10 藪の中の正義
結果はさておき、ネイさんとの対決によって書庫密室の真相だけははっきりさせることができた。
残るは、倉畑先輩殺害事件と、一千万円事件だ。
ネイさんの話では、どちらの事件もホノ先輩が犯人だということだが……当然本人に直接話を聞いてみないといけない。
私はいっきと愛子と合流し、ホノ先輩の自宅に向かった。
「ところでひねり、時間はまだいいの? これから警察の事情聴取があるんでしょ?」
そう聞いてきたいっきに、私は笑顔を作って答えた。
「まだ大丈夫だよ。最悪遅刻したって構わないし」
とにかく今は捜査が最優先だ。
「へっへっ、ワルだね旦那」
いっきがわざとゲスな顔を作って言う。
「ま、しょせんあたしたちはアウトローだしね。ひねりの言う通り、ポリなんかクソくらえだよ!」
いや、そこまでは言ってない。
「住所によると、この当たりのはずですが……」
先頭を歩いていた愛子が、メモを確認しながら呟いた。
「あ、もしかしてあの家じゃない?」
目の良いいっきが前方の家の表札を指差し、そちらに駆け出した。
「ほら、表札の名前からするとここだよ!」
そこは庭付きの、二階建の家だった。閑静な住宅街に溶けこんだ、少し広めながらごく一般的な造りの家。
いっきが呼び鈴を押すと、既に玄関の扉の向こうにいたらしいホノ先輩がすぐ外に出てきた。
私服姿の先輩は、玄関に鍵をかけてから私達の前まで歩いてきた。
「みんな、うちへ遊びにきたの? でも私、今から出かけなくちゃならないんだけど……」
「聞きたいことがあるんです。歩きながらでも構いません」
私が食い下がると、ホノ先輩は一瞬迷ったそぶりを見せたが承知した。
そのまま私とホノ先輩は、並んで歩き始めた。
尋問役は私に一任されていたので、いっきと愛子は話を妨げないよう少し離れてついてきてくれた。
「ホノ先輩、どうして倉畑先輩を殺したんですか?」
動揺を誘うため、いきなりカマをかけてみる。
「なんの話かしら?」
……動じる様子もなくかわされた。
しかし全く驚かないことが、逆にあらかじめこういう質問を想定していたと感じさせた。
いきなりこんな言いがかりをつけられたら、普通びっくりするはずだ。
そう考えこんだ私を面白そうに眺めながら、ホノ先輩はいたずらっぽく言った。
「なかなかの名推理ね、探偵さん。だけど仮に私が犯人だとしても、正当防衛よね? なにしろ向こうは殺害予告までして私を殺そうとしてたんだから。もし対峙して襲われた場合ならなおさらね」
本当に正当防衛なのだろうか?
……いや、違う。
「ホノ先輩の言う、いわば『直接的な正当防衛』以前の段階で、根本的に『防衛』の意志があったとは思えないんです。むしろたちの悪い意図――悪意さえ感じます。現場で争いになって、防衛のため仕方なく殺してしまった、という状況だとはとても思えなくて……」
「へえ……どうしてそう考えるの?」
「理由は、早朝あんな場所で倉畑先輩と会ったなら、間違いなく事前に約束していたはずだからです。つまり、殺人に絶好の時間と場所をお膳立てしてあげたばかりか、危険と知りつつ自分の意志でそんな状況に飛びこんだことになります。そうなると、むしろ望んで相手が殺しにくるよう仕向けたか……あるいは、逆に倉畑先輩を殺そうとした可能性さえ――」
そこまで言って、私は証拠もないのに言い過ぎたと気付いて口をつぐんだ。
「いいわよ、遠慮なんかいらないから続けて」
ホノ先輩が全く気にした様子もなく先を促したので、私はそれに従った。
「本気で防衛をしたい、つまり身を守りたいという意志があるなら、そもそも自分を殺そうとしてる人間とあんな状況で会ったりしないと思うんです。ただし――」
