3 自殺志願者
思いもよらぬ言葉に驚いた私は、改めて彼女を観察した。
――完全な無表情。そこからは感情も真意も読み取れなかった。
これから殺されると言っているのに、取り乱すでもなく、落ち着き払っている。
「私は井出穂之手。脅迫状がきて、私を殺すって予告されたの」
――あ、もしかしてさっきの殺人予告のターゲットの人?
いっきも気付いたようで、身を乗り出して言う。
「ホノさん、もしかして倉畑って人に狙われてるの?」
その呼び方に、私はいっきをひじでつついた。
「先輩に対して『ホノさん』は失礼だよ、いっき」
「かまわないわ。好きに呼んで」
全く気にする様子もなく、物憂げにそう言うので、私も『ホノ先輩』と呼ばせてもらうことにする。
私達はホノ先輩に自己紹介を済ませると、改めて脅迫状の差出人を確認した。
「そう、私を殺そうとしているのは倉畑牧之よ。あの人、ここにもきたのね……」
私はホノ先輩に尋ねた。
「あの、警察にはもう届けましたか?」
脅迫状まであるなら、警察も話を聞いてくれるだろう。
だがホノ先輩は首を振って言う。
「そんなことをしても、あの人は計画を中止しないでしょうね。だから殺害予告をしたんだろうし。そもそもまだ起こってさえいない事件じゃ、警察は何もできないわ」
まあ確かに殺害予告の件を立証できたところで、警察がホノ先輩を護衛してくれるわけでもない。しかも倉畑先輩が単なるいたずらのつもりだったと言い張れば、叱られるだけでおしまいだろう。
……結局、倉畑先輩になりふり構わず殺人を強行する意志があるなら、警察は犯行防止の役には立たないということか……。
「……でも、一応通報はしておくべきだと思います。殺人を防ぐには、多くの人に広めておいた方が――」
ホノ先輩は私の言葉をさえぎる。
「必要ないわ」
「え?」
面食らう私に向かって、きっぱりと言う。
「殺人を防ぐ気なんてないもの」
私が意味をつかめないでいるのを見て、先輩は付け加えた。
「つまり、私が殺されるのは構わないってこと」
……ますます意味がわからない。
「どういうことですか?」
私が聞くと、ホノ先輩は言いにくそうに語り始めた。
「――私ね、自殺未遂歴があるの。そしてその意志は、今も変わったわけじゃないわ。だから殺されたって構わないし、殺人の防止なんて考える必要はないの。正直言って、自分を殺した相手が捕まるかどうかすら、どうでもいいんだけど……」
一瞬言葉を切って私達を眺める。
「ふと探偵部が仕事を求めてるって話を思い出して、これも何かの縁かなって。私の死後の解決を、私自身が依頼するってのも面白いでしょ?」
その時、それまで黙って聞いていた愛子が口を開いた。
「それでは探偵部は、先輩の死後に犯人の逮捕に動けば良いということですか?」
「そうなるわね。犯行防止なんてどうでもいいから、私が殺された後、あなたたちが暇なようなら解決をしてみたらいいんじゃないかと思ってね」
「それは無理ですね」
私が口を開くよりわずかに早く、愛子が答えた。
「探偵部は今から動きます。もちろん殺害計画を阻止するために。なにしろ倉畑先輩から直接喧嘩を売られてしまったので」
私は苦笑した。愛子も私と同じ意見だ。
いっきもうんうん頷きながら言う。
「そうだよホノさん。売られた喧嘩は買わないと。自分を殺そうなんていう不届きな人間に立ち向う意志はないの?」
「正直、あんまりないわね」
ホノ先輩は即答し、ため息をついた。
「……そもそも、これは自業自得なの。私なんて殺されたって当然なのよ」
――そうだ、倉畑先輩はどうしてホノ先輩を殺そうなんて考えたんだろう。
そのことを尋ねると、先輩は気が進まない様子で答えた。
「私が彼を裏切ったから。この殺害計画はその復讐なのよ」
それ以上は語らなかったが、恋人だったのに別れたということは、やはり何かもめごとがあったのだろう。
「でも、たとえ何があったにせよ、おとなしく殺される必要なんてないと思います」
私はそう言ったが、先輩は首を振った。
