目覚め
いつからかずっと寒さに凍えている。胸がむかむかして吐き気が止まらない。猛烈な頭痛が脈打つ。圧倒的な倦怠が全身を蝕み、指一本動かすのにとてつもない力が必要だった。
苦悶する1000の耳に誰かの声が聞こえてくる。
まるで、カレー屋でJとLKの会話を盗み聞きしていた時のように、荒れた海鳴りのような雑音を背景に、切れ切れの言葉が漂ってきた。
……DDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD……GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG……
『怪我はありません。ですが、検査で明らかになったのですが、いささか問題が発生しているようです』
『肝機能が極度に低下しています。娯楽薬に限らず、これ以上の投薬も危険です』
『もともと体質がパラレスに向いていないんでしょう。薬物に対する過敏さは個人差がありますから』
『長生きしたければ、パラレスはいますぐ引退するべきです。でなければ寿命を全うすることはおぼつかないでしょう』
『だましだましやっていく方法もありますが、本人に非常な負担を強いることになります。突然死のリスクも高いですし、オススメしませんね』
……GGGGGG……ZZZZZZZ……
『バーから連絡がなかったらどうなってたことか』
『まっさか天Tが相手とはね~けっこうやるじゃん。アソコに住んでるって初めて知ったし。ストーカーしてくれてよかったよ、ナヒャヒャヒャ!』
『笑い事じゃない! ……どうしてこんなことになったんだ?』
『……わかんない。でも、なにかあったっぽかった』
『知ってるならなぜ言わない? おまえ、一緒に住んでるんだろう?』
『知らないよ! 急におかしかったんだから、昨日! だから早く帰って来てくれって言ったのに!』
『こっちだって忙しいんだ! いきなり連絡されて、すぐに帰れるわけないだろう!』
『そんな怒んないでよ! あたしだって、どうしようもなかったんだから……』
『メソメソするな! ガラでもないだろ? 平気で人前で脱いでたような女が!』
『もうやめて、ひどいよ! 1000の前でそんな風にバカにされたくない!』
『この子も、ホントにお気楽なもんだな。遊び歩いた挙句に酔っ払って男の部屋からダイブか……なにを考えてるんだか……せめて命が助かったのが、もうけものってことだな……』
『いいかげんにしてよ! 大の大人がねちねちみっともなくない? オコなの?』
『パラレスが世間から注目されるなんて、これからもう二度とない大チャンスだったんだ。ここで失敗したら、なにもかもがパアになっちまう。おれたちだけじゃない、これまでパラレスに関わってきた全ての人間にとって損失になるんだぞ? 笑って水に流せることじゃないんだよ。最近じゃ“ネオパラレス”なんてハイエナ連中も利権を狙ってる。油断してたらいいとこどりされておれたちには何にも残んないぞ?』
『だったらあのときすぐに帰ってきてくれればよかったのに』
『いまさら言っても仕方ないだろ? こっちだって忙しいんだよ!』
『でも1000にはラッキーだったかもね。たまたま病気になりかけなのがわかってさ。体壊さないうちに引退もできるからよかったよ』
『……さっきの医者の診断はここだけの話にしてくれ。だれにも言うなよ。もちろん1000にもだ』
『え? どうして? そんなことしたら1000気がつかなくて体壊しちゃうよ』
『あのな、LK。お前は1000がいなくなってこれからどうするつもりなんだ? 体のことは黙っておくんだ。せめてピロリンピックが終わるまではな』
『J! そんな!』
『いいか? これがパラレス界のためなんだ。別にすぐ死んだりするわけじゃないってのは医者も言ってたろ? 大丈夫だ』
『1000は親友だよ? そんな嘘つけるわけないでしょ?』
『じゃあ、オマエは1000にパラレスやめて欲しいのか? ピロリンピックでパラレスはタッグしか競技がないんだ。そうなったらオマエだって日に当たる場所に出るチャンスを失うぞ? もとAV女優がこの先、国民的英雄の地位にありつけるチャンスがどこにあるってんだ? せいぜい先の保証なんか何もないフリーターかどっかの小金もちの嫁になって終わりだろ。世間から忘れ去られるだけだ』
『でも、1000の体が……』
『俺が頼んでるんだ、LK。オレとオマエはなんだ? 恋人同士だろ? おまえは恋人を……オレを裏切るのか?』
『J……』
『よく考えてくれ。おれの言うことがきっと正しいことだってわかるはずだ……』
……GGGGGG……ZZZZZZZ……
……GGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGGG……DDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDDD……
***
1000の病室はひっそりとして物音ひとつなかった。
白いシーツを半分ほどかぶり、目を閉じている1000の顔は化粧っ気がない。幼い地味な顔つきだった。
二日酔いに悶え、胃洗浄に苦しみ、点滴の針に脅えた。散々な一日だった。
点滴は通常の量ではきかないので十倍にされた。左右後五針ずつ留置針が腕を縫いつけている。苦しくてしかたがなかった。が、暴れないようにとベッドに縛り付けられているので、身動きもできない。眠くなったり目がさめたりを繰り返している。
現実と夢の間で遠近感を何度も見失いながら考えていた。
なぜこんなに悲しかったのか、JとLKでカレカノになったことが……
考えた瞬間、胸に刃物が突き刺さるような痛みが走る。
唐突に憎悪の炎が体内に燃え上がった。
(なんなんだよ! まるでわたしが好きみたいなこと言ってたくせに! はじめはむこうからだったのに! あいつから好きって感じで擦り寄ってきたから、がまんしてやってたのに!
