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極限兵団(マキシマム・アーミー)

ピロリンピック協会では、まだ一般的になじみのうすい女子パラレスリングの知名度を高める方法が検討されていた。

もともとパラレスリングはプロレスの前座、ミゼットが発祥であり、見世物としての要素が大きい。源流オリジンのサービス精神を遵守リスペクトする形で、国内の選手権争奪戦にはそれぞれ趣向ギミックを凝らすことになった。

今回は次の試合形式に決定した。


“目指せパティシエ! あこがれのスウィーツたらふくマッチ”


通常のルールに加え、タッグチームが連携攻撃コンビネーションを決めるごとにコーナーに凶器が設置セッティングされる。凶器はいずれもパティシエが使用する調理道具で、5秒以内ならどのように使用することも可能だった。またフォールはなく、かわりに相手の体に生クリームのかざりつけ(デコレート)を施すことが勝利条件となった。

ピロリンピック出場権争奪戦、第一試合。

ゴングは鳴った。

1000とLK、“二人の女神”チームの相手は、女子プロレスラーが結成したタッグ“極限兵団マキシマム・アーミー”だった。

新たなパラレスラー誕生およびパラレス参入は関係誌によって派手に宣伝された。

それらによると、“葡萄本ぶどうもとHDアガーデー”、“檸檬前れもんぜんUQウーケ”は共に女子プロレス界では名のある中堅レスラーだった。

いずれも関節技や打撃の技量、筋力などのバランスの取れた選手であり、それなりの実績を残してきた。プロレスをよく知る人間からはいわゆる知る人ぞ知る実力派と言う存在だった。

所属事務所は小規模だが実力重視で名のある女子プロレス団体だった。そのまま女子プロレスラーとしても生活していけたはずだった。しかし、より上位の栄光と強さを求めるため彼女たちはパラレスリングに参入することを決意したという。速成ながらもきちんと投薬して肉体を創り上げていた。

Jが言うには、


「栄光? 強さ? それだけじゃないだろ。金だよ金!

本当ならあいつらみたいなのが出てくるはずはなかったんだ。あまりに不審なんで一応調査してみたんだが……。

選手の二人はプロレス関係者に多額の借金を抱えていたらしいな。この話の前後にほぼ周囲の借金は清算されていることがわかった。

あと、その金を出した上にパラレス参入のために移籍した連中の新事務所、“ネオパラレスユニオン”はどうも怪しい。

事務所立ち上げの資金を不特定多数の信託投資ファンドに頼ってるらしいがそれにしては不思議なほど投資額が大きすぎるようだ。事前に大規模のCMをうったわけでもない、数人の個人投資家が巨額の投資をしたわけでもない。

にもかかわらず短期間で多数の個人投資家が金を出しているんだ。まだピロリンピックの正式種目が知られてそんなに時間はたってないんだぞ? 一体何が起こってるのか皆目見当がつかん。

それにパラレスったって元プロレスラーが単純に投薬すればいいってもんじゃない。トレーニングとドーピングはそれぞれタイミングに応じてそれぞれ内容を合わせていかないとほとんど肉体増強には役立たない。そのノウハウをオレたちの“パラレス協会(事務所)”は持っているんだ。まだパラレスが場末の興業だった時期から関わってきたオレの事務所だけがな……。

あいつら人の縄張りを荒らしやがって! 全く好きになれないね!」


ということだった。

二人とも同じ迷彩模様のレオタードに身をつつみ、髪を複雑に編みあげている。薄い布地を押し上げる筋肉の無骨な隆起はいかにも屈強な戦士そのものだった。

対する“二人の女神”は華やかだった。

1000はまっすぐな黒髪をオカッパにしていた。清楚な黒い髪に囲われた顔は人形のように繊細な顔立ちだった。白い肌がライトに映え、真っ黒な瞳が宝石のように輝く。血のように唇が赤かった。

肢体を覆う白い肌は真珠のようなまばゆさだった。体の要所のみを薄い布地で隠している。肌に密着する黒い衣裳とあらわになった肌に躍るLKがデザインした真紅の炎が印象的だった。足先にはパラレスラー専用の透明な靴下をはいて足指を保護している。

LKは青い光沢のある素材の布ではちきれそうな胸と腰を包んでいた。1000と同じく足には短い透明のストッキングをはいている。健康そうな褐色の体には稲妻をモチーフとしたボディペインティング(“ネヘネヘロア”)が施されていた。黄色とオレンジ色の鋭角を多数もち、幾重にも折れ曲がる荒々しい稲光がLKの体を飾っている。波打つ金髪が背中に光の束のように輝いていた。

