プロローグ 『ラストコミュニケーション』
ある日妹はボクに部屋へ来るように呼び出されていた、普段は自分からこちらの部屋へ来るのに今回だけは少し違っていた。もちろん断る理由は全くない、可愛い妹が兄を頼りにしてくれているのだから。
ボクは妹の部屋までやって来ると、コン、コン、とゆっくりノックをした。部屋の中から『どうぞ』と返事が聞こえる、扉を押し出して中へ入ると少しだけ薬品の臭いと、電子機器の音が一定のリズムを刻むように部屋に響き渡る。
そう、妹は病名がわからない病気にかかってしまい、外出は疎かボクの部屋まで歩いてくることさえも重労働。それなのに毎日車椅子も使わずに歩いてやって来る、歩くのが大好きで病気が治れば外に散歩に行く夢がある。
だがその病気は完治するかわからない上に、長くは生きられないかも知れないと医者も言っていた。何の病気かわからない以上手の施しようがない、それでも妹は悲観的にならずにポジティブに1日を過ごしている。
そんな妹が部屋に呼び出した理由は何だろうか、今のボクには一番の悩みかもしれない。
「どうしたんだい、白愛」
「薫お兄様、すみませんお呼び立てて」
「いいんだよ。それより何かあるんだろう?」
やっぱり日に日にやつれて行くのがわかる、見てるだけで苦しくなる。変われるのなら変わってやりたい、そんな気分にさせられてしまう。白愛の華奢な身体をジワジワと蝕んで行く悪魔が憎い、でもボクには何も出来ない何もしてやれない。
それでも白愛は一切辛そうな顔を見せない、本当に強い子だとボクは思う。白愛とボクは一卵性双生児で所謂双子、見た目は全くと言っていい程にそっくりで声も少しだけ似ている。違いと言えば身長と胸があるかないかくらいだ、髪も長く真っ黒で艶がある。
男であるボクが髪を伸ばしたままなのはどうなんだろう、切るつもりでいたのだが白愛は、『素敵な髪でお揃いなんですから、切らないで欲しいです』とわがままを言われてしまった。病弱っ子と言えば聞こえがいいのかも知れない、そんな妹にお願いをされたら断れなかった。
シスコンだ、ボクは多分シスコンなんだ。妹の願いならなんだって叶えてやりたい、兄としては当然の義務だと思っている。だが、今回の『お願い』だけはボクにとってこれからの人生を大きく変えてしまうモノだった。
「薫お兄様」
「また何かわがままかい?」
「…………」
少しだけ沈黙。
相当言いづらい事なんだろうか、じーっとボクの目を見たまま微動だにしない。少しだけ深呼吸をした後、白愛は直球でボクに重くて速い言葉のボールを投げてくる。
「白愛の代わりに女学院に通ってくださいませ」
「…………え?」
「白愛の女学院に通ってくださいませ」
「い、イヤイヤ聞こえてるよ」
突然白愛は自分の通う女学院に通ってくれと頭を下げてくる、どうしてなのかまだ理由を聞いていない。白愛はその女学院に入ると同時に病に倒れ、全然授業も参加出来ていない。つまり友達も居ない、入学式以降学院には通えていない。
今は6月、2ヶ月以上も休んだままでクラスの子の顔も知らない。担任の先生は週に一回ペースで白愛に会いに来るが、それも忙しくない時にしか来れない。
「お願いします、薫お兄様にしか頼めないです」
「あそこは女学院だよ? ボクは男だし…………」
「見た目だけではバレないはずです、ですから―――」
そこまで必死にお願いしてくるのは初めてだ、だからボクはちゃんとした理由が知りたい。
「でもどうしてなんだい? 理由はあるよね?」
「お母様から聞きました、薫お兄様は不登校だと」
「母様、話しちゃったのか」
ボクは男子校に通っている、何故不登校になったのかと言えば簡単な話で、容姿によるイジメが酷く通うのが辛くなったのが理由だ。後ろ指を刺されながら生活をするのはストレスになる上に、自分を何かに追い詰められそうになる。
白愛はそこで女学院に通う事を母や父に進めた所、二人も最初は微妙な顔をしていたそうだ。しかし母はその学院の卒業生であり、現在の女学院長とは腐れ縁らしく話をしてみた所、『面白そう』などと言っていたそうだ。
「勝手に話が進んじゃってるじゃないか……」
「ですから、もう一度だけ。お願いします薫お兄様」
「んー…………」
「白愛は、学院での生活などをお兄様から聞きたいのです」
参った……まさかこんなわがままをするだなんて、ボクはどうすればいいんだ。この時のボクは改めて答えを出すと白愛に伝え、その場を後にする。
白愛も『はい! 待っていますから』と笑顔でボクにはそう告げた。何ですぐその場で答えを出さなかったんだろう、どうして悩んでしまったんだろうと、酷く後悔する事になった。
その話を白愛にされてから3日後の朝だった、いつもの様に屋敷に居るメイドが白愛の部屋に訪れた時、ノックをしても返事が無く慌てて扉を開けた所。
―――白愛は眠るように息を引き取って居た
すぐに医者を呼び出し救命を試みるが、心拍数を刻む機械はずっと真っ直ぐの線のままで、白愛の命は若い年齢にして時を刻む針を止めてしまった。
母は泣き崩れ、父は拳を強く握りしめ、ボクは猛烈な後悔と言う荒波に飲み込まれていた。しばらく皆は動くことが出来ず、ようやく頭が回転し始めたのも夕方になってからだった。
妹が最後のわがままとして頼まれた事は、ボクに『女学院へ通ってもらう』事。
どうして最後の最後がそんな無茶振りなのか、兄としてはかなり複雑な気分ではある。でも、白愛はきっと今でも亡くなった今でもボクの返事を待っている。
後悔なんかしてる暇はない、白愛の為に何かをしてやれるチャンスなんだ。
ボクはもう綺麗にされた白愛のベッドに向かって、
「わかったよ、白愛。キミのわがままを叶えてみせるよ」
ちょっと泣きそうで掠れた声、それでも今泣くのは我慢しよう。ボクはこれから『女学院へ通うことに』なるのだから。