わたしは女の子同士でべたべたすんのなんか嫌いだったんだからね! わたしのカラダを好きに触ったり、チューしたりしてさ……。いいようにこねまわして!
JもJだよ! ジジイのくせにわたしに告って、だめだったらLKかよ! 結局若い女だったら何でもいいのかよ! ヤリチン野郎! クズ! いいトシこいてわけわかんないわ! どんだけ年の差だよ…えーと16歳!? バッカかよ、こんなの今すぐ子供つくったとしてその子供が成人したら、オジーちゃんじゃねーか、どーすんだよ、全然なんも考えてないじゃん、真性のクソバカ!
……だいたいこいつが全て悪いんだよ! ちょっと身近にいたらすぐに手出すとか、雰囲気が上品で態度が礼儀ただしいがダメ男じゃんか! こんなやつのせいで! クソ! クソ!)
1000はぜいぜいと喉を鳴らした。常軌を逸した負の感情が肉体をどうしようもなく灼熱させていた。
(落ち着け、落ち着くんだ、わたし……
そもそもLKは、別にわたしに悪いことはしてないよね、むしろ好きだからあたしにいろいろ体触ってきたりしてきた……でもまだアイドル専用のカラダを保ってる。べつにほんもののエッチをしたわけじゃないっ……つきあってたわけじゃないんだからっ! ちょっと気持ちよかったし、LKがすごくわたしのことを大切に扱ってくれるから、それがうれしかったから、拒否しなかっただけ。
あと、Jは衝撃的なアホオヤジだけど、一旦わたしがフってるんだよな……でも別にその後も普通~に接してきたし、正直、そんなことがあったのはわたしが気まずいってのもあるけど、あいつが全然そんなことなかったかのようにしてたからでもあるな……振ったときは結構ショック受けてたみたいだったけど……なんかムカつくけど。といってもJに異性としての関心は全くなかったけど、ちょっと兄のように感じていたかもしれない。
……でも、別に二人とも悪くないよね……
どうしよう、二人ともなんかムカつくけど、嫌いになれないよ、どうしよう、おかしいのはわたしだけだよ。
わたしは一体何にムカついてんだろう。自分にカレシがいないのに、自分よりつまんないヤツに先を越されたような気がして悔しいから? 自分が幸せじゃないのに幸せそうなのが腹が立つから? わたしに黙ってたのがだまされたみたいで悲しかったから? わたしよりも先にLKがカレシを作って裏切ったみたいだったから?……かもしんない、でもわかんない、別にカレシにこだわってるわけじゃないし、でもほしいけど、昨日、天Tとお泊まりしそうになれたし、でも天Tはわたしが想像してた理想の相手じゃなかった。違ってた……。
なんなのかな、この裏切られたような苦しさ、寂しさって…わかんない、自分で自分がわかんないよ。
あ~もう二人に会いたくない、せめて一年くらい自分を見つめる旅に出て、気持ちを整理してからにしたい……)
***
病室に入ってきた看護師が1000に微笑みかけた。
「お友達がお見舞いに来てくれましたよー」
鋼鉄製の鎖で拘束された体を身じろぎさせる。脚におもしをつけたベッドがきしんだ。
「お友達? 誰で?」
一瞬、地元の友人たちが自分のことを配信ニュースで知り、田舎から駆けつけてきたことを妄想した。
看護師は後を続ける。
「LKさんですよ」
のどをふたがふさいでしまったかのように声が出なくなった。
1000は固まってしまう。
もやもやとした気持ちが胸の中で膨らむ。会いたくないと同時に、もう一度会って話をしたい、もしかしたらJとLKは付き合ってないという話が聞けるかもしれないという相反した感情がせめぎあう。
「会いますか?」
看護婦は聞いた。無言であいまいにうなずいた。
LKがドアから遠慮がちに顔を出した。明るい口調で言う。
「おじゃましま~す。調子どお?」
屈託のないようすのLKから思わず顔をそむけてしまう。胸苦しさが湧いた。
「なんだ、もう顔色普通じゃん。ちょっと心配しちゃった」
ぶら下げた荷物を持ち上げた。
「これお見舞い。とりあえずメロンもってきた」
