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5 レオとミルカ

 ぱん、とシェラミスが手を打った。


「その前に、食事をしよう。腹減った。疲れた。身体洗いたい」


 誰も異議は唱えなかった。衛兵を相手しているランズロウが馬車に乗り込む女主人たちに恨めしげな視線を送るが、シェラミスは彼を冷淡に扱うことに慣れているしエフェスはそもそもランズロウのことなどどうでもいい。唯一マーベルだけが気の毒そうに彼を見た。見ただけである。ユーリルもランズロウのことをちらと見ただけで何も言わず、全員が降りたのを見計らって馬車を出した。

 

 程なく到着した商会で、シェラミスは挨拶もそこそこに責任者を呼んだ。

 

「怪我人がいる。火酒と綺麗な布だ。包帯も頼む」


 一方的に言いつけるシェラミスに対して感心半分呆れ半分、エフェスが疑問を口にした。


「治癒魔術などは使えないのか」

「あたしは使えないね。それに〈蝶の館〉の流儀じゃないし、この程度なら魔術で塞ぐ傷でもない。知ってるか、治癒魔術はする側される側の双方に負担がかかるからさ。ああ、二人とも手伝って。篭手は外してよね。あたしは知識はあるけどその手の細かい作業が苦手なんだ。力仕事もダメ。いいね? そうだ、これ」


 と言ってマーベルに素焼きの小瓶を渡した。


「これは?」

「フィファルデ家秘伝の軟膏。効き目は確かだよ。じゃああたしは風呂に行ってくる」


 通された広間で、火酒で少年の腕の傷口を洗い、シェラミスの軟膏を塗って清潔な布を当て包帯をした。ナイフによる傷は出血は派手だが血管や神経などは傷つけていないようで、痕は残るだろうが直に塞がって腕を動かすにも支障がないだろう。


「いやー、久々のいい湯だった。もっと入っていたかった」


 治療が終わった頃に、湯上がりのシェラミスが戻ってきた。かなりリラックスした心境のようだった。


 ヘブリッド人は旧帝国の文化を色濃く反映して、大の風呂好きでもある。他の中原の国民が濡れた布で身体を拭けば良しとするところ、ヘブリッドの平民は三日に一度は公衆浴場(テルマエ)に通い、貴顕の身ともなると日に一度は入浴しなければ落ち着かぬと聞く。入浴のままならぬ長旅は、さぞかし苦痛だったに違いない。大型のテーブルを囲むように配置されたソファに埋もれるようにして座りながら、彼女は言った。

 

「君らもお風呂に入ってきなさい。はあ沁みる」

「シェラミス様。その前にレオナルドの話を聞くのが先です」

 

 ちょうどランズロウが入ってきた。手には紙袋が複数抱えられている。


「僕に全部任せて行ってしまうなんて酷いじゃないですか、シェラミス様」

「いいじゃないか。あたしの予想より早く終わったようだし」

「衛兵に顔見知りがいましてね。第一、奴らに訊くことなんてありはしませんよ。ただの地元の地下組織の構成員。札付きの破落戸(ゴロツキ)。その程度の連中です」


 ランズロウがテーブルに紙袋の中身を拡げた。大量の屋台料理の数々だ。


「おお、これは気が利くじゃないのさ」

「あなたのことです、どうせ食事なんて忘れてるだろうと思いましてね」

「御苦労様だ。この春巻が食べたかった。君らも遠慮なく食べるといい」


 遠慮がないのは従者の買ってきた食べ物を即座につまむシェラミスこそだが、エフェスは何も言わぬことにした。いずれも手の込んだ入念な仕込みと良質な食材で作られたとわかる、野趣溢れる食物である。それはそのままテレタリエの豊かさを象徴してもいた。


「レオ君、あなたはどこから来たの?」


 ソファに座ったマーベルが饅頭(マントウ)を割りながら尋ねた。具の挽肉から上がる湯気に乗って生姜(ショウガ)大蒜(ニンニク)の匂いが室内を漂う。


「わかりますか、僕がここの民じゃないって?」

「言葉の端々に中原北方の訛りがあるね。そこの彼ほどじゃないけど。出身は……ウェキネかな?」


 言いながらシェラミスはエフェスの方を向き、春巻の残りを口に放り込んだ。

 

 大陸公用語は北へ行けば行くほど旧帝国公用語の名残を残す。新旧の公用語は龍脊山脈を境として北限となっており、更に北の白虎平原では東方の各部族の言語と旧帝国語がごた混ぜになっているという。