二人の艶姿に観衆の声が高まった。

LKは意気揚々と両手を上げて歓呼を受ける。1000は恥ずかしそうに片手を上げて観衆の声援にこたえた。

“極限兵団”はすばやく攻撃を仕掛けてきた。体勢を低くしたまま1000たちに向かってに跳んできた。

抑揚の少ない低い声で“極限兵団”リーダーのHDが指示を飛ばす。

作戦オペレーション“ラフシャッド・アンド・レディトゥキル”!」

UQは即座に反応した。

了解サーイエッサー!」

“極限兵団”チームの低空ドロップキックが同時に炸裂した。

1000とLKはまともにくらった。リングの端まで吹っ飛ぶ。弾力のあるロープに弾き飛ばされた。

跳ね返ってきた二人を、“極限兵団”が迎え撃った。手にはすでに凶器(調理道具)がにぎられている。生クリームをならす道具パレットと泡だてホイッパーに痛打され、1000とLKの二人は早々に流血した。

Jの声が二人を叱咤する。

「気をつけろ! そいつらはオレたちの戦いからを完全に把握しているぞ! 油断するな!」

その声音はいつもよりいくぶん荒々しい。LKが猛々しく返答した。

「ッシャオラーーーーーーーーッ!」

「油断するな! LK!」

さらに言い募るJの声音には普段では聞いたことのない不吉な響きが混入しているような気がした。とっさに1000はコーナーへと顔を向ける。

Jが太い腕を伸ばしてまっすぐ“極限兵団”を指さしている。

「ヤツがいる! “極限兵団”は新米パラレスラーの寄せ集めじゃない。超本格的なパラレスラータッグだ!」

Jの物々しい言葉に1000は困惑する。

「どういうことで? 新米は新米じょ!……油断はしとらんけんどな」

ほとんどJは絶叫した。それはめったに見せないJの感情的な行動だった。

上半身をロープから乗り出して何度も“極限兵団”を指を刺す。いや、Jの刺している相手はパラレスラーたちではなかった。

その奥に控えている“極限兵団”のセコンドだった。

薄くなった頭髪が四方八方に散らかっている。からだはだらしなくしわのよった贅肉が垂れ下がっていた。そして苦難と失望が刻み付けられたかのような深い皺が縦横に走る顔は、1000は以前目にしたことがあった。

“極限兵団”のセコンドはZOだった。

かつてJとともにタッグパートナーとしてパラレス界を牽引していた男だった。

そのZOが咆えた。

「こんどはな、こっちもつぶす気でやらせてもらおう。遺恨は水に流したが、それはこちらだけの義務ではあるまい!」

Jも負けじと言い返す。

「上等だ! 見せてもらおうじゃないか、インスタント栽培の選手がどれほど強いかをな!」

わっと観客が沸いた。

かつてのタッグパートナーであるJとZOの確執は、選手同士の因縁や好き嫌いを段取り(アングル)および設定ギミックとして消費することに目がないプロレスファンの興味に火をつけてしまったようだった。

ZOが続ける。

「この試合はな、お前が首までずっぷり使っておるパラレス界のようなイカサマは一切許さん! 全てが本気! 全てが殺気だ! 殺されたくなかったらすぐに降参ギブアップさせるがいい、己の弟子にな」

ひるんだようすもなくJが返す。

「イカサマだなんだとやってみればはっきりするだろうが! うちのパラレスラーは敵に背を向けたことは一度もない!」

「一度もないってゆうても……これが初試合なんやけんど」

すっかり興奮したJを横目に1000はつぶやいた。

LKが苦笑する。

「あたしら置いてきぼりで独りで熱吹いちゃってるよ」

これでこの試合にシナリオはなく完全に実力勝負ということがはっきりした。

1000とLKは果敢に反撃を試みるもののはそのつど退けられる。“極限兵団”の緊密なチームワークは“二人の女神”を全く寄せ付けなかった。

「くっそ……ざけんな! なんでかぜんぜん技がかからない!」

LKが叫んだ。額に流れる鮮血を乱暴にぬぐう。完全に逆上したようだった。無謀にも、LKはひとりで敵タッグチームに突っ込んでいった。1000は呆然と背中を見送る。

「LK! 待ってくれんで……!」

足がすくんでいた。

国内初の女子パラレス会場は、“ザ・さいたま・ウルトラアリーナ”が選ばれた。大規模な宣伝の結果、観客席のほとんどが埋まっている。大観衆の中、無数の無遠慮な視線を浴びた1000の身体は自分の思いのままに動かすことができなくなっていた。

初めこそ軽快すぎるほどだった手足が失態を重ねるごとに重くなり、いまでは鉄の棒が埋め込まれたかのように曲げることすら困難になっている。

コーナーからJの怒鳴り声が聞こえてくる。しかし、何を言っているか理解する余裕はなかった。

ふたたびJの声が耳に飛び込んでくる。

気付けば一人、1000はリングの真ん中に立ち尽くしていた。

その眼前で、LKは両側から“極限兵団”に襲われていた。

LKの体が宙に浮いた。

左右から迫る“極限兵団”に投げ上げられたのだった。滞空した体の上下が逆転する。足が天井に向かってもち上げられ、頭がリングをさした。

“極限兵団”の二人はLKに対して同時に脳天杭打ち(パイルドライバー)の体勢に入る。LKはまっさかさまに落下し、リングに頭を強打した。ひとたまりもなくその場に昏倒した。

