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9 虎口へ

 百蛇衆の首が宙を舞った。


 返す刃が弧を描き、エフェスの背後に迫った敵を逆袈裟に斬り上げる。更には右手にいた者の顔を払う。頭の上部が地に落ちるより早くエフェスは左へ跳び、百蛇衆の腹をえぐった。ククリの刃が横薙ぎに内臓を引き裂き、血の円弧を撒き散らす。

 

 伸び切ったエフェスの腕に鎖分銅が絡んだ。エフェスは力に逆らうことなく遣い手の懐へ飛び込み、喉笛を掻っ切った。


 放置されたままの鉄鞘の剣の柄を握る者もあった。しかしあたかも千斤の(いわお)の如く、剣は石畳に突き刺さったままびくともしない。その者が無為を悟りようやく手放すのに一呼吸、次の瞬間には投じられたククリが側頭に深々と突き刺さっていた。


 ドレイク一族に伝来される龍魂剣――その鞘たる鎧も合わせて、伝説と呼ばれる魔導師たちが数年がかりの儀式魔術を行なって鍛造した器械だ。所有者認証などは当然のように付与されていた――保持者を自ら選ぶ剣なのである。エフェスが敢えて己の剣を放置していたのは自剣の特性を知り尽くすためだった。


 地に足を着けてマーベルが矢を放った。立て続けの三射。闇の中で声もなく三人が倒れた。


 攻撃はそれで終わりだった。潮の引くように、その場にいた百蛇衆が撤退してゆく。


「一人捕獲するか?」

「無駄です。歯に毒を仕込んでいますので」


 ユーリルの説明に、エフェスは鉄鞘の剣を背負いながら頷いた。蛇ならば如何にもありそうなことだった。


「ゆ、ユーリルさん、無事!? 怪我はない!?」


 弓射の姿勢を解いたマーベルが駆け寄ってきた。今にも転倒しそうな危うい足取りが彼女の興奮を物語っており、つい先程恐るべき弓矢の冴えを見せた射手と同一とはエフェスでも信じられなかった。


「軽傷です、ご心配なく。――お二人共、感謝します。御迷惑をおかけしました」

「礼も詫びも要らん。何があった」


 あくまで冷静そのものと言ったユーリルに、エフェスはいつものようにぶっきらぼうに答え、端的な状況説明を求めた。


「商会はそのままテレタリエの魔術師ギルドの隠れ蓑になっています。その所属の魔術師が、半月前から領主邸に潜らせていた者と連絡がつかないと言ってきたのです」

「そこであんたが領主邸を見に行った。そして百蛇衆の網に引っかかった、と」

「御賢察、恐れ入ります」

「世辞もいらん」


 エフェスは言いながら、同時に事態の深刻さを理解した。覇国が己の耳目たる百蛇衆を中原の奥深くにまで潜り込ませていること自体は知っていたが、まさか百名単位で刺客となる部隊を送り込んでいるとまでは読めていなかった。ユーリルもそれは同じらしい。


「しかし、私などよりもマーベル卿、シェラミス様は?」


 マーベルがユーリルにあらましを話した。誘拐された孤児たち。地下の魔殖樹。集合住宅。

 

「エフェス殿、どうなされます?」

「俺の方は――領主直々に話を聞く必要があるな」


 領主邸を見上げた。四方に細緻な模様をした垣根を持つ、豪壮なる白塗りの邸宅である。つられて見上げたマーベルが、ようやく異変に気づいた。


「この屋敷、静か過ぎるわ。灯りは点いてるけどとても静か……人が住んでいるとは思えない……」


 三人は正門に回った。付近に番人の影はない。エフェスの指が触れると僅かに軋みを上げて門は開いた。鍵がかかっていなかったのだ。

 

「これではっきりした。敵は俺を呼んでいる。ここから先は虎口だ」


 薄暗く灯明の点る前庭の小道、そこは邸宅の玄関へと繋がっている。そこは紛れもなく虎口――即ち覇国の仕掛けた罠が待ち構えていよう。エフェスの剣士の直感がそう告げていた。


「エフェス? 一人で行くの?」

「あんたたちは戻れ。悪いが、面倒は見切れん」

「……別に止めはしないけれど」


 門を潜ろうとするエフェスに、マーベルは自分の剣を鞘ごと押し付けた。


「持っていきなさい。あなたから贈られた剣だから、造りは確かでしょう?」

「……感謝する」

「礼は要らない。帰って来て、それを返してね。わかった?」


 短く首肯を返し、エフェスは邸内へ向かった。

 

 彼の脚が敷居を跨ぐや、途端に玄関が勢い良く閉まった。

 

 退路は断たれた――そう思うや、強力な気配が皮膚を突き刺してきた。エフェスすら唾を思わず飲み下すほどの気配だった。

 

 やがて気配が消えた。逸る思いを呼吸と共に落ち着かせ、エフェスは屋敷の奥へ脚を進めた。

 

 千金を飽かせて飾らせた、如何にも貴族の邸宅である。灯明にも火は点っているが、やはり使用人や家人の気配はない。それでも敵が潜んでいる可能性を考慮しながら、確実に歩を進めて行った。


 廊下を進めば進むほど、甘だるい香が濃く匂ってくる。嗅ぐ者の安楽のために焚いているとは思えない濃度は、むしろ胸をむかつかせる類のものだ。――否、これはただの香ではない……!

