第一章3 『これが、ボク?』
ねぇ、白愛。
ボクは君の最後のお願いを必ず叶えたいんだ、例え我が身に何が起きようとも成し遂げたいんだ。もう君の声や顔を見る事はできないけど、きっと君はいつもそばに居てくれてるって信じてる。
本当はボクなんかじゃなく、君がこの舞台に立つはずだったんだ。それなのに君は突然この物語から居なくなってしまった、君の代役でこの長いようで短い時間を過ごさなければならないと思うと、正直不安と自己嫌悪に襲われてしまう。
誰かに嘘をついて無事に終わらせることなんて出来るのかな、いや、やらなくちゃいけないんだ、弱音を吐く暇があるなら前向きに進まないと、失敗ばかりを量産することになる。やってやる、ボクは完璧な、完璧な、
―――白愛になりきってやるんだ。
と、ボクは強く自我を保つのが精一杯だ。
今まさにボクは化けている最中で、とりあえず目を閉じているのだがスポンジを頬にあてられる感触、ペチペチと顔全体を軽く叩いてきたり、髪をくしでサッと流したり。
あー、今どころかずっと目を開けたくない。多分開けたら発狂する前に気絶する自信がある、男のボクが目を開けたら鏡に映る自分を自分だと言えるだろうか。
思考がどんどんマイナスな事ばかりでいっぱいになる、白愛がもし生きていたとして今の状況を見たら何と思うだろうか、大爆笑されるかもしれない。あー、こんな兄を許して欲しい、君がお願いしたんだから笑わないで欲しい。
そして化粧を開始してから小一時間、『よし、できましたよ?』と千桜さんの口から死の宣告を受ける。こんな死刑のされ方は惨めだと思う、まさにひと思いにやってくれと言いたい。
「う…………」
「薫さん?」
「わ、わかってます! ちょっと心の準備が」
「大丈夫です薫様、すごくお綺麗です」
うわあああ!! 嫌だ! 男で綺麗だとか言われたくないよおお!! 開けたくないけど開けないと何も始まらないのはわかってる、でも本当に心が折れそうなんだよ。
人生でこんな日がやってくるだなんて思いもしなかった、まさか化粧をする日が来ただなんて、過去のボクがこれを見たら間違いなく指をさして笑ってるに違いないんだ!
く…………覚悟を決めろボクッ!! 一気に真っ暗闇の世界から、現実へと目が覚めると。
「!?」
「ふふ、どうですか?」
「どっからどう見ても、薫様は女の子ですね」
自分が座る正面には鏡がある、そこに写っているのはボクであってボクじゃない。長く艶のある黒髪、肌は綺麗で柔らかそうな頬、パッチリとした瞳、ナチュラルメイクとは言えここまで自分が変わるとは思わなかった。
思わず最初の一言が、
「白愛…………」
ベッドに居ても綺麗にしていた白愛が、今自分の目の前に居る様に見える。もう居ないはずの彼女が生きているような、そんな錯覚を受けてしまう。
指先で自分の頬に触れる、ゆっくりとなぞるように動かしていく。あんなにも近くにいた白愛、でももう触れることすら叶わない、その瞬間ボクは堪らなく悔しさと寂しさが一気に押し寄せてきた、目が熱くなる感覚、溜まりに溜まったそれは、ツー、と頬を伝って流れ落ちていく。
「薫さん」
「すみ……ません……」
「いいえ、薫さんは白愛さんの事が大好きなんですね」
ボクはシスコンだろう、周りから見てもいつまでもずっと一緒に居たくらいだ。そう思われても構わなかった、白愛のおかげでボクは部屋に引きこもる事から抜け出せたんだ、大切で大事な家族。
君のためにボクは何ができるのかな、白愛が生きている間にいっぱい考えてきた。残念な事に何かをやる前にこの世から消えた、だからこそ最後のお願いくらいしっかり叶えてやりたいんだ。
「はい。ボクは白愛を愛していますから」
「ふふっ、ならこれからは忙しくなりますね」
「薫様。ナチュラルメイクのやり方を教えますので、メモを準備してくださいませ」
そうさ、まだこれは前奏曲。
まだ何もかも始まりに過ぎない、白愛を喜ばせるにはまだまだ早い。お兄ちゃんがんばるから、だからずっと応援していて欲しい、白愛にやれてなかった事沢山してみせるから。
ボクはメイドの神楽さんからレクチャーを受けながら、真剣にメモをしていく。静かな寮はいずれ賑やかになっていく、まだまだ知らない女の子がこれから友達になったりする。
がんばるよ、がんばるから、待ってて白愛。
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メイク指導を受けてから少し時間が経った、窓の外から指す夕陽は部屋の中を茜色に照らす。灯りをつけるよりこっちの方が暖かい、もっと言えば気持ちを落ち着かせてくれる。
