十四話「安息」
「先ほどはすまなんだのう。若い衆が迷惑を掛けて」
族長──ランドの住まいへと案内されている道中だった。勇士にしてみれば古代遺跡にすら見える集落の様子に終始感嘆としていると、前を行くランドが視線だけこちらに向けて謝罪してきた。
「いえ、ちょっと緊張しちゃいましたけど、露骨に罵声を受けたワケでもありませんし……」
「そう言ってもらえると、こっちとしても助かりますわい。しかし、若いもんは血気盛んでいかん。同族意識が強いのは美点ではあるが、やたら排他的なのも考えものじゃのう」
「はあ……」
集落の行き先を憂うランドに、勇士は煮え切らない相槌を打つ。いきなりそんな事を言われても返答に困る。ただでさえコミュ障で、人を統率するのなんて苦手分野筆頭だというのに。
「もっと他の種族──山猫族や熊族と連携すべきなのじゃろうが、あっちはあっちで気難しいからのう。魔物の数も年々増えているし、頭の痛い話じゃて」
「他の獣人もあの森にいるんですか? 集落なんて他になかったような気がするんですが……」
「他も事情は似たり寄ったりじゃからて、儂らのように守りを固めてあるんじゃよ。普通に散策しただけでは、絶対に見つかりはせんよ」
要約すると、他の部族も魔物の被害に困っているという事か。この集落がそうであるように、外から分からない仕掛けになっているのかもしれない。道理であちこち森中を歩き回っても、人の気ひとつ無かったワケだ。
「ほれ、見えてきましたぞ。あれが儂の家じゃ」
言われて、ランドが指す方向へと見やる。
だんだんと近付くにつれ、その規模の大きさに目を瞠る。
ランドの住居は一際面積の広い──明らかに高位の者が住んでいると分かる土地に建設していた。
他の住まいとは違い、何本もの柱によって地表から高く離されており、玄関口から梯子が降ろされている。いわゆる高床式住居という物で、竪穴式住居とは違い、土や枯れ草でなく木板が主になっているしっかりとした造りになっていた。さすがは族長の家といった所か。これなら、ムカデなどの虫が這いよる心配もなさそうだ。
「さあ、遠慮せず入りなされ」
「は、はい。じゃあ、お邪魔します」
促すランドに、勇士は折り目正しく口上を述べつつ、梯子を登る。
登る途中、それとなく背後を窺ってみると、年配者とは思えない軽快さで梯子の上を歩いていた。勇士ですら手を使って恐る恐る登っているというのに。獣人は長老になろうとも、身体能力が全く衰えないのだろうか。それともこれで衰えている方なのだろうか。
ランドと共に梯子を登り終え、玄関口にある暖簾のような長い布をくぐって室内へと入る。
「わあ…………」
外観よりも広く感じられる空間に、勇士は感嘆の呼気を零した。
床も壁も木張りであるが、ささくれなどもなく綺麗に平面を飾っており、隙間風すら吹いてこない。壁には石斧や槍といった武器が立て掛けられており、保存色だろうか、果実か何かを乾燥させた物が、何本かの糸で一辺に吊るされていた。
間取りは広く、幾つかの部屋に分かれているのか、所々壁で仕切られている部分などが見受けられる。勇士がいる部屋はダイニングか何かだろうか、昔懐かしい囲炉裏が設置されており、炭から出る仄かな火が、木棒で吊るされた鍋をぐつぐつと熱していた。
中身はスープだった。何かしらの肉と芋が煮込まれており、とても香ばしい匂いを充満させている。一ヶ月ぶり近くになる鍋料理に、勇士は唾液が溢れるのを止められなかった。
「──あら。お客さん?」
勇士が美味しそうなスープへと視線を全力で注いでいると、奥の方から三十路前後の女性が、壁伝いに歩きながらも危なかっしい足取りでふらふらと近寄ってきた。ミウとランドと同じ真っ白な体毛をしているので、血縁者である事は明白だった。
「こらこらカノ! 大人しく寝ておらんか。余計身体を壊したらどうする」
「大丈夫よお父さん。今日は気分が良い方なの」
ランドの叱声に、カノは痩せこけた顔で微笑を浮かべた。何か病でも患っているのか、全身の肌が妙に青白く、まるで生気が感じられない。純白の着物じみた衣服を着ているせいか、死に装束を纏っているかのようだった。
「それよりこのお客さんは? 外の方からミウちゃんの声が聞こえた気もするのだけれど、ひょっとして帰って来ているの?」
「ミウなら三軒先の薬師の家に行っておるわい。ちょっと足を捻挫したらしくてな、そこで治療しておるのよ」
「捻挫って、ミウちゃん大丈夫なの? ちゃんと歩けるの?」
「なあに、心配あるまいて。捻挫自体はそれほど酷いように見えなんだし、薬でも塗って安静にしておれば、すぐに治るじゃろうよ」
「そう、良かったわぁ。あの子、昔からそそっかしい所があったから」
心底ホッとしたように、胸を撫で下ろして嘆息するカノと呼ばれた婦人。日が開けても帰宅してこないミウに、とてもやきもきしていたのだろう。
