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4 テオンスにて

 エフェスが魔殖樹(ジェネレーター)を壊し終える頃には風は雨を孕み、やがて嵐になった。野宿をするつもりだったが、慣れた身にも堪えるのが雨と風である。エフェスは予定を断念し、最寄りの町であるテオンスへ宿を求めることにした。着いた頃には夜である。


「おう、来たか」


 濡れ鼠のエフェスを入り口近くのカウンターに陣取ったヴァリウスが出迎えた。声に混じった酒精(アルコール)の匂いが鼻につく。木のカップを持っているのは素手だが、その拳は篭手が不要と思えるほどごつい、鍛えられたものだった。


 エフェスは酒よりも、ミルカとその父母が囲むテーブルから漂ってくる匂いに気が行った。馬鈴薯(テーター)蕃茄(トマト)乾酪(チーズ)の焼き物の、香ばしい匂いである。馬鈴薯もトマトも龍脊(りゅうせき)山脈から大陸に広まり、物好きな魔術師が改良を施して人口に膾炙(かいしゃ)した野菜だった。目が合うとミルカがもぐもぐ咀嚼しながら手を振り、両親が目礼を返してきた。

 

「しかし、随分混んでいるな」

 

 溢れるというほどではないが、酒場も宿屋も大分混雑していた。店主は客の相手に手一杯で、エフェスが来たことに気づいてもいない。

 仕方がないといった感じでエフェスはヴァリウスの隣に座ると、手拭いが渡された。これで雨を拭けということだろう。


 ただの旅人にも見えない者も多い。多くが着の身着のままというなりで、パンを貪り食いカップを呑み干すいずれの顔にも切迫感や悲愴さがある。


「ああ。本来なら巡礼の時期でもここまで人は増えない。元が大陸公路や街道から外れた田舎町だし」


 このテオンスの町はジュハン森林で伐採された木材の保管先である。街道からやや遠く、そのためにさしたる軍事的価値もないものとみなされたままだ。


「難民だよ、エフェス。あの一家もだ」

「国境付近からのか」

 

 クーヴィッツは領土の北側でロイデンやムナモロスと国境を接する。だが破竹の勢いで南下侵攻を続けるガウデリス覇国はロイデン、ムナモロスの二国を手中に収め、二方面攻勢を仕掛けてきた。クーヴィッツ軍の善戦虚しく国境地帯は奪われ、結果として国境沿いの町村民はクーヴィッツの内地へ雪崩れ込んだ。覇国軍は多くの民を捕らえ、奴隷として北へ送られたという。

 

「覇国の手から逃れた民も少なくはないが、難民も難民で大変さ」


 ヴァリウスは酒に指を漬け、その雫でカウンターテーブルに絵図を描いた。簡単な地図である。

 

「こんなもんか……一家が住んでたのは、ロイデン側の国境沿い、街道近くの村だ。このあたりって話だな」


 そう言ってヴァリウスは一点を指差した。


「そこから街道を南下してクーヴィッツ側に入ると、少し進んだところで街道は二股に分かれる。そのまま南に行くとテレタリエ市に通じるルート、南東へ進むと山岳地帯を通って都のラッセナに行くルートだ」

「……長いな」

 

 指でなぞられる酒の概略図見ながら、エフェスが呟いた。彼自身も地図を持っているし、おおまかな地理も頭に入ってある。その上で親子の経路を長いと言ったのだった。


「そう。長い。一家はラッセナが目的地だ。南東街道を行くつもりだったが、たまたま通りかかった俺が止めた。街道を通る難民目当てに覇国軍が人狩りを出しているからだ」

「まるで我が物顔だな」


 エフェスは顔を上げた。人狩りだけでなく、魔殖樹も広域に渡って()えている者たちもいるのだ。


「国境は実質崩壊してるし、街道を護るはずの国境守備隊も国防軍に編成されちまったからな。難民も盗賊を追っ払う程度の戦力なら集められるだろうが、何しろ覇国は千単位の部隊を複数編成して人狩りをさせている」

 

 ヴァリウスはそこで一度語を区切り、酒で喉を湿らせた。

 

「そして人狩り部隊には幻魔兵が編成されているとも言われている――事実そうだったがな。とにかく、対処は無理だ。出くわしたら大体は捕らわれるか、死ぬ」


 ここで店主がエフェスに気づき、詫びてきた。エフェスはミルカ一家と同じものを注文したが、トマトが切れたらしいのでパンとスープを頼んだ。


「幻魔兵を見たことは、ヴァリウス?」

「ある」

「交戦経験もありそうだな」

「まあな」

「その拳でか」

「何度も闘いたくはない相手だ」


 ヴァリウスはカップを呷った。幻魔兵を倒せる者は少ない。ワーグを絞め殺せるヴァリウスでも、百体ものゴベリヌスに襲われればいずれ力尽きるだろう。

 

