三話「模索」
「委員長……?」
夕陽がおぼろに教室を照らす中、彼女の姿だけはその存在を示すようにはっきりと映し出される。
戸を開けていの一番に声を掛けてきたのは、クラスメイトの桜花だった。
勇士は唐突に現れた桜花に眉をひそめつつ、プリントから顔を上げて彼女に顔を向ける。
「偉いわね。こんな遅くにまで教室で勉強してるなんて」
「……勉強じゃないよ。補習やってるだけ」
桜花の疑問に淡々とした口調で答えながら、勇士はプリントへと向き直ってペンを手中で回す。
なるべくぶっきらぼうにならないよう対応しているつもりだが、正直の所あまり自信がない。決して桜花が嫌いなワケではないが、第一印象の時点で苦手意識を持っていた。
容姿端麗で、成績優秀で、運動神経も抜群で――しかも誰もやりたがらなかった委員長を、担任の勧めで潔く了承した善人。勇士にしてみれば、桜花という存在は別世界の人間にしか思えなかった。
そういった印象もあり、桜花と言葉を交わしたのはこれが初めてだった。互いに共通点もないし、知らない女子にいきなり声を掛けれるほど、気安い性格はしていない。また向こうも人の輪に自分から入り込むような社交的なタイプ(むしろ物静かな方だ)ではない為、ますます接点が無かった。
そんな折、考えもしなかった桜花からの接触。あまりの急展開に、勇士はポーカーフェイスを維持しながら、内心気が動転していた。
「そう……。ごめんなさい。邪魔しちゃったかしら?」
忘れ物を取りに来ただけなんだけれど、と桜花。
「大丈夫。そんなに集中してたワケじゃないし」
事実、机の上の数学プリントは三分の一程度しか埋まっていない。他のプリントは教科書を見るなどをして大体埋めれたのだが、数学のような頭を使うようなものは、どうしても進みが悪かった。
勇士がプリントにかじり付いている間に、桜花は自分の机へと赴き、手を突っ込んで教科書を取り出す。どうやら忘れ物というのは、教科書の事だったらしい。勤勉な人だ。
そうして、桜花から視界を外し、唸りながらプリントを指で小突いていると、
「解けない問題でもあるの?」
勇士が苦戦しているのを見兼ねたのか、いつの間にかそばへと近付いていた桜花が、静かに訊ねてきた。
「い、委員長? 何で……」
「私は気にしなくていいから。どこが分からないの?」
訝しむ勇士をよそに、ズイっと無遠慮に顔を寄せる。
「えっと、それじゃあ……」
甘い蜜に似た香りが、勇士の鼻腔を擽る。
至近距離にいる桜花にドキドキと鼓動を早めながら、勇士は問題文に指を差した。
◇ ◇ ◇
「とりあえず、クラス全員が揃っているか確認しましょう。僕の記憶では、地震が起こる直前まで、みんな教室に残っていたはずですから」
そう声を上げたのは、一年B組副委員長──柴崎征一郎だった。
知的な顔付きに、シャープな眼鏡。服装は黒衣を纏っていて、一見魔法使いといった風体だ。
「一人一人じっくりと顔を確認していってください。もしいない人がいればすぐに挙手をお願いします」
征一郎の指示の元、動揺が伝播しつつあったクラスメイト達も、反論もなく言われた通りに確認作業に入る。混乱しているせいもあって、征一郎みたいに先導を切ってくれる存在は、自ずと安心できるのだろう。あるいは、何でもいいから思考を頼れる誰かに委ねたいのかもしれない。
ややあって、確認を終えた者達がこぞって征一郎に集まり出す。手を挙げる者は一人としておらず、幸か不幸かクラスメイト全員揃っているようだった。
勇士と桜花も流れに乗る形で、征一郎の元へと歩み寄る。
そうして、集まったクラスメイト達の顔を見渡しながら、
「どうやら、はぐれた人はいないみたいですね」
と征一郎はホッと胸を撫で下ろす。
「おいおい。安心してる場合かよ征一郎。こんな異常事態の中で、よくそんな顔してられんな」
そう荒っぽく声を上げたのは、いかにも不良といった態の男子生徒、獅子倉京介だった。
逆撫でた金髪に、厳ついピアス。格好は青いマントにプレートアーマーの一部を所々装着しており、どことなく西洋の騎士を思わせる。また、長身で体付きもしっかりしているせいか、違和感が無いほど様になっていた。