「その捻挫して身動きの取れなくなったミウを、この若人が此処まで連れてきてくれたのじゃ」
「まあ、本当に? 何て感謝を述べたらいいか……。母の私から改めてお礼を言わせて頂きます。娘を助けて頂き、ありがとうございました」
「えっと……どういたしまして」
腰を曲げて礼をするミウの母──カノという女性に、勇士も誘われるように低頭して応える。異世界人であるのにも関わらず、日本人みたいな礼儀正しさだ。
──あれ、この人の眼って……。
カノと接している内に、妙な違和感を抱いた。
視線が安定していないのだ。集点が定まっていないというか、どこか虚ろなのである。勇士のいる位置までは把握しているらしいが、姿形までははっきりと捉えきれていない──霞でも掛かったような眺め方である。
よくよく確認してみると、白内障なのだろうか、カノの両の瞳が灰色に濁っていた。あの分だと、ちゃんと見えているかどうかも疑わしい。勇士を一目見た時、他の獣人のように騒ぎ立てなかったのも、これが原因か。カノの眼には、勇士が獣人かどうかすら分かっていないのだ。否、カノの接し方からして、同じ集落の者だと勘違いしているように思える。
「それで、どこの家の方なんですか? 後でお礼の品を持って……」
「いいからいいから、儂が後で届けるわい。じゃからカノは大人しく寝ておれ」
「あら、でもお茶の準備が……」
「それも儂がやっておくから、はよ寝ておれ!」
何かと構いたがるカノを、ランドが背中を無理やり押して──病人なので加減はしてあるが──奥へと引っ込ませた。
「やれやれ。世話焼きな奴じゃ」
「あの、さっきの人ってどこか体調でも悪いんですか? 何だか目もよく見えていない感じだったし……」
「ふむ、気付かれましたか。あの子は昔から弱視でな、ここ最近身体を壊して、ますます悪くしてもうたのよ」
「医者には?」
「既に診せました。が、原因がよく分からなくてのう。幼少からあまり身体の強い娘ではなかったが、ミウを産み落としてからというもの、何故だか弱っていく一方。もはやお手上げじゃ」
「そうですか……」
勇士はそれしか口に出来なかった。元いた世界の現代医学なら原因も分かるやもしれなかったが、平凡で平均的な高校に通っていた勇士に、かような知識があるワケもない。
「あるいは、あの薬草さえあればカノも──」
「え…………?」
「ああいや、何でもありません。老いぼれの世迷い言と思って聞き流して下され」
「はあ……」
今、何かを呟きかけていた気がするが、ランドの言う通りに、
「はあ。そうですか……」
と言葉を留めた。
「身内の話ばかりですみませんな。ささ、ゆるりとくつがれていきなされ。ちょうど夕餉の支度も済んだ所じゃし、此処で食べていかれるのも良かろう」
「え? いいんですか?」
「勿論いいとも。それに……」
と、ランドは勇士の腹部へと視線を向けて、呵々と笑った。
「どうやら勇士殿の腹の虫は、そこの鍋を求めて鳴いておるようじゃからのう」
かあっと全身が熱くなった。必死に腹をへこませるなどして誤魔化していたつもりだったが、しっかり聞かれていたらしい。
「…………それじゃあ、お言葉に甘えて」
羞恥で顔を真っ赤にする勇士に、ランドは口許を綻ばせて、
「うむ。では適当にくつろぎなされ」
と座するのを促した。
鍋を挟んで、ランドと対面になる位置で腰を下ろして、正座する勇士。
「さあ、大した物でもありませんが、存分に召し上がって下され」
スープをよそったお椀を手渡され、勇士は礼を述べて受け取った。
お椀からスープの温かみが両手に伝わる。角切りにされた肉と芋の良い匂いが食欲をそそり、鼻腔を攫う。
お椀に備え付けられた木製のレンゲを手に取り、スープを掬ってゆっくり慎重な動作で口に運ぶ。
美味しい──。
それはランドの説明通り、さほど凝った料理でも無かった。多分味付けは塩と胡椒ぐらいの、単純な味。
だが、異世界に訪れてからというもの、干し肉や果実ばかりで料理らしい料理を口にしてこなかった勇士には、何よりのご馳走に思えた。
気が付けば、ポロポロと涙が頬を伝っていた。
料理を食べて涙した事など、初めての経験だった。日本にいた時はご飯だなんて身近にあって、漠然と食事を取っていた。貧困に飢えるような事なんて一度もなかったのだ。
生まれて初めて、食の有難さを知った。温かいスープが胃袋だけでなく心にまで染み渡り、嗚咽が漏れる。
ランドは何も言わなかった。最初こそ前触れなく泣きだした勇士に驚いていた様子だったが、黙ってスープを掬って食していた。
スープがしょっぱい。落涙しては口内に入っては塩気が増す。
その日勇士は、我ながら厚かましいと思いつつも、空腹には勝てず、三杯ほどおかわりを強請ったのだった。




