婆羅門杉(ばらもんすぎ)のご坊
猯穴 まみあな で鴨料理を出し始めて。。
二日ばかり経った頃。。
客も引け始め。。
そろそろ暖簾を外そうと
笹が戸口を開けた その時。。
ざあ~っと 大風が吹き。。
店の前に。。男が一人。。
月明かりに照らされて立っていました。。
「いらっしゃいまし。。あっ! ご坊!
ぜんさん!ぜんさん! ご坊がお越しです!!」
笹は 弾んだ声で店の中に呼ばいました。。
ご坊と呼ばれた男は
柔和な笑みを浮かべながら。。
「笹。。久しいの。。息災か。。」
「はい。ご坊もお変わりなく。。嬉しおす。。」
「おおきに。。相変わらず別品やのう。。笹。。
茗荷も息災か。。」
「ふふふ。。おおきに。。
おかげさんで 茗荷も息災です。。
今 奥に景さんといてますさかい。。
すぐに呼んできます。。
ご坊はこちらでお待ちくださりませ。。」
話しながら 笹は。。
店の奥の間にご坊と呼ばれた男を招き入れ。。
お茶を出すと 急いで姿を消しました。。
笹と入れ違いに
ぜんが顔を出しました。。
「ご坊。。お越しやす。。」
「おっ!銀の。。」
ご坊と呼ばれた男は
ちらりと ぜん の黒い髪を見ると。。
「おお。。そうか。。
せやった。。せやった。。
ここは 幽世とは違うさかいな。。
そうか。。そうか。。」
そう一人ごちて。。ほくそ笑みました。。
「ご坊。。おかげさんで。。
みな息災でやっております。。
ご坊のお越しに舞い上がってますわ。。」
二人は 楽しそうに笑い合いました。。
「今、料理を運ばしてもらいます。。
先日の。。 鴨づくしでございます。。
それまで。。
こちらで一杯 お楽しみくださりませ。。」
ご坊と呼ばれた男の前に
酒と付きだしが運ばれました。。
「おお。。酒やな。。
おっ!これは。。鴨を燻したやつか。。
いつも手え込んどるなあ。。」
ご坊と呼ばれた男は 目を細めました。。
運ばれた膳の上には。。
なんともひょうげた形の
織部焼の二合徳利と湯呑みがころんと載り。。
緑色の釉薬が たっぷりかかった皿には
桜色の鴨の切り身が美しく盛られていました。。
「ほお。。これはまた 見事やな。。
器も。。料理も。。」
鴨を口に運ぶと
「美味いの。。」
ご坊と呼ばれた男の顔が緩みました。。
そして 湯呑みの酒を口に含み。。
「とろり としたええ酒やな。。
ふむ。。だが。。ちょっとない香りや。。」
「さすが ご坊。。
こちらの酒は鹿屋野媛さんに
お分け戴いてる酒です。。」
「おお。。吉野の媛さんか。。そうか。。そうか。。
それなら この香り。。合点がいく。。
人の手で この酒は醸せんわ。。」
「確かに。。」
ぜん が微笑んで応えました。。
ご坊と呼ばれた男が
酒と鴨肉を楽しんでいると。。
「ご坊~!お越しやす~! 」
いきなり 襖が開き
少し酒の入っている景戒が
勢いよく座敷に入って来ました。。
「ご坊~!またご坊と会えるやなんて。。
嬉しなあ。。こんな嬉しことないわ。。
なあ。。ぜん!」
「ほんまに。。有り難いことです。。」
ぜん が大きくうなずいて応えました。。
「おおきに。。景さん。。わしも嬉しわ。。
まあ。。まあ。。座りよし。。景さん」
ご坊と呼ばれた男は 景戒に座るよう促し
景戒は ご坊と呼ばれた男の前に
腰を下ろしました。。
「今 景さんの酒持って来ますさかい。。」
ぜん が一礼して部屋から下がろうとすると。。
景戒が子供のように
「ぜん~! 鴨の切り身~! ようさん盛ってな~!」
ぜん は苦笑しながら 。。
はいはい といって出て行きました。。
「ご坊。。ほんまに久方ぶりやなあ。。
顔見るの え~っと。。百年ぶりくらいやろか。。
ほんまにどないしてはったん。。」
「ハハ。。えらい無沙汰ですまんことや。。
ちょっとな。。おもろい奴とおってん。。
そいつとおったら。。ほんまにおもろてな。。
あっちゃう間に 時 経ってしもてな。。」
