縄文夢通信と『日抱き』の御魂鎮め、レイラインと古代人の超能力開発法
最近、複垢調査官(http://ncode.syosetu.com/n3442co/)という変な短編を書いたのですが、主人公は飛騨亜礼という名前で、古事記の編纂に関わった稗田阿礼の子孫という設定になっています。
稗田というのはおそらく、飛騨のことで、飛騨地方からきた阿礼という人のことだと思っています。
もしくはそれにちなんだ苗字なのかなと。
大和朝廷の本拠地の近くに稗田や飛田という集落があって、天皇家や政権中枢と深いかかわりがあったと思われます。彼の驚異的な記憶力の秘密も実は飛騨地方にあるんじゃないかなと思っています。
「時に舎人あり…」。偉才・稗田阿礼ゆかりの地へ
http://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/kikimanyo/route_kiki/k03/
それでですね。この飛騨地方には『日抱き』の御魂鎮めという神事があったらしいんです。
『日抱き』の御魂鎮めというのは、池などに映った太陽を眺める修業のようなもので、それを続けていくと、遠い未来とか見えてくるという。
不思議な世界 (5)「そういう心の中の光り輝く命を磨くために、近くの者がみな集まり、時々太陽の光や月の光を水面に浮かべて、それをじーっと見ることにより素晴らしい境地に入る修行をした。これは誰が始めたということもなく、自然に我らの先祖はすうっとやってきたことである。わしも五歳か六歳の頃だったと思うが、今の乗鞍神社の上の方で池を囲んで大人の人が心を鎮める行をする所へ、父親に連れて行ってもらった覚えがある。その後途絶えてしまったんじゃ。
太陽の光を水に浮かべて、それを抱くような気持ちでじーっと暫く眺め、それから目を閉じて心のどん底の光り輝く命を拝み、一切の災難を逃れて幸せを求めて生きてきた。我々人間はただ外の物を求めるだけでなく、心の中、体の中、内なるものを求め、求めて生きることが大事であると、私は父親からよく言って聞かされたんじゃ。
この御魂鎮めを行うことを日抱をするといってのう、日抱の御魂鎮めを毎日毎日していると、遠い未来が目を閉じていても目の当たりに見えてくるんじゃ。」
http://plaza.rakuten.co.jp/yfuse/diary/200509240001/
これはホントかどうか分からないのですが、この辺りの神社の総本家には苗字がなくて、天皇家の起源と何か関係があるのではないかと思われます。
「高天原は飛騨であった。
原日本人はどこからか渡来したのではない。純日本人は、飛騨・乗鞍のふもとで発生し、次第に日本全域に広がった(山本健造説)。
飛騨(日抱き)にある神社の総本家には苗字がなく、時代が下がると「スメラミコト」と尊称された。」
http://takanojyou.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html
建築家の渡辺豊和氏の書いた「縄文夢通信」という本の中で、縄文人たちの光通信ネットワークという仮説が提出されています。いわゆる「レイライン」、太陽の道というやつです。
複数の神社や山の頂点が一直線に配置されていたり、三角形の綺麗な図形が地図上に描かれることもあります。
これは単なる神秘主義ではなくて、太陽の冬至や夏至のラインを確定して、暦を作るという実用的な意味もあったと思われます。
冬至、夏至ラインを地図上に描くと、当然、三角形が浮かび上がるのは不思議でもなんでもないんです。
縄文人国家と現在文明 縄文人が解れば現在が解る。
http://bunarinn.lolipop.jp/bunarinn.lolipop/bunarintokodaisi/jiyomontoasuka/4/jiyomontogenzai.html(リンク切れ)
この本を読んだ経済人類学者の栗本慎一郎氏は「縄文式頭脳革命」という本を書いて、縄文人は太陽の光の点滅を鏡(山頂の鏡石)などで作って、脳波をコントロールする方法を持っていたのではないか?と言っています。祭りの際に、この光刺激で集団の意識をシンクロできたのではないかといいます。