 

 匂いの正体に気づいた時、エフェスは窓辺に走り、剣の鞘を揮って窓の硝子を見つける端から叩き砕いていった。これを閉所で吸い続ければ正常な思考を奪われ、やがては正体を失って敵の思う壺となるだろう。阿片(オピウム)だ。防ぐには麻薬の香気を外に逃してしまうに()くはない。

 

「小細工をする……」

 

 窓硝子の最後の一枚を砕いてからエフェスは呟いた。伏兵に都合のいい物陰は邸内に多いが、襲ってくる様子がないのは阿片の毒のためか。それとも――エフェスはこれ以上思い悩むのをやめた。十重二十重の罠があろうとも、全て斬って捨てると決めていた。


 階段に行き着いた。御丁寧にも灯明が点るのは階段付近、それより他の分岐は完全に灯火が絶えている。仕掛けた者の作為は明白なように感じられた。


 灯火の誘導に従い、エフェスは三階まで上がる。


 扉を開けると甘だるい匂い――阿片の香気が耐え難いほど濃く香ってきた。エフェスはそれでも室内に脚を踏み入れた。

 

 広々としたフロアだった。宴にでも使っていたのだろう。フロアの奥には布張りの寝椅子に座った中年の男がいた。領主だ。

 

 領主は虚ろな眼をしていた。傍にあるのは金属の器具で釣られるように固定された一抱えもありそうな大型フラスコ、その内部で不可思議な色をした液体が粟立つ。フラスコの口からは硝子の管が伸び、始終白い気体を吐き出し続けている。

 

 領主がぴくりと痙攣した。その顔はだらしなく弛緩し、眼には知性の光は全く感じられない。科学技術には決して明るくないエフェスだが、実行者のおぞましい存念に気づくのにはこれで十分だった。


「……阿片を嗅がせて領主を傀儡にしたか」

「御明察」


 背後から耳に囁く言葉。エフェスは跳び退き、フロアの内部に入った。

 

 エフェスは長身痩躯の男と対峙した。


「御機嫌よう、天龍剣エフェス・ドレイク。私の名はレイディエン」


 その者はそう言って大仰に一礼した。目元は奇怪な形状の仮面で隠し、恐らくは端正と思える顔の口の端には嘲笑があった。


「道化に名を覚えられる(いわ)れはないがな」

「ところが私の方は覚える謂れはあるのだよ、天龍剣。――幻魔騎士という言葉は?」


 レイディエンの言葉に、エフェスの眼に一瞬だけ激情の光が走った。


「幻魔騎士バイロン――貴様、奴を知っているのか」

「同僚だよ。尤も、彼の方は私のことなど眼中にないようだが」

「そうか」


 エフェスは剣を抜いた。得物は細身のレイピア、しかし如何なる武器も天龍剣の遣い手が揮えば斬鉄の剣となる。


「レイディエンと言ったな。これをやったのは貴様か」

「然り」

「いずれにせよ貴様が覇国の尖兵であることは明白な訳だ」

「そうなるね」


 レイディエンが左右の腕を一振りすると、A字型の奇妙な刀剣がそれぞれの手指に握られていた。異邦の武器ジャマダハルである。


「では、()るかい?」

「その前に、だ。バイロンの居場所を教えろ。そうすれば楽に殺してやる」

「ああ、彼ならばラッセナ近くにいるんじゃないか」

「何……ッ!?」

「バイロンもお前に逢いたがっているよ、エフェス・ドレイク」


 レイディエンは嘲笑を深めた。彼は柄を軸にして得物をこれ見よがしに回転させた。


 気配が来た。それは屋敷の玄関で感じたものと同一の気である。エフェスは負けじと気迫を放った。ぶつかる二つの戦気に淀んだ空気が流れて渦巻き、空間すら歪ませるように思われた。


「ならば、楽に殺してやる意味も無くなったな」

「殺ってみるがいいさ……!」


 二者は殆ど同時に踏み込んだ。床が爆ぜ割れ、音がやや遅れてそれに続いた。

気配をぶつけ合うのって男の子だよな……

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