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梅雨ですね。まだまだ。

今年は「春一番」がなかったせいか、天気は荒れる傾向にあるとの事。

ええ、そういえばなかったですね。

梅雨明け長引きそう……洗濯物乾かん!!


 どうしたのかしら? 給仕の目がせわしげに動いて落ち着いていないわ。

 執事はいつものようにディートリッヒ様の後ろにいるけど、いつもより厳しい顔ね。


 わたくしの家は父が仕事でいなくても、母や弟達と食事をしていた。嫁いでからはディートリッヒ様の夜勤が多くて、一人で食べることが多かった。

 最初は寂しくて、おいしい料理も味気なく感じたのだけど。人数がいても、夫や愛人と食べる食事はさらにおいしくないと痛感。

 でもそれじゃあ、人生もったいないと料理の味はどんなときでもおいしく感じるように、夫と愛人の会話は全部聞かないで食べるスキルを身に着けたのが十日ほど前。けっこう早かったわ。

 だから、今夜のカモ肉のオレンジソース最高よ。パンにつけてたべちゃおうっと。

 そんなふうに黙々と食事を続けるわたくし。

 聞こえるのは自分の立てた音だけ、と思っていたら今日は妙に静か。

 ふと顔を上げると、いつもは笑顔でいろいろおしゃべりしてくれる愛人様(今日はシャルロッテ様)が、なぜか痛ましげにわたくしを見ておとなしい。

 なにかしら、とディートリッヒ様の様子を見ると、彼も同じようにわたくしを見ている。


「!」


 わたくしの背中に悪寒がはしった。

 

 なんてことなの! お飾りの妻がこんなにも惨めだなんて!!


 今すぐ立ち上がってこの場から逃げ出したい。だけど足が震えて力が出ない。

 もう一度勇気を出してディートリッヒ様とシャルロッテ様を順番に見ると、二人は見つめ合って悲しげにうなずいている。そして給仕も執事も――目を伏せた。


 これは決定的だわ!!


 もうわたくしの頭上では特大の雷が落ちた。

 だって、この場の誰もがディートリッヒ様が離婚を切り出したいという気持ちを知っているんですもの。

 と、いうことはシャルロッテ様が本命で、次の伯爵夫人となるわけね。

 シャルロッテ様は子爵家のご出身で、たしか王女様の近衛隊に所属していると聞いているわ。

 広い意味で同僚だけど、だからって日勤帰りの旦那様にドレスアップしてついてくるかしら? わたくし、そんな話は聞いたことがないわ。

 でも大丈夫。こんな例もあるのよ、とわたくしが例になってこれから社交界に広まっていくのだから――って、全然大丈夫じゃないわ!

 ブルブルと手が震える。

 

オレンジソースのついたパンを食べている場合じゃない!

 最近ようやくディートリッヒ様に愛人が何人いようと、わたくしは正妻として子種さえもらえばいいわ、なんて悟れるようになってきたのよ!? 

でもわたくしも枯れるには早いから、ここの執事はディートリッヒ様より少し年上でなかなかかっこいい独身だから、執事とアバンチュールな恋に発展するかも!? なんて、恋愛小説寝取られ不倫系よろしくドキドキしていたのにっ!


おちつくのよ、アリーシャ。わたくしは(まだ)正妻。


わたくしは震える手でグラスをとり、ワインをゆっくりと飲み干す。


「アリーシャ」

「……はい」


 思いつめたディートリッヒ様の声に、わたくしも震える声で小さく返事をする。

 シャルロッテ様が痛ましげにわたくしを見ている。

 優しい愛人なんて本当にいるのね。離婚を切り出される妻を、優越感に浸って笑顔で見守る愛人しか聞いたことがないけど、シャルロッテ様はお優しい方みたい。


 ――ま、本当に優しい人なら、普通愛人宅になんかドレスアップしてこれ見よがしに押し掛けたり泊まったりしないわよね。

 危うく騙されそうになったわぁ、と考えていたら、ディートリッヒ様の話が少し始まっていたみたい。


「――で、どうなんだ?」

「え?」

「また言わせるのか?」


 嫌そうに顔を歪めたディートリッヒ様に、わたくしはハッと見当をつける。

 おそらく離婚を切り出されたのだ。で、どうなんだ、と。

 そういうことね!!

 なぁーんだ。けっこう冷静だわ、わたくし。

 嫌な言葉を聞かずに、結論だけわかると意外に楽なのね。

 でもいますぐ返事なんてできないわ。離婚については良く知らないし、実家にも説明しなきゃいけないし。


「この場で急に言われましても」

「そ、そうだな。確かにこの場でするような話ではないな」


 なぜか焦って下を向くディートリッヒ様。後ろの執事もバツが悪そうに目をそらす。

 ちなみにシャルロッテ様は、さっきまでの態度とは一転してものすごい目つきでディートリッヒ様を睨みつけている。

 ああ、やっぱり演技でしたか。強く言えない恋人に苛立つ愛人ですね。世の中、優しい愛人なんていないんですね。そうですよねぇ、ご帰宅同伴の愛人様ですものねぇ。

 

 結局無言のまま、ぎくしゃくした味気ない夕食は続きました。



◆◆◆



 夕食後部屋に戻って、深くて重いため息をついて長椅子にしなだれる。

 

もう嫌だわ。十九で結婚と離婚を経験。その前は十五で婚約破棄。婚約破棄後の縁談はしばらく途絶えたわね。離婚なんてしたら、次の縁談まで何年かかるかしら?