「いいのよ。どうせ私なんていずれ自殺して終わりなんだから、殺すも殺されるも、なんでもいいじゃない。それもまた一興でしょ」
「……刹那主義なんですね」
愛子が難しい言葉を使う。
「たしかにせつない主義だね」
いっきが聞き違える。……けど当たってはいる。
「なら倉畑先輩に立ち向かって、計画を阻止するのもまた一興だとは思いませんか?」
と、愛子が持ちかけた。
「……なるほどね」
ホノ先輩はしばらく考えこむと、やがて呟くように言った。
「……復讐であえて殺されるのもいいけど、それはただ何もないまま終わるだけのことだしね。つまらないと言えばつまらないわね……」
迷い始めた様子のホノ先輩を、いっきが後押しする。
「相手に宣戦布告までされて挑まれた以上、勝負を受けるのが男ってもんだよ!」
……私達は全員女のはずなんだけどね。
「確かにそれも面白いかもね。いいわ、なら少し抵抗してみようかしら」
ホノ先輩はここにきて初めて微笑みを見せた。
「そうこなくっちゃ!」
喜ぶいっきを見て、ホノ先輩が付け加える。
「ただし護衛してくれるわけでもない警察に、無駄な事情聴取や邪魔をされたくないから、あくまで私達の力で対抗するのが条件よ。それで殺されるようなら、私の負けってことでいいから」
「いいんですか?」
心配して言う私に、先輩は頷いた。
「これは単なる勝負だと考えて。相手の殺害計画を阻止できればこっちの勝ち。もし私が殺されても、あなたたちが相手を捕まえられれば引き分けってことでいいかしら」
「よし! そうと決まれば、さっそく殺害計画阻止作戦を立てないとね! とりあえずは校内でのホノさんのボディガードからかな?」
鼻息を荒くしてまくし立てるいっきに戸惑ったのか、ホノ先輩は控え目に言った。
「そこまではいらないんだけど……まあ抵抗してみるって決めたものね」
「――考えたのですが、倉畑先輩側に張り付く人間も必要ですね」
愛子の意見に、私は驚いて言う。
「え、でもそれは危険だよ」
「それは承知の上です。ですが、これはただの監視というだけではなく、説得して殺人を思いとどまらせるのが一番の目的です。結局のところ、倉畑先輩が殺意を捨てないかぎり解決はないと思うので」
――確かに、根本的に計画を阻止するには、倉畑先輩に考えを変えてもらうしかない。でないと、いくら護衛で殺人を防いだって、脅威はいつまでも続いてしまう。
「ならあたしがその任務を成功させてみせるよ」
どんと胸を叩くいっき。
「……倉畑先輩に張り付くなら、最低二人はいないと危ないですね。では唯さんにもお願いしましょうか」
愛子はいきなり、部室の隅で律儀に指定のボロ机に座っていたユイさんを指名した。
「な、なんでアタシがそんな危険極まりない任務をやらなきゃいけないのよ!」
完全に他人の顔をしていた所にいきなり話を振られ、あわてふためくユイさん。
「危険極まりないからこそ、唯さんにお願いしたのですが」
しれっと言う愛子。
「こっちはあくまで新聞部なのよ。あんたたちとは完全に別行動なんだから、そんな危ない橋を渡る義理なんてないわ」
その答えを予想していたのか、愛子はあっさり引き下がった。
「仕方ありませんね、では私がやります。もし私が殺されたら、唯さんに一生取り憑いて差し上げますね」
「もうとっくに取り憑かれてるようなモンよ。だけどまあ、記事作成のために情報集めと多少の協力くらいならしてあげなくもないわ」
なんだかんだ言って義理堅いユイさんに苦笑しつつ、私は一つ提案をする。
「じゃあ、いっきと愛子と私の三人で交代制にしようか。ホノ先輩の護衛に一人と、倉畑先輩の説得に二人……ただし人気のない場所に向かった場合は、追跡中止ってことで」
その案は、全員一致で可決された。
「ところで、私からも提案なんだけど……」
ホノ先輩がそう切り出す。
「念のため、死後の対策もしておいたほうがいいと思うの。もし私が殺された場合、あなたたちはあの人の犯行を立証して捕まえるんでしょ?」
「もちろんそうです」
私が頷くと、先輩は話を続けた。
