3 門前で
「俺を試したのか」
「最強の剣技たる天龍剣、その名声はよく知っているよ」
ランズロウは不敵な表情のまま続けた。
「――が、僕は自分で見たものしか信じなくてね」
「それで?」
「及第点だ」
「そうか」
エフェスはそう言い残すと、急速に興味をなくして鉄鞘を背中に納めた。ランズロウが意外そうな声を上げ、街の方へ歩き出したエフェスにすがりつく。
「……ええっ? 君、僕とどっちが強いかとか話はしないの?」
「他を当たれ。お前の自己満足に付き合っていられるか」
相手の方を見ずに、にべにもなく言い放つ。こういう手合は関わるだけ無駄だとエフェスは思っている。
馬車もまた近づいてきた。幌の窓からマーベルが告げる。
「エフェス、どこに行くの?」
「あんたの知ったことじゃない」
「一緒に乗っていかない?」
「遠慮する」
「馬車にも乗れないからね、獣神騎士は」
これはシェラミスの言葉である。マーベルが柘榴石の眼を見開いてシェラミスを、そしてエフェスを見た。
「そうなの?」
「……気配で獣が怯える。馬は臆病だから乗ることも出来ない」
隠しても仕方のないことなので、正直にエフェスは言った。
「そうなんだよ。騎士なのにこいつら騎乗も出来ないのさ。ちなみにランズロウも馬に乗れないんだけどな!」
シェラミスがさも愉快そうに笑い声を上げる。何がおかしいのかエフェスにはわからないので放っておいた。
かねてからの予想通り、門前は混み合った。
「エフェスの意思とは関係なしに、これでは馬車と並んで歩くしかないわね」
マーベルの言葉に、エフェスは何も言わないことにした。
馬に乗れないというランズロウはもうどこかへ行ってしまっていた。
壁の周囲にはテントや焚火など、既に野営の準備をしている人々が出てきていた。賢明と言おうか潔いと言おうか、今日中にテレタリエ市内に入ることを諦めた難民たちである。
彼らを兵士たちが遠巻きに見てはいるものの、難民には騒ぎを起こす様子もなさそうなので特に何かをしようとする気配はない。
「相次ぐ難民で、テレタリエもいっぱいいっぱいなのさ。収容能力や治安能力が限界に近いんだ」
シェラミスが言った。確かに兵士の顔には疲労の色が濃く見える。
「だから衛兵も、敢えて難民を救けようとはしないのね」
「そういうことだ。救恤を求めるだけで生産に特に寄与する訳でもない難民など、政治をやる者からすればお荷物でしかないからね。でも救わぬ訳にも行かぬから」
難しい問題だよ、と言いながらシェラミスはカップの葡萄酒を呷った。
「本当に戦争などやらぬ方がいいのさ」
エフェスは、つい口を挟みたくなった。
「相手が攻めて来たとしてもか」
「無論だよ。政治的に話をつけて、侵攻を無為にさせてしまえばいい」
「それが、話の通じぬ獣のような連中でも?」
「ああ。クーヴィッツはそれが実際には可能だったんだ。中原国家の紐帯を使って、侵攻の足止めをしたりね。今回の件はクーヴィッツが自国の軍事力を過信していたし、更に言えば覇国の力を侮りすぎていた。その結果が――御覧の仕儀さ。全く、大陸最強がざまあ無いね――」
シェラミスは早口になった。彼女自身、覇国の中原侵攻について思うことがあるのだろう。
一息にまくしたて終えると、溜息混じりにこうも言った。
「ただ――ガウデリス覇国は理外の敵だ。あまりにも常識はずれ、理解を超える部分がある。それは認めよう」
シェラミスの黒玉の眼が、エフェスを睨むように見た。だからお前たち獣神騎士が現れたのだろう、とでも言うように。
「……あ!」
沈黙に耐えられぬように、マーベルが大声を上げた。
「エフェス、有難うございます!」
「何のことだ?」
「剣よ。贈ってくれたのはあなたでしょう? しかも、二振りも。あんないい剣を」
「気にするな。借りたものを返しただけだ」
金なら余っている、と言いかけてやめた。エフェスからすれば単なる事実なのだが、そういう物言いはある種の人々には反感を抱かせるものであるらしい。
それに剣なら眼が利いた。特別に教えられた訳ではない。似た拵え、長さ、造りの剣を何十本並べても、最も良い一本を見分けることが出来た。祖父もまた、どんなに刀剣が錆びていても銘品を見つけ出すという不思議な嗅覚を持っていた。
「あなた、刀剣屋になればいいんじゃない?」
「考えたこともないな。刀工の名前もろくに知らないんだ」
マーベルの覗く窓から、カップの葡萄酒をちびちびと呑むシェラミスの姿が見えた。革装丁の分厚い本を読みながらである。
ランズロウが人波を掻き分けてこちらへ来た。
「シェラミス様、ユーリル、こちらへ。エフェス、君もだ」
兵士たちが声を張り上げた。人波に馬車一台が通れる幅の道が強引に作られた。エフェスは同道するとは言ったつもりはないが、混雑にも辟易していたので遠慮もしなかった。
「領主殿が面会を希望していますよ。覇国の騎馬隊を蹴散らしてくれたことにお礼を述べたいそうです」
ランズロウの言葉に、シェラミスはさほど興味なさそうな返事をした。
「ふーん、別にいいんだけどさ」
「挨拶だけはしておきましょう」
そうユーリルが言うと、シェラミスは心底嫌そうな顔になる。
「面倒くさいなぁ。何であたしらから出向かなけりゃならないのさ。礼を言うならそっちから来るのが筋でしょうが」
主従の会話を聞くと、ランズロウは傭兵としてテレタリエに潜り込んでいるらしい。兵士たちと談笑すらしていた。彼自身はシェラミスの従者だと言っていたが、それだけに留まらぬ職務を持っていることは明らかだろう。
「ところでエフェス、君はどうしてこの街に寄ったのかな?」
シェラミスから訊かれた。エフェスも今更隠すつもりはなかった。
「魔殖樹があると聞いた」
「エアンナの情報か?」
「ああ」
エフェスは頷く。シェラミスは顎に指を添え、興味深げに笑みを浮かべた。
「フムン、占領した地域に魔殖樹を殖えて陣地を増やしていく。ある種の陣取りゲームだな?」
「感心してる場合なの、シェラミス師?」
「例え敵でも学ぶべきものがあれば学ぶよ、あたしは」
マーベルの非難めいた口調に対し、シェラミスがそう返す。それこそが魔術師なのだ、とでも暗に言っているようでもある。
魔術師とは知識欲に取り憑かれた生き物なのだ、というエアンナの言葉をエフェスは思い出す。そして知識欲は最も底を知らぬ欲望なのだとも。
「……エアンナの使い魔が送られてきて、この街に魔殖樹があると告げられた。それがどこかまではわからない」
「先生のやりそうなことだよね」
「全くだ」
苦笑交じりのシェラミスに、エフェスは真顔で応じた。シェラミスに対する初めての同意だったかも知れない。
「でもさ、エフェス。テレタリエは広いよ?」
馬車が門をくぐった。
方形を基本として整理された区画。人口五十万を収容するクーヴィッツ第二の首都。
北から南へ流れるレキセン川をすぐ西に持ち、更に西から東へと大陸をバルエシオ大河との交点も遠くない。この地理的な好条件――二つの河川のもたらす恩恵により、ウィロンデ大陸有数の交易都市として栄えてきたのがこのテレタリエ市である。