第1章4 『小鳥遊』
初めて来た場所でゆっくりと眠れるか心配だったボク、昨夜はちょっとバタついていたおかげか、ベッドに入るとすぐに眠りにつく事が出来た。目覚ましを仕掛けていた訳じゃないけど自然にパチッと目が開いた、寝汗も特に無く気持ちのいい朝を迎えた。
ベッドから身体を起こす、まだ頭が回転しないせいでボーッとしている。カーテンが閉まった部屋は薄明るく、まだ早朝と言う事で静まっている。
ボクは目をゴシゴシっとパジャマの袖で拭う、その時視界に入ったパジャマの袖を見て思い出す。そうだった、ボクは今可愛いクマさんのパジャマを着ていたんだったと。そして何より頭が冴え始めると、自分が履いている下着にも究極の違和感を覚える。
ボクは今人生最大の屈辱を味わっている気がする、女性の下着を履いて過ごすとか色々人としての尊厳を捨てないとまず無理だろう。まぁ捨てる捨てない以前にそんな物をまず使わない、男なんだから当たり前だ。
でも今の世の中は『オカマ』と言ったジャンルがある、テレビでもよく芸能人の中にチラホラと出てくるが、あの方達は女の下着を身に付けているんだろうか。ここまで来るといっそ気になってくる、別に仲間意識とかそんなんじゃないけど今は何かにすがりつかないと精神崩壊しそう。
「これも白愛の為、か」
ベッドから抜け出しカーテンを開ける、眩しい太陽が部屋を明るく照らし闇の世界を消し去った。ボクは化粧台に座り昨日教わったメイクを開始する、今はメモを見ながらじゃないと上手くできない。
乳液のボトルを掴み適量を手のひらに垂らす、自分でも本当に何やってんだろうって思ってる、なるべく考えない様にしないと一つのミスで全てが終わる。バレないように生活をするって事は、万引きをした少年が店内をずっと商品をポケットに入れたまま歩き回るのと似てる気がする。
いつ見つかるか、挙動不審じゃないか、表情は固くないか、言葉は不自然じゃないか。きっとストレスになるだろう、それでも断らずに自分からやると決めたんだから、しっかりしないとダメだ。
「えーと、次は……」
今は朝の6時、ボクは朝から『白愛』になるため、必死にメイクを仕上げていった。
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ボクがこの寮にやって来てまだ1日、しかし夏休みは後半戦へと突入していた。この寮にはボクと千桜さんだけが住んでいる訳じゃない、話によると後5人の女の子が住んでいるが今は帰省中の為居ない。
この居ない期間に学院で上手く生活していけるように、寮にある食堂で千桜さんがルール等を説明してくれた。基本的に学院敷地内で行動する場合は『制服』で居なければならない、これはこの学院がキリスト教を主軸として置かれているのが理由で、崇敬している事を意味しているようだ。
制服はロングスリーブのタイプと一般的なセーラー服の二種類あり、夏は白冬は黒と分かれている。二種類の制服は好きな方を選ぶ事ができる、大人しめの子はスリーブだったり活発な子はセーラーだったりと好みで変わる。
寮内は私服で行動しても問題ないようだ。そして寮で住むと嬉しいメリットが存在する、食堂にあるホワイトボードに名前を記入して置くと、寮母さんの手作りお弁当が翌朝渡されるのだとか。
学院にはもちろん食堂がある、じゃあお弁当なんて必要無いんじゃないか? とボクも疑問を抱いて居たが、理由を聞いて納得した。学院外から登校してくる生徒が利用する為に食堂が必要なのと、味に飽きた場合なども考え両方使えるようにしているらしい。
千桜さんからの説明を聞き終えると、ボクはいくつか質問をする事にした。この説明会を開く前に千桜さんから受け取った学生手帳の内容について、気になった部分があった。
「この『エヴァンスシスター制度』ってなんでしょうか」
「この学院特有の制度でして、一年に一回総投票が行われます。その中で一番票のある方が学院生徒の手本として『お姉様』と呼ばれるのです」
陽芽ノ女学院では、生徒同士苗字で呼ばず名前で呼ぶのが普通で、下級生は上級生に対して『〇〇お姉様』と語尾に付ける。しかし、エヴァンスシスターに選ばれた生徒は下級生上級生関係なく『お姉様』と呼ばれるそうだ。
この制度は学年関係無く選出される事もあり、気に入った子、信頼出来る子等理由は様々。この学院が掲げるモットーは『誠実』と『寛容』そして『慈悲』
まずここに居る時点で、ボクに誠実なんて綺麗過ぎる言葉は無い、それは今置いておくとしよう。規則だけを聞いていると堅苦しいイメージや厳しいルールだと思うが、千桜さんが話すには『情操教育ですので、実際は緩いですよ』との事。設立されたのが今から遥か昔の大正時代と言うのだから、現代の学院イメージとは色々と違って見えていた。
説明を聞いていると時間はあっという間に過ぎていく、千桜さんは『大体の説明はこのくらいです』と、ニッコリしながら説明会は終わりを迎えた。座っていたテーブルから立ち上がろうとしたボク、そこで『あ、忘れていました』とボクの動きを止める声をあげる。
「どうかしましたか?」
「恐らく明日以降には皆さん戻られますので、色々と気を付けてくださいね?」
「い、いよいよなんだ…………」
明日以降、つまり明日かも知れないし明後日かも知れない。千桜さんの『気を付けて』は『覚悟して』と同義の様な気がした、ボク的にまだまだ心の準備なんか出来ていない。急に心臓がバクバクし始める、別にまだ帰ってきていないけど考えるだけでちょっとヤバいかも。
とにかくこれからはもっと大変なんだし、しっかりしないといけない。予想がつかない事が起きても冷静な判断ができるようにしないと、ボクは今から女だ、ボクは今から白愛なんだ、そうだ、そうに違いない。
どんな困難だって上手く立ち回って見せる、一度深呼吸をして心を落ち着かせていると食堂の扉が開かれた、寮母さんだろうか。
「たっだいまあああ!!!」
「―――え?????」
予想がつかない事が起きてしまった。