二十一話「奮起」
「ミウだ! 本当に出てきた!」
前面の水晶だけに映し出されたミウの姿に、勇士は思わず釘付けになった。
間違いない――見紛うなくミウの姿だ。あんな特徴的な白い耳に尻尾を生やした少女なんて、ミウ以外に勇士は知らない。
その当のミウは言うと、どこか目的とする地があるのか、全身に汗を掻いて一心不乱に駆け抜けていた。周りの景色も僅かに映っているので、そこが森の中だという事は把握できるが、一貫して木々が流れていくだけで、詳しい場所までは分からない。それ以前に森の中なんてどこも区別が付かないので、正確な位置を見定めるなんて不可能に近いのだろうけど。
「こりゃあ、おったまげたわい。まさかこれが伝承にあった『遠見の鏡』だったとは……」
「遠見の鏡?」
「この祠に祀られているとされる神物の俗称じゃよ。儂が族長になる前から呼ばれておったから、いつから遠見の鏡と名が付けられていたかは定かではないがのう」
日本でいうところの八咫の鏡みたいな、歴史があり過ぎて年代も名称者も分からないケースか。性質上、白雪姫にでてくる魔法の鏡っぽくもあるが。
「しかしこれが遠見の鏡じゃとして、祠の中に入っているのは一体……?」
「まあぼくとしては、遠見の鏡ってヤツがあればいいんですけれど」
元より、此処に来たのは桜花を探す手段を得る為だ。それ以外は特に必要としていない。
なので、祠の中身などもはや興味の範疇外だ。
それにしても。
「どこへ行こうとしてるんですかね、ミウは。やたら必死に走ってますけれど」
「ミウの奴……。あれほど遠出はするなと言ったじゃろうに……
頭痛を抑えるように額に手をやるランド。言葉に呆れがありありと滲んでいた。お転婆が過ぎる孫を持った、祖父の多大な苦労が訊かずとも窺える。
「しかし、本当にどこへ向かおうとしておるのかのう。足取りから見るに、がむしゃらに走っておるわけではなさじゃが」
治ったばかりの足で無茶しおって、と苦言を口にしながらも、ランドは不安げに眉尻を下げてミウを眺める。
ミウは以前として森の中をひたすらに駆けていた。迷うどころか、方向を確認する素振りも見られないので、何度か足を運んだ経験があるのかもしれない。
とは言え、足が完治したワケでもないのに全力疾走するのは、些か愚行とも思えた。ミウ自身、医者に激しい運動を止められていただろうに、何をそこまで彼女を駆り立てると言うのか。
「やっぱり、止めた方がいいんですよね? これ以上足に負担を掛けたらまた悪化するかもしれませんし」
「そうしたいのは山々じゃが、あれでミウも村の子供らの中ではダントツに早い足を持っておるからのう。大人と言えど、追いつくかどうか……」
「そ、そんなに早いんですか……?」
ただでさえ人間である勇士と獣人であるミウとでは身体能力が違うというのに、そんな話を聞かされてはますます追い付ける気がしない。いや、追いかけるとしたら集落にいる誰かだろうと思っていたが。
「それに場所も分からんしのう。無闇に人を送っただけで無駄骨になるだけじゃ」
ごもっともな意見だ。あれだけ広大な樹海の中を捜索させるなんて至難の技だ。たとえ長年住み慣れている獣人と言えど、例外ではないはず。
何か、なんでもいいからヒントになるようなものがあれば――
――ん? 今のって……。
と。
暫し水晶に映るミウを注視していると、ある共通点に気付いた。
――さっきから碧っぽい実みたいなものが見えてるような……?
碧っぽい実――ともすると梅の実にも見えるそれは、流れる景色の中で至る所に散見できた。背景と溶け込んでいるので初見では分からなかったが、やはり梅の実に似た物が次々と見受けられた。
そういえば此処に訪れる際にも、紫の花を目印に来たのだったか。という事はひょっとして、あの梅の実らしき物も、ある一定の法則でなっているのではなかろうか。
「族長さん、たまに碧っぽい実が目に付くんですけど、あれって何かヒントになりませんか?」
「碧っぽい実……」
勇士の言葉に、ランドは怪訝に眉をひそめて水晶に目を凝らす。
すると、
「あ、あんの馬鹿たれ! よもや『竜の巣』に向かっておるのではあるまいな!?」
と、ランドはこれまでにない剣幕で声を荒げた。
「竜の巣……?」
「あの実のなっている先にはの、竜の巣と呼ばれる大きな洞穴があるのじゃよ。あやつ、そこに向かうつもりなんじゃ……」
怒らせていた肩をだらんと下げて、ランドは精気が抜けたかのように膝を付いて座り始めた。その表情には焦燥に満ちており、終始愕然としていた。
「その竜の巣って、何か問題でもあるんですか?」
「ある。大ありじゃ。なんせ竜の巣には――」
「血に染まりし竜の寝ぐらなのじゃから」
「ぶ、ブラッドドラゴン!?」
今度は勇士は泡を食う番となった。
ブラッドドラゴン。
ドラゴン種で中級程度の力量ではあるが、数ある魔物の中では文句無しの上級に位置する。レジェンス・クロニクルでは中ボスか、終盤近くで普通に遭遇するようになるが、よほどレベルを上げてもいない限り、単身で敵うような魔物ではない。はっきり言って返り討ちにさえ合うレベルだ。
「何でまたそんな所に……」
「分からぬ。が、再三竜の巣だけには近付くなと聞かせておったから、ミウとて知らぬハズがない。ブラッドドラゴンには儂ら狼族でなく、他の獣人達も被害を受けておるからの」
だったら尚更疑問だ。危険極まりないと知った上で、ミウは竜の巣に向かっている事になる。ブラッドドラゴンに挑むつもりなのか、はたまた別の目的があるのかは不明のままだが。
仮に前者だとしたら、無謀にもほどがある。自ら命を捨てに行くようなものだ。
けれど、ミウがそこまで愚かな真似をするとはどうしても思えない。昨日だってカノの身を案じて、人生の大半を母親に捧げるつもりでいた心優しい少女だ。勇士の抱くミウのイメージからでは、とてもブラッドドラゴンに突っ込むようには見えない。平仄に合わな過ぎるのだ。
何か。何か手掛かりはないか。これまでのミウとの会話で、真実に繋がる欠片がどこかにあるはず――。
――昨日と言えばミウ、どうして帰る時にちょっと渋ったんだろう。
それは、ミウと此処まで辿り着き、一旦洞窟の入口へと引き返そうとした時の話である。
あの時のミウは、何故か勇士だけを先に行かせ、独り居残っていた。特にする事もなかったハズなのにだ。
けれど、ミウがこの仕掛けに気付いていたとしたら?