相手側のコーナーから歓声が上がる。

「力を伴わぬ闘士あわれなり! 戦いの恐怖と痛みを存分に体に染み込ませてやれ!」

ZOの野太い声だった。ふくれあがった体を震わせて哄笑する。

リングの外から、レフェリーのひとりがコーナーに凶器を置いた。すりこぎとへらはたちまち“極限兵団”の手に収まった。

“極限兵団”の矛先は1000に向いた。

1000はなすすべもなかった。

「逃げろ! お前まで気絶したらかんたんに料理されちまうぞ! そうなったら負けになっちまう!」

Jの怒号を背中に浴びた。

1000は必死に動こうと努力していた。にもかかわらず自分の行動がまたしても失敗に終わることを極度に恐れる気持ちが目の前を暗くおおいつくした上に増殖した不安で体内をさびつかせた。

なすすべもなく1000の身体は敵にさらされた。

ゴングが鳴った。

“極限兵団”はきびすを返し、コーナーに戻る。1ラウンドの終了を告げるゴングだった。

危ないところだった。

試合巧者の二人から連携攻撃を受けてとても耐えられるとは思えない。内心1000は震え上がった。

コーナーからJが飛び出した。リング中央のLKに駆け寄る。卵のようなマスクが倒れているLKを覗き込んだ。

今日のJは樹脂製の純白のマスクをかぶっていた。実際に試合を行う選手より目立たないよう配慮したとのことだった。

LKはようやく身を起こした。

あぐらをかき、頭を振った。ぎくしゃくと1000も近寄る。

「ちくしょう……やられた」

悔しげにLKは吐き捨てた。

「ちゃんとものは見えるか? かすんだり暗くなったりしてないか? 見える範囲が狭まったりしてないよな」

あわてて訊ねるJにLKはうるさげに返答した。

「そんないっぱい言われても急にわかるわけないでしょ。ちょっと落ち着いてくんない?」

助けられなかったきまずさを押し隠して1000は声をかける。

「気持ち悪うなったりしとらんで?」

弱々しくLKは頭を振った。

「頭が痛い……あと首も」

「とりあえず薬だな」

JはLKをかかえるようにコーナーへ戻った。1000は後を追う。イスに腰掛けた二人にJが力を込めて言う。

「とにかくチームワークを心がけろ。連携攻撃の訓練が全然生きてないぞ。

LK、キミはひとりで動きすぎ。向こうは女子プロではベテランだぞ。しかもZOもパラレスはベテラン中のベテラン……連中は完全にパラレスラーとしての調整を完成させてる! 見たろ、彼らの落ち着いた動き……一般からパラレスに移るのって日常生活からやり直さないといけないくらい大変なのに、もう何十年もパラレスやってますって雰囲気だ。

やつらは初心者じゃない。プロフェッショナルそのものだ。短期間でそこまでいったんだ。一対一でもかなうわけないのに、二対一なんてもってのほかだ」

Jは痛み止めをLKの首筋にスプレーする。

「いやいや。こっちはパラレスラーとしては先輩だから」

「ちょっと……」

Jは絶句した。つかのま、気が遠くなったかのようにマスクが仰向けになった。不意にマスクがLKにまっすぐ向き直る。

「ちょっとなあ! 先輩って一ヶ月もないだろ! レスリング全般、いやさ世の中ナメんな!」

Jは厳しい声でLKに言った。LKは気圧されたように神妙な面持ちでうなずいた。

「それから1000」

白い陶磁器のようなJのマスクが1000の間近に迫った。

「動きがかたすぎる。緊張しすぎだ。もっとリラックスするんだ」

痛いところをつかれて、思わず1000は抗弁する。

「まだ1ラウンドじゃけん、体がこなれとらんのじょ。次からは調子が出てくるはずじゃあ」

「そっか~? 体がどうとか言う次元じゃなかったと思うけどな? まあいいが」

Jは首をひねった。

1000は自分のほおが熱くなるのを感じていた。恥と怒りが胸郭を内部から圧迫する。ふだんやや高慢な態度で接しているJに自分の小心なことを指摘されたことがくやしかった。こんなに緊張することは1000自身も予想外だった。自分が情けなかった。

Jが付け加える。

「とにかく、キミはもうすこし奴らをナメていい。あんな年寄りなんかに気を使うことないってな!」

「ナヒャヒャ! いいね!」

「LK! キミに言ったんじゃないからな!」

笑うLKにJは怒声を浴びせた。LKは微笑をたたえたまま、1000を横目で見た。そっとつぶやく。

「おこだよ」

1000は言葉の意味を理解するのにしばらく時間がかかった。こんな重大な状況でどうやらLKはふざけているようだった。つい、まじまじとLKの横顔を見た。不意に胸の底からくすぐったさの波がおしよせる。

