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「ホツマツタエ」 から読み解く神武東征、古事記、卑弥呼、神功皇后の謎

「ホツマツタエ」

http://www.hotsuma.gr.jp/


29 タケヒト(神武)大和やまと討ちのアヤ

タケヒト・大和討ち −神武東征  97年9月24日

http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya29.html



 どうも、イザナギ、イザナミの皇子のアマテル(アマテラス)の後に、葦原の中国はニギハヤヒ王朝に移行していたらしいです。


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その頃、大和のニギハヤヒに仕えていたカグヤマノとみを名乗るナガスネヒコが、ある事件を引き起こします。事の発端は、ニギハヤヒと結婚した妹のミカシヤ姫になかなか世嗣子よつぎこが恵まれないのを心配した兄ナガスネがアメオシクモによって春日大社の蔵に大切に秘蔵されていた、「世嗣紀」(よつぎふみ)を無断で持ち出し、勝手に書き写してしまいました。蔵守くらもりの直訴により事件が発覚します。事の重大さから国政を司どる大物主クシミカタマは、何度もナガスネに勅使を送り真意を問い正しますが、まともな返答が得られません。「蔵守が事は何か知らん。我存ぜず。」と突っぱねます。


 実は、時の天皇が遠い九州に居られるという事情から、葦原中国あしはらなかくにの政治に空白が生じ、それを良い事に、日頃からナガスネは、掟を乱す勝手な振る舞いが、目だつようになり、天をも恐れぬ傍若無人な態度に、良民から次々と訴えが届きます。事ここに至っては、もはやナガスネを抑えられる人とてなく、世の中が不穏な空気に包まれて、騒がしくなっていくばかりでした。


 その頃の慣例として、大和のニギハヤヒの王朝に対して、関東・東海地方を治めていたハラ親王おきみから、同胞はらからとしての好意で、初穂(年貢米)を上納し大和の政権を支えていました。ハラ親王がナガスネの行為に対してケジメをつける為に、一時食糧支援を中止する決定をするや否や、ナガスネは全国の船の運行を武力により止めて、特に中国なかくにの最重要な河川の交差路だった山崎の関を無謀にも武力によって封鎖するという敵対行為に及びます。


タガ(関東・東海地方の国)に居て、タガ親王を守護し、葦原中国と山陰・北陸地方を兼ね治めておられた右大臣の大物主は、直ちに軍を率いてナガスネに戦いを挑み討ちとろうとしました。全国の物部(兵)の指揮を執る大物主の素早い決断に、何不自由なく、有能な臣下に助けられ政務に専念してこられたタガ親王は、大変驚いて、ツクシ親王の弟のタケヒトの元に逃げ下ってしまいました。

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 ニギハヤヒの臣下のナガスネヒコ(妹がニギハヤヒと結婚してる)の横暴な振る舞いから反乱に至り、タガ(関東、東海地方)にいて葦原の中国(近江、大和王朝)の兄弟国である根の国(北陸、山陰)と葦原の中国の軍務を統括していた大物主(後の物部氏?)もナガスネヒコ討伐に動きます。


 ナガスネヒコによる大和大乱がきっかけで神武東征が起こったことになりますね。

 


 東の大国「日高見の国」も、葦原の中国の兄弟国で、イザナギは根の国の皇子、イザナミは葦原の中国の皇女なんだけど、日高見の国で育ったらしい。


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  丁度その頃タケヒトは、アタの県主あがたぬしの娘アビラ姫を娶り、お生まれになったのがタギシミミでした。君が四十五才になられた年の事です。世間に流行歌はやりうたが蔓延します。


乗り下せ  秀真路ほつまじ

ひろむ  天磐船あまのいわふね


 この歌を知ったシホツチのおきなは、タケヒトに東征を勧め、「ニギハヤヒととみナガスネの勝手な振る舞いで中国が乱れて国が危ない。タケヒト汝行きて断固戦い、平定せよ」と、力強い支援の言葉を受けて、居並ぶ諸神もろかみも異口同音「そうだ、当然だ」「先の世嗣紀の答えもだ。打て。君よ、一日も早く我ら率いて御狩に発たれよ」「今、国を救う者はタケヒト君をおいて誰あらん」と、強い熱気が立ち上り「万歳よろとし万歳」の歓喜の声が日隅ひすみにこだましていきました。