窓際のテーブルにLKはメロンの入ったかごを置いた。ふわりと爽やかな香りが室内に満ちた。
「あたしはパイナップルのほうがいいって言ったんだけどさ……メロン好きなんだって、Jさん。すごく力説するから、こっちにしてみた」
LKはベッド際のイスに腰掛けた。LKの青い瞳が1000をまっすぐ見た。
看護師は血圧と脈拍を計り終えて部屋から姿を消した。
LKは微笑を浮かべたまま、物柔らかな言葉を出す。
「もし、何か相談したいことがあったら……言ってよ」
LKに背中を向けた。憮然とした顔をしていたと思う。
遠慮がちにLKは続ける。
「なんつーか……なんか悩みあるんでしょ?」
言い当てられた気がして、反射的に体を縮める。
困惑したLKの声音がきこえてくる。
「遠慮しなくてもいいよ。言いたくないなら、言わなくてもいいけどさ、なんかあたしにもできることってないかなーと思ってさ。あと、一緒に住んでたのに、ぜんぜん気がつかなくてごめんね」
不意に涙が出そうになり、あわててシーツを頭からかぶった。
両手に固定された点滴の管が引っ張られた。
「あわわわ」
LKが驚きの声をあげた。
薬液のシリンダーを吊るした点滴台がきしんだ。そっとシーツから外をのぞくと、LKが傾いた点滴台を両手で支えていた。
ふたたびシーツにくるまった。LKに対する罪悪感が身をもたげた。おそるおそる声を漏らす。
「あの……」
急に動悸が激しくなり、ためらう。
「えと……」
言葉を濁した。LKは余裕のある優しげな声で、続きをうながす。
「ん? どうしたの?」
ふと、LKの声に違和感を覚える。
落ち着いた穏やかさがにじみ出ているような気がした。いままでのLKには感じなかったものだった。
まるでJとの付き合いで密かにはぐくまれ、1000から隠れていたLKの一面を垣間見たかのような気がしてかっとなった。とがめるような調子が混じらないように気持ちを抑えつつ低い声で言う。
「Jさんとつきおうとるって……」
言ってしまってからLKからの答えを待つあいだ、全身が心臓になってしまったかのようだった。動悸の音が体中に反響する。緩慢とした時間のなか、ただ鼓動の音だけが世界中を揺るがしている。
LKは突然の指摘にたじろいだようだった。
「え? ……それってぇ……」
わずかな沈黙の後観念したのか、重々しい口調で白状する。
「そっか……もう知ってんだ……そうだよ、あたし、Jさんとやっちゃったさ。何回かね」
カナヅチであたまを殴り付けられるようなショックを受ける。
さっきまで動揺し、栓が抜けた風船のように緊張していたからだの力が消失してゆく。
LKは苦しそうに話を続ける。
「正直言うと……あたしは今、Jさんがキライじゃない」
言葉を切り、LKは自嘲するように笑った。
「正直、なんか相手ジジイじゃんとか、近場すぎとか、ダサい要素がいっぱいあるじゃん。Jさん、1000に振られてるってのも知ってたし……信じられる? あいつ、1000に振られたすぐ後にあたしにコクってきたんだよ? ナメてるよ、ホント!」
言葉も無かった。カラッポになった頭にLKの声が虚ろに反響していた。
「そーゆーのもあって、まだ教えなくてもいいかなって思ってたの。実際、いつもと違うって思ったの最近だし……」
1000のようすをうかがうように、LKは小さく謝った。
「黙っててゴメン」
LKは言葉を切った。
重苦しい空気がのしかかってくる。ぽつりとつぶやく。
「わいのことをどう思うとったんで?」
マジメな口調でLKは答える。
「大事なトモダチだよ」
思わずシーツを払いのける。上半身を起こした。真正面からLKを見た。
LKは目を丸くしていた。
呆けたような顔のLKにむかって怒鳴りつけた。
「トモダチと、あん……あんなことするんで?」
青空のように澄んでいるLKの瞳に、うしろめたさの影がよぎった。LKは目を伏せる。
憤りにまかせてLKを批難する。
「遊びだったんだろ!」
LKは神妙な面持ちをあげる。
