第1章6 『追い討ちのオーバーチュア』
杜若朱音、学年は3年で陽芽ノ女学院の生徒会会長を務めている。昨夜、そんな彼女は初対面のボクに対しても冷淡な反応しかせず、自己紹介を程々に自室へ戻って行った。
朱音さんのお付であり副会長を務めているのは、雨宮桜で一緒に食堂から出ていった。一体どうしたらこんな空気になったのか、どうして朱音さんは千桜さん(ちさ)に冷たい声で『お姉さま』と言ったのか。
ただボクがそう聞こえていただけなんだろうか、そうだとしてもあの場の空気は重く暗く寒さだけが漂っていた、千桜さんと朱音さんの間に何かあるのは間違いない、ボクは何かできるのかな? 少しでもそんな事を考えたけど、今のままのボクでは話なんて聞いてくれないだろう。
今はとりあえず様子を見るしかない、ボク自身男だとバレたら一瞬で終わりなんだ、下手な事はできないししない方がいい。
昨日の事は一度忘れて、今はメイクを仕上げよう。今日は残りの2人が寮へ帰宅するようだし、気を取り直してしっかりと挨拶をしよう。
ボクは気合いを入れて白愛に変身していく、彼女の代わりに彼女が歩むはずだった人生を、ボクが代わりに歩いていくと決めたんだから。
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だがそんな気合いも空振りとなった、ボクはメイクを済ませ朝食の時間に間に合うよう、早めに部屋を出た時だった。扉を開けて廊下に出ると、朱音さんが丁度陰から現れた。
別にそこまでは良い、住んでる以上は出会う事なんて腐る程あるだろう。ボクは彼女に挨拶をしようと、出来るだけ笑顔を作り声を出そうとした時だった。
「あ、貴女……そこで何を……何をしているの……」
「え? そこでって、私の部屋はこの7号室で」
「何ですって…………」
昨日見た時より酷い表情でボクを見ている、まるで空き巣に入った泥棒と鉢合わせしたような表情。そのまま何も無く終われば良かったんだけど、彼女はボクに近づいて腕を強く掴みながら、
「貴女の様な方が使っていい部屋ではありませんッッッ!!!」
「な!? い、痛いです朱音お姉さま!」
本当は痛くなんてない、ここで無言のまま居る方が変に怪しまれるかも知れない。朱音さんの叫びの声は食堂にまで響いたらしく、慌てて階段を駆け上がって来る足音が聞こえてきた。
すぐに割って入ったのは千桜さんだった、ボクには何が何だかわからない。この部屋を使っちゃいけないとか聞いていないし、もっと言えばここを使うように言ったのは千桜さん本人だった。
「朱音さん落ち着いてください」
「お姉さま……!?」
千桜さんをキッと睨みつける朱音さん、その後桜さんもこの場に現れ一度食堂へ行くように話を付けた。本当にどうなっているんだ、ボクがここに来る前からこんな状態だったのか?
考えてもわからないのは当然、ボクはここに来て2日しか経ってない。まだ学院すら通っていないのにこんな空気だと余り良い印象が持てない、ちゃんと話を聞いて事情を知れば部屋替えだってできるはずなんだから。
食堂に皆を集めると少し落ち着いたのか、朱音さんも息を荒立てる事はなかった。だが話し合いは始まっていない、お互いに沈黙のまま向かい合って座っている。
そこで何も知らないボクからあえて質問をする事にした、知ってる人が喋るより無知なボクが発言をすれば理由くらいは答えてくれると思ったからだ。最初は下手な真似はしないつもりだったが状況が変わったんだ、これからも住みやすくする為にもまずは動こう。
「私が住んでるあの部屋は、何かあるのでしょうか?」
「…………」
「エーレナ様」
桜さんは朱音さんの事を『エーレナ』と呼んでいるみたいだ、何ニックネームか何かだろうか。今はそんな事どうだっていい、とにかく知らないとダメな気がする。勝手な思い込みだけど、朱音さんにとって大切な場所なんじゃないだろうか、そうでなければ『貴女が使っていい部屋では無い』だなんて言わないはずだ。
質問したボクの顔を見ずに黙ったままで中々進展しない、正直困った、雪美さんはオドオドしてるし、千桜さんも朱音さんを見つめたまま喋らない。
それを見兼ねたのか、キッチンから見ていた寮母さんが口を開いた。
「白愛さんが使っている部屋はね?」
「り、寮母さん!?」
「話が進まないなら、無理矢理進めないとダメなんじゃないかい?」
苦笑いの寮母さんは朱音さんの制止を無視し、7号室の話をボクにわかりやすく説明してくれた。
あの7号室には去年の冬まである上級生が使用していたそうだ、その上級生は朱音さんを本当の妹見たいに接し、優しくしたり時には叱ったり、年長者をしっかりと全うしていた。当時のエヴァンスシスターだったその上級生は、元々身体が弱く入退院を繰り返していた。
それでも苦しそうな顔を何一つせず、いつも笑顔でこの寮に住む下級生達と過ごしていた。7号室にはよく朱音さんもお邪魔してお茶をしたり、悩みがあれば真っ先に朱音さんは7号室の扉を叩いていたようだ。
「だけど去年の寒い朝にね、眠ったまま起きなかったんだよ」
「眠ったまま…………」
前日まで元気だったそのお姉さまは、朝食の時間になっても食堂に現れなかった。気になった朱音さんは7号室へ向かう、ノックをしても返事が無く慌てて中へ入ると。
テーブルには毎日書いていた日記と、名前が記入されたエヴァンスシスター投票に必要な紙を残し、目覚めることが無かった。
どうしてボクが7号室から出てきた怒ったのか、その理由は『朱音さんの思いでが詰まった』場所だったから。そこに昨日今日やってきた奴が出てきたら、怒ってしまうのもわかる。
「そういう理由なら私は部屋を移動します」
「そう……それなら早く……」
黙って寮母さんの話を聞いていた朱音さんは、ボクが部屋を出る事を告げると煙たがるように急かしてくる。だがそれを許さなかった人間が居た、
「ダメです。白愛さんは引き続き7号室を利用してください」
「お姉さま!!」
千桜さんは冷静な言葉で朱音さんを反対する、朱音さんは千桜さんを再び睨みつけながら声を上げた。ボクが部屋を出れば済む話なのに、どうして千桜さんは頑なに7号室を使わせようとするのか。
それにまだ気になることがある、朱音さんはどうして千桜さんに対して敵意をむけているのか、こればかりはボクが踏み込んで良いのかわからない。
結局話し合いは上手くいかず平行線、朱音さんは頭に血が行き過ぎたのか体調を崩し桜さんが部屋まで付き添っていった。朝食の時間はとっくに過ぎてしまったが、寮母さんはテーブルに料理を運んできた。
今日の朝ごはんは何だか味気ない、美味しいはずなんだけどこんな暗い事ばかりだとボクも耐えられない。そして、残りの2人はお昼過ぎに戻ってくると連絡があったようだ。
「学院生活、大丈夫かな……」
小声でポツリと呟くボク、チラッと千桜さんを見ると、悲しそうな表情で紅茶を口にしていた。ボクはアイスティーのはずなのに、タンニンを多く含んだように強い苦味を感じてしまう。
この苦味は多分、上手く無くせば甘くなるはずなんだ。苦味を消すためには中和しなきゃいけない、それはまるで今の状況を表してるかのよう。辛い事のあとはきっと良いことがあるはずなんだ、だから、白愛、ボクに力を貸してくれないか。