら、床に突き立った矢の角度から即座に窓の外を見た。

 

 領主邸敷地内の物見櫓を月光が照らすその上に、女騎士マーベル・ホリゾントが矢を弓弦につがえて鏃をこちらへ向けていた。本来ならばまず届くはずもない距離だが、エフェスはほんの少し前に彼女の弓矢の技を目の当たりにしていた。マーベルが再び弓矢を放った。無論狙いはレイディエンである。

 

「ちぃ……ッ!」


 鋭く舌打ちをしながら仮面の男は後退した。距離に加えて屋内の制約があるためか、矢はレイディエンの影を掠めて床や壁を射抜くか、両手のジャマダハルに弾かれるのみである。

 

 だがそれで十分だった。矢を躱すのに手一杯のレイディエンをエフェスが追った。真っ向から振り下ろされる刃が仮面を掠めた。仮面が真っ二つに割れ、レイディエンは咄嗟に目元を隠し窓際に走り寄った。更なる追撃を仕掛けんとするエフェスにレイディエンの鎖分銅が飛び、レイピアの刀身を絡め取る。一瞬の半分の半分の時間エフェスは逡巡した挙げ句、柄を手放した。

 

「……フン、助太刀か。まあいい」


 レイディエンは鎖分銅を投げ捨てた。レイピアの切っ先がフロアの床に突き刺さって震えた。

 

「今はここまでとしよう」

「逃げるのか、レイディエン!」


 エフェスは声を張り上げた。レイディエンはまたニヤリとした。


「また逢えるさ。――お前が生きていれば、の話だが」


 窓枠から仮面の男は跳躍した。下から植え込みを踏む音がした。弓矢の影が見えたが、当たるまい。そこはマーベルのいる物見櫓からは狙撃困難な場所だ。


 エフェスはふと思い立って領主を見た。細かく苦しげにうめきながら痙攣をし続ける、廃人かそれに極めて近い状態である。だが見殺しにも出来なかった。彼はレイディエンを追うのを諦めた。

 

 マーベルが何かを伝えたそうに手を振っていた。叫んでいるようでもあったが声がまともに届く距離でもない。エフェスは剣を回収して鞘に収めて腰に佩き、また窓を蹴り、壁を蹴り、塀を蹴って櫓へ跳び移った。

 

「呼んだか」

「……そう言えば、そういう移動の仕方をするのね、あなたって」

 

 マーベルは呆れたような、諦めたような言い方をした。

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