ご坊と呼ばれた男は 景戒にそう言いながら。。
どこか遠いところを見ていました。。
「そうか。。そうか。。
もしかしたら。。
今日の話しは そのおもろい奴の話しやな。。
それは。。また後で ゆ~っくり聞かしてもらいましょ。。
それより 一杯やろ! 婆羅門のご坊!」
景戒が そう言い終わらぬ内に
茗荷が景戒の酒を持って入って来ました。。
ご坊と呼ばれた男に一礼し。。
景戒の前に膳を運ぶと 襖の前に控えました。。
「茗荷 おおきに~!」
景戒が 嬉しそうに礼を言うと
茗荷はにっこり笑いました。。
「茗荷 久方ぶりやの。。息災やったか。。」
「おかげさんで。。
ご坊 ほんまにお久しぶりでございます。。
また お会いできて。。嬉しおす。。」
「そうか。。そうか。。おおきに。。
景さんは ええの~ こんな別品さんらに囲まれて。。」
「ハハ。。この方らは
ウシロの神さんのお付きやさかい。。
わしら なんかよりご身分が上のお方。。
いっつも あごで使われてますわ~ 」
景戒は舌をペロッと出して見せました。。
「ほほほ。。ようそんなテンゴ言わはるわ。。
あの日から。。うちら。。
神さんにキツう言われてますから。。
景さんの面倒 しっかり見たれ!って。。」
「ほら!この通りですわ~
わしは。。死にぞこないやさかい。。
神さんとこのお二方とぜんがおらんかったら。。
な~んにもできへん。。
い~っつも ほんまに有り難いことですわ。。」
茗荷と景戒のやり取りを
ご坊と呼ばれた男は 酒を口に運び
嬉しそうに聞いておりました。。
少しして。。
茗荷が部屋から下がると。。
ご坊と呼ばれた男と景戒は
酒を酌み交わし始めました。。
「景さん。。この酒ほんまに美味いなあ。。
銀。。ぜん に聞いたら。。
吉野の媛さんのお手のかかった酒やそうな。。」
「せやねん。。
あこの婿神さん ほんまもんのウワバミやさかい。。
吉野の媛さん。。よそで呑むんやったら うちで呑み!
って ならはったんちゃうやろか。。」
「ハハハ。。なかむつまじいことやな。。
せやけど。。
よそで呑む酒は また違う味やねんけどな。。」
「ほんまに。。オホヤマの神さんも大変や~
まあ そのおかげで。。
うちの店は こんな美味い酒を 相伴にあずかれて。。
ほんまに有り難いことや。。」
「違いない。。違いない。。」
二人は顔を見合わせて笑い合いました。。
軽口を叩きながら。。
二人が酒を酌み交わしていると。。
ぜんが笹と一緒に 料理を運んで来ました。。
ご坊と呼ばれた男と景戒が向かい合う間に
炭のいこった火鉢を据え
その上にゴトクをのせて 鉄鍋をかけました。。
鉄鍋の中には 熱々の出汁がはられ。。
大振りの皿には
水菜と鴨の切り身が美しく盛られていました。。
ぜんが煮えた出汁に 鴨の切り身を入れると
鴨はサッと色を変え。。美しい油が浮いて来ました。。
それを見計らい 次に水菜を入れ。。
少しクタッとなってきたところを 鉢に盛り。。
煮えた鴨の切り身を入れ。。
その上から 熱々の出汁をそそぐと
それぞれの膳の上に置きました。。
「おお。。これは また美味そうな。。」
ご坊と呼ばれた男は 一口 出汁を啜り。。
「滋味やなあ。。ほんまに。。こんな美味いもん。。
あいつにも 食わしたりたかった。。」
そうつぶやきました。。
景戒は。。
ご坊と呼ばれた男が 鉢に口をつけるのを嬉しそうに眺め。。
自分もゆっくりと 熱い汁を啜りました。。
景戒は。。
ご坊と呼ばれた男のつぶやく言葉を黙って聞き。。
そっと。。ぜんに目配せしました。。
ぜんはうなずき。。静かに部屋を出て行きました。。
「ご坊。。なんや。。お辛そうやなあ。。」
景戒が静かにつぶやきました。。
ご坊と呼ばれた男は。。
景戒を じっと見据え。。
それから。。少し。。
何処か遠くを見るような 眼差しを送ると。。
おもむろに。。語り始めました。。