「ふきゃっ!」

1000は吹きだしていた。笑いをこらえきれずに口元を手でおおう。背中を震わせた。

機嫌を損ねたようすでJは二人をしかる。

「コラッ! ひとをからかうな!」

第2ラウンド開始のゴングが鳴った。

「行こ!」

LKが勢いよく立ち上がる。1000の手をひっぱった。

1000は座ったままLKを見上げる。LKと目が合った。青い瞳が澄んだ光を浮かべていた。

1000はイスから飛びあがった。

二人はコーナーに上った。

反対側のコーナーから、“極限兵団”が悠然と歩み寄る。嘲るような調子でがなりたてた。

「一ラウンドはいわば偵察行動だった。貴様らの実力はわかった。いまから総攻撃をしかける!」

LKは相手を睨みつけた。そっと1000にささやく。

「なんとかしてあの偉そうなアホ面をぶっつぶしてやろーよ。始めはあたしが出るね」

「すまんな! 世話かけるけんどがんばってな!」

初めて心のこもった声をLKになげる。

LKはにっと笑ってウインクを返した。

“極限兵団”の先陣はHDのようだった。第二試合も堅実な試合運びのペースを固める為かリーダーの出陣だった。

まっすぐLKは近寄っていく。距離が縮まると同時に飛びかかった。

LKとHDは正面から組み付いた。両手を組み合わせて力比べの体勢となる。上背があるLKがいくぶん有利のようだった。緑色と黒のまだらにつつまれたHDの体がじょじょに沈んでゆく。青い水着に豊かな金髪が流れるLKの体がおおいかぶさる。

HDの両脚が空を裂く。ジャングルブーツの爪先がLKの腹部にくいこんだ。激痛に悶えるひまもなく二発目のキックがLKの体を空中に突き上げた。

HDは自軍のコーナーに声をかける。

「UQ、コンビネーション!」

コーナーからUQがリングに躍りこむ。が、その動きが止まった。

空中に投げ上げられたLKの足が蛇のようにHDの首にからみついていた。

LKが叫んだ。

「カウンターアタックいくよ!」

1000は指示を飛ばす。

「コンビネーションアメリカンクラッカーでいくじょ!」

「おっけー!」

1000はロープを飛び越えた。呆然と突っ立っているUQめがけて走る。高々とジャンプした。

1000の足がUQの首をはさみこむ。体を振り子のように振った。1000の全体重が首にかかったUQは立っていられないほどにバランスを崩す。

“二人の女神”は、“極限兵団”の首を足で捕獲したまま(ヘッドシザース)投げる(ホイップ)。“極限兵団”の頭を激突させた。

リングに倒れる“極限兵団”を“二人の女神”は追撃する。

背後にまわり、両手で相手を抱えあげた。背中をそらして後方に投げ捨てる(ジャーマンスープレックス)。“極限兵団”はリングにたたきつけられた。

調理道具クッキングギアが来たぞ!」

Jが注意を促す。二人はコーナーへ向かった。“極限兵団”は置き捨てる。

連携技を成立させた時のみコーナーに設置される凶器は五秒間だけ自由に使用できるというルールだった。合法的に凶器が遣い放題という点がクッキングマッチの特色でだった。

すでに数度の痛い目を見せられていた“二人の女神”は、喜び勇んでコーナーへかけつけた。

今回の凶器はボウルと泡だて器だった。クリームを泡立てる為に使用する道具のセットだった。

「ちょっと! なんだよこれ! 弱そーじゃね?」

文句を言いながらLKは泡だて器を取り上げた。

金属の骨を組み合わせて作った丸い部分を棍棒に見立てて振り上げる。

「わいのんも弱そうじゃあ」

両手でボウルの縁をつかんだ。とりあえず頭上に振り上げながら、LKの後を追う。

しかし、予想外の展開にLKと1000は立ち止まった。

すでに“極限兵団”は体勢を立て直している。並んで身構えていた。想像以上の速さでダメージから回復していた。

LKは疑問の声をあげた。

「どうして? あのコンビネーション、マトモに食らったらそうかんたんに立てないのに!」

不気味な笑みをほおに刻んだHDが口を開く。

「いかなる作戦といえども出方を心得ていれば被害を少なくして耐久することなど容易なこと。貴様らの攻撃など全く無意味だった」

底知れない恐怖が口をあけて背中から迫ってくるような感覚に、1000はうめき声を上げた。眼前を覆いつくすかのような恐れを振り払おうと声を絞り出した。

「そんなん信じられんけん。わいらやってきちんと練習したんじょ。おまはんらより弱いはずないんじょ」

UQがあざけった。

「お前らの薄っぺらいコンビネーションなぞすぐに底が割れてるということだ」

「どういうこと?」

「なにを言よんな?」

LKと1000は顔を見合わせた。UQの自信に満ちた言葉が何を意味しているのか察することができない。

「戦闘中に気を抜くとは愚かな!」

大音声でHDが“二人の女神”を一喝した。

1000とLKは同時にHDにとびかかる。手には苦労の末に手に入れた凶器クッキングギアがあった。

HDは両手で巧みに攻撃を左右に受け流した。

LKの振りかざす凶器(泡だて器)は打撃に使うには全く適していなかった。

さらに、1000のボウルはさらになんら使い道がないようだった。UQからの反撃に備えて1000はボウルをヘルメットのように頭にかぶる。

“極限兵団”は爆笑した。

リーダーのHDが1000とLKをせせら笑う。

「貴様らはパティシエマッチという戦場を全く理解していないようだな。古人の言葉では、敵を知り己を知れば百戦危うからずという。貴様らは己も知らず敵も知らないどころか戦場の何たるかも知らない。それでは勝てる戦も負けてしまうだけだ」

