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聖徳太子騎馬民族説と古代高速道路「駅路」の謎、白川静の漢字の呪術的世界

 今年、法隆寺に行って聖徳太子の木造を見たんですが、朝青龍にそっくりの聖徳太子が馬を曳いていました。で、「聖徳太子騎馬民族(遊牧)説」(蘇我氏)に取りつかれています。


 確かに飛鳥時代に奈良に古代チーズや乳製品の醍醐(醍醐味の語源)もあったらしく、蘇我氏本家滅亡後にこの食品は日本史から消えてしまいます。蘇我氏の源流は、天皇家と奈良盆地を二分した勢力を持っていた葛城氏らしいですが、葛城氏も衰退していって、その生き残りが蘇我氏らしいです。どちらも外交、軍事に優れ、馬や渡来人を活用してたようです。


 蘇我氏の「蘇」は乳製品が語源らしい。レアチーズという話も。「カルピス」とかヨーグルト、バターとかがあったのかもしれません。


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醍醐


仏教の大乗経典『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)の中に、五味として順に乳→酪→生酥→熟酥→醍醐と精製され一番美味しいものとして、涅槃経も同じく最後で最上の教えであることをたとえとして書かれている。これを五味相生の譬ごみそうしょうのたとえという。


(中略)


製造方法


延喜式では、納税に用いる蘇の製造が規定されている。蘇は醍醐を製造する前段階の乳製品であることから、蘇をベースにさまざまな手法で濃縮、熟成させ、醍醐を作り出す試みが食品研究家らの手でなされている。


その他

ラクトー株式会社(2013年現在の「カルピス株式会社」)が、1919年(大正8年)7月7日に誕生した乳酸菌飲料の「カルピス」を命名する際に、当初はカルシウムの「カル」と醍醐サルピルマンダの「ピル」を合わせた「カルピル」が考えられたが語感がよくないとされた。そのため五味の次位である熟酥サルピスの「ピス」と合わせ「カルピス」と命名した[4][5]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%8D%E9%86%90

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 それと時を同じくして「駅路えきろ」という古代の高速道路も消滅していて、古墳時代からちらほらあって、飛鳥時代、奈良時代には本格的に整備されていたようです。


 道幅が6~60メートル、直線道路にこだわっていて30キロぐらいの直線道路もあったようです。

 総延長が6300キロで、1970年代の高速道路計画が6500キロというから、今の高速道路と比較しても遜色ない規模で、側溝、街路樹もあったりします。

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駅路えきろとは、古代律令制において定められた駅使が通行する官道のこと。

都と大宰府及び五畿七道の全ての国府を結ぶ路線であり、中央政府の命令・地方国司の報告・緊急事態の連絡はいずれもこの道を経由して行われた。古くは、駅使が駅馬(えきば/はゆま)などで往来するために馬の通行を妨げない程度の道幅とみられていたが、近年の考古学調査の成果によれば、その幅は最小で6m程度、最大では30mを超えていたことが判明している。また、直線道路という特徴も持っていた(30km以上の直線道路であることもあった[1])。後世の街道も駅路に由来を持つものがある。


駅路

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%85%E8%B7%AF

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 以前、血液型進化論のエッセイを書きましたが、関東地方や鎌倉、東北地方に馬に乗った武士団が現れたり、馬に乗った蝦夷などがいる不思議を解明する過程で見えてきたものです。


 朝鮮半島で馬や美人の女性を中国に貢物として送ってたとか、朝鮮半島に進出した大和朝廷の軍が騎馬に蹴散らされたという記述もあったりします。


 朝鮮半島まで馬が来てたのは間違いなく、朝鮮半島の北に箕子朝鮮(きしちょうせん、? - 紀元前194年、古代殷王朝の末裔)、南に辰国(しんこく、秦国の末裔?)があった時代があり、辰国がさらに三韓に分かれて、辰韓(新羅)、弁韓(任那)、馬韓(百済)になっていきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95%E5%AD%90%E6%9C%9D%E9%AE%AE


 箕子朝鮮は衛氏朝鮮(えいしちょうせん 紀元前195年? - 紀元前108年)に滅ぼされるのですが、箕子朝鮮の王の準王は馬韓を攻めて王になってしまいます。


 馬韓は後の百済になっていき、百済の王家と民は滅亡後に日本に亡命してきます。

 弁韓(任那)、馬韓(百済)と大和朝廷はそれ以前からも仲が良いというか同盟を結んでいて、この辺りから日本に殷(正式の国名は「商」=近江商人とか商人の起源)の文化や馬の文化が導入されたのでは?と思っています。


 ただ、殷(いん、ピン音:yīn、紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)は超古代文明に近いので、それ以前に倭人、隼人などの海人族に混じって日本に来ていた可能性があり、漢字の原型を作った民族なので、日本の大和朝廷が漢字を採用した時に関わった可能性もあります。


 殷の文化はシャーマンとか祭祀王の文化なので、卑弥呼の鬼道にも繋がった可能性もあり、そのあたりは白川静氏の漢字の呪術的解釈、万葉集と詩経の文化的共通性の研究等から紐解かれるかもしれません。



武田鉄矢 今朝の三枚おろし 白川静の文字学について【白川静 さいの人 Part2】 2015年2月23日~2月27日 放送分

https://youtu.be/wHob9GhMbto

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