性別なんて、関係あるっ!
初めて生徒会議室横に設置してある小部屋から出てきたアイツを見たときは、正直目を疑った。
「……ちょっと、止まられても困るんだけど。何か言ってくんない?」
不機嫌をあらわにしたアイツが俺に向かって問いかけた。
ときりと、人生で初めての小さな振動を胸に覚える。
おい俺、なんだこの感覚……目の前にいるのは、誰だ? 誰だ誰だ誰だ。
分かってる。
決まってる。
「……駄目だ嘘だってありえない」
「何呟いてんの……テツ、人の顔見てそれって酷くない? こっちだって渋々なんだからさ」
悪い冗談は止めてくれ、と思う。
今まで俺は一目ぼれなんていうものを信じてはいなかった。高3のくせに初恋も来ていない、それが俺。
だが、もしやそれも今日までということか。
俺は無言でアイツの姿を見詰める。
「……」
「無視、すんなっ」
俺が黙っていたのをシカトととったのか、瞬時に脳髄まで響き渡るほどのチョップ。
「いってぇなっ。この野郎!」
「無視するテツが悪いんじゃん!」
そう言いながらアイツはつんと口を突き出して横を向いた。その光景に、また不覚にも――ごくり。
やばいやばいやばい、俺、どうしちまったんだ。
丸くて大きな目に長い睫。そして、妙にふっくらとした唇に光るグロスが妙に艶かしい気がする。
今のアイツは、男ならまず惹かれるような顔である。……というかそう思わないとやってられない。
まさか、薄い化粧だけでここまで……?
最後に、アイツの小さな頭には長いカツラがのっていた。
「おまっ、その」
――ガチャリ。
その時、化粧室のドアが開いた。
「会長、副会長どーです? 完璧でしょう? 俺、頑張っちゃいました!」
あぁそうか。よくやったな、なんていうか馬鹿野郎。
やめろやりすぎ、似合いすぎ。
「なんかさー。会長様は気に入らなかったみたい。やんなっちゃうよ」
そう後輩に言って苦笑するアイツ。
「えー、似合ってますよ、絶対! これだけ綺麗なら男子校にも潤いってもんが……! やっぱり伝統ってもんは楽しまなきゃいけないですよ。去年まではですねー」
そう、手をぐっと握って力説をする男臭い顔をした堀の深い坊主頭の後輩。そして、その横で律儀にもそうだよね、と相槌をうつアイツ。お前さっき渋々って言ってなかったか?
……そして、後輩の台詞を聞き逃してはならない。
そう、ここは――私立男子四之宮高校。
男子校だった。
「おお、ロミオ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの? 私を想うなら、あなたのお父さまをすてて、お名前を名乗らないでくださいな。もしそうなさらないなら、私への愛を誓って欲しいですわ。そうすれば、私はキャピュレット家の人でなくなりましょう」
「(っ……)」
告白を生まれて初めてされた。それもとびきりの美少女に。
「(……ちょ、ちょっとっ、テツ、台詞!)」
その時、アイツの口から小さく注意されて、俺は。
「そ、そうだな。そうしよう」
――「カットカット。どうしたんですか会長! そんな率直に答えられても困りますって。今日が本番なのに、どうしちゃったんですかっ?」
「す、すまん」
どうやら頭がやられているらしい。
何しろさっきから身体がヒートアップ。脳内もヒートアップ。
これは、休憩をとらないと色々やばいかもしれない。
「悪い、ちょっと休まさせてくれないか?」
「そういえばさっきからやりっぱなしっすからね。分かりました。それじゃあ他の役から」
同じ生徒役員の後輩にそう言われると、ゆっくりとした足取りで端のパイプ椅子に座る。
そして、ゆっくりと目を瞑り、瞑想。
さっきから、本当におかしい。台詞は間違うし、やたらと心臓が。俺はどうしてしまったというのか。
……ま、まさか、やっぱり。い、いやいやいや、これは……うん、違う! 断じて違う!
こ、これは絶対恋なんかじゃない!
「大丈夫? 顔真っ赤だよ?」
「うぉっ!?」
ひんやりした男にしては幾分小さくて柔らかい手を俺の頭に当てるコイツは、歩という。入江歩。俺の小さい頃からの幼馴染で、親友。
元々コイツの容姿は中世的で、率直に言うと可愛らしかった。いくらいつも男らしい格好をしていてもたまに女と見間違えられる。歩は、そんなやつ。だけれど、今までそれを俺は意識したことなんて一度もなかったのに。そう、なかった、のに。
だが、歩の見た目はいつも以上に磨きがかかり、なんというか……男性らしくなかった。
とどのつまり。
――か、可愛い。可愛すぎる……ば、馬鹿! 騙されるな俺。ああくそ、近いんだよアユっ!