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 どうも、それ以前に九州で反乱が起こった時に、皇子を九州を派遣し、自らも九州に親征したようで、反乱の理由は食糧不足と見抜いて(九州は台風とか災害多いので)、新田開発した時期があって、皇子が九州を治めることになって、その血脈から神武天皇のタケヒトが生まれたようです。


25 ヒコ尊(みこと・彦火火出見)釣針を得るのアヤ

ヒコホホデミとトヨタマ姫 99年1月20日UP

http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya25.html


27 御祖神船魂みおやかみふなたまのアヤ

タマヨリ姫に白羽の矢 −神武天皇の誕生  97年9月3日UP

http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya27.html


 神武天皇、タケヒト(いみな=本名、天皇家は代々「ヒト」がつくようになったらしい。ヒロヒトとか)は神璽(「オシテ」というらしい)を所持しているし、反乱討伐に立ち上がってくれ!と言われたらしいです。


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ナガスネヒコの反乱でタガ親王をきみを欠き、一人で大物主として、全国の兵(物部達)を統轄してきたクシミカタマは、タケヒトを援護して密に連携しあいます。タケヒトは長期戦に備え兵糧の備蓄、武具の調達、兵の訓練等々、軍備を整えるためにタカシマ宮に三年間ご滞在になりました。 

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 吉備のタカシマ宮で三年滞在、補給とか色々したのは事実のようです。

 吉備は備前の備前国一宮 石上布都魂神社いそのかみふつみたまじんじゃとか、物部氏の武器庫があり、鉄の生産、農業も盛んで、軍船の沢山あったから補給に最適だったんですね。


 これが事実だとすると、ナガスネヒコによる反乱=大和大乱で、結構、規模の大きなクーデターだったようです。全国の船の交通が止まってしまったと言ってますし、かなり大変な大乱だったことは確か。


 やっと古事記のお話の辻褄が合ってきた。古事記の編集酷すぎ!


 反乱というより、王朝乗っ取りに近い。



 

 「ホツマツタエ」はやっぱり、日本の正史に近いというか、いろんな謎が解けてしまうので、つまり、古事記や日本書紀はそれ以前の記録である「ホツマツタエ」をそのまま使用せず、正史の神話化を行ってしまっているのではないかと思います。


 アマテラス=アマテルという実在の天皇の先祖を神に祀り上げて神聖化し、神武天皇を始祖とする天皇家から人の歴史がはじまるということにしてしまったようです。実際、数千年の縄文時代の話なので、確認のしようがないのですが、たぶん、史実に近いと思います。


 僕も小説を書いたりしてるので、フィクションやお話をでっちあげるというのは非常に難しいというか、古代の神話の雛形テンプレを元に話を組み立てたり、その話の原型がないと神話にしても語ること自体ができなくなります。よく歴史上の人物の非実在説が唱えられますが、話を変えたり、誇張はあるとは思いますが、全くいない人を創造するのは考えにくいです。




 「ホツマツタエ」から見た日本の正史を簡略に記しますが、伊勢神宮に祀られてるトヨケ(豊受神、天皇家の先祖のひとり)が世継ぎが生まれない葦原の中国(近江王朝)の姫イザナミと根の国(北陸、山陰の国)の皇子イザナギを結婚させ、世継ぎの皇子アマテル(アマテラス)が生まれます。


 この当時は縄文時代で、東の大国「日高見の国」(東北の国、三内丸山遺跡がある青森辺りが中心かな?)、タガの国(東海、関東)、九州の筑紫の各国などが存在しています。


 アマテル(アマテラス)は男性なのですが、ワカ姫(ヒルコ、後の下照姫、シタテル姫、天皇に即位したアマテルを立てて妹ということになる)というお姉さんがいて、このお姉さんは母親のイザナミに呪歌(和歌の起源)を教わっていて、イナゴ祓いの呪文などで紀伊の国を救って神社に祀られたりします。


