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乱刃羽燐の日常

夕景ホットスポット

作者: 倉舞真夏


「初めてその手紙を貰ったのは九月の終わり頃だった」


 黒革のソファーに腰を下ろし、神妙な面持ちで語り出した神村(かみむら)功介先輩は、そう言ってこちらへ一枚のメモ書きを差し出した。

 和紙を思わせる薄い紙に桜の花のワンポイントがあしらわれた、簡素だけれども愛らしいメモ用紙。そこに細い字で「委員会のことで相談があります。五時半に二年C組にきてください。」と書かれている。筆跡からして女の子のものらしかった。


 ガラステーブルを挟んで向かいに座る先輩から渡されたそれを、ぼくと羽燐(うりん)は検める。


「委員というのは?」

「文化祭実行委員。俺もその娘も同じ実行委員で――。それで」


 青い瞳で問い返す羽燐に先輩が答える。

 二年生の先輩が一年生相手に相談に来るというのは奇妙な感じもするけれど、探偵部の性質を考えると、それもまた不思議でないのかもしれなかった。




 月曜日の放課後。本日も一日の授業を修了したぼくこと紅月(くづき)(りつ)は、部活もないので手持ち無沙汰に親友である乱刃(みだれば)羽燐の下を訪れていた。

 わが未確認生物研究会が居を構える部室棟四階のひとつ上――最上階のいちばん奥で、彼女が部長を務める御音(みおと)学園探偵部は今日もひっそり営業していた。


「あれ、むぐ。いらっしゃい」


 扉を開けると、大仰な書斎机の上に小さなお尻を乗っけ足を組んでいた女の子が、読んでいたノベルス本から顔を上げ、軽やかに跳び下りた。

 日本人離れしたスカイブルーの瞳に、その瞳と同じ色のりぼんでポニーテールに束ねられたれもん色の髪。美少女のイデアとでも言うべき整った顔立ち。肉づきは薄く線が細い。

 太もも丈のスカートに裾出しワイシャツの、校則違反な恰好も相変わらずだ。

 乱刃羽燐。ぼくの親友にして、探偵部の一年生部長である。


「どちらかといえば“開店休業”の方が適当かもね」

「何のこと?」

「いや、こっちの話」


 言って、部屋の中を一瞥する。

 手前には応接用のソファーとガラステーブル、壁際には古今東西のミステリ小説の収められた本棚が並び、部屋の奥には先ほどまで羽燐が座っていた大机。広さこそ大したことないが、いち部活動の部室にしては立派過ぎる内装だ。


「今日はまたどうしたの?」

「暇だったから羽燐の顔を見に」

「ありがと、むぐ」


 羽燐は衒いもなく微笑んだ。

 ちなみに“むぐ”というのは羽燐がぼくに付けた仇名だ。『葎』という字を『むぐら』と読んで“むぐ”である。


「でも、ちょっとタイミングが悪かったかな」

「これから何か用でもあった?」

「あるっていうか――」


 言うが早いか、こんこんとノックの音が響く。

 なるほど、それは確かに間が悪い。ぼくと違って、彼女は暇ではないらしい。


「ちょうど来るところだったんだよね、依頼人が」


 叩かれた方に目をやると、ゆっくりとドアが開き、上級生と思しき男子生徒が現れた。




 御音学園高校二年A組、神村功介。

 部屋に足を踏み入れた依頼人は、ぼくと羽燐にそう名乗った。

 探偵業とは基本的に、人様の秘密を預かるデリケートな活動である。部員でもない人間が平然と首を突っ込むのも宜しくないと思い、辞去の意を伝えると、意外にも依頼人の方から引き留め止められた。

 なんでも、羽燐の助手だと勘違いしているらしい。

 まあ、実際のところ興味がないでもない。ぼくごときが何かの助けになるとは思えないけれど、ワトソン役くらいは務められる。

 素直に先輩の言葉に従うことにした。


「それじゃあ神村先輩、詳しいお話を聞かせて頂けますか」


 羽燐がソファーを薦め、ぼくたちは腰を下ろす。


「依頼というのは二年C組の静沢(しずさわ)七藤(ななふじ)という娘のことなんだ」


 ぼくと羽燐を交互に見やり、先輩はおもむろに語り始めた――。

 神村功介が静沢七藤という名前の同級生と知り合ったのは、五月の半ば。学園祭の実行委員に選ばれ、二度目の会合に出向いたときだった。

 一年教室を借り切って行われたその集まりで、たまたま隣に座ったのがふたりの出逢いだったという。


「出逢い――って言っても、そんな大層なものじゃなくてね。会議が始まるのを大人しく待っていたら右隣で女子が涙を流してて、何事かと思って声を掛けたら、洟を啜りながら読んでいた少女マンガのクライマックスに感極まっただけだと言うんだ」

「それはまた――」

「随分と変わった先輩(ひと)ですね」


 羽燐がぼくの言葉を継いだ。


「感動しいなんだ。ロマンチストだし」


 慈しむような口調で神村先輩は語る。

 そう昔の話でもないだろうに、その中にはどこか懐かしむような響きがあった。或いは、ほんの半年前の出来事がもはや感慨深く思えるほど、七藤先輩の存在は彼の中で大きかったのかもしれない。