確実に適齢期は超えそうね。

うちは侯爵家だけど、やっぱり伯爵家か侯爵家の後家になるしかないかしら。そうよね、処女でも出戻りになるし。だとしたら、わたくしを後家に迎えた相手の方って超ラッキーじゃない!?

――でもわたくしはラッキーじゃないわ。

 愛人同伴ご帰宅旦那様でも、容姿はわたくし好み。

 わたくしだって人並みの顔をしているし、シャルロッテ様ほどじゃなくてもエリカ様並みだと思うわ。だから処女くらいもらってくれてもいいと思うの。

 幸い(?)旦那様は経験豊かだから、仮初の妻とはいえわたくしの最後の願い……いえ、これを条件に離婚に応じます、といえばきっとうなずいてくれるわ。


「うふふ」


 勝算を感じて安心したわたくしは、離婚宣言の痛手もあってずいぶん疲れていたらしい。

 ほんの少し横になるつもりが、長椅子にしなだれたままぐっすり眠ってしまった。


 ああ、どうか夢の中では幸せな自分を見られますように。

 こんなふうに頭の中だけでしゃべっていないで、堂々と旦那様に意見できるようなデキる女性になりたかったわ。


 ――そう願っていたのに、夢に出てきたのは最悪なかつての婚約者。


 二つ年上の伯爵家の嫡男。王都の学校の寮に入っており、そこで知り合った友人とその妹をつれて帰郷していた。

 何度か王城の式典で拝見した、聖女と呼ばれるこの国の王女様のように、華奢で色白の友人の妹はわたくしと同じ年だった。

 わたくしは彼の婚約者として紹介されたのだが、なぜか顔色を悪くされて彼女は倒れた。

その後、なぜか我が婚約者が抱きかかえて部屋に連れて行き、そのまま看病にあたったらしく戻ってこなかった。残されたわたくしと初対面の婚約者の友人との間には、天気の会話のみが交わされただけ。


 そして一週間後、青天の霹靂が訪れる。

 

わたしが、あの時の婚約者の友人といかがわしい行為をしたというのだ。

婚約者はなぜかその友人の妹――フローラ様を連れて我が家へと乗り込んできた。しかも両親がいない間に。

 何を言っているんだ、と冷静に真顔になって二人を見たら、婚約者はビビって泣きそうになっているフローラ様を抱き寄せた。


『フローラが見たと言っているんだ。彼女が泣きながら語ってくれたぞ!』

『は? 見た?』


 何をだ。と、いうかもう一人の当事者となるべき彼はどうした?


『フローラ、君はなんて洗練潔白な女性なのだろう。いかがわしい胸で我が友人を誑かした女など、我が伯爵家に必要はない! よってわたしは彼女を婚約者として迎える』

『ダンテ様!』


 感極まった二人の抱き合ったシーンが展開され、しばらく呆然としていた。


『いかがわしい胸』ですって? 

 あなた……よくわたくしの胸を枕に昼寝してたじゃない! 重かったんだから!!


 それからのことは良く覚えていないが、我が家といろんな駆け引きがあった彼の家が大騒動したのは覚えている。

 元婚約者ダンテの友人、つまりフローラの兄と会ったのは彼女が倒れたあの日だけ。しかも彼は天気の話をした後、急に呼び出されて王都に戻ってしまっていた。その見送りをしたのはわたくし。

 で、フローラが見たといういかがわしいシーンだが、わたくしと彼女の兄が会っていた時間は非常に短く、しかも彼女は倒れてダンテに看病されている時間帯。

 そう、つまりありえないのである。

 子ども同士のケンカ、と済ませればよかったのだが、なんとあの場にわたくし達三人以外にもう二人いたらしい。わたくし全然覚えていないけど。

 その二人はあろうことかダンテとの婚約破棄書類と、フローラとの婚約誓約書を用意しており、見届け人となって王城に提出してしまっていた。

 ちなみに婚約誓約書の申請人はフローラの両親。

 彼らは子爵家だったが、ダンテにわたくしという婚約者がいたことは知らなかったらしい。あとからすごい勢いで謝罪があったが、我が家は沈黙を貫いた。


『いかがわしい胸』


 その言葉のせいでわたくしの猫背ライフが始まり、背筋矯正ライフが始まったきっかけ。

 悪夢だわ~。もうあの人には会いたくない。たとえ夢でも。

 あ、結局ダンテはフローラと婚約。伯爵家と子爵家はピリピリしているって話だけど、うちはもう関係ないから放置。そういえば結婚したって話は聞かない。

 ま、どーでもいいけどねぇ。

 とりあえずこの件で、侯爵家の長女としてのプライドは木端微塵よ。

 精神的にたちなおったわたくしは、上位貴族に嫁いで嫌がらせしてやる! としばらく本気で思っていたわ。すぐにその熱も冷めたけど。

 わたくしったら飽きっぽいのかしら。

夢の中で膝を抱えて首をひねっていると、そっと誰かがわたくしの頭をなでてくれた。

 お父様かしら。あの時もお母様とお父様がずっと抱きしめてくれたわ。


 また抱きしめてくれるかしら? 

 ――ま、マズは離婚延期計画よねぇ。明日考えよぉっと!


「ん?」


 急になんだかドアが気になり出す。正確にはドアの先。つまり廊下だけど、何かしら?

 

 わたくしはそぉっと近づいて様子を伺いながら、勇気を出してドアを開けた。

読んでいただきありがとうございます!!


6月25日にジャンル別で2位いただきました!

頬が緩みつつも、おもわずランキングに合掌して拝みました。

ありがとうございました!

次回は29日更新です。

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