「なら犯人告発用のサインがあれば、決定的証拠になると思わない?」
「サイン?」
首をかしげる私。
「そう、私が死ぬ直前に何らかのサインを証拠として残すの。もちろん、それが可能だったらの話だけど」
そこでいっきが手を打って声をあげた。
「つまりダイイングメッセージってやつだね!」
――なるほど、確かに事前に『倉畑先輩に殺された』というサインを決めておけば、それが決定的証拠になって即座に捕まえられるけど……。
「でもダイイングメッセージの準備なんて、縁起でもない気が……」
気が乗らない私に、ホノ先輩が言う。
「けど決めておいて損はないわ。使わなければそれでいい話だし」
――それもそうか。どんな備えであっても、しておくに越したことはないし。
「……まあ万が一にも倉畑先輩に逃げられるわけには行かない以上、サインを決めておくのもいいですね」
愛子のその後押しもあって、結局私はホノ先輩の案に賛成することにした 。
倉畑先輩は『殺害後に逃げる気はない』と言ってたけど、どこまで信用できるか分からないし。
「では、具体的にどういうサインにしましょうか」
愛子はそう言うと、考えこみながら言葉を続ける。
「――自然にそうならない、つまりはっきりとした意志がなければやらない形、そしてあまり目立たず、とっさにできるシンプルなサイン……」
「うーん、指サインはどうかな? たとえば、立てた指の本数とか」
私のその案に、愛子が賛成した。
「なるほど、いい考えですね。では、指の本数と本人の意思に間違いがない事を証明するために、立てた指を握りしめておくことにしましょうか」
いっきも頷いて親指を立てた。
「それならとっさにできそうだし、ナイスアイデアだよ! で、指の本数と意味はどうする?」
それに愛子が答える。
「まずは立てた指が一本の時、これは『倉畑先輩が犯人』という告発にしましょう」
うん、それは最優先事項だ。けど、これの他に何かサインが必要だろうか?
「――あ、背後からいきなり襲われて倒れたとかで、犯人の顔が確認できなかった場合はどうする?」
私はふと思いついて言った。
「そうですね、そのケースもサインに入れないといけませんね。このサインは告発の決定的な証拠なので、犯人の指定に万が一にも曖昧な点があってはいけませんし……」
愛子は再び考えこんだ。
「……それでは、指が二本の場合――倉畑先輩以外の、男が犯人ということで」
――なるほど。犯人が倉畑先輩でなかった場合のサインも、念のために入れておくわけだ。
「三本なら倉畑先輩以外の、女が犯人。そして四本なら、判別不能――つまり背後からの襲撃で姿が見えなかったり、暗闇や覆面などで顔が確認できなかった場合ですね。――以上でどうでしょうか?」
「うん、完璧! それでいいと思うよ」
私はいっきにならって、親指を立てて賛成した。
だが本家のいっきは、親指を立てて賛成しなかった。
「……うーん、なんか物足りないなー。やっぱダイイングメッセージと言うからには、もっと謎めいたヒントやメッセージが欲しいとこだね」
いっきがそんなわがままを言いだす。
「一言で言えば、どんなメッセージや証拠が隠されているかわからないドキドキ感とか――あっ、あとダイイングメッセージの謎が解けた時のワクワク感も。つまり、ミステリーというか、ロマンというか、それが足りないんだよね」
全然一言で言えてない上に、無茶な要求をする。
ホノ先輩は苦笑して、スカートのポケットから何か取り出した。
「じゃあこれもサインに使ったらどうかしら」
その手のひらには、大きさも色も異なる三つのビー玉が乗っていた。
「私、ビー玉集めが趣味なの」
「きれいなビー玉ですね」
私は一つ一つ眺めながら言う。
それは大きな緑色の玉、小さな赤色の玉、その中間のサイズの黄色の玉……まるで信号機のようだった。
「ね、きれいでしょう? これを握るのも合図にできないかしら。死ぬ直前に握るビー玉の色によって何かを伝える……少しミステリアスじゃない? まあ、期待通りの謎めいたメッセージなんて、出せるか分からないけどね」
