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1 人狩り

 荒野に敷かれた街道に人が群れを成している。

 

 老若男女を問わない人の群れだ。馬車もある。家財道具を積めるだけ積んだ大八車を引く者もある。身につけた衣服は長旅に汚れ、皆一様に疲れ切った表情をしていた。クーヴィッツ北部の国境地帯から落ち延びてきた難民たちであるのは一目でわかった。越境してきた者も少なくあるまい。

 

「こうも混んでいると、ちっとも進まないねぇ」


 二頭立ての幌馬車の中、黒髪の少女は嘆息混じりに呟いた。

 尤も難民たちが街道の北からやってくるのに対して、彼女らの乗る幌馬車は南から来ていた。混雑に巻き込まれる心配は、市内に入る前後ですることだ。難民も、そして彼女たちも、目的とするのは城壁に囲まれたテレタリエ市である。


 少女は手慣れた様子で、手酌で瓶の中の葡萄酒(ワイン)を木のカップへ注いだ。癖のある黒髪を編み上げた細身の少女は、一見して深窓の令嬢とも見える。しかしクッションの上に胡座(あぐら)を組んで酒を呑むさまは、可憐という印象を裏切って余りあるものがあった。そしてそれが彼女の常態だった。


「あまり御酒を過ごされませぬように、シェラミス様」

 

 御者の女性が咎めるような視線を投げてくるが、少女――シェラミスは一向に意に介さず葡萄酒を啜った。

 

「大丈夫大丈夫、この程度じゃ酔いもしないよ、ユーリル。マーベル卿、あなたもどうだね?」

「お構いなく」


 マーベルは断った。十日余りの旅でこの同行者がおよそ常識というものを意に介さぬ、人を喰ったような少女だということはわかりきっていた。ユーリルはシェラミスの侍従でもあるが、むしろマーベルはユーリルに同情的な気分だった。


 マーベルより二、三歳下のシェラミスではあるが、その頭脳はマーベルが驚くほどに博識であり、また舌を巻くほどに明敏だった。

 その知識の範囲は軍学にも及び、各地に置かれた城塞の防衛上の欠陥を逐一指摘し、その意見は騎士であるマーベルと殆ど異なることがなかった。むしろマーベルが教えられることが多かった。


 それでいて案外俗っぽく、近頃流行りの騎士道物の草紙本も鼻で笑う風で実はかなり読み込んでいるようだった。


 今のシェラミスに対するマーベルの印象は、面白いが困った人物といったところだ。


「シェラミス様」


 ユーリルが主に呼びかけた。心なしか口調には緊張がある。


「うん?」

「あれを」

 

 御者席のユーリルが指差す方向を、シェラミスは覗いた。一里先の視界の片隅、土煙が上がっている。

 

「……襲撃ですね」

 

 マーベルは眉根をひそめた。密かに危惧していた事態だ。

 

「……あなたたち、一体何で見えるの?」


 裸眼で見るのを諦めたシェラミスは、私物の鞄から二つの筒を縦に繋いだような道具を取り出した。双眼鏡である。筒先にはめられた二対四枚の玻璃(ガラス)レンズは精確な凹凸状に磨き上げられ、民間でこれを(あがな)うにしろ作るにしろ、千金でも不可能な代物だ。

 

 遠く響く地鳴りのような馬蹄。立ち込めた土煙を置き去りに、騎馬の群れが街道へ迫る。翻る軍旗は銀の虎――。


「覇国の人狩りです」

 

 ユーリルが言った。彼女の眼はシェラミスなどよりずっといい。双眼鏡なしで一里先を見通していた。


「抜き打ち視察かな?」

「勤勉なことですね」


 マーベルの言葉に対し、シェラミスは深窓の令嬢にはあるまじきことに、露骨なほど忌々しげに舌打ちした。


「全くもう……雑兵共が勤勉に仕事をしやがるのは、上司をつけあがらせて後顧に憂いを残すだけだぞ?」

「また訳のわからないことを」

 

 覇国軍が難民狩り専任部隊を編成してクーヴィッツの街道を監視しているのは、最早周知の事実である。その時間帯にも波があり、今では割り出された時間割(シフト)表も半ば公然に出回っているほどだった。

 それに従えば昼下がりならばテレタリエ付近には見回りに来ないと御者は請け合い、時間を調節してここまで来たのである。運がないと言えないこともなかった。


「どうなさいます?」

「幸いというか、距離はある。ユーリル、ゆっくり進んで」

「わかりました」


 ここからの角度では見えないが、覇国兵の襲撃に備えてテレタリエ側は門を固く閉ざしているだろう。あるいはそこが敵の狙い目か。間違いなくその地点、門の手前付近で混雑は発生する。テレタリエは覇国軍の侵入を危ぶみ、一旦閉じた門を開くはずがない。

 

 馬群が難民たちに突っ込んでゆくのが見えた。逃げ惑う人々を馬蹄が踏みにじり、長槍が貫いてゆく。武器を手にして立ち向かっていったのは用心棒だろう。しかし多勢に無勢、馬上から斬り下ろされて血飛沫を街道に無為に撒き散らした。


「胸糞が悪くなるな……」

「ええ……」


 マーベルが同調した。酸鼻なる光景に、遠いはずの叫喚が迫ってきそうだ。


「本来の彼らの任務は難民の強制連行であるはず。それが歩兵すらついていません。これではまるで――」

「ああ、奴らは最初(ハナ)から顧慮していないのさ。強制連行などただの方便なんだ。クーヴィッツ領内に自軍を動き回らせるためのね」


 その方便すら強引である。覇国の傍若無人ぶりには、人を食って恥じないはずのシェラミスすら義憤を露わにしていた。

 

「ランズロウはどうしたの、ユーリル?」

「とうにテレタリエ市で待っているはずですが」

「そんなことはわかってンだ、あたしが訊きたいのは何で迎えに来ないかって話だよ。全く、あいつと来たら……」


 言いながら、シェラミスは双眼鏡から目を離さなかった。

 

 人馬が共に舞い上がるのが見えた。土煙がそれを覆い隠す。見間違いではなかった。次々に人が、馬が、宙に跳ね上がって地へ落ちてゆく。一つ、二つ、三つ、四つ。シェラミスは双眼鏡を食い入るように覗き込み続けた。

 

 マーベルもまた、その光景を食い入るように見つめた。


 それを為すのは、あろうことか一人の男だ。黒マント、黒革の胸甲、黒篭手――黒ずくめの剣士である。得物はごつい鉄鞘に納めたままの剣である。如何にも重たげなそれが一見無造作に揮われるところ、確実に人馬が吹き飛び、宙に舞い、あるいは砕け散る。無造作に見えるが、凄まじい力量に裏打ちされた一撃だった。三々五々反撃に出る騎兵たちが、鉄鞘の一振りの前にあまりにも容易く打ち倒されてゆく。剽悍(ひょうかん)精強なる覇国の兵が容易く――げに恐るべき剣の遣い手だった。

 

 そう、シェラミスもマーベルも、彼の正体を知っている。幻魔兵を狩り、覇国にとっては恐怖の代名詞となりつつあるその男の名は――

 

「「――天龍剣、エフェス・ドレイク!」」


 二人の声が重なった。

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