2 荒野と鉄
透徹としていた。
怒りと憎悪は腹の奥底で煮えたぎるままだ。しかしそれはエフェス・ドレイクの天龍剣に一切の影響を及ぼすことはない。
この中には幻魔兵は恐らくいない。馬が怯えるため乗れないからだ。故に本来ならば主力であるはずの騎馬隊は冷遇され、不遇をかこって難民狩りなどをさせられている。
エフェスの気配に気づいた騎馬が動く。人よりも獣の方が先んじて動いていた。戦場の気に昂ぶった馬は怯えることなくこちらへ向けて走ってくる。エフェスは自らを踏み砕かんとする馬蹄を紙一重で躱し、横腹へ上段から鉄鞘を振り下ろした。
崩折れる人馬を紫水晶の眼は見てもいない。鉄鞘が馬の脚を薙ぎ払えば兵は勢いのまま前方に投げ出され頸骨を折る。その肉体を踏みしだいた馬の頸骨を、エフェスが騎手ごと叩き砕く。
雄叫びと共に三騎が吶喊を仕掛けてきた。突きこまれる長槍を捌き、受け、あるいは流しながら、鉄鞘を叩き込む。エフェスの腕すら華奢に見えるような鉄鞘が揮われるその都度、一人二人と騎兵の身体が放物線を描いて吹き飛んだ。
三人目は打撃を辛うじて躱し、馬を翻転させて斬りかかる。エフェスはそれを受ける。兜の房飾りから見て将校か。
「黒ずくめの剣士……天龍剣か、貴様!」
「雑兵にしては耳が早いな」
「吐かせ! ジュルシン族は騎馬の民! 名ばかり大層な浪人ずれが侮るな!」
「侮るも何も」
馬上からの斬撃。それに応じ、剣士は鉄鞘を揮った。交えた剣が折れ、触れた骨が砕ける感触がした。
「――実力相応の扱いだと思うが」
落馬し地に投げ出された将校を見て、エフェスは呟いた。尤も相手の耳には届いていない。即死である。
累々と重なる同胞の屍に危機感を覚えた騎兵が、黒ずくめの剣士を遠巻きにして短弓を射始める。しかし当たらない。盾にした鉄鞘が鏃を弾く。短弓故に射程は短く命中率も低く、それを補うには弓の数が少ない。
またエフェスは敵が弓矢を持ち出すのを見てすぐに馬群へ斬り込んでいる。これでは誤射を危惧して手は出せまい。騎兵たちが数の利を活かしきれず手をこまねく間にも、エフェスは敵を薙ぎ倒してゆく。その姿はあたかも鉄の嵐の暴れるが如し。
他方、伸び切った覇国の戦列が突き崩されていた。一台の二頭立ての幌馬車が荒野を強引に踏破し、人馬の群れを引っ掻き回してゆく。その勢いと言い鉄製の車輪の軋みと言い、幌馬車に擬装した戦車としか思えなかった。
幌の中から五本の矢が立て続けに三度飛んだ。それは十五人の急所に正確に突き刺さり、確実に命を奪った。エフェスをして瞠目せざるを得ない技倆の弓手だ。
御者が片手から何かを投げた。エフェスが知る由も無いがその正体はまさしく炸裂弾、騎兵の足元へ転がるや土を盛大にまくりあげて弾け飛んだ。爆裂をもろに受けた一騎が人馬の区別がつかぬ肉片となりバラバラになって降り注ぐ。直撃を受けなかった者にも炸裂弾の中の小さな釘や石ころが散弾めいて飛来し、ある馬は眼を潰され暴れ狂って横転し、ついでに騎手を巨体で押し潰す。
「何なんだ、一体……」
エフェスは頼もしさよりも一種の困惑を感じた。あの呟きながら、その鉄鞘は敵兵を薙ぎ払う。
最早覇国の騎馬隊は混乱の極みにあった。天龍剣エフェス・ドレイクが鉄鞘を嵐の如く揮い、幌馬車が質量で隊列を掻き乱しつつ矢や爆弾を降らせてくる。落馬したところを馬蹄にかけられた者もあった。また横転する馬から逃れ出た直後に車輪により轢殺された兵もあった。
「な……何なんだこれは……!?」
「俺たちは悪夢を見てるのかよ……!」
覇国の兵にはまさしく悪夢と言う他はない。殆ど無抵抗の難民を殺し、または何人かを連れて拠点へ引き上げるだけの簡単な仕事だったはずだ。予定の数に満たないのは抵抗され止む無く殺害の仕儀と相成ったため。そう答えればいけすかない上官でも別段咎めはしない。
エフェスは覇国兵の甘い考えを見透かしていたし、そして決して許さなかった。覇国滅すべし。その想念はあまりにも根深い。
