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5 夜襲

 ミルカが眠そうだったので、酒場から宿に入った。

 

 宿も無論客で一杯で、取れたのは一室だけである。そこはソーヤー一家に預け、エフェスとヴァリウスは大部屋で雑魚寝することになった。大部屋もそれなりに客がいた。


 深更、エフェスは目を覚まし、音も立てずに外に出た。表通りに向かう。

 

 雨はないが風は強い。町を囲む広葉樹が騒がしく葉を鳴らしている。雨に濡れた土と石の匂いが漂う。風は湿気を多く含んでいる。


 エフェスの眼は闇に強い。月や星が雲に隠れていても概ねの色彩を判別できる。現に今も嵐の中に立つ影を見通すことが出来た。


 ゆっくりとした歩みで影が近づいてくる。エフェスも影に近づいてゆく。見間違いようのない巨体――ヴァリウスだ。


 ヴァリウスの気が膨れ上がった。闘争の予兆に、エフェスもまた己の気を放散させた。二人の闘気に草木が惑うように、更に強くざわめいた。


「やるか」

「やるぞ」


 短く声を掛け合って、二人はそれぞれ左右に跳躍した。エフェスが鉄鞘を揮い、ヴァリウスが鉄篭手の諸手突きを放つ。夜闇の中に鈍く重い音が響いた。

 

 二十数歩の距離を隔て、内臓を砕かれた二組のゴベリヌスとワーグが倒れていた。嵐の夜に黒紫の焔が上がり、闇の奥には狼の輪郭が居並んで浮かぶ。その背にはいずれもゴベリヌスが跨乗(こじょう)している。確認できるだけで数は五、六十。


「……ッたく、おかしいと思ってたンだよ」

 

 そのうち一騎が舌打ち混じりに吐き捨てながら、前に出てきた。まだ生身のままの、軽装の若い男だ。

 乗っているワーグは一回り大きい。右手には斧槍(バルディッシュ)をだらりと下げ、左手には銀の虎の軍旗(シグナム)を肩で担ぐようにしている。

 

 こいつが頭目格か。二十歩ほどの距離を保ち、エフェスとヴァリウスは向き直った。

 

「俺の名はダン・ジュ。百人長やらせてもらってる。朝、部下共に森を見に行かせたら、夜になっても帰ってこねえ。怠慢(サボ)ッてンじゃねーかって様子を見に行ったら、なんと魔殖樹(ジェネレーター)が全部ブチ折られてやがる。そこで俺様ピンと来た、多分その下手人が部下をブッ殺したンだろうなって。――誰だよそいつは! ありえねえだろ! 幻魔兵十人と幻魔獣十匹を全滅させるとかよ!」


 ダン・ジュは大仰に喚いた。しかしそれすら楽しんでいるようなところがあった。


「俺ァクーヴィッツが千人単位の部隊を動かしたのかと思ったが、それこそありえねえことだ。もしそうならとっくに発見してるはずだし、そもそも奴らの首脳部(アタマ)はこんな辺境なんてとっくに見捨ててるからな」


 ダン・ジュの唇がニヤリと歪む。


「お前らがやったんだろ? 俺様がけしかけた虎狼兵(ころうへい)を、一撃で両方共ブッ殺した! とんでもねえ技倆(わざまえ)だ! それなら千の騎兵がうろついてると考えるよりはまだ納得が行く。――本来幻魔兵を殺せる奴なんて一箇所(ひとところ)に二人も集まること自体不自然だけどな」

「御託が長いな、野良猫風情が」


 エフェスは相手を睨んだ。


「さっさと言え。俺たちを殺しに来たと」

「いやいや、俺らの目的は別だ」


 大袈裟に首を振りながら、ダン・ジュは首を回して周囲を見渡した。


「別の情報が入ってな。ここに難民がいるそうじゃあねえか」

「難民を連れてゆくと?」

「そんな面倒くせえことは言わねえよ。ただ町全部皆殺しにするだけだ」

「ほう」


 ヴァリウスの方から声が聞こえた。


「難民を匿っているなら同罪だしな。この風だ、少し湿気っちゃいるが油を撒けばすぐ火も広がるだろ。黙ってさせてくれるならお前ら見逃してやるよ。な、いいだろ?」


 エフェスは鉄鞘の柄を片手で保持したまま、(こじり)から石畳へ落とした。石畳に亀裂が入る音が、風に掻き消されず夜闇に響き渡る。

 

「もう喋らなくてもいいぞ。お前の言い分にはゴミ溜めを漁る野良猫のクソほどにも価値がない」

「じゃあ犬のクソにしてやるよ」


 ダン・ジュがせせら笑いながら、後ろにいた未装甲の虎狼兵に軍旗を手渡した。


 背後から風が迫る。ヴァリウスが反応し、大股に踏み込みながらの踵蹴りを見舞う。ハンマーでも食らったようにワーグは顔面を大きく損壊させた。力を失った狼の背からゴベリヌスが跳躍するも、戦斧が届くより速くその胴体を裏拳が捉え、十歩離れた横手の壁に叩きつける。上がる二つの幻魔焔を背に、ヴァリウスが言った。

 

「ボスと雑魚、どっちがいい?」

「どっちでもいい。どうせ全部殺すからな」

「だな」


 応答は短い。エフェスは瞳に怒りをみなぎらせ、ヴァリウスは獰猛そのものの笑みを口に浮かべた。

 

「そっちのデカいの、まさかと思ったが王虎拳の〈戦鎚踵〉に〈鉄扉一敲〉だとォ? ――チッ、何だよ御同門かよ面倒くせえなァオイ!」


 ダン・ジュが空いた方の手で頭をかきむしった。しばらくそうしたあと、ぴたりと手が止まった。

 