「それから静沢とはなんとなく喋るようになって、二学期が始まってしばらくした頃――九月の終わりの火曜日にこの手紙を貰ったんだ」


 手紙というにはシンプルに過ぎる小さなメモ用紙を羽燐が受け取る。隣から覗かせて貰った限り、取り立てて特筆するような点もない、単なる呼び出しのメッセージである。


「これが何か?」


 思案顔で視線を落とす羽燐に代わって質問する。


「その頃、文化祭委員は二日目の体育館のスケジュールをどこの団体に割り振るかの調整で紛糾していて、それはもう激しい議論が連日続いてたんだ。殆ど委員会全体が真っ二つに割れていたと言って良い」

「大変だったんですね」

「ああ。一触即発だった」


 ぼくも文化祭に向けた部活会議に代理で出席したことがあるから、よくわかる。

 多くの生徒が学生生活の一大イベントを満喫する裏では、彼ら実行委員のたゆまぬ努力と見えない苦労がいくつも隠れているのだ。


「静沢の話ってのもまさにそのことで、意見が割れてどうにもならなくなっているいまの状態を、なんとか自分たちで解決できないか――そういう相談だった」

「それで、どうなったんです?」

「その週の木曜日と次の火曜の計三回、すっかり夕暮れ時で部屋中橙色になっているのも構わずに、ふたりしてあーだこーだと言い合ってさ。静沢と話し合った末にまとめた案を提出して、なんとか諌めることができたんだ」

「おふたりの尽力なくして文化祭の成功はなかったわけですね」

「それはちょっと言いすぎだけどな」


 羽燐の台詞に、先輩が少し照れくさそうに頬を掻く。

 来校者数、出店売上げ共に過去最高を記録した先月の文化祭は内外の人間で大層賑わい、大成功のうちに幕を閉じた。勿論、数字の上でだけでなく、ぼくたち一般生徒各人にとっても大いに意味のある、学生生活最大のイベントと呼ぶに相応しいものになったことは、いまさら述べるまでもない。羽燐の言葉は誇張でもお世辞でもなかった。


「スケジュール問題が解決しても学園祭まではそんな感じで週二日、火曜と木曜の放課後は決まって静沢と案を詰める日々だった。毎度のように机にメモが置かれてて、決まった時間、おんなじ教室に呼び出されて――」


 訊ねるぼくに、先輩は自分の話しを裏付けるかのように、証拠代わりに数枚のメッセージをガラステーブルの上へと並べてみせる。


「あ、可愛い」


 さくらんぼの模様が入ったポップなイラストカード。子猫の顔を象ったデザインの青いメモ。赤とんぼが描かれた風情を感じさせるもの etc……。ひとつとして同じものはない。

 さすがは女子というべきか。羽燐は内容云々より先に、外身の方に惹かれたらしかった。

 バラエティに富んだメモ書きは文面にこそ差はあれど、どれも決まって女の子らしい丸文字で、放課後、二年C組の教室で待っている旨が書かれていた。

 男の立場からすると、何も書き付けひとつにここまで拘らずとも、余ったプリントの裏にでも適当に残しておけば良いのに、などと思うのだが。

 それはともかく。


「携帯とか持ってないんですか? わざわざ書き置きなんか残さなくても、そっちの方がずっと簡単で手っ取り早い気がするんですが――」


 まず疑問に感じたのがそれだった。

 旧来の携帯電話でさえガラケー或いはフィーチャーフォンと呼ばれ、スマートフォンがその地位を確立して久しい昨今である。二十一世紀にもなって、よもや普通の高校生が携帯電話すら持っていないわけではあるまい。

 しかし、その問いに対する答えは至って明瞭なものだった。


「メアド、知らないんだ。なんとなく訊きそびれちゃって……」

「なるほど。納得しました」


 確かに、ふたりの知り合った経緯を思えば、わからなくもない。神村先輩の話では、なんとなく話す機会が増えていったとのことだったし。

 ああいうものは、最初の機会を逃すとなかなか切り出し難いところがある。


「あたしからも一点、確認したいのですが」


 しばし黙考していた羽燐が小さく手を挙げ、青い瞳で依頼人を見据える。


「なんでも訊いてくれ」

「静沢先輩からのこの手紙――毎週決まった日にち、火曜日と木曜日が選ばれてるのには何か理由があるのでしょうか?」


 ああ、と得心いったふうに先輩が声を漏らした。


「静沢は新体操部に入ってて、火曜と木曜は筋トレだけの簡易メニューだから割合早く終わるんだ。他の日だと部活が終わってからどうこう、というには時間が遅すぎる」


 本業の部活動も大変だろうに、その上実行委員までやってしまうのだから頭が下がる。文武両道とはこのことだ。


「神村先輩は部活動は?」

「俺は何も。それが祟って実行委員の仕事を仰せ付かっちまったというわけだ」


 わざと悪びれた言い方をする神村先輩。


「あたしからは以上です。話の腰を折ってしまってすみませんでした」

「良いよ、良いよ。こっちは話を聞いて貰ってる立場なんだから」


 ありがとうございます、と羽燐が眦を伏せる。


「文化祭が終わってからも、静沢からの伝言は不定期で続いた。だいたいが火曜か木曜日、部活が早く終わる日の放課後、二年C組の教室で。取り立てて用事があったわけでもないけれど、授業でわからなかったところを教え合ったり、彼女が好きな少女マンガの話をしたり、ただなんとなく駄弁ったり――もともとクラスも違うし、日常生活じゃ接点もないから、そういうことでもないと喋る機会がなかったんだな」