五秒が過ぎた時のアラーム音が鳴った。凶器を扱える時間が終わった。

「くそ!」

「なんじゃ有効活用できなんだわよ」

くやしがる1000とLKに“極限兵団”が忍び寄った。素早く手元から凶器を奪い取った。

「あ!」

「どろぼう!」

“極限兵団”HDが二人を嘲笑する。

「貴様らに正しい遣い方を教育してやろう。すでに5秒は過ぎているのだ! まずは数をかぞえるところから教えなければならないのか? 実戦でテストするにはちょうどいい相手だ! ……UQ、作戦オペレーション“ドラムヘッド・ロール”!」

了解サーイエッサー!」

UQは即座に応じる。

「うるせー! 調子乗ってんじゃねー!」

LKは声を張り上げた。傲然と立つ二人に飛びかかる。

“極限兵団”の二人はLKの左右に散った。LKの両腕がひねりあげられた。LKの体が空中で回転した。左右から吊り下げられて投げられる。

LKはリングに叩きつけられた。地味だが二人同時に行う投げ技の威力にLKは悶絶した。

「大丈夫で!」

1000はLKに駆け寄ろうとする。ほとんど移動することもできずに転倒した。

足に“極限兵団”UQの両脚が絡みついている。されるがままに足が吸い込まれた。強烈な痛みが物理的な圧力すら伴って足をはい上ってきた。

「いっ? いっ、いったたたたたた!」

思わず叫んでいた。UQのかかと固め(ヒールホールド)は容赦なく1000の足を責めさいなむ。完全に関節技を決められ、その場から動けない。

そこへ、ボウルと泡だて器を手にしたHDがやってきた。リングに横たわる1000の上にしゃがみこんだ。

とぎれなく足先に脈動する激痛にあえぐ1000は、HDを見上げる。丸い額をHDの硬い手のひらがつかんだ。乱暴に頭を横にねじまげられる。冷たいボウルの底が片耳の上に押し付けられた。

HDはボウルに泡だて器を突っ込んだ。高速で回転させる。

接触した金属が耳障りな騒音をたてる。まるで建設機器が硬い地面を掘り崩しているかのような騒音が周囲の空気を震わせた。1000の皮膚すらぴりぴりと痺れるような振動を受けた。常人を遥かに凌駕するパラレスラーの強力と神速によってのみ可能な異常なまでの轟音が発生した。

セコンドのZOが声を張り上げる。

「いいぞ! そのまま葬り去ってしまえ! このまま再起不能にしてしまっても勝負とは互いの覚悟の上に成り立っておるものゆえ仮に再起不能となっても遺恨はあるまい! もはや次の試合など出られぬようにしてしまえ!」

耳の中に棘だらけの太い鉄棒をねじ込まれたようだった。

苦痛に躍らされ、体の心から生じた絶叫をほとばしらせる。多数の観客から受ける視線への羞恥心は脳裡から蒸発していた。

“極限兵団”は哄笑した。

HDは1000の上で逆立ちする。まっすぐに体を立てて泡だて器で全身を支えた。錐のように回転する。


弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩弩!


強烈な苦痛は倍加した。耳から突っ込まれた異物が脳に侵入し、眼球の裏をびっしり生えた棘でえぐるかのようだった。

「うわわわあああああああああああああ!」

狂ったように1000は悲鳴をあげた。

耳を貫く爆音はいっそう膨れ上がり、そこへ頭をおしひしぐHDの体重が加わった。脳を超高速でゆさぶる振動が正常な意識を崩壊させてゆく。

かすかにJの声が聞こえる。

「いかん! あのままでは強烈な音と振動によって鼓膜が破れてしまう。そして……耳の穴は頭蓋骨を貫いて脳につながっている。耳から伝わった振動と轟音はやがて脳に到達し、細胞を全て破壊してしまうぞーっ!」

視界の隅でコーナーに乗り出しているJが見えた。その光景も、急速にかすれてゆく。痛みに焼け付く頭と足の神経が解けるように麻痺し始めた。意識が消えつつあった。機械がうなりを上げているような低音の音と共に目の前が影につつまれてゆく……。


***


白い卵が金色の巣に入っていた。1000は近所の林で見つけた鳥の巣を思い出していた。

枯れた枝や草で丸く編み上げられた巣は地面にあった。そばに木が生えていた。どうやら枝から落ちたようだった。灰色の巣の中に、数個の小さい青っぽい卵と白い大きな卵が一杯に詰まっていた。


(たった一個だけ、こんなに大きな卵からなにが生まれるんだろう……)


妙な期待が胸に生まれた。淡い楽しさが全身にさざなみとなって伝わってゆく。

不意に声が体をつらぬいた。

「……1000! しっかりして!」

体が弓なりに引きつった。まばゆい光が目に飛び込んできた。途端に記憶がよみがえった。


(試合!)