 三歳の時、イザナギ、イザナミ夫妻が厄年になり、その厄を祓うために船に乗って流されて(これがヒルコの話の原型、実際に流産した子供がいたという説もあり)、臣下のカナサキ(住吉神)が廣田神社(西宮辺り)で拾ってしばらく養育されて、後に王宮に戻って下照姫となる。


 ワカ姫はアマテルの臣下であるアチヒコ(オモイノカネ)が使いに来た時に、ひと目ぼれして、回文の和歌を贈る。内容まとめて直訳すると「私と結婚しませんか?」というものなのですが、回文なので返歌ができない。アチヒコ(オモイノカネ)もワカ姫、美人だし、結婚したいけど、仲人もいないし、返歌できないじゃん!とか悩んだそうです。


 そこでワカ姫の養父のカナサキ(住吉神)に相談した所、「この和歌は回文だから返歌できないので、もう受けるしかない」とか言われて、兄(弟)のアマテラス(大王、天皇に即位)は「カナサキの船に乗って(仲人に立てて)結婚しなさい」という詔が下ります。それで二人は夫婦になって幸せに暮らします。という恐るべきエピソードがあります。何かかなり強引に押し切られてる気もするが。


 このワカ姫は、後にイナゴ騒動が再発した際に大活躍して騒動を鎮めます。

 ワカ姫(シタテル姫)の呪術はふたりの姫に伝承されていきますが、陰陽師の祖である吉備真備も「ホツマツタエ」を所有してたというし、琴を引いて漢詩を詠んだ岩も地元の真備町に残ってます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E7%9C%9F%E5%82%99


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又ある日ある時、クシキネ(大己貴)が諸国を巡って農業指導をしている時のことです。災害で食糧の乏しい村民の訴えに、つい誤って獣の肉食を許してしまいました。と、天罰が当たりその年の秋、村の稲田に稲虫が大量に湧き出て葉を食い荒らしてしまいました。驚いたクシキネはシタテル姫の坐すヤスカワに馳せ参じて、稲虫祓いの教え草を習い覚えて急ぎ帰り、オシ草(玄人)を持ってあおぐと、やはりホオムシは去って稲は若やぎよみがえりました。その秋豊作となったので、喜んだクシキネは、自分の娘のタカコ(高子)をシタテル姫の元に奉りました。


 その報を聞いたアマクニタマ(天津国玉)も感激のあまり、娘のオグラ姫(小倉姫)をこれも捧げて仕えさせました。シタテル姫は二若女フタアオメを召して八雲弾琴ヤクモウチコトを二人に教えて楽しみました。

 後にワカ姫が日垂ひたる時(臨終)に、ヤクモ(八雲弾琴)とイススキ(五弦)とカダガキ(三弦琵琶)の奏法をタカ姫に免許皆伝し、タカテル姫の名前を新たに賜わりました。又和歌の奥義を記したクモクシ文(雲奇文)は、オグラ姫に捧げて、なおも自分と同じシタテル姫を襲名させ、神上かみあがってから後に、和歌国わかくにのタマツシマ(玉津島)に祭られてトシノリ神(歳徳神)と称えられました。

http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya01.html

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 ツクヨミ、スサノオもアマテルの二男、三男として出てきますが、スサノオは乱暴者だったようで、アマテルの十二人の妃とひとりと不倫騒動を起こし、彼の三人の姫と妃(地方豪族の姫さま)などは筑紫に流罪になり、それが後の大和大乱に発展します。


 スサノオ自身も死刑になりかけたけど、許されて根の国(北陸、山陰)に追放となりますが、ヤマタノオロチ退治などはあります。その後の展開は出雲神話とほぼ同じかな。


 このアマテラスの子孫の天皇のニギハヤヒは、各地の農業開発などをしたりする訳ですが、天皇家が九州での内乱の原因を農業とか作物ができないことだと考えて、九州に行幸して宮を作って農業開発したりする訳です。