 そこで、神村先輩は一度、言葉を区切った。


「相談というのはここからだ。手紙を貰い始めて一ヶ月ちょっと過ぎた頃、昼休みが終わって教室に戻った俺の机には、いつものように静沢からの呼び出しのメモが置いてあった。だが、その内容はこれまでのものとは微妙に違っていたんだ」

「と、言いますと?」


 相槌代わりに羽燐が訊き返す。


「うん。いつもなら五時半に二年C組にきてほしい、と書いてあるハズなのに、その日のメモには一年C組を指定してあったんだ。最初は俺も間違いかと思って、呼び出された時間に静沢のクラス――二年C組に足を運ぶことにした。けど、予想とは違って、そこには誰もいなかったんだ。ただ薄暗いだけの、丸っきり無人の教室でしかなかった」


 高村先輩の語りが静かに進行する。

 ううむ、この話がどういう方向に転がるのか、ぼくにはまったく見当がつかない。


「それなら一応、言われたとおりの場所に行ってみるか、と階段を上って1Cの教室を確認してみると、夕暮れに染まる教室の中で、静沢がひとり佇んでいたんだ」

「まさか、その七藤先輩が幽霊だったってオチとかじゃないですよね?」

「むぐ。真面目な会話をしてるときに茶化さないの」

「はい。ごめんなさい」


 羽燐がしらっとした目を向けてきた。


「勿論、静沢は人間だよ。足も付いてる。ただ、静沢の言動が不可解なのは確かなんだ。どうしてわざわざ一年の教室に呼び出したのかを訊ねても、2Cは女バスの二年生がミーティングに使う予定だったからだと答えるし、それなら他の二年教室――たとえば俺のクラスである2Aとか――でも良かったんじゃないか?と訊けば、たまには一年生の気分を味わってみたくなっただの、苦し紛れのような弁明をする。そればかりか、その次も、さらにそのまた次のときも、静沢は一年C組を会談場所に指定してきたんだ」

「つまり、神村先輩のあたしへの依頼というのは、静沢先輩がなぜ二年C組ではなく、一年C組に来るように述べるようになったのか――その理由を明らかにしてほしい、と。そういうことですか?」

「そのとおりだ。頼む、乱刃。探偵部の乱刃羽燐の評判は他学年の俺でも知っている。乱刃にとってはわざわざ問題にするような、大した謎じゃないかもしれない。だけど俺はなんていうか、どうして静沢がそんなふうに奇妙な行動を取っているのか、どうしてもそれが知りたいんだ」


 先輩の表情は至って真剣そのもので。最後の(よすが)に縋りつくような、その眼差しを目にしただけでも、彼がどれほどこの“事件”に悩まされているかが伝わってきた。そう、他の人には些細に感じられるかもしれないこの謎も、神村先輩にとっては立派に“事件”なのである。

――ならば、わが親友はきっとこう答えるに違いない。


「わかりました、神村先輩。その依頼、引き受けます」




「なぜ七藤先輩は自分の教室でなく、縁もゆかりも田村ゆかりもない教室に神村先輩を呼び出すようになったのか」


 それが、今回の謎の主題である。

 神村先輩が探偵部を辞去した後で、確認の意味も込めてぼくは改めて呟いた。

 時刻は午後五時十五分。部活のない生徒の大半は、そろそろ下校し切っている頃だ。


「実際のところ、謎自体は殆ど解けてはいるんだよね」


 さして重要なふうでなく、羽燐がさらっと言ってのける。


「――って、もう!? それなら神村先輩が帰る前に、さっさと謎解きしてあげれば良かったじゃん」


 また探偵お得意の出し惜しみか。重要な証拠が出揃っていないだとか、まだその時期じゃないだとか、小説に登場する名探偵はいつもそんなことばかり言って、結果的に被害者数を増やしてしまうのだ。