「師匠! エフェスさん!」


 ミルカが来た。その父母もいた。中年の農夫らしい日に焼けた顔である。

 

「ソーヤーと申します。娘を助けて頂き、ありがとうございます」

「行きがかり上のことだ」


 頭を下げるミルカの父に、エフェスはむず痒い思いで返答した。


「何か私らにも出来ることがあればいいのですが」

「俺は酒は嗜まないし、そう多く食う必要もない。あなた方こそ旅路は何かと物入りだろう。気を使う必要はない」

「いいじゃねえか、エフェスよ。酒くらい奢ってもらえ。まさか呑めない訳じゃないだろうが」


 ヴァリウスが馴れ馴れしく肩を寄せた。

 

 エフェスの料理が来た。玉葱スープにパン。余程料理が下手でもない限り不味くはならないメニューである。スープには申し訳程度の腸詰肉が入っている。


「私らはロイデンの辺境、デーナ村に生まれ育ちました。家内とは幼馴染でしてな。家名も要らぬような狭い村です」


 ヴァリウスが勝手に酒を注文し、エフェスの方に寄越した。カウンターの余った空間にソーヤーが、その膝の上にミルカが座った。妻の方は会釈して、宿の方へ行くようだ。


「上の娘がクーヴィッツの若い商人と好き合って、ラッセナへ嫁に行ったのです。当時は反対もしたのだが、男の方も悪い人間ではないし、結局私の方から折れました」

「お父さん、義兄さんと殴り合った話しないの?」

「こら、ミルカ!」

「なるほど、婿殿の苦労も思いやられる」


 ヴァリウスが愉快そうに言った。生粋の農夫であるソーヤーの体躯は、ヴァリウスほどではないにせよ頑健だ。彼は頭をかいた。


「ええ……まさか今になってこの縁が役立つとは思いませなんだ。縁は大事にするものですな」

「で、どっちが勝ったんだ?」

「二人共熱を出して寝込む羽目になりましたよ。二つのベッドの上で話し合ってるうちに、意固地な気持ちが消え、やがて男のことが嫌いではなくなっていました」

「男と男が分かり合うにはな、そういう風に殴り合うのが一番だ、親父さん」


 武芸者らしいヴァリウスの言い分だった。尤もこの理屈にエフェスも頷けぬ訳ではない。人間は嘘をつくものだが、闘いだけは嘘をつかない。


「父さんも義兄さんもすっごいの! あたしはまだ小さかったんだけど、興奮しちゃった!」


 弟子入りする素地はあったのか。


「この旅の間だけな」

「まだ本格的な技を教わってない、師匠! あたしもゴベリヌスを一発で吹っ飛ばすの!」

「そのうち教えてやるよ」


 ミルカの抗議にヴァリウスはそう言ったが、あまりやる気はなさそうだった。控えめに笑い声を上げながら、ソーヤーがエフェスに尋ねた。

 

「エフェスさんの故郷はどこですかな?」

「龍脊山脈、龍巣村」


 短くエフェスが応えた。

 不意に、瞼の裏に在りし日の村の姿が蘇った。鮮やかな青い空の下、眼下には山々が連なる。そこには山の下の学者でも名を知らぬような花々が咲き、珍しい鳥獣がそこかしこに巣を為している。

 

 高地の風に長い白髪白髯(はくはつはくぜん)をなびかせる祖父。刃を潰した剛刀で素振りをする父。顔も朧気な、しかし美しかった母。優しい祖母。天龍剣の門人とその家族たち。もう十五年近くも前の記憶だ。

 

「高地の方々ですか。御家族は?」

「母は、幼い頃に死別した。父は殺された。祖父は殺された。皆殺された」

 

 努めて感情を表に出さないように、エフェスは酒を呑んだ。流れ込む酒に胃の腑がかっと熱くなった。ソーヤーはばつの悪い顔をした。

 

「……申し訳ない、エフェスさん」

「謝る必要はない」

 

 ソーヤーという男は善人なのだろう。龍脊山脈に関する知識もないようだ。知らぬが故の善人の過ちを、エフェスは咎める気にはなれなかった。

 

 瞼の裏の情景は突如炎に包まれ、真っ赤に染まっていた。それが、龍巣村に於いてエフェスが最後に見た光景だった。

 

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