あわてて跳ね起きた。

いまだに少し焦点の定まらない目であたりを見回す。

LKの顔が見えた。なぜかタオルを肩からかけている。

「いま、試合はどうなんりょんで?」

必死に訊ねた。心配そうに眉をひそめていたLKは安堵したようだった。

「1000! よかった、気がついたんだね!」

「やれやれ、あんまり心配させないでくれよ」

快い響きの低い声が間近から聞こえた。そちらへと振り向く。純白のマスクをかぶったJがいた。

1000は状況を理解できなかった。

「Jさん、こんなとこでなにしよんで?」

LKとJは顔を見合わせた。LKはばつが悪そうな面持ちになる。Jは厳しい雰囲気を漂わせた。

LKが沈んだ表情を浮かべた顔を1000に向けた。

「あたしたち、負けたんだ」

「え?」

信じられなかった。

言葉の意味が理解できなかった。一方、心のどこかで納得している部分もあった。

セコンドのJとLKが1000の前にそろっているということは、試合が中断か終了したと言う状況になっていることだという理屈を察したのだった。

しかし、頭の中に生まれた頑丈な壁が言葉を受け入れることを拒否していた。

「え……? 何を言よんな!」

LKを問い詰める。

無言でLKは視線をそらした。困惑した表情の中に冷淡に突き放す拒否が混じっていた。

さらに1000は食い下がる。

「まだ続いとるはずじょ! ほなって、わいまだゴングをきいとらんけん」

「いままで失神してたんだ。もう試合は終わったんだよ」

LKから視線を受けたJが答えた。

とっさに左右を見る。1000がいたのはリングの真ん中だった。

皮膚の上を何かが這った。手をやる。柔らかいものに指がめりこんだ。見ると生クリームが体中にこんもりと盛られていた。

1000が起き上がったため、胴体のクリームはリングに滑り落ちて山をなしていた。

「これって……」

落胆と悲痛が入り混じった嘆声がまろびでた。声の震えが止められなかった。

LKがそっと1000の肩に手を置いた。手のひらがぬるぬるとした粘液で濡れている。LKにも生クリームがいたるところにこびり付いていた。

パティシエマッチでは、フォールやKOでは勝負はつかない。全身を生クリームでデコレートされたほうが敗北となる。二人の滑稽なクリームまみれの姿こそ敗者の証だった。

「なんでで?」

LKは謝るような口調で答える。

「うん……1000、あいつらの連携技でKOされちゃったんだよ。そのあと、あたしは関節技でおさえつけられたままクリーム塗られた」

悔しそうにLKはうなり声を上げた。

1000は声高に言う。

「そんなん知らん!」

LKの肩をつかんだ。はげしくゆさぶる。

「わいはまだ何もしとらんけん! 技を受けたと思たら、急に負けたとか言われても意味がわからんわよ!」

LKは申しわけなさそうに顔をそむけた。

「ゴメン。あたしがあいつらに投げられて動けなくなったから……1000が連携技を食らっちゃって……あたしがとめられたらよかったんだけど」

「そうじょ! 勝手にひとりで行くけんじょ! 負けたんはLKのせいじゃ!」

1000の口から意図しない言葉が飛び出ていた。とっさに口を両手でふさぐ。のどの奥になにかがつかえたように声が途切れた。

LKの目がまんまるに見開いた。蛍光色の青い瞳が1000をじっと見る。驚いたような顔をしていたLKの双眸から、ぼろりと涙が一粒こぼれた。虹彩を着色していた染料アイリスカラーが溶けて青い雫がほおをつたう。

LKは声を震わせた。

「ご……ごめんなさい!」

LKの涙が1000の心臓を苦い刃で深々とえぐった。思いのほかの衝撃に1000はたじろいだ。謝ろうと思った。

「おいおい、ちょっと言いすぎじゃないか?」

Jがとがめた。

謝罪の言葉を言おうとしていた唇が凍りついた。

LKは1000に背を向けた。

「つまらない意地を張るなよ。な? タッグパートナーなんだからさ。仲良くしないとな」

Jが決まり文句を使って仲直りさせようとする。

1000は完全にあやまるきっかけを失ってしまった。もう、まるでJにうながされて心ならずもあやまったかのようになってしまう。本当の気持ちとは違うと知りつつJに抗う。

「つまらんことない」

Jは戸惑ったようだった。しょんぼりしたLKと1000を交互に見る。

そのとき、LKが悲鳴を上げた。

「あ痛っ!」

両手で顔を押さえる。力なくリングに膝を突いた。

そばにPETボトルが転がっていた。ふたが外れ、あわ立った炭酸飲料が噴出している。LKの顔に中身が入ったPETボトルが投げつけられたのだった。それを契機に、客席から怒号がわいた。