 今日の件にしたって、ついさっき羽燐が自分の考えを話していれば、神村先輩の精神負担も少しは軽くなっただろうに。


「んー、今回の場合、大切なのは演出の方だと思うんだよね。それには神村先輩ひとりじゃ事足りないというか――」

「七藤先輩にも立ち会ってほしい、ってこと?」

「うん。そうじゃないとこの依頼を解決する意味がない。ううん、本当の意味では解決できないんだよ」


 また、よくわからないことを言う。

 それはともかく措いといて。気になるのは神村先輩が七藤先輩に向ける感情だ。


「神村先輩、やっぱり七藤先輩のことが好きなのかな」


 語り終えた神村先輩が辞去した後で、ぼくは羽燐に話を振った。


「意外。むぐでもそういうこと、わかるんだ」


 心底驚いたように、羽燐が青い瞳を瞬かせる。


「失敬な。いったいぼくを何だと思ってるのさ」

「鈍感」

「うぐっ」

「朴念仁」

「はうあ」

「唐変木」

「ううう……」


 ダメだ、心が折れた。

 それはまぁ確かに自分自身、大いに自覚しているところではあるけどさ。何もそこまでザクザク言うことないんじゃないの? ショックで涙が出ちゃうよ、女の子だもん。いや、嘘。正真正銘男の子だけれども。叙述トリックとか仕掛けられていないけれども。

 そもそも、と羽燐。


「あんな何ヶ月も前のメモ書きを何枚も丁寧に保管しているだなんて、よほど相手のことを気に掛けてない限りはあり得ないよ」


 書いてあるメッセージはだいたいどれも同じだった。となると、敢えて取っているからには内容以外の部分に相応の理由がある――と考えて然るべきだ。


「想い出の品、ってことか」

「特に部活に入っているでもない神村先輩が、毎度のことのように呼び出された五時半まで居残っているのも、裏を返せば静沢先輩との“取り立てて用事もない”やりとりのために時間を潰して待っている事実を意味しているわけだしね」

「なるー。言われてみれば、そのとおりだ」


 現に一年C組へ来てほしいという手紙を初めて受け取った日、最初に覗いた二年C組は無人だったのだから。部活のない生徒はよほどの用事でもない限り、とっくのとうに下校している時間である。


「ま、そんなふうに小賢しく頭を働かせるまでもなく、神村先輩の口ぶりから充分以上に察せるとは思うけど。何せ、むぐでさえ気付けたくらいだもん」


 ばっさりと袈裟掛けにされる。


「ぼくの恋愛偏差値は中堅校合格レベル未満か」

「うん。最底辺。何なら一緒に補習する?」

「それは遠慮しておきます」

「残念」


 口では惜しんでいるわりに、なかなかおかしそうな物言いだった。人をからかって楽しむとは性質(タチ)が悪い。


「しかし、あのメモ書きねえ」


 仕切り直しに話を変える。


「何度も逢ってるんだから、メアドくらい交換すれば良いのに」

「そういう繊細な気持ちがわからないのは、やっぱりむぐだよね……」


 半ば諦め混じりに、羽燐が深く溜め息を吐く。

 先ほどからずたぼろに扱き下ろされて、ぼくのガラスのような心は既にひび割れ、崩壊寸前なのですが。そこらへんの機微は汲み取って貰えないのでしょうか。

 相手にするのも面倒だとでも思ったのか、羽燐が改めてその理由を説明してくれることはなかった。


「とりあえず。ちょうど良い時間帯だし、一応確認しに行ってみようか」


 壁掛け時計に目をやると、時刻は午後五時二十分。いまから本校舎まで赴くと、ちょうどいつもふたりの逢瀬が行われているくらいの時間だった。




 御音学園高校の本校舎は大きく三棟、南校舎と北校舎、それを繋ぐ特別教室棟で構成されている。この他にも部室棟だったり、体育館だったりも存在するのだが、これはまぁいまは必要のない知識だろう。

 件の二年C組は南校舎の三階、西寄り――左端から数えてみっつめに位置していた。


「失礼しまーす」


 ぼくと羽燐は無人の教室に声を掛ける。いくら誰もいないとはいえ、上級生の教室に勝手にお邪魔する行為は、なかなかに緊張するものだ。


「どう。何かわかった?」


 外はすっかり黄昏色で、日の入らなくなった教室は薄暗い。ぼくは電気を点けながら、羽燐に訊ねた。


「うん、だいたい思ったとおりかな」


 窓の外を眺めながら羽燐が答える。教室の中を検分している様子は見られないが、これで良いのだろうか。


「むぐ。次は上に行こう」

「早っ! まだ一分も経ってないじゃん」

「大丈夫。見るべきものは見れたから」


 早業殺人もびっくりの手際の良さである。

 おまけに「ら」抜き言葉になっているし。

 とはいえ。用件は終わったというのだから、いつまでもここにいても仕方ない。点けたばかりの照明を落とすと、ぼくたちは揃って退出した。

 次の目的地は、ちょうどこの真上に当たる一年C組。自分たちの学年なこともあり、こちらは馴染み深い。

 ぼくと羽燐は階段までの廊下をしばし歩く。


「七藤先輩」

「――うん?」


 羽燐がぽつりと何か言う。


「逢ったこともないのに名前で呼ぶなんて、随分と馴れ馴れしいんじゃない?」


 一瞬、何のことだかわからなかった。

 静沢、静沢先輩、七藤先輩……。今日、あの場にいた中で、当該静沢七藤先輩を下の名前で呼んでいたのはぼくだけだ。

――つまり、これは。ぼくが責められている?