この本は自分の脳力を開発する方法と論理的に相手を説得する方法をなどを前半では説いていますが、後半において、人間のコミュニケーションを脳の共振現象によって互いに共感できるようにできないか?ということも言っています。それができれば戦争とか、争いがあまり起こらない世界が実現できるのではないかとも。
縄文の仮説
http://commutative.world.coocan.jp/blog2/2009/07/post-178.html
これで思い出すのがポケモンアニメでの子供たちが光過敏性てんかんを起こした事件です。
光の点滅が光過敏性てんかんを引き起こし、全身けいれんで倒れた事件です。
光の点滅の刺激で人間の脳のみならず、身体全体に影響がでるという実例ですね。
ポケモン事件と光過敏性てんかん
http://www.city.gifu.med.or.jp/epi.html
具体的にはアルファシータ法というらしいですが、脳のアルファ波、シータ波などを作り出す方法を栗本氏は研究してたようですが、今、どうなってるんでしょうか?そういう装置もありますが、光過敏性てんかんとか問題も起こりそうなので使用はやめたほうがいいと思います。あくまで自己責任で。
海馬からシータ波を出して記憶力アップ!「海馬が活性化されていれば、それだけ記憶力が高まり、少ない反復回数であっても、より強固な長期記憶になっていきます。そのカギを握る指標こそが、シータ(θ)波です。海馬からシータ波が出ているときというのは、”記憶の管制塔”である海馬が活性化しているということ。言い換えると、外部からの情報を記憶に焼き付けようとスタンバイしている状態。
ですから海馬からシータ波を出すことに成功すれば、そのときに外部から入ってくる知識は、長期記憶として定着しやすくなるわけです。ちなみに海馬とともに、前部帯状回というところからもシータ波が発生します。
これも大脳辺縁系にあります。」
http://www.study-learning.com/kioku/%CE%B8wave.html
ただ、稗田阿礼の異常な記憶力というのは、飛騨地方の『日抱き』の御魂鎮めの影響ではないかと思われます。何らかの方法で脳波をシータ波にすることができたとかです。例えば、ろうそくの光とかをじっと凝視するという方法で同じような効果も得られるのではないかと思われます。
そう考えると修験道で神通力を得るとか、拝火教とかの影響かもしれませんが、山道をひた走るとか、木の実を何千回も噛むとか、火を使って脳へ刺激を与える脳力開発の一種なのかもしれませんね。
話がそれましたが、箸墓の埋葬者で卑弥呼だとも言われてる孝霊天皇の皇女、百襲媛が箸でほとをついて死んでしまうというエピソードがあって、その起源が「池に鏡を鎮めてその上を巫女さんがポンと飛び越える」という神事でないか?という説を以前、書いたことがあります。
日本神話で「ほと」を突いて死ぬ女が何人かい「アカルヒメ(皇祖神・天照大神・若魂の日女神)が誕生したことを祝う非公開神事も当家では伝承しています。日矛鏡を沈めた池(鏡池)の上を巫女がポンと飛んで、ホトに日矛の光(太陽神の男性のシンボル)を当てて懐妊する過程を再現します。」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1095321700
どうも池と鏡、太陽の光というのは古代の神事に何か関係があったのかもしれません。
『日抱き』の御魂鎮めという神事のように、古代人がシャーマン的予言能力の能力開発をやっていた可能性もあったりします。
巫女や神社の神事に、ちゃんとシャーマン的能力開発プログラムがあった可能性も出てきます。
とはいえ、それも忘れ去られた技術なんでしょうけどね。
縄文文明を舐めちゃいけないかもと最近は思っています。
大和三山は山頂を大幅に工事した部分的人口造山説もあり、巨大な土木建築技術を持っていた可能性も指摘されています。