《オメーらふざけんなよ!》

《しょっぱい試合しやがって、なめてんのか!》

客席から罵声がとんだ。

一瞬、なにが起こっているか理解できなかった。

JはLKのかたわらに寄り添った。二言、三言声をかける。タオルをLKの頭にかぶせた。

客席からの怒号は続く。

《新人なんだからもっとねばれよ!》

《全然やる気ねーな!》

1000は驚愕した。全く身に覚えのないことだった。LKもあぜんと観客席を見回している。

「落ち着けよ。相手にするな」

なだめるJの言葉がむなしく響く。

リングの外で、“極限兵団”の二人が笑みを浮かべているのが見えた。観客の罵声が次々と飛んでくる。

《どーせ八百長ケーフェイだろ? 金返せ!》

《もう第二試合とかいらねーんだよ! ヤラセ超ウゼえ!》

観客たちの間から川面に魚が跳ねるしぶきのように聞こえていた野次は、たちまち周囲に波紋を広げ、怒涛となって“二人の女神”に押し寄せた。

《消えろ! 八百長!》

《八百長!》

《八百長!》

《八百長!》

これほどまでに多くの人から目の前で批難されるのは初めてだった。想像を超えた事態に、頭がしびれたように働かなくなった。

ぼんやりと視界の隅がにじんだ。顔から血の気が引いたのか、ほおが冷たくなったように感じた。ものの輪郭がいやにくっきりと見えた。胸のどこかに穴が空いたように、いろんな感情が一度に流れ出てしまった。体の中がカラッポになったような気がした。

視界の隅でLKが身をひるがえした。宙に踊った金髪が残した光の残像がほこりのように舞った。

「あれっ?」

Jの素っ頓狂な声が聞こえた。Jはリングにしりもちをついていた。LKに突き飛ばされたようだった。頭にタオルがかぶさっている。

突然、会場に割れた声が響き渡る。

「あなたたちねえ」

LKの声だった。LKはいつの間にかマイクを手にしていた。実況アナウンサーが使っていたものだった。

LKは眉毛を逆立て、きらきらと両眼をひからせて観客席を見渡す。不服そうに唇がとがっている。言葉を続ける。

「さっきからうるさいよ!」

LKの絶叫が会場にこだました。みんないっせいに耳をふさぐ。あまりの音量に空気が震えた。

つかのま、会場は静まり返った。

勝ち誇った表情でLKは周囲を見回した。直後、激昂した観客からいっせいに怒号が湧き起こった。

《テメー客に向かって!》

《マジで金返せ!》

《AV女優がきどってんじゃねー!》

LKは顔を赤くして怒鳴り返す。

「おおぜいでいっぺんにしゃべんないでよ、ずるい!」

たちまち無数の悪口が返ってくる。

《ずるいもくそもあるか! 八百長してるくせに》

《オメーなんか入場料ドロボーじゃねーか》

《金が欲しいんだったら風俗で働け! 人様に迷惑かけんな》

LKは怒り心頭に達しているようすだった。涙でうるんだ目が鋭い眼光を放っている。今にも客席に飛び込んでいくことが危ぶまれれるほど動作に落ち着きがなくなった。手にもったマイクが揺れている。必死の反論を返す。

「八百長じゃない! 八百長じゃないっつてんのに!……バーカ! みんな死んじゃえ、バーーーーカ!」

声を限りに叫ぶLKを見てリングに取り残されたJがつぶやく。

「あいつっ……ホントなにやってんだよ」

Jは頭を覆うタオルを払いのけた。頭を抱える。

「早く止めんと」

内心はとめる必要をまったく感じていなかったが、同調したようなポーズをとる。

Jは悔やむように頭を振った。

「今日は格闘用の手足パーツをつけてないんだ。普段使い用だからLKを止める力はない。なんとかしてくれ、1000!」

「ほんまで! それはいかん」

頼み込むJに力強くうなずく。足取り軽くLKのところへ駆けた。

実況アナウンサーと解説者はすでに逃げ去り、長い机にはいくつかのマイクが放置されている。会場のスタッフは余興と考えているのか、マイクの電源は切られていなかった。

LKは罵声の応酬に夢中になっていた。大勢の客とLKが子供のように罵りあっている。

《ヤリマン!》

《死ね!》

《バカ!》

《クズ!》

「うるさい!」

LKのかたわらで、おもむろに1000はマイクをとる。胸いっぱいに息を溜めた。一息に声とともに吐き出す。

「おまはんら、だまりない!」

観客は耳を押さえた。大音響が会場そのものをゆさぶるかのようだった。

LKがびっくりしたように1000を見ていた。

ふたたび会場は静まり返る。まだ残っていた“極限兵団”もけげんそうな顔でうかがっていた。

1000は続ける。

「おまはんらな、さっきっから八百長八百長、言いよるけんど、おまはんらだって毎日八百長して生きとるんじょ! なんも知らん顔して、えらそうにひとのことばっかり言われん!」

猛烈な反発が起こった。

《なわけねーだろ!》

《アホメスが増えてんじゃねー!》

《もう黙れ、低脳どもが!》

LKは声を張り上げた。

「聞いてよ!」

1000は客の反応を黙殺した。立て続けに言葉を繰り出す。

「だいたいな、人のことを八百長やとかえらそうに言いよるおまはんらは、普段どれだけ本気で身体張りようって言えるんで?