「でも、他に伝えるべき事なんてあったかな?」
私が素朴な疑問を口にすると、いっきがいきなり叫んだ。
「それだよ!」
「えっ……ど、どれ?」
思わずあたりを見回す私。
「ひねりがいま言った、『伝えるべき事』ができた時に使えばいいんだよ。何か不測の事態が起きて、突然伝える必要のあるメッセージや、渡さなきゃいけない証拠ができた時とか」
「あなたたちに直接会って渡すんじゃ駄目なの?」
ホノ先輩の疑問に、いっきが答える。
「あたしたちが近くにいなくて、しかも直接会ってる余裕がない場合――たとえば追いかけられたり、追いつめられて身を潜めたりしてる時だね。そこでとっさにメモや証拠を隠して、その合図としてビー玉を握るんだよ」
納得した私は頷いて尋ねた。
「なるほどね。で、具体的にはビー玉をどう使うの?」
「それはまかせる」
いきなり投げっぱなしにするいっき。
「――となると、ビー玉の色で大まかな隠し場所の指定をする形になりますね」
慣れた様子でそれを拾う愛子。
「それではメモや証拠などをどこかに隠した場合は、ビー玉を握りながら指を立てることにしましょうか。隠し場所が学園外の場合は緑色、学園内で校舎の外なら黄色、校舎内なら赤色を」
「それをあたしたちが後で探すってわけだね!」
再び乗り気になるいっき。
「――だけど大まかすぎるから、もう少し場所をしぼりたいよね。これはあくまで、そこに隠せる状況だったらっていう話なんだけど……」
私は、愛子の案に付け加える形で提案をした。
「校舎内なら『女子トイレか、廊下のどこか』――たとえば消火器の裏とか手洗い場の下の隙間とか。校舎外なら『植え込みの下か、木の裏側』に。学園外なら『電柱の裏、なければ目立つ物の陰』に。――これでどうかな?」
みんなが承知したのを見て、愛子も頷いて言った。
「それでいいと思います。それともう一つ、もし仮にその余裕がある状況であればの話ですが、最優先で部室前の廊下にある消火栓箱に入れることにしてはどうでしょうか」
いっきが首をひねって呟く。
「消火栓箱?――ああ、火災報知器の下についてるあの謎の扉かー」
謎ではないと思う。
「消火用のホースとかが入ってる所ね。わかったわ」
ホノ先輩が頷いたので、サインはこれで決定した。
――できれば使われないことを願うけど。
「でも、これと護衛だけじゃ芸がないよね」
いっきがまたロマンを求めだす。
「まあ、今までまるで死ぬのが前提みたいに話を進めてきちゃったけどさ、やっぱり殺人を防止する策のほうが大事なわけじゃん」
と思いきや、極めてまともな意見だった。
「で、その策なんだけど、これはホノさんの命がかかってるわけだし、いっそのこと開き直って、倉畑先輩が殺人をたくらんでるって噂を学校中に流しちゃわない?」
「……つまり倉畑先輩に注目を集めて、動きにくくしようってこと?」
質問した私をびしりと指差すいっき。
「そう、それ! さすが察しがいいねー」
確かにそれはいいアイデアかもしれない。校内では殺人をしにくくなるだろうし。
いっきは腕組みして後を続ける。
「――そう、名付けて『倉畑先輩の殺人を阻止するために、みんなに知らせて動きにくくする作戦』……ちょっと長いな。えっと、こういうのなんて言うんだっけ、シュ、シュウ……羞恥?」
「周知作戦ですか?」
愛子が助け舟を出す。
「そうそう、『倉畑先輩殺人計画周知作戦』!」
名前だけはなかなか立派になった。ただみんなに言いふらすだけなのに。
「――ホノ先輩、いいですか?」
私は確認を取る。この作戦を実行すると、嫌でもホノ先輩まで注目されてしまう。まあそれが抑止力になるんだけど。
「まかせるわ。あなたたちがそうした方がいいと思うなら」
「よし、それじゃ早速出発しよう! 『倉畑先輩殺人計画周知作戦』スタート!」
いっきが号令を発し、放たれた猟犬のように部室を飛び出す。
……ホノ先輩の護衛のこと忘れてるよ、いっき。
そして残された私と愛子も、ホノ先輩と一緒に学園中に言いふらす旅に出発したのだった。