撤退の合図の法螺貝を、どこからともなく飛来した矢が貫いて破壊した。それも混乱に輪をかける要因の一つになった。
散々に騎兵が討ち果たされた頃に、テレタリエ守備隊がやってきた。既にかなりの数を減らしていた覇国兵は守備隊に囲まれ、降伏を余儀なくされた。
連行されてゆく彼らをエフェスが見ていると、幌馬車が近づいてきた。黒漆塗りの木材で瀟洒な外観を作ってはいるが中身は恐らく鉄、やはり戦車にも転用できる代物と彼は見た。御者の女も大したものだろう。戦場で殆ど自在に二頭の馬を操っていた。
「お久しぶりね、エフェス・ドレイク」
「……あんたか、マーベル・ホリゾント」
金髪に柘榴石の瞳の女騎士が幌の中から顔を覗かせた。その表情は何だか嬉しそうで、エフェスには腑に落ち兼ねた。
マーベルより早く、幌馬車から細身の影が降り立った。黒い巻毛の、一見可憐な深窓の令嬢だが、その黒玉の眼光は不敵に過ぎる。何よりある種の人間に特有の気配があった。例えば魔術師――。
「やあ、エフェス・ドレイクかい? あたしはシェラミス・フィファルデという」
「魔術師か」
「そう。ヘブリッドの魔術師だ。エアンナ・ニンスンの教え子でもある」
シェラミスの不意打ちに、エフェスの眉根が寄った。
「エアンナの?」
「彼女から君のことは聞いているよ、天龍騎士。ま、君の名前は焼き立てのパンめいて中原では最もホットな話題だがね」
「何? 何の話? ていうかエアンナって女の名前よね?」
幌の中からマーベルが身を乗り出してきた。ややこしくなりそうな気配を感じたエフェスは、短く応えるだけに留めることにした。
「古い知り合いだ」
「古い? 年配の方なの?」
「それは本人の前では言わないでおくれな、マーベル卿」
意味ありげな笑みをシェラミスが浮かべた。やはりこれは令嬢とは言い難い、とエフェスは改めて思った。
空と城壁には鴉が群がり啼いている。散らばっている屍が目当てなのだ。夕刻は近い。もう少し経てば野の獣や魔物も寄ってくるだろう。
「……鴉は魔に属する者の耳目だと言うな」
シェラミスが呟いた。暗に覇国の斥候ではないかと疑っているようだ。マーベルも片目を瞑って、鴉どもを指差す。
「射落とす?」
「やってみるかい、マーベル卿?」
「何本の矢が必要かしら……」
「……やるの?」
エフェスは女二人のやり取りには加わらず、周囲を見渡した。
西から気配が来る。一気に鉄鞘の柄を掴んで真横に振り抜いた。
斜めにした槍の柄が、勢いを借りて鉄鞘を受け流す。
エフェスは得物を戻す一瞬、敵を見た。
フードを目深にかぶった相手である。体型からすると男だろう。逆光にいるため、顔まではわからない。
何より特異な槍である。穂先から石突まで艶のない白の材質は、何かの骨のように見えた。
油断出来ぬ相手、とエフェスは判断した。
繰り出される石突。首を傾げ躱しながらエフェスの身体が旋回、右の爪先をフードの男に繰り出す。
男は左脚を上げて防御、踏み込んで槍の穂を振り抜く。エフェスは鉄鞘を払いながら同時に跳ね上げる。顎に当たる紙一重で相手は躱し、後方跳躍。
二人は同時に踏み込んだ。土煙が音を立てて上がる。
シェラミスが大声を張り上げた。
「ランズロウ、悪戯が過ぎるぞ!」
土煙が薄れた。
槍の穂先はエフェスの鼻先の寸前で止まっていた。エフェスの鉄鞘も相手の頭部すれすれにある。
「失礼しました、レディ・シェラミス」
男が機敏にエフェスと間合を取りながら、槍を持っていない方の手でフードを跳ね上げた。金髪の若い男だ。鋼玉の目元は涼しく、線の細い色白の顔立ちは女と見紛う美貌だ。
「君がエフェス・ドレイクだな。僕はランズロウ・キリアン。シェラミス様の従者の一人でもある」
ただし、その表情はやはり不敵である。僅かに手元が狂えば重傷必至のこの「悪戯」に、ランズロウは悪びれるところが全くなかった。