 天皇の単身赴任と申しますか、奥さんも来てたようですし、地方豪族からの妃も来たりして、皇子が筑紫の開発を任されて派遣されてるうちに、九州で妃を娶りましょうという話にもなる。その結果、神武天皇が九州で生まれることになった訳で。


 九州の日向は妃、奥さんの実家な訳で、そちらの神話も取り込もうということになるのは自然ななりゆきです。

 


 

 当時の天皇家というのは縄文時代から続く伝統的な系統だったらしく、ナガスネヒコの内乱で神武天皇に討伐軍を率いて上洛の声が高まり神武東征が行われる。


 神武は各地で兵と武器と物資、軍船などを集めつつ大和に迫り、当時の大和の葦原の中国を治めていたニギハヤヒ大王の親族であるナガスネヒコを討たざる負えない状況になりました。


 ニギハヤヒ大王としてはナガスネヒコは自分の身内だし、この辺りの古事記の記述は微妙な感じになります。ニギハヤヒ大王(天皇)としては責任を取って辞任、神武に後を託したと思われます。



 それで「古事記」においてアマテラスが男神→女神に改竄された背景は当時の皇位継承問題が絡んでます。


 天武天皇の時代に古事記の編集が始まるのですが、天武天皇の崩御の後に皇后の持統天皇が政務を引き継ぎます。


 これは当時、持統天皇の息子の草壁皇子が25歳ぐらいで、30歳にならないと天皇に即位できない不文律があり、時間稼ぎに天皇に即位せずに、政務を強引に引き継いだ訳です。


 前例を駆使し、江川投手の巨人軍入団並みの法律と慣習の隙間を突いた政権運営をする訳ですが、それは詳細は次回に譲るとして、この草壁皇子は亡くなってしまうのです。


 失意の持統天皇は孫の「軽皇子に皇位継承すればいいじゃん!」ということで、正式に天皇に即位してバリバリ活躍し始めます。


 和歌(呪歌)の達人、柿本人麻呂を重用して、「安騎野の冬猟歌」に見られるような亡くなった草壁皇子から軽皇子への天皇霊の継承の呪術を行ってる歌が万葉集にあります。白川静の著書が詳しい。

http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/16876489c83527efbd6a01405a581dfc



 そこで、持統天皇はさらに恐るべきことを思いつくわけです。

 「日本の正史を改竄して古事記を編集しちゃえ!」というアイデアです。


 トヨケ→アマテル(アマテラスは入り婿のイザナギの息子でトヨケの孫に当たる)という前例を利用して、持統天皇→軽皇子(文武天皇、持統天皇の孫、当時、天皇の継承は兄弟相続が慣例)の皇位継承を正当化しつつ、アマテル(アマテラス)を男神から女神に変更し、女神に奥さんがいたらおかしいのでセオリツ姫を抹殺(泣)、でも、藤原不比等(旧中臣氏で神官の家系)に相談しつつ、祟られたら困るので伊勢神宮にはセオリツ姫(アマテラスの荒魂として)、トヨケ(豊受大神)は祀っておこうということになった。ご先祖様だし。


伊勢神宮

http://www.isejingu.or.jp/


 セオリツ姫(別名ムカツ姫。意味はアマテラスに向かい合う姫、つまり、アマテルの正妻。織姫さんの原型とも言われる。日本の神社に多く祀られてるが正史から抹殺された女神とも呼ばれる)


日本には歴史の闇に【愛する人と共に葬り去られた女神】がいた。それは…

http://matome.naver.jp/odai/2136963776710777401/2136968050621376003




 ここにおいて古事記の酷い改竄が行われてしまい「どうも古事記は辻褄が合わん!話が繋がらんじゃないか!」という僕の疑問に繋がる訳です。女帝の執念恐るべし!です。


 ところが、こういう編集方針になってしまって、古事記の編集者は結構、大変だったと思われます。


 証明することはできないですが、おそらく、縄文時代の実在の天皇(当時は大王)の記述である天皇記の部分をを神話化してぼかしていろいろと辻褄あわせて、神武天皇から天皇が始まったことにしよう!(確かに大王から天皇という呼称変更あったかも)というグットアイデアを誰かが思いつく!それだ(爆)!ということで、今の古事記が出来上がるのですね。