この空間そのものが、遠見の鏡だと察していたとしたら?
――ミウは、遠見の鏡を使って何かを探っていた……?
だとしたら、それは何だ。遠見の鏡を使ってまで探したい物とは何だ。
思い出せ。きっとどこかにヒントが散らばっている。極小でも広い集めて構築するのだ。真実に至る塔を築き上げてみせろ。
ミウとの出会い。ミウとの会話。ミウと行った場所。それから、それから、それから――。
『百薬草――それがウチの探してる物なんだ』
「あ――!」
完全に思い出した。
ちょうど昨日――とあるアクシデントでミウと一緒に温泉に入る事となったあの時の記憶。その時ミウは、はっきり百薬草とやらを探していると言葉にしていた。
ミウが遠見の鏡を使って探しだした物、それは――
「百薬草! 百薬草ですよ族長さん! ミウはカノさんを助けるために、百薬草を探しに行ったんですよ!」
勇士の発言に、ランドは少し訝しんでいた様子だったが、やがてミウがカノの病気を治そうと躍起になっていたのに気付いたのか、
「そういう事か……!」
と太ももを打ち鳴らした。
「ミウめ、遠見の鏡を使って百薬草の在り処を探ったのじゃな!」
「それで多分、竜の巣に百薬草があると分かったんだと思います。くそ、こんな事ならちゃんとミウを見張っておくんだった……っ」
悔やんだ所で時間は戻らないが、しかし自分の間抜けさに腹が立つ。
何故昨日、ミウを残らせず無理やりにでも連れて帰らなかったのだ。勇士が桜花を探したかったように、ミウだって百薬草を探していたのだ。だったら勇士と同じく遠見の鏡を求めていたっておかしくはなかったのに。軽率にミウを祠まで導き、あまつさえ遠見の鏡を使用されて危険な場所へと誘ってしまうだなんて、実に愚々《おれおれ》しい限りではないか。
いや、今は後悔に時を費している場合ではない。一刻も早くミウを引き戻さなければ。
「族長さん! 早く誰でもいいからミウの所に! 今ならまだ間に合うかもしれません!」
「無理じゃ」
勇士の進言に、ランドがにべもなく否定した。
「ど、どうして!?」
「あの分じゃと、竜の巣までだいぶ近付いておる。どれだけ足に自慢のある者を行かせた所で間に合いはせん。既にブラッドドラゴンと相対しておるじゃろうて」
「で、でも――」
「それでも向かわせたとして、むざむざ殺されに行くようなものじゃ。ブラッドドラゴンには何人もの屈強な獣人が挑んだが、そのことごとくが命を落としておる。あれと戦うなんて論外じゃよ」
「そんな……」
勇士は言葉を失った。それではまるで、ミウを見捨てると言ってるのも同義ではないか!
「仮に――仮にじゃ。無事ミウを連れて帰ったとしても、あの子は再び竜の巣に向かうじゃろう。なんせ百薬草は希少種――遠見の鏡が映した通り、此処らでは竜の巣ぐらいにしか生えておらんじゃろうからな」
ここ最近どうも帰りが遅いと思っていたら、百薬草をずっと探し回っておったとはのう。
ランドはか細くそう呟いて、力なく項垂れた。助ける手段が見つからず、絶望に身を置かれた者の様相を呈していた。
ランドの懸念は一理ある。いや十理はあると言っていい。ミウの母に対する思いはそれだけ強いものがあるのだから。
ミウ自身も、どれだけ危険か承知で百薬草を取ろうとしているのだろう。けれど母を治したい一心で、挫けそうになる自分を必死に奮い立たせて、ブラッドドラゴンに挑もうとしているに違いない。
あの少女は――ミウは、そういう子だ。
それなら。
それなら、勇士は――――
「ぼくが行きます」
言葉は、思いの外するりと――滑らかに発せられた。
消沈するランドのそばに立ち、勇士は決意に満ちた双眸で、再度胸中を吐露する。
「ぼくがミウを連れて帰ります。大事な友達を見捨てるだなんて、ぼくはもうイヤなんだ!!」
思い出されるのは、勇士の身代わりとなってくれた、桜花の姿。
あの時みたいに、無力さながらに逃げるだけなんて二度としたくない。
大事な友達を危険に晒すだなんて、絶対にあってたまるものか。
今の勇士は昔の勇士ではない。
昨日より成長した勇士だ。
生きる事との大切さを昔以上に知った勇士だ。
誰かを救う力を得た、この間とは違う勇士だ。
それならば。
「ぼくが――」
ランドが顔をゆっくり上げ、希望の光を見たように表情を甦らせ、勇士を見つめる。
誰も行けないなら。誰もミウを助けられないと言うのなら――――
「ぼくがこの手で、ブラッドドラゴンを倒す――!!」
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