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7 百蛇衆

「……マーベル卿、領主邸の方へ行ってくれ。あなたの技はそちらの方が役立つだろう。あたしたちは集合住宅の方へ向かうから。ランズロウ、準備を」

「承知しました」


 ランズロウも食べかけの手羽先を、骨ごと噛み砕いて立ち上がった。その音に眉根をひそめながらも、マーベルが訊いてきた。


「いいの?」

「ああ。エフェスの言うように、一刻を争うのも事実だ。何、こっちには暗渠図があるから大丈夫だと思う」

「わかったわ。あなたは犠牲を出したくないのね? 敵も味方も」


 シェラミスはうなずいた。流石に、真っ向から敵陣へ殴り込む蛮勇を冒すつもりはない。建物一つ潰したって構わないが、犠牲は最小限に抑えたい。


「あ、馬を使った方がいいな。獣神騎士の全力疾走は人の脚じゃ追いつけないだろうし」

「ありがとう」

「ふたりとも、部屋を出るのはちょっと待って。渡すものがある」


 シェラミスはソファに座ったまま、鞄の中を探った。


「僕も行きます!」


 勢い込んだ少年の顔を、シェラミスが睨みつけるように見ながらたしなめた。


「レオ、君が出る幕ではないよ」

「いえ、僕の出番だと思います。少なくとも、シェラミスさんより僕の方が足が速いし力もあります」


 ランズロウが失笑を漏らした。つられてマーベルも笑ってしまう。


「君らね、あたしを何だと……まあ、いいや。あたしもついていくことだし」

「あなたも行くの、シェラミス師?」

「戦闘は基本的にランズロウに任せるとして、子供たちの引率は誰がやる? あたししかいないでしょうが……三人とも、これを」


 マーベルとランズロウが視線を交わす。

 

「わたしもそっちに行くべき? 彼女を止めるべき? ランズロウ殿?」

「言うことを聞くべきだね、マーベル卿。シェラミス様は一度言い出したら梃子でも効かない」

「あたしが行くのはあたしが行かないと済まないことがあるかも知れんからだよ!」


 語気荒く言いながら、シェラミスは鞄から取り出したものをテーブルの上に置いた。無色透明の石を銀の台座で飾った、小さな耳飾りである。


通信珠(トランシーヴァ)という。この街の中ならば、君がどこにいてもあたしと会話できるようになる」

「へえ、便利なものね」

「まだ試験段階だからね、過信はしないでよ」

 

 今度こそシェラミスが立ち上がった。据え付けの鈴を鳴らし、使用人を呼んだ。


「あの、百蛇衆ってなんですか?」


 そこにレオの質問である。シェラミスは端的に説明した。


「覇国の飼ってる闇の軍団さ。斥候を初めとして、探索、諜報、防諜、暗殺、誘拐、拷問――普通の兵が表立ってやれないことを何でもやる、そういう連中だ」


 斥候という以上に東方の言葉でいう忍者(ニンジャ)に近いかな、と言い添えた。


「詳しいのね」

「まあね。……この際だから言っちゃおう。ユーリルは元は百蛇衆の一員だったんだ」


 ピアスを付けるマーベルの手が止まった。


「あたしに対する間者だったんだろう。ひょっとしたら寝首を掻く役目も担っていたんじゃないかな。ま、昔の話だ。この話題は、以上」


 ユーリルの素性が判明してなおシェラミスが彼女を傍に置いたのは、その能力を惜しいと思ったからだ。時は折しも覇国の南下侵攻が人々の口の端に登る頃、その諜報機関たる百蛇衆の一人を手中に収めたのは僥倖というべきだろう。


「勿論、ヘブリッドの上層部にはユーリルの『処断』を望む者たちもいた。そう言った連中に、あたしは積極的に司法取引を持ちかけ、または彼女の有用性を示してやったさ。こっそり護衛につけるなどしてね――やがて彼女の存在は、その身柄を〈蝶の館〉で預かることで認められた。その能力をヘブリッドのために使わせることも条件に含まれていたが、それは大した問題じゃない」


 ランズロウはとっくに知っていたことである。マーベルもこれ以上追求するつもりはないようだった。シェラミスは三人の顔を見渡した。


「これで話すべきことは話し終わったと思うんだが、他に質問はあるかな? ……それじゃあ間もなく出発するとしよう。格言に曰く善は急げ、だ――我らと子供たちに獣神の加護があらんことを」


 × × × × × ×


 闇の中を飛翔する矢のように影が走る。エフェス・ドレイクだ。彼は家屋の屋根を蹴り、跳躍する。黒のマントをたなびかすその姿を見て、古の悪鬼が悪鬼を飛んでいると誤認した者もあるかも知れない。

 

 百蛇衆。エフェスはその名を反芻するように口の中で呟いた。


 古来より蛇は極めて優れた狩人として恐れられてきた。猫よりも密やかに近づき、しかも執拗に狙い、獲物を仕留める。蛇への恐怖は人々の血に脈々と息づいているという。百蛇衆のその名は、そういった蛇の特性にあやかったものなのだろう。