私は一瞬言い淀んだが、やはりはっきりと言うことにした。
「ホノ先輩の方に殺意があって、『殺すのに絶好な状況』や『正当防衛偽装殺人』の機会を求めていたのなら話は別ですが」
その推理を聞いても、先輩は気分を害したふうもなく、ただ静かに尋ねてきた。
「仮にそうだとして、私の動機は?」
「一千万円事件の口封じです」
私の答えに、さすがのホノ先輩も驚いたようだ。
「――よく調べたわね」
「ネイさんに裏を取りました。書庫密室の『覆面男』の話も嘘だったんですね」
「そこまで解ってたの……」
ホノ先輩はため息をついて、言葉を続けた。
「でも私は『知らない』としか答えられないわ。だけど、ご褒美に一つだけ教えてあげる」
そっと顔を近付けてきたホノ先輩が、私に耳打ちする。
「あの一千万円は、全部私が貰ったの」
さらっと、とんでもないことを言う。
声も出ない私に、先輩は囁き続けた。
「きっかけは、あの人が父親の金庫のナンバーと鍵の隠し場所を知って、冗談半分で開くかどうか私の前で試したことよ」
そう言って、ますます私に肩を預けるように寄りかかる。まるで恋人のように。
「そのあと改めて計画を立てて、私達は家族のいない隙を狙って金庫から一千万円を盗み出したの。だけどそれがバレた時、あの人は当時恋人だった私をかばって自分が一人で盗んだって言い張って……」
それを恨んだネイさんが、『ホノ先輩殺害計画』を立てたというわけか……。
「どうしてそんな自白を今するんですか?」
そう尋ねると、先輩はまた私の耳元に口を近付けてきた。
「もうすぐ全てが終わるからよ。私だって、もう逃げる気はないの。もっとも警察に捕まるなんて最後は、できれば避けたいけどね。ケリは全て自分でつけるつもりだから、このままあの人に罪をなすりつけた状態で終わりたくなかったの」
「ケリ?」
「今度こそ死ぬのよ。ただし、最後の仕事を済ませてからになるけどね。それまでは全ての犯行を否認するしかないから、警察に言うのは少し待って」
そう告げて、先輩はすっと体を離した。
「――最後の仕事? それに、死ぬとかもうすぐ全てが終わるとか、いったいどういう事なんですか?」
だが私がいくら追及しても、ホノ先輩はのらりくらりとかわすばかりだった。
倉畑先輩殺害について聞いても、何も話してくれなかった。特にそちらは、正当防衛という言葉が出てきた以外、まだ全てが藪の中なんだけど……。
うーん……どうもホノ先輩は、もっと大きな別の何かを隠しているような気がしてならない。致命的な事態が起こる前に、なんとかして全ての真実を聞き出さないと――。
しかし私の思惑も空しく、先輩はいきなり立ち止まって言った。
「さあ、ここまでよ。もう目的地に着いたから」
そこは、一軒の家の門前だった。
ホノ先輩の自宅もそこそこ広かったが、こっちはそれよりもかなり大きい家で、庭もすごく広い。
追いついてきたいっきが、目を丸くして尋ねた。
「ここ、ホノさんの別荘? 表札の名前が同じだけど」
「まあ別荘みたいなものね」
先輩は苦笑まじりに答えた。
「じゃあね。悪いけど、中に招待するわけにはいかないわ」
私達にそう別れを告げ、格子状の門を開ける。
――私がこのまま何もできなければ、ホノ先輩は自殺してしまうのだろうか?
あるいは、また殺人が起きて――。
「――待ってください! お願いです、真実を話してください!」
しかし私のその叫びに、門を閉めて背を向けたのがホノ先輩の答えだった。
「これ以上、人が死ぬなんて、もう嫌です……」
私は、去って行く先輩の背に向かって訴える。
「ホノ先輩は間違ってます! もうやめるべきです、自殺も、殺人も――」
だが結局、ホノ先輩が歩みを止めることはなかった……。