「……ま、いいや。かかれッ!」

 

 闇夜から虎狼兵の群れが二人に襲いかかる。同時に見えてやや()をずらした波状攻撃である。虎ほどに大きい狼の群れが迫ろうとも、紫水晶(アメジスト)黒瑪瑙(オニキス)の眼に怯懦の色は一切ない。

 

 エフェスの鉄鞘がゴベリヌスを叩き落とし、噛みつきにかかったワーグの口腔に(こじり)を深々と突き入れる。そのまま揮い抜き、瀕死の狼の巨体が飛んで別の虎狼兵にぶつかる。その間に肉薄していたワーグの鼻面を鞘の腹で叩き潰す。横転したその背から転げ落ちたゴベリヌスの脊椎を断つように鉄鞘を振り下ろす。

 

 足元が大きく抉れるような踏み込みと共にヴァリウスが縦にした拳――崩拳を撃つ。並の打撃では吸収してしまうワーグの剛毛も、王虎拳の内気功には無力だった。王虎拳〈虎手裂震〉。血反吐を吐き散らす狼の背からゴベリヌスが飛び上がり、斧を振りかざす。それを払いのけるのはヴァリウスの回し蹴り、〈横掃腿〉である。同時にゴベリヌスの身体を弾き飛ばすや軸足が右から左に入れ替わって跳ね上がり、間合に入っていたワーグの頭蓋を踵が砕く。宙に浮いたゴベリヌスを横殴りの拳が撃ち抜く。

 

「改めて思うがよ……お前ら人間離れした強さだな!」

 

 ダン・ジュが跨がるワーグの腹を軽く蹴った。三十歩もの距離が瞬く間に詰まる。エフェスの鉄鞘が振りかぶられた斧槍の一撃を真っ向から受け止めた。凄絶な火花と金属(かね)の音が谺する。――重い。

 

「なるほど。ただの野良猫じゃなかったか、ダン・ジュとやら」

「その鉄鞘、思い出したぜ――天龍剣!」

 

 ワーグが前肢(まえあし)を上げた。エフェスは身を翻し後退、横薙ぎの一撃を放つも危なげなく敵は躱している。

 

「ゴツい鉄鞘のまま覇国兵をブチ殺しに殺しまくってる黒ずくめの剣士! 面白くなってきたッ、ハハッ!」

「思い出すのが遅かったぞ。猫の脳味噌ではやはりその程度か」

 

 エフェスは油断なく構えた。黒篭手にワーグの爪痕が鋭く刻まれていた。

 

「済まんね、俺も部下(バカ)共の面倒を見なけりゃならなくってさ! 日々の忙しさにかまけてたらこの有様だ!」

 

 ダン・ジュから刺突が来た。受け流しながら斬り上げる鉄鞘を、斧槍の(ポール)が流す。総鉄造りの長柄(ポール)には魔術鍛造の証である表意文字(イデオグラム)が刻まれている。


 翻った石突がエフェスの顔面へ飛んで来た。紙一重で躱したエフェスは反撃を目論むが、果たせない。左腕に迫るワーグの牙。身体を強引に捻って回避。宙を噛んだワーグの口吻(マズル)に右脚の爪先を叩き込もうとするも、既に相手は後方跳躍で間合の外である。

 

「アンタには千金の賞金がかかってるんだぜ? それに俺も、アンタの剣に興味があるンだッ!」

 

 ワーグは軽装とは言え男一人を背に乗せて、あの機動力。馬力がある上にすばしっこい。加えて、このダン・ジュという男も腕が立つ。余程跨乗戦闘に慣れているようだ。他の虎狼兵と比較すれば格の違いが明らかだ。

 

「……性質(タチ)の悪い冗談だ」


 鐺を正面に据えながら、エフェスは怒りを吐き捨てた。


「へえ? そりゃ何でだぜ?」

「日々の生活だと? ――多くの民を殺してきた覇国の言うことかッ!」


 踏み込み、鉄鞘を振りかぶる。ワーグの頭部狙いの一撃を、斧槍が受ける。


「割とマジなんだぜ? アンタ、白虎平原の冬を経験したことはあるか? 仔羊も凍って死ぬあの寒さを?」

 

 少しの拮抗の後、斧槍が連続して弧を描いた。エフェスも負けじと鉄鞘を揮って応じる。斧槍の穂先が胸甲の肩を裂き、鉄鞘の一撃がダン・ジュの脚甲を弾き飛ばす。共に直撃を受ければ骨を砕く威力を孕むが、別段怯む様子もなく斬り結びは続く。


「今更あんな場所に戻るくらいなら、俺は何万人だって中原人をブッ殺すね! ああ、言っとくがそんなのは俺だけじゃねえンだぜ! だから皆幻魔兵になってンだ!」

「ならば今すぐここで死体になるべきだな!」

「御免(こうむ)るね!」


 刀槍を打ち交わすため鉄鞘を揮い上げたエフェスの視界の片隅にそれが映った。


 横手からダン・ジュへ飛来したのはワーグの巨体だ。ワーグの体重は三百貫にも及び、投擲の速度も合わせ、直撃を受ければただでは済むまい。

 斧槍の刃が危ういところでそれを捉え、引き裂いた。二つになった狼の屍は壁に叩きつけられ、血の跡を残して地に落ちた。

 

 燃え上がる二つの幻魔焔を、誰も見はしない。

 

「交替だ、エフェス・ドレイク」


 ゆっくりと歩み出てきたワーグを投げ飛ばした張本人――ヴァリウスに対し、周囲の視線が注がれた。

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