7 白虎の鎧
ダン・ジュから余裕が明らかに消えた。元の姿であれば、驚愕に目を剥いていたことだろう――生憎人狼の眼は兜の奥に隠されているが。
それはヴァリウスが獣神騎士であったことのみに起因するのではない。
「その甲冑は……!?」
「お前も生粋の虎の民なら、知らぬ訳がないよな?」
嵐白虎はガウデリスの国獣であり守護獣であるともされ、また人身虎頭の祖神ダイ・フォンの末裔であるとも言われる。
「獣神騎士が敵に回るということは――そういうことだ」
「……所詮カビの生えたような、古くせえ言い伝えだ」
「その通りだ」
ダン・ジュの言葉を、ヴァリウスはしかし認めた。
吠え声と共に虎狼兵が背後から襲いかかってきた。ヴァリウスは身を低くして跳躍したワーグの下に滑り込み、その胴へ伸ばした指先を突き入れた。指先が巨狼の体内に潜り込み、心臓を引き裂いた。王虎騎士は身を捻る。虎の爪はワーグの胴を突き抜け、ゴベリヌスの身体を強引に破断し、引き裂いた。真二つになった一組が宙で血飛沫を散らし、地に落ちては黒紫に燃える。それを見て、ダンジュが声を上げた。
「〈虎爪手〉……!?」
王虎拳に言う貫手の意である。幻魔兵が放てば石をも穿つが、流石にワーグとゴベリヌスを引き裂くような威力などおよそ見たことも聞いたこともないだろう。ダン・ジュが驚愕するのも無理はない。
「伝承はちと古臭いが、しかし力は本物だぞ」
返り血が白煙を吹き上げる指先を揮ったヴァリウスは、白虎の兜の奥でにやりと笑った。
「どうだ。怖気たか小僧」
「ハハッ、馬鹿言ってんじゃねえッスよ先輩。臨むところッスよ」
人狼は魔術鍛造の斧槍をしごき、白虎に突きつけた。その穂先には僅かなぶれもない。
「先手、くれてやる」
「じゃ、遠慮なく」
顔面へ突きこまれた穂先を、ヴァリウスは手で払った。斧槍が巻き上がるように頭上へ跳ね上がり、唐竹割りに落ちる。ヴァリウスは右手へ身を翻して回避、旋転しながら左で裏拳を打った。それが空を切ったのはダン・ジュが跳躍したためだ。斧槍に落下速度と体重を加算した刺突が来る。
ヴァリウスはそれを中指一本拳で迎え撃った。斧槍と拳の衝突点で衝撃波が生まれ、そこを中心として波が周囲に伝播してゆく。近い樹木の枝が揺さぶられ、青い葉が大量に舞い散った。
拮抗は一瞬、ヴァリウスの上段回し蹴りが人狼を襲う。ダン・ジュは後方へ身を翻した。文字通り大気を焦がすような蹴りが鼻面をかすめてゆく。
ダン・ジュは短く斧槍を構え、距離を詰めた。斧槍の長柄を打ち払いながら、肩からの靠――肩からの体当たりを以て懐へ潜り込む。ダン・ジュが大きく後退する。
ヴァリウスが跳躍した。
「王虎拳――〈猛虎揮戦鉞〉!!」
そして前転宙返り、その勢いを加算した踵落としが敵を襲う。ダン・ジュは魔術鍛造の鉄の長柄を掲げたが、踵はそれを破断し、肩口に深々と食い込み、陥没させた。
ヴァリウスは脚を引きざま踏み込み、突き上げるような崩拳で腹部を抉る。人狼の身体が浮き上がる。
「そして〈獰虎偃月斧〉ッ!!」
王虎騎士の脚が弧を描いて跳ね上がる。爪先が人狼の顎を完璧に捉えた。ダン・ジュの頸骨は可動域を超えるより早く強度限界を迎え、頭部が宙に飛んだ。
黒紫の幻魔焔が闇夜に禍々しく咲いて散った。
ヴァリウスが着地すると足元の石畳がその形に砕けた。
「終わったか」
残心する彼の元に、鉄鞘の柄を握ったままでエフェスが近づいてきた。気がつけば幻魔焔がそこかしこで燃えている。
「装甲解除」
甲冑がバラバラになり、篭手の内部に収納されてゆく。
「そっちも早いな」
ヴァリウスをして呆れるような手並みだった。エフェスはそれには応えず、ヴァリウスへ険の強い視線を向けてきた。
「獣神騎士ヴァリウス――お前の真の名は?」
予期していた質問だった。ヴァリウスは応えた。
「ヴァリウス・ガウ。ガウデリス族親王だ」
「なるほど。故に王虎騎士」
ガウは覇王バンゲルグに連なる者の氏姓である。エフェスの眼に得心と怪訝の光が相反することなく浮かんだ。
「――ガウデリスの親王にして獣神騎士が同族殺しか。よもや祖国のやらかしたことに対する罪悪感に駆られて――という殊勝さが理由ではあるまい?」
ヴァリウスはしゃがんで折れた斧槍を拾ったが、手に持っただけで破断面から黒く錆びて朽ちていった。魔術鍛造武器には個人認証があるのだ。
「覇王が刀槍や弓矢や騎馬のみで中原を蹂躙するならば、それでよかった。俺もその戦陣に加わっていたかもな」
「何だと――」
半ば近く朽ちた鋼鉄を投げ捨て、立ち上がった。
「だが実際に使ったのは、幻魔兵だ。その上、大地の魔力を吸い上げるために地を奪い、他国の民を狩り――そこまでして勝利を得て、何が残る? そういうことだ」
「本当にそれだけか?」
「信じようが信じまいがお前の自由だ、天龍騎士エフェス。大体お前だって似たようなもんだろうが」
「何?」
「お前だって大概私怨で動いてるんだろうが」
「お前に何がわかる……ッ!」
エフェスが圧し殺した怒りを吐き出した。直接的な言葉は使わなかったものの、エフェスの心の傷に触れたことは間違いない。
「エフェスよ、過去に何があったか、これ以上俺は穿鑿をするつもりはない」
「……だからお前も訊くな、か? 虫のいい話だ」
「そうだ。だが案外お前も物わかりがいいじゃないか。復讐に眼が曇っている訳でもなさそうだ」
「眼が曇っては敵を見極められん。覇国はあらゆる場所に間者を潜ませている」
「俺もその一人に見えたか?」
「疑いはまだ消えていない。完全には」
そこでエフェスは、ようやく鉄鞘を背中に戻した。
「村人は、俺一人では護り切れなかっただろう。礼を言う」
「礼を言うのは俺の方でもある。……一つ、俺から忠告めいたことを言わせてくれ」
「何だ」
「仲間を作れ。お前の背中を常に守れる仲間だ」
「覚えておこう」
エフェスは宿の方へ歩いて行った。ヴァリウスはその背中に何か声をかけようとして、思いとどまった。そういう何かを持った背中だった。
「……訊きそびれちまったな、何で剣を抜かないんだって」
まあいいか、と若き親王にして王虎騎士は思った。きっといずこかで巡り会うこともあるだろう。何せ今は乱世で、彼らは獣神騎士なのだから。
いつの間にか、風は止んでいた。