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10 鬼蜘蛛

「この扉です、間違いない」

 

 レオが指差したのは頑丈そうな鉄の扉である。南京錠で封じられていた。

  

「任せなさい」

 

 シェラミスが懐から針金を出し、錠前の鍵穴に差し入れた。

 

「解錠」


 音がして錠前が外れた。レオが扉を引く。暗所に閉じ込められた子供たち。淀んだ空気に混じる異臭が鼻をついた。


「レオ……」

 

 子供の一人が目を見開いた。レオが駆け寄った。

 

「お前、戻ってきたのかよ。俺、お前に」

「言うなよ、ニコラ。それよりもミルカは」

「連れて行かれちまった」


 レオが唾を飲み下す音が聞こえた。顔から血の気の引く音すら聞くことが出来そうだった。後ろからその肩をシェラミスが軽く叩いた。

 

「予想できていたことだ」

「でも」

「君が諦めるな。その子を信じろ」


 魔殖樹(ジェネレーター)は魔力を吸う。そして生命力と魔力は本来同じものである。ミルカという少女の生命力次第では、生存の目は十分にあるはずだ。


 これ以上の長居は無用。さてどうやって子供たちを引き連れて脱出するか。シェラミスは事前の策を脳内に並べ、最善のものを選ぼうとした。その時、


「ほっほっほ……坊っちゃん、お嬢ちゃん、手間をかけさせてはいけませんよ」


 笑い声に思考を引き戻され、シェラミスは舌打ちした。背後には六尺半を超える屈強な大男を引き連れた、太った中年女がいた。灰色になりかけた髪をひっつめ、唇にはどぎつい色の紅を引いている。高価なイヴニングドレスを身にまとい金銀の装飾で着飾っているが、それが何とも似合わない。そんな女だった。


 目のせいだ、とシェラミスは思った。値踏みするような三白眼に見据えられていると、どうにも落ち着かない気分にさせられる。


「あなたがこの一帯の顔役か」

「女将と読んで頂戴」

「単刀直入に言おう。商談がしたい」

「あら、可愛らしいお嬢ちゃんが何の冗談かしら?」


 女将の嘲笑にシェラミスは怯まない。彼女はブラウスの袖をまくりあげ、二の腕に嵌めていた腕輪を外して見せつけるようにした。恐ろしく精緻な金銀の細工にいくつもの色の違う光を放つ宝玉が飾られた代物である。女将も流石にこれには目を見張った。

 

「装飾は〈青い森〉のエルフ、宝石のカットはカザレラのドワーフによる仕立て。下手に魔力なんぞ仕掛けてないから危険もない。これでこの子たち全ての身柄を引き換えたい」

「……それを見せてもらっても?」

「駄目だね。あたしも含め、全員の安全が確保されてからだ」


 シェラミスはにべにもなく言った。


「ねえお嬢ちゃん、一つ訊いてもいいかしら」

「何か?」

「あなた、どこの回し者?」

「ヘブリッド商人の娘のシェーラだよ、あたしは。ただ、正しいことをしたいだけだ」


 ぬけぬけと言ってのける。女将はやれやれと言いたげに首を振った。


「お嬢ちゃん、なかなかやるわね。胆力もある。見る目もある。あたしらが信頼の置けぬ悪党だってちゃんと見抜いてるんだから」


 女将の唇が悪意に歪んで吊り上がった。


「でも失敗が一つ――ちゃんと喧嘩出来る大人をしっかり傍に置いていないこと。倅たち、やっておしまい」


 男たちが近づいてくる。シェラミスは背筋に氷の虫が這い回るような感覚を覚えた。まだか、まだか!

 

「ここにいるんだよね、喧嘩出来る大人は」

 

 飄々とした声に振り向いた、男たちの顎が殆ど同時に打ち抜かれた。その手並みに女将も笑いをやめ、じっとその相手を見つめた。槍を持った、長めの金髪の青年――

 

「ランズロウ、遅い!」

「でも結果的によかったでしょう」


 シェラミスの叱咤に対しても、ランズロウは細面に余裕気な笑みを浮かべながら言った。

 

「人質が出来たんですから。あなたが顔役ですよね」

「そうよ色男さん」

「出来れば女性に手荒な真似はしたくないんです。だから大人しく我々に同行してもらえますか?」


 ランズロウが槍の穂先を女将の喉元近くに突きつけた。


「それは聞けないわねぇ。人質になるのも、商談も」

「交渉決裂ですか」

「ええ……だってもう遅いのよ」


 今まで倒れ伏していた「倅たち」が身を起こした。人間ではありえない起き上がり方に、さしものランズロウも虚を衝かれた。

 

 刺突が来る。ランズロウは宙で身を捻りながら槍を揮って攻撃を弾いた。その音は断じて金属音ではない。

 

「倅たち! 殺っておしまい!」

合点(ガッテン)!」


 女将の言葉を合図に「倅たち」が応え、黒紫の炎が燃え上がる。

 

「幻魔焔――遅いとはこのことか!」

 

 シェラミスが弾劾めいて声を張り上げた。

 

 既に女将はランズロウより離れ、槍や幻魔焔の届かない位置にいた。それでいて状況を見守ることが出来る位置である。

 

「そうよ。もう覇国に幻魔兵にされちゃったわ」

  

 焔が消えた。出現したのは一対の異形の蜘蛛である。八本の節足が床を踏まえ、八つの複眼が燭台の火を照り返して獰猛に輝いている。口元の鋏角からは毒液が滴り、床に落ちた傍から白い煙を上げていた。子供たちの間から悲鳴が上がった。レオとシェラミスが食い入るようにそれを見ていた。

 

「〈鬼蜘蛛(デオフォロブ)〉――初めて見る幻魔兵だ!」 

「〈ゴベリヌス〉より強いわよ、あたしの倅たちは」


 鬼蜘蛛がランズロウへ向かって跳躍した。常人ならば目視すら困難な速度、しかも距離は至近である。ランズロウがそれを躱し得たのは事前に奇襲を読んでいたからに他ならない。槍が掬い上げるように一閃し、蜘蛛の頭部を顎から頭頂へ真っ二つにしていた。

 

 兄弟を殺された鬼蜘蛛が飛び退りながら毒液を吐きかけた。ランズロウは槍の柄を風車めいて回転させて防ぎざま、踏み込んでその胴体を薙ぎ払う。

 

「確かにゴベリヌスよりはマシかもしれないね、あなたの倅たちは」

 

 紙一重ながら、殆ど瞬時の決着である。ランズロウは余裕げな態度を決して崩さなかった。

 

 女将の顔が怒りのために赤くなり、肩がわなわなと震えた。彼女は身体が膨らむほどに大きく息を吸い込むと、声の限りに叫んだ。

 

「倅たち! 兄弟が殺されたよ! 仇を討て! 絶対に生かして返すんじゃないよ!」


 部屋という部屋の扉が開き、からわらわらと鬼蜘蛛が現れた。ざっと見て、十は超えている。

 

「どうやら怒らせちゃった?」

「どうせあのおばさんならいずれキレてたさ。……骨格どころか生物としての態すら変わっているな。幻魔兵、全くなんたる(わざ)だよ」

「感心してる場合ですか……」


 放っておくとどこまでも軽口を叩いていそうな主従に、レオがうそ寒い口調で言った。

 

 子供たちも含めて、逃げ場はどこにも見当たらない。退路は封じられていた。

 

 その中で、やはり軽い口調でランズロウが言った。

 

「……ま、どっちにしろ全部斬り伏せれば問題ないか」

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