「違う」
「ほんなら、なんでJさんと……」
LKはあっさりと答える。
「なんか、興味湧いたから」
LKの冷淡な態度が怒りに火を注いだ。
「そんなん! そんなんで、おかしいでないで」
「そうかもしんない。いや、そうだよね、わかるよ……1000がそういうの」
悄然とLKは言った。
LKの哀しげな表情にほだされ、怒りが収まってゆく。
訴えるような真剣な眼差しでLKは1000を見た。
「でも、あたしは気になった人のことはとことん知りたくなっちゃうの。遊びとかじゃないよ。1000としたのも好きだからだよ。
それにJさんもなんか、一人ぼっちっぽくてかわいそうだったから」
全く納得行かない説明だった。
「わいとJさん、どっちが好きなんで?」
「二人ともだよ」
期待していない答えに落胆する。
「そんなん……」
唐突にLKはいたずらっぽく笑った。
「どう、三人で一緒に結婚する?」
「そんなんできるんで?」
思わず声をあげた。LKは笑う。
「なんてね……」
「もう、ええわよ」
LKに対する怒りはほとんど消えていた。どっと疲れがおしよせていた。同時に無力感が体を占める。
LKはいたわるように言う。
「ゴメンネ。なんか怒らせちゃって……お見舞いなのに、弱めちゃだめだよね。ホントゴメン」
イスの足が床に当たって音を立てた。LKはイスから立ち上がったようだった。
突然寂しさに背筋が震えた。あわててLKに声をかける。
「そんなことないじょ!」
LKは窓際に立ち、外を眺めた。かすかに車の音が聞こえたような気がする。
「Jさんが来たみたい……もう、今のうちに言っちゃう」
ベッドの側に歩み寄り、LKは1000のそばに顔を寄せた。ひそひそとささやく。
「1000。お医者さんが言ってたんだけど、なんかあなたの体が悪くなってるらしいんだよ! これ以上パラレスっていうか、ドーピング続けると寿命縮むらしいんだって」
どこかで聞いたことがあるような気がして、たいして驚きも感じなかった。じっとLKの真剣な表情を見つめる。
「だからもう、パラレスをやめたほうがいいかもしれない。いや、やめなよ。いくら国民的英雄になれても、死んじゃったら何の意味もないよ」
ドアの外から重々しい足音が近づいてきた。狼狽したLKは早口で言う。
「くわしいことはお医者さんに聞いたほうがいいかもしれない! でもこれはきっとおぼえておいて!」
「わいがやめたら、LKはどうするんで?」
LKの表情が曇った。一瞬ためらった後、断言する。
「あたしは、1000の味方だよ。そこだけは大丈夫」
ドアが勢いよく開いた。
入り口をいっぱいにふさいだ巨漢が立っている。Jだった。
つやを消されたベージュ色の球体が頭部を覆っている。筋肉が丸くふくれあがった肉体には、つややかな布地に上品な柄の高級スーツをまとっていた。細かい模様のネクタイをきっちり締めている。淡色のワイシャツが汗でぬれていた。
かたい面持ちでLKはJを見た。わずかに顔色が蒼ざめているようだった。緊張しているのか、厚ぼったい下唇を噛んでいる。
Jはただならぬ気配を発散していた。洗い呼吸音がマスク越しに聞こえた。
Jは扉を閉めてかすれた声を出す。
「とんでもないことになった。おれたちは命をねらわれている」
唐突な発言にLKは唖然とした声をあげる。
「はぁ?」
「なにを言よんな?」
Jは咳払いしてふたたび告げる。
「パラレス関係者はテロ攻撃の標的にされた」
呆然とJを見あげる。Jも困惑しているようだった。所在なげにドアの前に立ち尽くしている。
LKが話の続きをうながす。
「いきなり意味がわかんないよ。ちゃんとセツメーしてよ」
Jはうなずいた。短いため息をつき、呼吸を整える。
平静な声音で説明を始める。
「“K+Vアソシエーション”って知ってるか? “一票必殺”とかなんとか、テロ活動で有名らしい。俺はついこのあいだ初めて知ったんだが」
LKが応える。
「知ってる。つか、ニュース配信でけっこう有名だけどね。こないだの都庁テロもそいつらでしょ?」