「別に深い意図はないってば。だってほら、四文字名の女の人って変わってるから、なんとなく印象に残るというか」

「ふーん」


 羽燐の片眉がぴくりと上がり、アイスブルーの瞳が冷たさを放つ。疑いの眼差しだ。


「何、焼きもち? 羽燐のことだって名前で呼んでるじゃん」

「それはそうだけどさぁ」


 いまいち煮え切らない回答だった。

 そうこうしているうち階段に差し掛かり、あっという間に上り終える。ここからは再び、1Cまでの道のりだ。


「じゃあ羽燐先輩、とか」

「先輩じゃないもん」

「羽燐さん」

「それは他人行儀すぎ」

「――なら、羽燐ちゃん?」


 ぷしゅぅ、と。羽燐が恥ずかしげにもじもじと俯いた。白磁のような頬が湯沸かし器の如く沸騰し、赤く染まる。小林くんも顔負けのりんごのほっぺである。


「そ、それはちょっと新鮮かも……」

「うーん。そんなしおらしくなられても逆に困るんだけどなぁ。とりあえずは仕事、仕事」

「ん、そだね」


 羽燐の華奢な背中を後ろから押して、夕陽の光が漏れる一年C組のドアを開けさせる。

 教室は一面、オレンジに照らされていた。この場合はセピア色というのかもしれない。青春のセピア色だ。

 羽燐の頬の紅潮も、この夕焼け色の中ではすっかり埋没していた。


「――にしても眩しいな」

「三階だとちょうど向こうの建物の陰になって、ぎりぎり太陽が隠れるからね。ここまで明るくはならないんだよ」

「なるへそ」


 そういえば、二年C組は電気を点けなくちゃならないほど薄暗かったっけ。


「で、どこからチェックする?」


 早速、教室の中を歩き回る羽燐の背中に問い掛ける。黒板横の時間割表を眺めたかと思うと、壁際の掲示物をぺらりとめくる。


「内装はうちのクラスとそんなに変わらないね」

「特に、羽燐はお隣のB組だしね」


 ちなみにぼくはG組だ。羽燐とは別のクラスになる。


「てか、隣のクラスくらい覗いたことないの?」

「んーん、初めて」


 だからかどうかは知らないが、羽燐は物珍しそうに教室内を見て回る。殆ど、動物園を訪れた子供だった。或いは探偵特有の嗅覚に引っ掛かるものでもあったのだろうか。いずれにしても、ぼくのような普通人にはまったく理解できない。

 ぼくは手持ち無沙汰に腕を組み、教室後ろのロッカーをぼんやり見るに任せていた。


「それじゃ、そろそろ帰ろっか」


 五分と経たずに、大きく伸びをしながら羽燐が言う。


「さっきといい、いまといい、本当にこれで調査できてるの?」

「あくまでも確認だったからね。長居は無用」


 ね、と青い瞳でウィンクする。鮮やかなれもん色のポニーテールが、夕焼けの色を受けて金糸のように輝いた。


「それともあれかな? 放課後の教室で、もっと他にあたしとしたいことでもあるのかな」

「また、そんなことばっか言って」


 楽しそうに口元を綻ばせる羽燐にでこぴんを食らわせる。


「っ痛ぁ。ちょっと言ってみただけだってば」


 少し赤くなった額をさすり、不満そうに唇を尖らせる羽燐。


「で、羽燐。これからどうするの?」

「今日はこれにて散会。明日の放課後、神村先輩に手伝って貰って勝負を掛けよう」

「明日の放課後……」


 明日は確か火曜日だ。新体操部が筋トレだけで終わる日だ。七藤先輩から手紙が来る可能性は高い。




 翌日の放課後。ぼくと羽燐、神村先輩は三人で一年C組の教室を目指していた。羽燐の睨んだとおり、今日も七藤先輩からの言付けがあったのだ。

 テディベアの写真が入ったメモ用紙には、昨日神村先輩に見せて貰ったものとまったく同じ筆跡で『五時半に一年C組にきてください。 静沢』と書かれていた。

 早速連絡を受けたぼくたちは、依頼された謎が解けたので同行させてほしいと彼に申し出たのだった。


「それじゃあ、開けるよ」


 昨日と同じく夕陽の漏れる扉を前に、神村先輩が羽燐とぼくに確認する。ぼくたちは無言で頷いた。

 がらり、と先輩の手によって前の扉が開かれる。


「神村くん!」


 教室の中にいた黒い影が、訪問者を認めて嬉しそうに声を弾ませる。紅蓮のように真っ赤に染まる教室で待っていたのは、言うまでもなく静沢七藤先輩その人だった。


「えっと、その子たちは――?」


 神村先輩の背後から突如として姿を現した下級生ふたりに、七藤先輩はその愛らしい相貌を怪訝そうに歪める。まあ、確かに。七藤先輩にしてみれば、ぼくたちは秘密の密会を邪魔する闖入者以外の何者でもないのかもしれない。