 全部改竄してしまうと編集が大変ですし、たまに天皇の記述が抜けてるのは、たぶん、編集期限に間に合わなかったとかかも。それで「欠史八代の謎」が生まれてたらお笑いですけど、案外そうかも(爆)


 「ホツマツタエ」を日本の正史と考えると、継体天皇の皇位継承の謎(近江で生まれ、母方の越前の国で育った、天皇の五世孫)がすんなり解けるというか、そういう前例が天皇家にあるし(根の国の皇子イザナギ)、近江と言えば葦原の中国であり、かつて、多くの天皇家の宮が置かれた場所だしね。


 僕的には頼むよ!持統天皇!ですが、宮内庁とか、天皇家としては「ホツマツタエ」は偽書とするしかないですが、宮内庁には献上されて、ちゃんと国立公文書館に所蔵されてるようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B1




卑弥呼はいたのでしょうか? 候補者を教えてください

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8449337.html 


 それでアマテルが男性だとすると、アマテラス=卑弥呼説が消えてしまい、卑弥呼=神功皇后説(息長足姫 (おきながたらしひめ) 、近江の豪族の娘)が有力になるのですが、実は卑弥呼は別の人のようです。


 卑弥呼は仲哀天皇(帯中日子天皇)の妃の弟媛(おとひめ。来熊田造の祖・大酒主の女)で息子は誉屋別皇子ほむやわけのみこという説があります。どうもこれが最有力らしい。


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神功皇后時代の弟姫説では與狗奴國男王 卑彌弓呼は神功皇后の弟の日子王と推定する。 卑弥呼(弟姫)には仲哀天皇の後継者である誉屋別皇子がいた。 そのために卑弥呼(日女子、姫子)と神功皇后の弟の日子王(日女子王 姫子王)は政略結婚させられる。 さらに神功皇后の娘である豊姫(13歳)と誉屋別皇子は政略結婚させられて、神功皇后は誉屋別皇子の義理の母となる。(古事記参照) そうして神功皇后は応神天皇はもちろんの事、誉屋別皇子も手中に収めることになる。


卑弥呼 弟姫説(日女子)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%BC%93%E5%91%BC


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC

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 卑弥呼が歴史から抹殺されてる理由は、弟姫(日女子)が神功皇后説のふりをして、魏に軍を要請して反乱罪に処されたからで(反乱に加わった100名ほどが一緒に埋められてます)、「日女子」が「卑弥呼」になってる理由は、中国人中心主義による蔑称であって、音はそれなりに合ってると思われます。つまり、「匈奴」とかの名称と同じ理由によります。


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それから住吉大神の神託により、お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したという(三韓征伐)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%8A%9F%E7%9A%87%E5%90%8E

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そして204年にできた魏の帯方郡の由来についても帯姫で説明できる。

旧暦の200年12月には倭の国(日本)は出兵をして南朝鮮を手中に収めた。

そこで北朝鮮半島を支配していた公孫氏は帯姫(神功皇后)がいる方角の国という事で帯方郡と名付けたのでしょう。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8449337.html 

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 神功皇后は僕は実在したという説で、九州を中心にエピソードが多いというのと、戦前までは大人気の女帝だったのですが、GHQによって教科書から抹殺されたので、今では非実在説まで飛び出す始末です。


 瀬戸内海にも神功皇后を祀ってる神社が多くて、僕の父親の故郷の島とか、吉備国にも神功皇后の伝承はあるんだよね。ある意味、卑弥呼も神功皇后もセオリツ姫のように後の政治の都合で同じような抹殺パターンですね。


 神功皇后は非常に興味深い天皇だし、そのあたりの編集も古事記編集部は当時、大変だったと思われます。


 ということで、時間都合で、続きはまた、後で書くことにします。

 

 




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