Jはふたたび動揺したようだった。
「マジかよ。相当アブナイな、そいつら。1000、君も知ってるか?」
「LKの言うことはまちごうとらんじょ」
「で、なんなんだよ?」
なかなか説明が進まないことにLKはいくぶんいらだったようすを見せた。
頼りない口調でJは弁解する。
「イラつくなって。おれはめったにニュース配信なんか見ないんだ、仕事が忙しくて見るひまがないからな。弁護士に教えてもらったんだよ、犯行予告されてるってな……。犯行声明が匿名掲示板に書き込まれたらしい。
どうも連中は、難病(S―ALR)認定された勝凱者が国の援助金を受けて投薬してるのが気に入らないらしい。近いうち“選挙運動”の一環としてオレとお前、1000を暗殺するつもりだそうだ。
とりあえず、いちばん目立ってる女子パラレス関係者を血祭りに上げるとよ」
「……え? えええええええええ~~~~? ぃやだよあたしぃ~~!」
LKの口から驚愕の叫びが上がった。
「なんしにそんなんなるんで?」
思わず言葉を漏らしていた。
Jは言い訳がましく言う。
「オレだってイヤだって!
女子パラレス協会だってまだ立ち上げたばっかりだし、本業のパラレスだって事務所社長兼現役最長チャンピオンだ。この地位を捨てたくはない」
LKが容赦なく批難する。
「っだあってさぁ? 元凶はオマエだろぉ~? あたしは1000は完全にとばっちりじゃん!」
あまりの冷徹な批判に、ついJを弁護してしまう。
「まあ、わざとと違うんかもしれんけんど」
心外そうにJは答える。
「なんで? おれたち家族以上の仲間じゃないか。もうパラレスラーとしてデビューも飾った “二人の女神”だろ! キミたちは!」
LKは反論する。
「まってまって! Jさんは勝凱者。でも1000とわたしは謙譲者! なの! おぼえてた? ちがうんだよ人種が」
あまりにも突き放した発言をとっさにかばう。
「まあ、人種が言うのはちょっと違うけんどな。法律ではちがう扱いになるということだろ?」
Jは屈託のない笑い声をあげる。
「心配すんな。事務所が君たちの事はきちんと難病認定しているよ。紛れもないS―ALSさ」
「他人からみれば変わらないって事なの?」
むっつりとLKがつぶやいた。Jは勢いよくうなずく。
「当たり前だろ。みんなうわべしかわからないものなんだよ。
第一、キミたちが謙譲者ってばれたら、それこそ援助金の不正受給だぜ? 被害者みたいなこと言ってるけどそこわかってる? ちなみに女子パラレスに参加予定のキミと1000、そしておれが標的だよ」
「いやじゃ~、なんしにそんなことしよるんじょ」
いがらっぽい煙が頭の周りに立ち込めたような気分だった。
Jは腕組みして重々しく言う。
「しかも、世論は“K+Vアソシエーション”への賛同者が多いらしい」
「あたしたち嫌われてんだ……はっきりわかるとなんかショック。世間が怖いよ」
「やばいことにこいつらのテロ成功率は相当高いらしい。ねらわれたらだいたい助からんそうだ。警察も正直、お手上げだとさ。警備にはついてくれるとは言ったが、当てにはできなさそうだ。弁護士の話だと、警察内部にも相当数の同調者が潜伏しているらしいからな。
しかもあいつら、犯行予告してきやがった。先ず一番目にオレを殺す。次に1000、次がLKだってよ」
「どうすんの?」
二人の視線を集めたJは、きっぱりと断言する。
「すぐにでも国外脱出する」
驚きを通り越して正直あきれた。とっぴに過ぎる意見にきこえた。パラレスラーを辞めるほうがよっぽど現実的だった。
LKはただ仰天していた。
「国外? “UC(中華連合)”? “西アメリカ”?」
「メジャーなとこ行っても簡単に見つかるかもしれないから考えた。“カーザリブリ”。おれは子供の頃に住んでたからちょっと言葉が喋れる。キミたちも来い」
「そんなん急に言われても、なんとも言えんわよ」
全く現実感がなくただ当惑だけがあった。LKも困ったようにつぶやく。