「このふたりは探偵部員で、ちょっと相談に乗って貰ってたんだ」

「一年の乱刃羽燐です」

「紅月葎です。よろしくお願いします」


 神村先輩の紹介を受けて、ぼくたちはそれぞれ七藤先輩に頭を下げる。尤も正確には、ぼくは探偵部の部員ではないのだけど。


「静沢七藤です」


 なおも戸惑い気味の先輩は、それでもとりあえず、ぺこりとお辞儀を返す。


「いま神村先輩が仰ったとおり、あたしたちは今回、ある依頼を受けてここに来ました」

「依頼?」

「はい。解いてほしい謎がある、という神村先輩からの依頼です」

「――どういうこと?」


 直接喋っている羽燐の方でなく、神村先輩に向けて不安げな表情で問い掛ける。神村先輩はそれには答えず、黙って続きを促した。


「依頼の内容はこうです。文化祭実行委員を通して知り合った静沢先輩と神村先輩は、体育館使用のタイムスケジュール問題で委員が紛糾して会議が進まなくなったのを機に、こうして放課後、自分たちだけの話し合いの時間を設けるようになりました。その習慣は文化祭が終わってからも続き、新体操部の練習が早く切り上がる日――火曜日と木曜日が多いとのことですが――に静沢先輩からの書き置きを受ける形で、午後の五時半に二年C組の教室で行われるのが恒常化していました」


 ここまでは周知のとおり。経緯のまとめである。

 しかし、とぼくは羽燐に続く。


「あるときから七藤先輩は会合の場所を二年C組から、その上の階にある一年C組へと変更します。最初は間違いかと思ったけれど、どうもそうでもないらしい。かと言って、理由を訊ねても何だかんだではぐらかされてしまう。だとすると、なぜ七藤先輩は自分のクラスでも――ましてや同じ学年ですらない一年C組を歓談の場所に選んだのか? そこには何か、自分に述べられないような理由があったのではないか。神村先輩はずっと、そのことに頭を悩ませてきたんです」

「神村くん、そうだったの? 私、全然そんなつもり――」


 七藤先輩が大変な間違いを犯してしまったかのように、動揺で肩を震わせる。

 いまにもくずおれてしまいそうな彼女の身体を、神村先輩がそっと支えた。


「大丈夫だ、静沢。このふたりがすべて解いてくれたから」


 そう言う神村先輩自身にも、羽燐はことの真相を話してはいなかった。ただ、心配するようなことではないので自分を信じてほしい、とそう語ったのだ。

 無論、ぼくもまだその理由は知らない。羽燐曰く、先輩たちよりも前にぼくがそれを知るのはアンフェアなのだそうだ。それは決してミステリ的な意味での『アンフェア』ではなく――。


「安心してください、静沢先輩。あたしも女の子ですから、先輩の気持ちはよくわかります。でも、そろそろ頃合いなんじゃないでしょうか? このあたりで一歩、先に進めましょう。きっと大丈夫ですから」


 優しく微笑む羽燐の呼び掛けに、一瞬、七藤先輩の目が泳ぐ。それから、決意は固めたふうに大きくひとつ、頷いた。その眼差しに、強い意志を宿して。


「さて、ここでむぐに問題です。昨日の放課後、ふたつの教室を訪れて、この一年C組と下の階にある二年C組とで大きく違った点がありました。それは何でしょう?」

「一年生が使ってるか、二年生が使ってるか――ではないよね」

「うん、それは訪れなくてもわかることだからね」


 と、いうことは階数の違いも答えじゃない。

 ぼくは両者の違いをよく思い出そうと、夕暮れに照らされる教室の中を、ぐるりと大きく見回した。内装にはそれほど大きな変化はない。そもそも羽燐のチェック自体、大して時間も掛けずに終わっているのだ。

 答えはもっと単純かつ明瞭で、それこそ教室に踏み込んだ瞬間にわかるようなものでないと――。

 いや、そうだ。扉を開けて、まず初めに思ったことがあるではないか。


「眩しさ――。夕陽が差し込んでいるか、いないかだ」


 下の教室では確か、薄暗くて電気を点ける必要があった。それで出ていく際、またすぐに消したのだ。


「よくできました。そう、いまこの教室を見てもわかるように、五時三十分というこの時間は、晴れていたら夕暮れ時に当たる時間帯なんだよ。ただし、三階の二年C組ではこうはならない。なぜなら」

「向こうにある建物が太陽の光を遮るから」


 これも昨日、羽燐が口にしていたことだ。


「さらにこの話は、昨日あたしたちが探偵部にやって来た神村先輩に聞いた話からも裏付けられる。一年C組に呼び出された先輩は当初、書き間違いの可能性を考えて二年C組を訪れた。けれど、そこは誰もいない、ただ薄暗いだけの、丸っきり無人の教室でしかなかった。そして次に、本命の一年C組の扉を開けると――」

「夕暮れに染まる教室の中で、静沢がひとり佇んでいた」


 思い返すように神村先輩が呟いた。そうだ、そうだ! 確かにそういう話だった。

 羽燐は神村先輩の方へと向き直る。


「そして、昨日の話でもうひとつ重要なポイントは、いちばん最初に先輩たちが文化祭実行委員として問題を解決しようと放課後残って話し合っていたとき、部屋中橙色になっていたという証言です。これにも間違いはありませんか?」