「はい、僕はウェキネのギミッシュ村の生まれです。……これ、いいですか」

「いいぞ。たんと食べるといい」


 シェラミスは揚げ春巻の油のついた指を舐めた。レオが手にしたのは葱の入った焼餅(シャオピン)だ。

 

 ウェキネは覇国の中原侵攻により真っ先に滅亡した国である。軍の進路上に存在した、というだけの理由で。

 

「僕はウェキネの難民です。家族は皆死にました」


 予想していた答えだった。それ自体は悲劇的だが、今では全く珍しくもない境遇である。しかしそれでも沈黙が少しの間流れた。


「続けて、レオ君。話しにくいことがあれば言わなくていいから」

 

 助け舟を出したのはマーベルである。レオは少しほっとした顔をした。


 ウェキネ生まれの少年レオは家族と共に故郷の村を旅立った。しかし過酷な旅路の途中、彼は気がつけばひとりぼっちになっていた。 

 やっとの思いでラッセナにたどり着いても、その頃には家族の残した路銀も尽きていた。頼るべき係累もラッセナにないレオに寄る辺はなく、やむなく路上を仮の住まいとする他はなかった。地元の浮浪者や孤児たちに混じってゴミ溜めから残飯を漁ったのも一度や二度ではない。時には残飯や寝床の奪い合いで殴られ蹴られもした。


「冬じゃなかったのが運が良かったです。犬や猫も、冬を越せないのが多いって聞きますから」

 

 やや温くなった焼餅を、少年は一口ひとくち噛みしめるように食べた。

 

 奪い合いが殺し合いに発展することもあったし、レオもその場面に遭遇したこともあった。遅かれ早かれこのままでは命はない。そう思ったレオは、どこかのグループに所属しようと考えた。しかしそれは甘い考えだった。孤児たちはレオをすぐに余所者と見抜き、排他した。

 

「そんな時、僕はミルカという娘に出会いました」


 レオに暴行を加えていたグループの頭目格の懐に、鮮紅(フクシア)の髪の少女は飛び込み、風変わりな体当たりを入れた。華奢な少女のどこにそんな力があったのか、レオよりも数歳は年長と思われる大柄な身体が一丈半(約四・五メートル)は軽く吹っ飛んでゴミ溜めに頭を突っ込んだ。他のメンバーが驚きつつも束になってかかっていったが、ミルカには指一本とて触れることも出来ず、却って痛いしっぺ返しを食らうことになった。


「……案外しっかり教えていたんだな」


 猪肉の串焼(ケバブ)を手にしたエフェスが呟くのを、饅頭を頬張るマーベルが怪訝そうにちらと見た。路地裏の孤児の喧嘩術と、少なく見積もって千年の歴史を持つ戦場格闘術王虎拳法。どちらに軍配が上がるかは火を見るよりも明らかだ。


 ……孤児たちを速やかに打ち倒すなり、部外者が来るより早くレオとミルカはその場を去った。現場から離れて、二人はとりとめなく話をした。ロイデンから家族と共に疎開してきたという彼女とは共に帰る国のない子供同士、二人が友達になるのは十分だった。


 ラッセナの地理に於いてはレオの方が一日(いちじつ)の長があった。日々の些事(さじ)に飽き果てて路地裏へ逃げ出してくる少女に対して、レオが街を案内した。地元の孤児や破落戸(ゴロツキ)やラリった重度の違法ポーション中毒者に絡まれることもあったが、そのときはミルカの鉄拳が案外物を言った。路地裏ではレオへの手出し無用という黙約が本人の知らぬところで交わされるようになったのは程なくである。

 

 その頃から生活が楽になってきた。日雇いの仕事をして日銭を稼ぎ、食事を買って屋根のある場所で眠ることが出来るようになった。何より孤独を癒やしてくれたのはミルカの存在だ。ミルカの旅は辛くも心踊る冒険があり、中でも素手で熊ほどの大きさの狼を打ち倒すという「師匠」の話は面白かった。鉄鞘に納まったままの剣で覇国の幻魔兵を薙ぎ倒した剣士の話は、流石に誇張だとは思ったけれど。


「……前者の話を信じて、何故後者の話を信じない?」

「まあまあ」


 当の「剣士」の正体にすぐに思い至ったマーベルがエフェスを宥めた。

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