「そんな……無理だよ、どこにあるかも知らないしさ……」
「中南米。“メキシコ内戦”の時に独立したとこ」
「そんな……遠すぎだよ」
「危ない言ううわさやけんどな……」
諸外国が介入し、熾烈な戦闘が数年にわたって行われた“メキシコ内戦”は数年前に終息したものの、いまだに独立した地方政権や、元メキシコ政府軍、ゲリラ兵、PKOなどの間で小競り合いが発生し、小規模な銃撃戦が発生することは日常茶飯事だという。
「なんしにそんな危ないとこに行きたがるんで?」
「俺と一緒じゃないか。何が不満だ?」
Jは励ますように言った。
「ほなって、まだ試合がのこっとるけん」
「このままじゃ、“極限兵団”から逃げたみたいになるじゃん」
不満げな二人の反応をJはなだめた。
「わかる。残念な気持ちはわかるが、今回は見送ろう。命あってのものだねじゃないか。死んだらどうしようもないだろう?」
かたくなにLKは首を横に振った。
「だめだよ……だってあたしまだなにもゲットしてないんだもん」
あっけにとられたようにJはマスクをLKに向けていた。不思議そうに質問する。
「なにを言ってるんだ?」
「何の話で?」
LKの言葉の意味を図りかねて尋ねた。
「まだ欲しいものを手に入れてないの、あたし」
悩み深い面持ちでLKは答えた。
機嫌を損ねたとおぼしき固い声をJは出した。
「金とか名声ってことか? 欲張ってる場合じゃないだろ、LK!」
LKは視線を床に落とす。考え込むように首をかしげた。
「そうじゃない。そんなんじゃなくて……自分でもあんまりよくわかんないけどさ……ずっと残るものが……ずっとはっきりしたまま消えないような思い出が欲しいの」
Jは嘲るような声を出す。
「はぁ? そんなのいくらでもあるだろ? 子供のときとか、おぼえてないわけないよな」
LKは怒ったようすで反論する。
「そうじゃない。それはあたしが選んだものじゃない。あたしがこれだ! って満足できるのが欲しい」
他者を拒絶するような空気が、JとLKのあいだに張り詰めていた。突然、遠慮のない口調になった二人を取り残されたような気持ちで眺めた。
「そんなものはない。いや、むしろあっちゃ困る」
Jは独白するように言った。LKの青い目が無心にJを見あげた。
「どうして?」
「先に進めなくなる。過去が美しいと、醜い現在に耐えられない。そして未来が怖くなるんだよ。だから、そんなものはいらない」
Jは言った。LKはなおも反駁する。
「そんなことないよ。自分の中にずっとはっきりとして消えないいい思い出があれば、どんなキツい時でも自分を見失わずにいられる気がする」
Jはため息をつく。
「……おれにはわからん。オマエの考えは……だが、オマエ一人で日本にいてもどうしようもないぞ」
「わかってる。あたしは外国行きたくないけど、だからってあなたや、1000までそれを押し付けようとかは思ってない」
「キミはどうする?」
突然、会話の矛先が自分に向けられて動揺する。とっさに言葉が出てこない。LKとJが息を潜めて観察していた。緊張感で体が冷えた。妙な重圧感に自制心を失い、ほとんど考えるひまもなく口を開く。
「わいは、やめとうない」
火を噴きそうな不穏な空気が病室の中に満ちた。
重々しくJの声が宣言する。
「キミは事態の深刻さがわかってない。もっと慎重に考えてくれないか」
「まってよ! 理由を聞いてあげてよ」
LKが返したが、Jは一蹴する。
「余計なことを言うな!」
マスクの向こうからJの視線が突き刺さる。鋭利な刃物が頭をつらぬいたような衝撃を受けた。これまで見たことのない命の危険すら感じる烈しさだった。
獰猛な眼光に射すくめられて舌の根が凍った。
空気すらも凍てつき、氷となって肩の上に重くのしかかってくるようだった。
底冷えのする雰囲気の中、JとLKの目が光っている。
もはや何かを考える余地はなくなっていた。焚き火の中に自分を投じるような気持ちだった。無心で話す。