「ああ、乱刃の言うとおりだ。そうだったよな、静沢」


 話を振られ、七藤先輩は躊躇いがちに首肯する。


「つまり、羽燐。どういうこと?」

「わからないかな、むぐ。要するに、最初の会合が行われた時点では二年C組も朱に染まっていたんだよ」

「ちょっと待った。だって、二年C組の教室は建物が邪魔して夕陽は入らないんじゃ――」


 それはぼく自身、自分の目で見て体験した絶対的事実だ。

 同じ時間、同じ場所での出来事なのに両者に差が生まれるハズは――。


「いや、違う。同じじゃない」

「そう。神村先輩の証言と昨日の出来事、両者の舞台はまったく同じに見えて、実は大きく異なっている点があるよね」

「――一ヶ月近く(、、、、、)経過している(、、、、、、)!」


 思わず大きな声を上げてしまった。それが答えだったのだ。

 九月の末から一ヶ月ちょっと。日の入り時刻も当然、ズレてくる。


「つまり、その一ヶ月の間に二年C組から確認できた夕暮れ時の太陽は、微妙に位置を移動してぎりぎり建物の後ろに隠れてしまった。結果、いまのこの時期、午後の五時半に二年C組には夕陽が入らず薄暗く、その真上に当たる一年C組は障害物がないためにこうして教室中を真っ赤に染め上げるに至っている、というわけ」


 金糸の如きポニーテールを軽やかに揺らし、羽燐はひと息に言い切った。

 けれど、それだけではまだ問題の根本的な解決にはなっていない。今回の謎は、なぜ七藤先輩が一年C組を使うようになったかだ。


「ふたつの教室の違いはわかったよ。だが乱刃、それが静沢の心持ちとどう関係してくるんだ?」


 神村先輩もぼくと同様のことを考えていたらしい。当然といえば当然か。


「それを語るには静沢先輩の許可がいります。もしも先輩がここから先を語ってほしくないのであれば、あたしは無理には進めません。人には誰しも自分のペースがあって、外野がとやかく口を挟むものではないと思うから」

「ううん、乱刃さん」


 七藤先輩が小さく、しかし力強く首を横に振る。


「覚悟はできてる。恥ずかしい話だけれど、こんな機会でもない限り、きっと私は臆病なままだから。だから」


 お願い、と七藤先輩は頭を下げた。


「わかりました。大丈夫、あたしに任せてください。先輩の想いはちゃんと報われます」


 女性陣のやりとりに、ぼくたち男子は首を傾げる。これが羽燐の言う朴念仁というやつだろうか。


「さて、許可も貰ったことだし、いっきに終わらせてしまいましょう」


 気合い充分、号令を掛けて。


「いま申し上げたとおり、静沢先輩が会合場所を2Cから1Cに変更したのには、夕陽のあるなしが関係しています。すなわち、静沢先輩が神村先輩と逢う場所には、夕陽が差している必要があったのです。では、それはなぜなのか。これには大きく、ふたつの理由があります」


 羽燐が形の良い細い指を二本立てる。


「まず、第一に物理的なもの。神村先輩の話では、静沢先輩とは互いにメ-ルアドレスも知らない間柄だったと言います。昨今は特に、高校生にとっては携帯やスマホは日常生活に欠かせない必需品であり、友だちや恋人とやりとりするのには必須のアイテムといえるでしょう。ここにいるむぐなんかは、デリカシ-の欠片もないので『何度も逢ってるんだから、アドレスくらい交換すれば良いのに』なんて平気で言ってしまいますが、恋する女の子的にはそう簡単にはいかないのです」

「――恋する、女の子」


 夕陽のオレンジの中にあってもはっきりわかるほどに頬を火照らせた七藤先輩を、狐に摘まれたかのような表情で見つめる神村先輩。何か言いたげなのに紡ぐ言葉が出てこない。そんな感じの雰囲気だった。

 羽燐が許可を求めたのは、こういうことだったのか。七藤先輩は神村先輩を想っていた、と。


「っていうか、本人たちを前にして、そういう発言バラすなよ!」


 羽燐はデリカシーよりもプライバシーを学んだ方が良い。


「静沢先輩は好きな相手の連絡先も訊けないくらいにシャイな人なんです。そんな女の子が想い人とふたり、ひとつの教室にいたらいまみたいに赤面してしまうことは必至だと思います。だけど、それが一面オレンジ色に染まった教室の中だったら――むぐ?」

「多少の誤魔化しは効くかもしれない」


 そう、ちゃん付けで呼ばれて照れに照れた羽燐のりんごのほっぺが、夕焼け色の二年C組に入ると同時に埋没してしまったように。


「そして第二は心証的問題。放課後、誰もいない教室で夕暮れ時の日を浴びて、好きな相手とふたりきり。そんなシチュエーションに置かれたら、ふとした拍子に何かが起こるかもしれない。少女マンガ好きでロマンチストの静沢先輩なら、そんなふうに考えても不思議じゃないのでは?」