「んー……手の平じゃ分かりにくいなぁ。ていうかそんな驚かなくても……どう? 調子は。気分悪い?」
「だ、大丈夫だ。それより、手を、手てて、をっ」
「ホントに大丈夫?」
そう言って心配したように小首を捻る。可愛い。
「ね、寝てりゃあ治るって」
「あっ」
素早くデコに当てられている手を押し返すと、一瞬の沈黙が出来た。すぐさま小首をまた捻る歩を見届けてから目を瞑った。すると、少し冷静になることに成功した。
……そう、コイツは男。俺はどこかおかしかっただけなんだ。もしかしたら昨日鍋の中に入っていたキノコにでもあたったのかもしれん。そうだ、きっとそのせいだ。
「テツ?」
すると小さな歩の声と同時にぴたりと額にまた違和感。また手をやってるのか、そう思うがな止めさせようと冷静を必死に装って片目を開けると――。
「っっっっ!?」
眼前には可愛らしく整った歩の姿があった。
「んー……熱、ちょっとあるんじゃないかなぁ、これ」
ちかっ。ちかっ。ちかっ、あぁぁぁあっ!?
後一センチで、唇同士があたる距離。触れ合う、距離。
急接近。
体温上昇。
脳内爆発。
これは……もう、もう……。
「……も、だめだ」
「へ?」
徐々に、身体から力が抜けていくのが分かった。
「ちょっと、テツ。……み、みんなぁっ、テツが気絶したー!?」
やっぱり男にしては若干高くて聞き心地のいい声が部屋中に響く。そして、俺の耳から歩の声が遠ざかっていった。
「哲也君。好きよ、付きあって」
少女は俺の名前を呼んで微笑む。綺麗な笑顔だ。可愛い。
「あぁ、いいよ」
そこはもちろん、オッケー。だって何しろ俺は男子校の高校生。いくら生徒会長というポジションについてたって、女子がいなきゃモテる要素にもなりゃしないのだ。健全な男子にとって出会いは大事。必要というわけ。彼女のことは初めてみるけど、笑顔が可愛い。全然オッケー。すぐ付き合いたい。
そこから俺たちの付き合いは始まった。一緒に浜辺に行って、夕日を見て。ときどき一緒に勉強会というものもした。
そして、ある日、気付いたんだ。
「そういえば名前は? 悪い、聞いてなかったよな」
本当、間抜けだったと思う。今まで気付かなかったなんて。
「私? 私はね」
彼女はいつものように魅力的な笑顔を作る。そして、顔が近づいてきた。どきりとする。そう、これが初恋というものなのだ。青春。
俺と彼女の唇が触れ合う瞬間。
「あ・ゆ・む、だよ。テツ」
そう、今思うと、その笑顔は、親友のものと全く同じだった。
目を開くと夢の中出ててきた彼女――歩がいた。
「ぎゃあっ!?」
「わぁっ!?」
どてりと小さな音がして見えなくなるアイツ。
「アユ……?」
いててと歩は俺の寝ているベッドの上に手をつけて立ち上がった。
状況が理解できなかった。歩は女になってしまったのか。どうして髪が長い。どうして女の服を着てる。どうして俺の目の前にいた。あぁ、そうかお前は実は女だったんだなそうだったんだな。あの魅惑的……い、いや悪夢はまだ続いているのか。
――違うっ!
「アユ、なんでここに」
思いきり頭を横に振ると、ひたすら冷静を装いながら聞いた。
「なんだよ、ったくもう。いきなり倒れたから看てたら叫びだすし。ビックリしたんたんだけど」
その瞬間。全てを思いだした。
「す、すまん」
「全く、熱あるんなら言ってよ。ほら、この体温計」
アナログの体温計を受け取って見ると三十七℃とちょっとと示されていた。微熱。本当に微熱。けど、これは俺の心理的ダメージを減らすには十分な効力だった。
「ったく昔からー」
「アユ」
俺は説教を始めようとしている歩の声を遮って、手をとった。
「一生友達でいよう。頼むから」
「え? え?」
大きくてぱっちりとした目を丸くして、歩は頬をさっき驚いたせいか若干赤く染めながら首を捻る。
――やっぱり、可愛い。
い、いや、これは熱のせい。
そう思って、その時の俺は誤魔化していた。
◇
『昔からの伝統で今年はロミオとジュリエットをすることになった』
彼からそれを聞いたときはつい、焦ってしまった。
テツ、もとい日比野哲汰が生徒会長になったから誰にも彼の隣になんか立たせなくて僕が副会長になったのはいいけれど、まさか演劇で彼の恋人役まで僕が務めるとは思わなかったから。
「もしあなたが、ロミオという名前が気に入らないのなら、もうぼくはロミオではない、恋人とでも何とでも好きなように呼んでくれ」
恋人。何度その関係に憧れたことか。
「ん? ……どうかしたか?」
「ううん。なんでもないよ。それより」
練習中。台本を読みながらそう問いかけてくる哲汰に何でもないよ、と首を振る。
演劇の中でだけでも、恋人になれれば――。
演劇本番中。
身体にスポットライトが当たり、観客の視線が僕たちに集まる。
そんな中、僕は不機嫌だった。理由は哲汰が僕と目を合わそうとしないから。必ず、合わせてそうで別の場所を見ている。
(そんなに、この衣装……似合わない?)