 エフェスが龍脊山脈から落ち延びてなお中原を転々としたのは、百蛇衆の襲撃が度々襲ってきたからに他ならない。エフェスが彼らに抱く怒りと怨みは骨髄に達していた。


 領主邸の近くに差し掛かり、エフェスは屋根から路地を見下ろした。複数の人影に囲まれながら、ユーリルが鞭を揮っている。一丈の長さの軟鞭(なんべん)は身体に巻きつけておけば目立たぬ、携行に向いた得物だ。


 鞭の先端が空を裂く音が微かにだがエフェスの耳にも届いた。ユーリルの鞭の一撃が百蛇衆の顔にぶち当たり、血を撒いて顔の皮膚を削いだ。更に別の相手の首に巻き付き、頸骨をへし折る。ユーリルは即座に戻して鞭を高速で揮い、結界を作った。その内側にはさしもの百蛇衆も脚を踏み入れかねているようだった。

 

 鎖のこすれる音がした。ユーリルの背を狙って振られた鎖分銅が鞭と絡みつく。ユーリルの動きが止まった。


 間に合わぬと見たエフェスは背中の鉄鞘の剣を投擲した。鋭利な(こじり)が鎖分銅の百蛇衆の背骨を叩き折り、胴体を貫いてそのまま石畳に縫い止める。

 

 獣神騎士は二度跳んで最寄りの石壁に移り、跳躍した。


 ブーツの右足が百蛇衆の後頭部に、左足が背中に。エフェスの体重と跳躍・着地の勢いを加算して、足場にされた百蛇衆は石壁に頭を打ち付け、黒ずんだ染みを残して倒れたまま動かなくなる。


 着地直後のエフェスを三人が襲いかかる。手にした剣は皆先端が丸く前に湾曲したククリという刃渡り一尺半ほどの刀剣である。これが百蛇衆の得物なのだ。

 

 エフェスは一番手近な敵に歩み寄るやその鼻面に肘をぶち込み、二番手の会陰(えいん)に爪先を叩き込んだ。三番手はククリを短く使って斬り込んで来たがエフェスの手刀がその手首を砕き、更に頸骨を折る。


 背中に這い寄る気配が二つ。エフェスの紫水晶の瞳がそれらを射抜く。王虎拳法でいう〈横掃腿〉にも似た後ろ回し蹴り、その右踵が四人目の肋骨ごと心臓を砕き、〈連環腿〉の左踵が五人目の蟀谷(こめかみ)を打ち抜き、頭骨を陥没させた。

 六番目が跳躍し、上段からの大振りな一撃を見舞ってきた。躱せぬ一撃。エフェスは奪い取ったククリで受け流し、身を翻してその胴を斬り払う。

 

「エフェス殿ですか?」

「百蛇衆は何人だ?」


 エフェスは余計な口を利かず、背に彼女をかばうように立った。ククリは心持ち短いが、十分使えるはずだ。ユーリルもまた短く答えた。


「百は超えています。でも、いいのですか?」

「何がだ」

「私は元百蛇衆なのです」

「――奴らは抜けた『蛇』には殊更(ことさら)執拗と聞くな」


 エフェスは背後のユーリルをちらと見た。


「あんたも奴らの吠え面を見たいとは思わないか?」

「……意外な諧謔(ユーモア)ですね」


 屋根の上から飛び降りる影があった。伏兵か。五人。数を確認したところで、横手から飛来した矢が彼らの側頭を射貫いていた。刺客たちが一斉に崩れ落ちるより早く、エフェスは矢の方向を見た。疾走する馬蹄の音が近づいてきた。

 

「二人共! 大丈夫ですか!?」

 

 声の主はマーベル・ホリゾントだった。銀の胸甲に弓懸(ゆがけ)めいて銀の篭手を左手に嵌め、更には左手は弓を握り、右手は背中の矢筒に手を伸ばしていた。


 再度、伏兵が駆け出してきた。足音は五つ。対する女騎士は速度を緩めることなく馬上で五本の矢を弓弦(ゆんづる)につがえた。


「当たる訳ものか」


 エフェスが呟いた。動いているものを動いている状態で射る、ということは口で言うよりもずっと難しい。至難とすら言っていいだろう。それを五本など、不可能に近い。


 弦が唸りを上げ、一呼吸のうちに五本の矢が射られた。矢羽の風を切る音が重なりながらエフェスの頭上を飛びすぎてゆく。(あやま)てることなく、(やじり)が百蛇衆らの急所を穿った。

 

 倒れ伏す百蛇衆を見ながら、戦慄に似たものが背筋を駆け抜けるのを感じた。疾走する馬上からここまで精確な弓射をしてのける弓手は、大陸でもそうはいないだろう。エフェスは認識を改めざるを得なかった。あの若い女騎士は決して美貌だけが取り柄という訳ではなかったのだ、と。

ようやくマーベルが活躍した。

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