狸穴 まみあな
猿沢池の水面に。。
ゆったりと。。
月が浮かんでおりました。。
ざわり。。
池のそばを流れる川土手の柳が。。
風に揺れました。。
その風と共に。。
男が一人。。
とうに。。
店の明かりが消えた
料理屋「狸穴 まみあな」
の前に立っていました。。
その姿は。。
黒髪の長身。。
手には。。
十数羽の鴨を携えておりました。。
「ただいま 帰りました。。」
黒髪の男が
声をかけると。。
しばらくして。。
木戸が開き。。
少女が顔を出しました。。
「ぜんさん! よろしおかえり~
わあ。。えらいぎょうさんの鴨や~!
笹!笹! ちょっと来てみ~!」
少女は。。
弾んだ声で
店の奥に喚ばいました。。
黒髪の男は。。
木戸をくぐり。。
料理屋の中に入りながら。。
「茗荷。。すまんなあ。。
ちょっと。。採り過ぎたやもしれへんなあ。。
笹と一緒に下ごしらえ手伝うてや。。
それから。。
ウシロの神さんに
一番ええ鴨 お供えするさかい。。
そのまわりしてくれるか。。
ほんで。。
景さん どこ?
景さんも呼んで来て!」
料理屋の奥から。。
笹と呼ばれる少女が走ってきました。。
「わあ。。ぜんさん!凄い数や~!
こんだけあったら
冬中あるんとちがう~!?」
笹と喚ばれた少女は
満面の笑みを
黒髪の男に向けました。。
黒髪の男は。。
鴨を抱え。。
笹という少女と話しながら。。
調理場に向かいました。。
「そんだけも あったらええけどなあ。。
こんな数。。すぐに無くなるで。。
笹。。ほんまやったら。。
ウシロの神さん。。
こんな数。。お一人でぺろりやんか。。」
「ふふふ。。
ほんまに。。そうでしたわ。。
うち 奥の間で
お供えのまわりしてきますよって。。
ついでに。。
景さん起こしてきます。。」
「やっぱり!
寝とったんか! あの坊主!
まあ。。ええわ。。いつものことやし。。」
「ふふふ。。酒を
たんと召し上がってはりましたから。。」
「笹。。すまんなあ。。頼むわ。。」
いそいそと。。
笹は 奥の間の方へ姿を消し。。
黒髪の男は。。
調理場の土間に敷かれた筵の上に
採ってきた鴨を降ろすと。。
板間に腰かけました。。
木戸を開けた
茗荷と喚ばれた少女が。。
白湯の湯呑みを盆に載せ。。
黒髪の男の傍らに置きました。。
「茗荷 ありがとう。。」
茗荷は 微笑み。。
「ぜんさん
ほんまに。。お疲れさんでした。。」
「茗荷。。すまんけど。。
ウシロの神さんのお供えに
そこから 一番ええのん選んでくれるか?」
「承知しました。。
神さん。。喜ばはりますわあ。。」
「鴨は。。神さんの好物やもんなあ。。
四ツ足とは違うけど。。
まあ。。それは また次にでも。。」
茗荷の瞳が
怪しい色を湛え。。
うっすらと。。
口元がほころびました。。
「ほほほ。。四ツ足やったら。。
もっと喜ばはりますわなあ。。」
「ほんまに。。神さん好きやからなあ。。
ほんこの前。。
春日さんのお祭りで
ようさんお供えしてもらわはったとこやのに。。
年明けて。。ちょっとしたら。。
もう。。鴨 食いたい。。 って言わはる。。
まあ。。景さんが。。
鴨 食いたい!
って言い出したもんやから。。
神さんも つられてしもて。。
ほんまに。。
あの二人。。そっくりや。。」
黒髪の男と茗荷は
顔を見合わせて笑いました。。
しばらくして。。
奥から。。
大きなあくびが聞こえ。。
眠そうな目を擦り擦り。。
着流しにボサボサ頭の男が
調理場に入って来ました。。
筵の上の鴨を見るなり。。
黒髪の男に向かって。。
「わあ~! 見てみ~っ! ガンゴゼ~!
鴨や!鴨や! ぎょうさんの鴨や~!」
「はいはい。。景さん。。
見えてます。。
こんで よかったですか?」
「うん ええ! ガンゴゼ! こんでええ!!
ええもなにも! はよ食わしてくれ~!
タタキがええなあ。。
醂と醤油で
じゅわ~っと。。
柔らこう焼いたんでもええなあ。。
でも。。
薄う切った肉を出汁で炊いて。。
そこに やらかい水菜を
サッとくぐらす鍋も最高や。。
ほんで。。熱い酒で
きゅ~っとやったら。。もう。。言われんわ~
いや。。冷やもええやもしれん。。」
「はいはい。。承知しました。。
ですが。。
ウシロの神さんが お先ですから。。
そのあと。。
下ごしらえしてからになります。。
景さんが 召し上がれはるのは 明日の晩ですね。。」
「なんや~ そんなにかかるんか。。
はよしてな! 楽しみにしてるさかい。。」
「はいはい。。楽しみにお待ちくださりませ。。
それはそうと。。
帰りがけに。。
下之坊の大杉で ご坊にお会いしました。。
久方ぶりに。。
近々。。お越しくださいます。。
お話しをお持ちくださるそうです。。」
「ほう~。。
婆羅門杉のご坊かあ。。久方ぶりやなあ。。
話もか。。嬉しなあ。。
それはそれは。。
また 楽しみごとが増えよった。。
なあ!ガンゴゼ!」
着流しの男は。。
子供のように目を輝かせ。。
ガンゴゼと呼ぶ
黒髪の男に笑いかけました。。
「それは。。よう ございました。。
では。。もう。。おそうございます。。
ゆっくりお休みくださりませ。。
それから。。お忘れのようですが。。
人前では。。
ぜん とお呼びください。。
私どものようなモノにとりましては。。
名は。。命にも関わりますから 」
着流しの男の顔から。。
ぱっと笑みが消え。。
「うん。。せやった。。」
小さな子供が 怒られたみたいに。。
着流しの男は。。
所在なさげに うつむきました。。
「解っていただけたんなら。。
もう。。よろしいです。。
どうか。。次からは。。
お気をつけくださりませ。。」
ぜん と名乗る黒髪の男が
優しく諭すと。。
着流しの男は。。
神妙な顔で。。
こくん と頷き。。
それでも。。
すぐに気を取り直したようで。。
満面の笑みを浮かべながら。。
「ぜんさん おやすみ~! 皆も おやすみ~! 」
そう言って。。
調理場を出て行きました。。