少し、ショックだった。もちろん、女装したのは嫌々だったのだけれど、そんな反応しなくてもいいじゃないか、と。
「君の敵だった自分を殺すことで、君のために尽くすつもりだ」
今はちょうど演劇の終盤。
ロミオがジュリエットの死を嘆き悲しみ、自殺してしまうシーン。そして、実は仮死状態だっただけのジュリエットが起き上がり、ロミオの死に涙を流し接吻する、シーン。
(僕、あんまりこの演劇、昔から好きじゃなかったんだよね。叶わない恋なんて悲しすぎる)
僕は男。そして哲汰も男。方向は全然違うけど、同じように叶わない恋。自分の想いと似ているように感じて何だか歯痒い。
倒れる哲汰に顔を近づけさせる。リハーサルでは、寸止めするだけ。
哲汰は目を瞑っていて、やはり、僕のほうをみない。
そんな、いらいらと不機嫌な時、あることに気付いた。
「(テツ……)」
「(どうかしたか?)」
片目を開けて、僕の目を劇中で初めて見詰めるテツ。
近づけば、唇が触れ合いそうな距離。叶わないであろうこの想いが少しは晴れるかもしれない。
でも――。
「(なんでも、ない)」
ここで、してもいいんだけど。僕は、いつかこの恋が叶う、なんて少しだけ信じている。
(……やっぱりファーストキスは、合意の元でしたいよね)
――ロミオとジュリエットには悪いけれど、どうか、僕の恋は報われますように。
僕は哲汰から離れると、玩具のナイフを胸に突き刺した。
◇
時はうって変わって、演劇後。
「おつかれーっすっ!」
「良かったですよ。会長。副会長も」
「おう」
「みんなのおかげ、だよ」
放課後の校門前で、俺と歩は後輩たちに囲まれてそう言われていた。成功。大成功。
ちらりと隣を見ると、元の服に戻った歩が微笑んでいる。俺はほっと息をついた。
そう、無事、だ。演劇は無事終了した。
「……アユ、帰るぞ。片付けは明日――」
「テツ」
後輩達を帰らさせてから、歩を呼ぶと不機嫌そうにあいつは俺を見詰めていた。
「……あのね、僕が分かってないとでも思ってるの? 長い付き合いじゃないか。目、逸らしてたでしょ。演劇中、ずっと」
怒っている。あの滅多に怒らない歩が、だ。
「いや。あれは別に変な意味じゃなくてだな」
単にあの姿の歩と目を合わせたらつい意識してしまいそうで。もしや勘付かれたんじゃないだろうな。
「僕のこと、嫌いになった?」
「は?」
何を言っている。
「出来れば……あの服のまま言いたかったんだけど」
なんなんだ、この展開は。予想外で、不可解だった。
あの服のまま?
まるで女のままでいたかった、みたいな。それは男と女なら付き合えるってことともとれるわけで。
小説やドラマならここで告白なんてして。
瞬間、歩がいつになく可愛らしく思えてしまった。
「お、俺は――」
演劇前の誓いもなんとやら。
全然オッケーだ。そう言おうとした時。
「僕、あんなの着る趣味ないんだからね!」
「へ?」
予想外。
いや、でもそれが普通といえば普通。
「周りが着ろ着ろっていうから着ちゃっただけで……」
歩は恥ずかしそうに言い訳する。
いや、でも俺は今この感情を認めてしまったあとなわけで。
(……俺は、一体これから)
どうしろと。
俺は頭を垂らして絶望にひたる。
「ちょっと、テツ。聞いてる!?」
俺の受難は、これからも続きそうだった。
お読みくださってありがとうございます。
……やっちゃった感がかなりありますが、感想&評価を頂けたら幸いです。