「わいは、歴史に残りたいんじょ。誰も知らん、つまらんわいのままで終わるんはいややけん。ほなけんやめとうないんじょ」
頑強にJは反論する。
「だが、今すぐでなくてもいいじゃないか。生きていればまだまだチャンスはあるはずだ」
奇妙なことに頭で何かを考えている気がしない。自動的な機械のように言葉を口が繰り出す。
「ないんじょ! 今を逃してしもたら後はないんじょ! わいの身体はもう病気なんだろ? パラレスをやめんと死ぬんだろ?」
JとLKは互いに目を見交わした。Jは1000に向き直ると、うしろめたそうに言った。
「……そうだ。キミはドーピングに向いていないらしい。もっとも確実に死ぬわけじゃなくて、その危険があるということだが」
よりによってJに指摘されると真実味が深さを増した。胸の底に穴が開くかのような重圧がかかる。
「危険なんは一緒じょ。パラレスしよったら、もう何年も生きとらんかもしれんのだろ」
Jはたくみになだめるような声音を出す。
「だからこそ、もう潮時じゃないか。毎日苦しい練習をして、試合で怪我して、挙句の果てに早死になんて人生もったいないぞ。長生きして平和にゆっくり暮らせばいいじゃないか」
「それが嫌なんじょ!」
いつの間にか絶叫していた。
「わいにはそれだけはあったらあかんのじゃ!」
JとLKを交互に見回して声を張り上げる。二人は狂人を見るような目を向けていた。いまさら気にもならない。話を続ける。
「わいはいっちょも他の人と変わらん普通の子やった。ほなけん、人と違うようになりたいと思うて頑張ったんじょ。
ほなって、誰とも変わらんような、死んだらすぐに忘れられるような平凡な人間で終わるんじゃったら、わいがなんでわいとして生まれたんかわからんでないで!
わい以外のその他大勢と一緒のようにしかわいは生きられんのだったら、なんでわいはわいという人間だけを我がのことと思うとるんで?
どうしても、どうしても意味がわからんのじょ」
声がかすれ、息をついた。JとLKからは遠くの異物を眺めるようなよそよそしい視線を浴びているのがわかった。
もはや理解を得ることはあきらめた。話を続ける。
「せっかくいろんないやなことしたり、大勢に悪口言われっぱなしになったり、恥ずかしい目にもおうてようよう誰にも自慢できるような有名人になれると思たら、もう終わりってそんなんないでよ。
わいはまだまだ自分を試したいけん。わいのことをみんなに教えたい、覚えて欲しい、忘れんでもらいたいんじょ……わいのおったことを、ずうっと、永遠に、残しておきたいんじょ」
引き寄せられるように、窓の隅をわずかによぎる光の帯をふりあおいだ。
すきとおった青い背景に銀色の8の字が横たわっていた。不ぞろいの円が連なったかたちは、空に描かれた稚拙だが広大な “無限大”だった。
LKも窓の外を見上げている。
「そうだよね。ああいう、消えない目印が心の中にあればと思ってた」
Jは苦々しい響きを滲ませて言う。
「お前らって、ホントにバカだな!」
Jは腹を立てているようだった。
大人気なさを内心軽蔑する。LKがからかう。
「多数決であたしたちの勝ちだね」
「何もわかってない! 女子供って何でこんなに話が通じないんだ? 意見とか聞かなきゃよかったな」
文句を言いながらJはドアの周りを落ち着きなく歩いた。
「1000……あたしたち、どんなときでも一緒だよ」
熱狂に浮かされたような、陶酔した目でLKが見つめてくる。
突如として味方を得た高揚と、決断を下したことに対する不安がせめぎあっていた。
(続けてたら、死ぬかもしれない……?
死ぬ……
なににもなれずに、死ぬ……
だったらパラレスやめたくない! どうしてもやめられない!
ずっと続けなきゃいけない!
早く自分が満足できるくらいにならないと、わたしはドーピングで死ぬんだ!
急がないと、早く、早く……!
……そうなんだよ。がんばらなきゃ……!)
JとLKが探るような視線を送ってきていた。
力強くうなずいた。