「静沢、おまえ」


 すべてを悟って、神村先輩は驚きに目を見開いた。

 そして、


「俺も静沢のこと――」


 『その言葉』を口にする。

 ぼくはようやく理解した。

 自分から告白する勇気はない。それでも、運を天に任せれば、ロマンチックな雰囲気が何かを変えてくれるかもしれない。もしかしたら、いまの関係を変化させるきっかけを作ってくれるかもしれない。

 そんな乙女心が、この謎を生み出したのだ。夕暮れ時と恋心。

 恋するふたりの物語を作るのは、探偵でも、ましてや端役のぼくなんかでもなく。主役である彼ら自身に委ねよう。

 オレンジの夕陽を浴びて見つめ合うふたりを残し、ぼくと羽燐は静かに部屋を出た。




「相手が自分のことをどう思っているかわかっていても、なかなか言い出せないときもあるんだよね」


 一年C組から探偵部室に戻る途中、人のいない廊下を歩いていると羽燐が言った。


「それって、七藤先輩が神村先輩の気持ちを知っていたってこと?」

「その逆もまた然り。たぶん、神村先輩も気付いてたんじゃないかな」

「どうしてそう思うのさ」

「まずは静沢先輩。あれだけ何回も手紙を出しといて、毎回律儀に付き合ってくれる人が、自分のことを嫌っているだなんて考えられないでしょ。むしろその逆、気があるからこそ応じてくれる。ましてや昨日も言ったとおり、神村先輩は帰宅部員なんだから、五時半まで学校にいようと思ったら、何がしかの暇潰しをしてまで残ってくれていた、という証明でもあるわけだし」


 帰宅部の人間を部員扱いして良いのかどうかは別にして。

 件の置き手紙も、七藤先輩にしてみれば、神村先輩がどこまで自分を好きでいてくれているかを計る物差しのひとつだったのかもしれなかった。


「そして神村先輩。むぐ、静沢先輩からの言付けを覚えてる?」

「内容? それとも外観? 随分と可愛らしいメモ帳を使ってたけど」

「それだよ。神村先輩が持参したメモ書きはどれもこれも愛らしいものばかりで、ひとつとして同じデザインがなかった」

「それがどうかしたの? 女の子らしくて可愛いじゃん」

「むぐの純粋さにはときたま心配になるよ。くれぐれも悪い女の子には騙されないようにね」


 ずい、と人差し指を立てて念を押す羽燐。


「いったい何のことさ」

「だって不自然だと思わない? 週に二回の伝言メモで全部使っている紙が違うんだよ。普通、そんなにたくさんメモ帳は持ち歩かないし、毎回新しいものを調達するほど消費スピードも激しくないでしょ」

「あ」


 言われてみればそのとおりである。


「要するに、静沢先輩は毎度毎度の書き置きを利用して、『可愛い自分』を懸命にアピールしてたんだよ。あれだけ大切に取っておいているんだもん。おそらく、神村先輩もそのことに気付いてたんじゃないかな。それ自体は立派な努力だし、好きな人に自分を売り込もうって感情はよくわかるから、あたしは否定しないけどね」


 女の子って結構そういう打算的な面があるよ、と羽燐はスレたような台詞を吐いた。

 しかし、である。


「なら、結局あのふたりは自分たちが両想いだってことに互いに気付いていたのに、わざわざ探偵部に依頼を持ち込んだり、遠回りにメモ書きを残したりしたり何だりしてたわけ?」

「そうなるかな」


 それは何というか。


「茶番だなあ。ぼくたちの出番なくても良かったじゃん」

「あはは。それを茶番と言い切れるのが、むぐの強さだよね」

「強さ、ねえ」

「きっと後押しがほしかったんだよ。最後のひと押しが」


 少し困ったような、淋しげな笑みを浮かべながら羽燐が述べる。

 むしろ、そんなふうに受け取れる優しさが、羽燐の長所であり強さなんだとぼくは思う。


「でも、あたしはそれでも良いと思うんだ。自分の存在が誰かの助けになって、少しでも他人の幸せに貢献できるなんて、こんなに素晴らしいことってないじゃない」


 羽燐がポニーテールを束ねるりぼんをくるりと指に巻き付ける。彼女の癖だ。

 ぼくはその額に軽くでこぴんを食らわせる。


「痛っ」

「他人の幸せよりも、まずは自分の幸せを考えなさい」


 いつでも他人優先のその思考。悪い人間に騙される心配があるのは自分の方だろう。


「それじゃ、あたしの幸せリクエスト。明日と明後日と明々後日、お昼ご飯に付き合って」

「それは欲張りすぎじゃない!?」

「アピールできるときにしとかないとねー」


 ふふふん、と上機嫌に鼻を鳴らす。


「女の子の打算的性格キタコレ!」


 仕方ない。いつも昼食を一緒にとっている面子には、後でキャンセルのメールを入れておこう。


                                                              〈fin.〉

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章、構成、ともにこなれた感じで、妙に引っかかる拙い部分もあまりなく、気持ちよく読めました。なろうらしからぬ市販小説っぽいできで、端的に言って当たり作品だと感じます。 日常の謎は好きなジャ…
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