家から持ち出すはずだった荷物は、神楽さんが届けてくれる見たいで今はそれを待っている。千桜さんは一度自分の実家へ戻った。
今日からこの小鳥遊寮で暮らす事にまだ実感を持てていない、内装は女の子らしいとは言えないシンプルな作り、白い壁紙は汚れた部分も一切無くボクが来るまで誰も使用していなかった。
もしかしたら掃除された後かもしれない、そう思ってたんだけど。化粧台は埃が酷く、クローゼットの中も埃っぽかった。これから生活するなら軽く手入れをしないと体調を崩すかも、でも掃除用具なんて何処にあるかわからないし、勝手に何かする訳にもいかず。
結果的にベッドへ腰を下ろして、部屋を見渡すくらいしかやることが無かった。ちょっと挙動不審かも、落ち着いているはずなんだけど気持ちの何処かで不安が付きまとっているのだろう。
少しだけ溜息を吐く、後悔じゃなく、不安。人は気持ち一つで不安になったり安心したりできる、それがストレスにならない様にする為には行動するしかない。動き出さなきゃ不安なままなんだから、自分に言い聞かせていくので精一杯。
コン、コン。
「あ、はい」
思考を巡らせているとノックが聞こえてきた、もちろんドアを開けて入ってきたのは神楽さん。肩に旅行バッグを引っ掛けて姿を現した、本当にメイドさんは優しいと思う。仕事だとは言え不満を一切口にせず、嫌な事もしっかりと引き受けてやり遂げる。
簡単な仕事では無い、何か秘訣でもあるんだろうか、今度聞いてみようかな。
「お待たせ致しました、こちら薫様のお荷物です」
「ありがとうございます」
カバンを受け取ると早速中身を出すためにチャックを開けていく、予め屋敷にいる時に着替え等を適当に詰めたんだけど、やけに綺麗な状態で服が畳まれたりしている。
そこで見た事の無い物が数々現れる、待て…………
待て待て待て待て待て待て待て待て!!!!
ボクはカバンをひっくり返して中身を床へ、ドバっと吐き出させる。屋敷で詰め込んだ着替えもある、だけどそれは1割にしか満たしていない、その他9割はどっからどう見ても私物じゃないし、これは………………
「お、お、お? おん!?」
「何かお気に召しませんでしたか?」
「お! お…………お!?」
「はい?」
女の子の下着じゃないかあああああああッッッッッ!!
手に掴んだ黒い下着を広げると何とエロい、大人の女性が身につけるとんでもない代物が沢山出てきた。
男には必要無しのブラだとか、スカートフリフリの普段着だとかヤバいのが続々と床に大公開されていた。確かに完璧な白愛になりきるとは誓ったが、ブラとかパンツとか目に見えない所までやるとは言ってないし誓った覚えもない。
目を白黒させているボクを神楽さんは、『女性の嗜みです』とボクの心臓を止めるにはじゅうぶんな言葉のナイフを刺してきた。
「これ本当に付けるんですか?」
「はい。ご両親には許可を得ています」
「父様母様…………!」
今何かが崩れ落ちていく音が脳内で聞こえた、神様ってたまに酷い仕打ちをしてくる。こんなの付けたらただの変態じゃないか! ダメだ泣きそう、本当に泣きそう。
しばらく思考が停止していたボク、やるなら完璧でとか思うもんじゃない、ちょっと手加減して欲しかった。心を失ったボクはクローゼットや収納棚に荷物を片付けていく、多分この時のボクは完全に感情の無いロボット状態だった。
最後に自分の本来着る普段着を片付けようとした時だった、持ち上げたのと同時に、カタン、と床に何か落ちる音がした。一度服をベッドへ置いて落ちたものを拾うと、
「写真立て、どうして……」
屋敷に置いてきた白愛が写った写真立て、カバンには入れなかったはずなんだけど。
もし持ってきたとしても、胸が苦しくなると思ってわざと部屋へ残してきたのに。まだ元気な時の白愛がこちらに向かって笑顔で写っている、最後に見た日と比べても分かるくらい血色も表情も太陽の様に眩しく、今にでも飛び出してきそうだ。
ボクは神楽さんの顔を見てしまう、『どうしてこれが?』と聞いてしまう前に先に言われてしまう。
「大切な家族を置いていかれるのはいけません。きっと白愛様も寂しいお気持ちになられます」
「神楽さん……」
「白愛様は今でも貴方の中に生き続けています、それに……」
少しだけ間を置く神楽さん、目を瞑り何を考えているのかボクはわからない。でも間違った事は言わないと思う、いつも千桜さんの事を思い正しい方向へ導いている。
「頑張る薫様をいつまでも見守っているのは、他でもない白愛様ですから」
本当に色んな人に愛されているんだ、白愛はすごく幸せ者だと思う。そんな妹を持てたボクも、本当に幸せ者なんだ。