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縄文の古代史としての「ホツマツタエ」と古事記

 「ホツマツタエ」の現代語訳を読んでたんだけど、結構、面白いというか、東日本、近江(大和地方)が話の中心になっていて、近江にアマテル(アマテラス)やその父母のイサナギ・イサナミ(イザナミ)の宮殿があったりして、縄文時代を地形的な面から見ると、結構、納得できるお話だったりします。


ホツマツタヱ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B1



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「文書の伝承 その後、文書がどのように伝承されたのかは分っていない。ある時期までは、宮中にて「正史」として把握され管理されたと想像される。しかし、漢字や漢文の流入により、いつしか忘れ去られ、物部氏の滅亡に代表される古い豪族の衰亡、藤原氏の仏教への傾倒などによって、管理もおろそかになっていったものと思われる。生洲問答によれば、道鏡の時代にはまだヲシテ文献の原書が全巻そろっていたという。吉備真備は、天香山本記カグノフミ神載山書記ミカサフミ秀真政伝紀ホツマツタヱを所蔵していた。しかし、道鏡により文書の改ざんが指示され、文書を守る為に大加茂臣赤坂彦が自刃し、子孫は和仁估氏を名乗り文書を隠し持って近江へ蟄居し、その後秘伝の書としたという。また、桓武天皇が最澄に秀真政伝紀ホツマツタヱを託し、比叡山の石室に納めたともいう。しかしながら、これらを裏付ける資料は見つかっていない。」


ヲシテ文献より

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B2%E3%82%B7%E3%83%86%E6%96%87%E7%8C%AE

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カグノフミってなに?吉備真備はマニアックな文書を持ってたらしいw


 縄文時代は東日本の方が栄えていて、それは鹿児島の「鬼界カルデラ」という火山があって、約7300年前ぐらいに噴火して、西日本は人の住めない地域になってたからです。


 それと近江というか、琵琶湖周辺は山脈が途切れて平地になっていて、山岳を渡り歩いていた縄文人の拠点があの辺りにあったのです。あそこでどうしても平地に降りなければいけないのです。この話はSF作家の半村良とか、栗本慎一郎、作家の笠井潔(ヴァンパイヤー戦争)の対談などでも言及されてます。


 比叡山が焼き討ちにあったのは、あそこが京都に入っていくルートだったりして交通の要衝だっからです。

 信長の安土城の立地は、山人(=縄文人、近江商人、修験道者)の拠点だったからです。

 信長は忌部氏という神官の家系だし、楽市楽座という商人(山人)優遇策も何か理由があるのではないかと思われます。


阿波忌部氏と織田剣神社に隠された秘密

http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/column/post_210.html



 備前国一宮 石上布都魂神社いそのかみふつみたまじんじゃが織田氏ゆかりの神社だったとは!

 織田剣神社の剣が石上布都魂神社から来たらしいです。元々物部氏の武器庫的神社ですからね。忌部氏=伊部で刀剣、備前焼とかとも関係あるみたいですし。



 神社の由来なども自然で、この文書というか、ホツマ文字(神代文字)のために偽書説があるのが惜しい気がします。


「ホツマツタエ」

http://www.hotsuma.gr.jp/


 「ホツマツタエ」偽書説の根拠は、上代特殊仮名遣いで、上代には8母音説があって、ホツマ文字(神代文字)が5母音というのはおかしい、時代が下ってから書かれたものだというものです。


 僕の説ではそれはそうかもしれないと思います。単純に8母音だとわかりにくいので、途中で5母音に翻訳されたのでは?と思ったりします。あるいは口伝だったものをその時代に文書化した可能性もあります。


 この部分は、上代特殊仮名遣いの謎が解かれないと何とも言えないです。

 上代特殊仮名遣いは学会の定説ですが、異論反論も結構あるみたいですが。


 ただ、古事記が対中国向けの漢字を使用した外交的な文書であり、それ以前の「ホツマツタエ」的文書をベースに編集されたと考えた方が自然に思えます。


 というのは古事記自体が断片的でありすぎて意味が通らない文書であり、これ以前に古事記の原典になる文書は、稗田阿礼が「誦習」(暗誦)していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)という形であったと書かれてますもんね。


 「ホツマツタエ」的な文書が存在していたことは、古事記の記述が証明してる訳です。

 それが神代文字であったかどうかはともかく、「ホツマツタエ」的な文書が歌的な形式で口伝で伝えられたと思われます。


天武天皇は 稗田阿礼になぜ、帝紀を暗誦させたのでしょうか

http://mino-sigaku.la.coocan.jp/page453.html



 古事記によると、すでにこの時に「諸家に伝わる『帝皇日継』、『先代旧辞』の内容に虚偽が加えられてる」と言われているので、結構、編集は大変だったと思われます。



 「ホツマツタヱ」の内容の検討に入りますが、イサナギ・イサナミ(イザナミ)に長男のアマテル(アマテラス)という男子が生まれたのですが、長女として「ワカ姫」(昼に生まれたので昼子=蛭子の別名あり、呪歌としての和歌の由来になった人)がいて、次女は流産して「ヒヨルコ」と呼ばれていたらしいです。


 「ワカ姫」は三歳の時に、イサナギ・イサナミ(イザナミ)がどちらも厄年で、厄払いで船に乗せられて流されて、西宮の廣田神社で臣下に拾わせてちょっと養育されたり、紀州の田んぼでイナゴの被害を呪歌としての和歌の呪文で祓ったりしています。


 この呪文は母親のイサナミ(イザナミ)から教わったらしく、和歌を教えてた時に産気づいて三男のスサノオが生まれたりしています。二男はツキヨミですが、何か間違って臣下を切ったりして、官職を解かれたり、ドジで影も薄いです。エピソード少ない。


 孝霊天皇の皇女のモモソヒメ(百襲媛)も三歳の頃に讃岐に流されて臣下に養育されるエピソードがあり、後に都に戻ったりするのですが、天皇家の伝統かなにかでしょうか?


 スサノオは陰陽が乱れた時に生まれたので、暴れん坊に育って、アマテル(アマテラス)に根の国(北陸)に追放されたりします。


 イサナギは元々、根の国(北陸)の皇子で、近江の葦原中つ国に世継ぎがいなくて、高見の国(東の国)で育ったイサナミ(イザナミ)という皇女と結婚して、世継ぎを作って、アマテル(アマテラス)が生まれて何とか中央政府が復活したようです。

 

 葦原中つ国の王はトヨケと呼ばれていて、伊勢神宮に祀られてる豊受大神らしいです。

 豊受大神の祈祷によりアマテル(アマテラス、トヨケの孫に当たる)が生まれたりしています。

 イサナギって婿養子だったのですね。

 持統天皇の皇位継承とだぶります。皇子が無くなって孫を天皇にしたはず。


伊勢神宮

http://www.isejingu.or.jp/


 ということで、「ホツマツタヱ」の解読によって、日本の古代史の謎解きとか神社の謂れが分かるので、もう少し読み進めてみます。



東西キツの名と穂虫ホムシ去るアヤ

ワカ姫の恋、和歌ワカ初め  98年11月22日UP

http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya01.html


一姫三男ヒヒメミオ生む産殿とののアヤ

イサナギ・イサナミの御子誕生  99年4月23日UP

http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya03.html


天照神ひのかみ瑞御名みずみなのアヤ

アマテル神の誕生と即位  99年6月22日UP

http://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya04.html



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