信長が作った安土城のあった琵琶湖周辺は、ちょうど北陸などから山伝いにくると平地になっているので、山の民(縄文系)の交通の要衝にあったりします。必ずここでは平地に降りないといけない。
安土城は六角氏の観音寺城をモデルに作られたようですが、南近江を治めていた六角氏は古代の縄文系の山の民と繋がりもあり、「ホツマツタヱ」によると古代縄文の近江王朝にも通じる古族の子孫かなと思います。
織田信長は忌部氏という神官の家系だし、楽市楽座という商業政策とか、蜂須賀小六、秀吉の一夜城、水攻め(高度な土木建築技術)にしても、縄文系の山の民(商人)のネットワークを活用して権力を伸ばしていったように思われます。
縄文人たちの光通信ネットワークの謎も解明できてないし、全国の神社の起源が巨石、磐座、聖山信仰に基づいてることは明らかだし、縄文時代の遺跡と重なってるのも興味深いです。
ということで、謎は全く解明できませんでしたが、今回のお話はおしまいということで。
SF作家、半村良の「産霊山秘録」では、ヒ一族という超能力者集団が「芯の山」を探して彷徨うというお話がでてきます。
産霊山秘録
http://1000ya.isis.ne.jp/0989.html
「妖星伝」も面白いですが、こんなお話を全部盛り込んだ小説が書けたらなあと思います。
「複垢調査官」の短編連作アイデアも浮かんでるんで、そこにちょっぴり盛り込めるかもですが、アルファポリスのホラー短編を仕上げてからにします。まだ、アイデアが全く浮かばないんだけど。
『妖星伝』第七巻の秘密
http://homepage2.nifty.com/GARAKUTA/katuji/toride/toride05.html(リンク切れ)
海人族などの海洋民族は航海の際、陸地にある山を目印に現在地や進路を決めたりします。
「山当て」という技術ですが、ダイビングの講習では必ず出て来るし、潮に流されたりすると本当にそれがないと方向がわからないです。
高知などでダイビングスポットに漁師の方が舟を出してくれることがあるのですが、山や陸地の目印によって三角測量するみたいに場所を正確に特定しますし、海底の地形を覚えていて頭に描けるそうです。
古墳なども建造当時は海岸線にあったりして、船の航海の目印としても機能してたようです。古代の移動は船中心ですし、何故か古墳、飛鳥、奈良時代になると謎の古代の直線の古代高速道路(現代の高速道路とほぼ同じ規模の)の建設がはじまります。
古代史の大きな謎のひとつですが、まあ、馬による伝令、軍隊の移動が目的だったのかな?と思ったりしています。
「太陽信仰は、人類学的にみても狩猟採集民や航海漁労民をルーツとするものである。事実、日本でも古くからの海人族であった尾張氏や丹波氏は、天皇家よりずっと以前から、太陽神アマテラスを祭っていた。また、川筋を渡り山野に漂泊した非農耕民サンカも、太陽を「アノさん」と言って拝んでいた。
農耕民は通常陰暦、つまり月の満ち欠けのサイクルを一ヶ月とする暦を農耕暦として用いた。そして、太陽暦のルーツは遊牧民だと言われている」
狩猟採集民族・縄文人たちは、夏至と冬至の日を知る為に、各地の山上に鏡石を置いた。しかも、その山とは、すべて東西軸から三十度ずつ、つまり、それぞれの山から見ると、冬至・夏至の日の出と日没の線上に乗っているのである。この山々に、光を反射する鏡石を東西軸に平行に置けば、日の出と共に、その光を遥か彼方のまだ日の昇らない山々へ伝えることができる。これらの山々は、年に二度、冬至と夏至の日になると、不思議な光に包まれると言うことになる。その証拠に、各地に、暗闇のなかで山頂が光ったという伝承があるという。しかも、光通信の一大拠点と目される奈良の三輪山は、山頂がよく光ったので、光明山と呼ばれたと言うのである。
各地の山の頂きに人工の巨大石がころがっているのは事実である。しかも、其の石が光を反射するように加工され、一定の角度に配置された理由として、太陽信仰以外には考えられない。
http://bunarinn.lolipop.jp/bunarinn.lolipop/bunarintokodaisi/jiyomontoasuka/4/(リンク切れ)