「別に楽観しているわけではありませんよ京介。ただこういう場合、現状把握というのはとても重要で、今後にも影響しかねませんから」
京介の皮肉に、征一郎も気分を害した様子もなく、気安い調子で言葉を返す。
それもそのはず。見た目こそ相反する者同士だがこの二人、小学校時代からの幼馴染で、互いに気心の知れた親友なのだ。
勇士は二人と知り合いというワケではなかったが、聞くともなしに耳に入ってきた征一郎と京介の会話に友達関係だという事を知ったのだった。やはり幼いからの縁だと、外見や人格は互いに違っても、こうして仲良くやれるものなのだろうか。
ちなみに、わざわざ補足するまでもないかもしれないが、勇士は二人とろくに話した事がない。征一郎ならまだしも、京介みたいなタイプは勇士が最も苦手とする人間筆頭だった。
そんな二人の会話に無論口を挟むような真似はせず──そもそも、意見するだけの度胸がない──桜花と並んで静観に徹する。
「先も言いましたが、とりあえず今は現状把握に努めるべきです。差し当たってですが皆さん、スマホはお持ちですか? 持っているならすぐさま外部に連絡を取ってもらいたいのですが……」
征一郎の提案に、皆が衣類を弄り出す。
が、皆一様に表情を陰らし、
「どこにもねぇわ……」
「私も。制服じゃないせいかしら?」
「自分、鞄の中に入れてたから……」
「その鞄も、何処にも見当たらないしね……」
と、口々に難色を示す。
「やはりそうですか。僕も気が付いたら消えていたので、他の人ならばもしくは、と思ったのですが……」
口元に手をやり、眉間にシワを寄せる征一郎。当てが外れたせいもあるのだろうが、常識を遥かに逸脱した状態に困惑を隠せない様子だった。
「ていうか、鞄すら無いってのはヤバくねぇか? 食料とか一体どうすんだよ?」
「それなら大丈夫だと思いますよ。あれを見てください」
言って、征一郎はとある樹木を指差す。
「あれは……林檎か?」
「形や色艶からおそらくは。他にも葡萄や桃なんかもあったので、食料に関しては問題ないでしょう。水分に関しては、どこかに川でもあれば別ですが、仮に無くとも、いざとなればあれらの果実を絞れば喉も潤せると思いますし」
「つっても、本当に食えるかどうかなんて分からねぇぞ。あくまでそれっぽく見えるってだけだし。毒でもあったらどうすんだ?」
「その時はその時ですよ。どのみち、食べられなければ飢え死にするだけなんですから」
征一郎の何気なく放った「死」という言葉に、クラスメイト達がビクッと顔を青ざめる。
皆ここにきて、ようやく自分達の置かれている状況を理解し始めたのだろう、一人は「イヤっ」と隣りの誰かに抱き付き、また一人は「じょ、冗談だろ……?」と顔を引きつらせて茫然としていた。
「な、なあ。ちょっと待ってくれよお前ら」
と、征一郎と京介の間に割り込むように、一人の男子が集団から前に進み出て声を上げた。京介の取り巻きの一人で、征一郎とも交流のある者だ。
「さっきからサバイバル前提で話を進めてるけどさ、こんなのドッキリか何かの悪戯に決まってんだろ? 冷静になれよ」
「ドッキリ? こんな大掛かりなドッキリがあってたまるかよ」
「僕も京介に同意見ですね。いくらなんでも常軌を逸してますから」
「そ、それじゃあ、集団催眠というのは?」
今度はとある女子が、わざわざ挙手をして疑問を投げ掛ける。
「テレビか何かで見た事があるんだけど、みんなして幻覚を見ているって可能性はない? 催眠術とかでさ」
「いくら催眠術といえど、誰一人除かず集団で催眠に掛かるというのは考え難いですね。危険な薬を知らない内に打たれて、実はベッドの上で見ている夢とかなら話は別ですが」
ずいぶんと恐ろしい事を言ってくれる。そこらの怪談よりも、よっぽど怖いではないか。
「まあ、たらればで話をしていても埒が開きません。ここはひとまず、この森林が何処まで続いているかを調査して──」
ガサカサッ。
と。
征一郎が新たな案を提示しようとしたそんな時だった。
この世の者とは思えない異形の存在が、突如として勇士達の前に飛び出してきたのだった。