結局、その場しのぎや保身で面倒ごとから逃げよるんだろ? 自分の言いたいこととかよう言わんと、やりたいこととかようせんと、周りからスルーしよったり、されたりしよるんだろ! それこそ八百長でないで! おまはんら自身が毎日八百長やっとるんじょ!

そんなんが多少お金払うたからって、感動するもんが見れるはずないでないわよ!

なんでかわかるで?

おまはんらの毎日見よるんは、怠惰、妥協、卑屈、そんなもんばっかりじょ。そもそも普段からろくなことしとらんし、ろくなもん見とらん。ほなけん、実際に感動するもん見ても、それがええもんどうかががわからんのじょ!

おまはんらに真剣勝負を見せたってなんじゃわからんわ! なに見ても、八百長よばわりするんが関の山じょ! 見る目がないけん、なに見ても一緒じょ! いくら良いもん見ても自分らの狭い見方でわからんもんはなんでもあかんもんじゃって言い張るだけじょ!

お金出したからってぼさっと座わっとるだけおまはんらに、わいらの苦労とか本気がわかるはずないんじょ!」

客席が沸いた。反論が渦を巻いた。

《日本語しゃべれ、カッペ! 八百長の言い訳すんな》

《八百長認めんのかよ! ド三流が、一流ぶんな!》

《フーゾク嬢ごときが人の生活をつまんねーとか決めつけんじゃねー!》

怒りの声を一身に浴びる1000を援護するように、LKが叫んだ。

「待ってよ! 静かに話を聞いてってば!」

1000は豪雨の如き悪罵の嵐をものともせず咆えた。

「決め付けてんのはおまはんらじょ! この試合はぜ~ったいフェイクとちがう! それやのにおまはんらは勝手に八百長やって決め付けよる! 違う! 違うんじょ! おまはんらは毎日の生活自体がフェイクやけん、わいらの本気とか、ウソの区別がつかんのんじゃ!」

《なめてんのかメスブタ! 勝手なこと抜かしやがって!》

客席から円筒形が放物線を描いた。リングに落下して跳ねる。PETボトルだった。

ついに客たちは立ち上がり、手当たりしだいにものを投げ込み始めた。リングの上に丸めた菓子の袋や食べ残しが入ったプラスティック容器が飛び込んだ。

「わっちゃ!」

悲鳴がLKの口から飛び出た。

LKの頭に粘液まみれの柔らかい物体がたたきつけられる。濃厚なダシの臭いが立ち上った。ふやけたあんかけやきそばの麺がべったりとへばりついていた。

1000の顔や体にも重みのある粘土のような物体が衝突した。あまい香りとともに黒い餡子がぬりつけられる。まんじゅうだった。白い皮に“十万石”と焼印が押されている。

「もうやめろって!」

Jが二人に声をかけた。飛んできた四角い座布団を笠のように頭上にかざしている。素早くしゃがんだ。Jすれすれに飛んできた雑誌が床に落ちた。ひとりつぶやく。

「ミイラ取りがミイラ……いやさ、口の利き方と態度はファラオに……」

二人はJを無視する。

LKが怒りをあらわに客席を怒鳴りつける。

「ってやんでー、ふざけんじゃねーよ、ちきしょー! こっちはゴミ箱じゃあねーんだよ、ド近眼どもがよ! 食いモン投げんじゃねーよ、いーかげんにしろってんだ、バーーーカ!」

続けて1000が叫ぶ。

「おまはんらが利口ぶって見たり聞いたり語ったりしよるんなんか、ぜんぶ作りモンのヤラセばっかりじょ! 国内政治! 国際情勢! 世界経済! 全部台本どおりの茶番でないで!」

一部の客は戸惑ったようにリングを見た。

《なんだあいつ、なにしゃべってんだ?》

《マイクパフォーマンスじゃなかったのかよ?》

1000は夢中になってしゃべっていた。

心の中のタガが外れたような爽快感だった。多数の人間に対する圧迫感はどこかへ吹き飛んでいた。いまや自分の声が聴衆の興味をひきつけていることに魅了されていた。話す内容はなんでもよかった。とりあえずどこかで聞いたことがある文章を本能が組み立てるままに、舌の上に乗せていった。

「全部がオヤジたちの間でどーするこーするって決まっとって、後からはもう誰も変えれん! 本当の話は伝わってこん! 結局、八百長じょ! おまはんらの生活みんながおまはんらの言う八百長に支配されとるんじょ!」

観客席がいっせいに泡だったかのように見えた。

何人もの客が席を立ったようだった。観客席にひしめく無数の人が波打つ。アナウンサー席に陣取る1000とLKに向かっておしよせた。警備員はあまりの大人数に押し倒された。暴徒と化した観客が、雪崩をうって“二人の女神”を取り囲む。

LKが威勢良く吐き捨てる。

「やっちゃおうか!」

「うん!」

1000は返事をする。

二人はマイクを投げ捨てた。長机に飛び乗る。背中合わせになり、周りの人壁へ身構えた。声をそろえた。

「「来い!」」

その瞬間、会場はまっくらになった。


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