夢心地
キングベッドの上に二つの影。
夜は冷える、窓を締め切り暖炉の火は延々と燃え続けていた。時折、木が爆ぜる音がする。
純白のカーテンが揺れ、月の光が微かに部屋に入り込んだ。昨夜大量に雪が降った為だろう、夜空には満天の星が浮かび月が神々しく姿を現している。曇りなき空に浮かぶ、天上の宝石箱のようだ。
ベッドの上では、男が本を読んでいた。背に柔らかで大きなクッションを置き、熱心に何かを読み耽っている。
傍らには飲み物が。どうやら中身はワインらしい、ベッド付近のテーブルにボトルが置いてあった。年代物の様で古めかしいラベルが貼られている、高級品だろう。半分ほど減っているそのワインは、美しい深紅だった。
その男の膝には、女が寝転がっている。腰に腕を回し、男の顔をじっと見ていた。
たまに、男の手が女の髪を撫でると。女は嬉しそうに腕に力を込めて、さらに密着する。
「この角度、好きなのですー」
下から夫の顔を見上げながら、女はそう呟いた。
そうか? 苦笑いしながら男が再度頭を撫でる。猫の様にうっとりと目を細め、その感覚に酔う女。
「いつも見ているだろう、いい加減飽きないか? 何年共に過ごしてると思ってるんだか」
「飽きませんけど」
これでも女なりに、夫の読書の邪魔をしないようにしているつもりだ。が、密着していないと耐えられないので、一番居心地の良い場所を探した結果が膝の上である。
小さく欠伸をしつつ、身動ぎして体勢を整える。
ぽつり、と出た言葉。
「私は、贅沢者ですよね」
「ん?」
女が小さく溢したので、酷く気になった。
小説から夫が目を離し、傍らに置く。女の身体を軽々と持ち上げ、抱きかかえて背中を優しく擦った。
「どうした?」
「んー……。今日、友達にたくさん再会できたのです。失ったモノもあるけれど。新しい友達も出来たのです、みんな凄く可愛いのです。良い子達ばかりなのです」
「良いことじゃないか」
「うん。優しい友達がたくさん居るので、楽しいのです。それから貴方がいるから」
夫の首に腕を回し、ぽふん、と胸に顔を埋めて瞳を閉じた。擦られている背中が、温かい。じんわりと身体中に行き渡るのは、体温なのか、安心感なのか。
「私が羨ましいのだそうです。楽しそうだから、幸せそうだから」
言ってから、軽く胸が苦しくなった。それが何故かなんて、分かっている。ただ、言葉に出来ない。
人は誰でも、幸せになれる権利を持っているのに。幸せの定義が人によって違うけれど、恋をする権利はみんな持っているのに。
ただ、みんなみんな、自分のようには動くことが出来ないのだと、最近痛感した。
羨ましい、と寂しそうに笑った友達が脳裏を過ぎる。彼女の恋は、実らなかった。
楽しそう、と哀しそうに笑った友達が脳裏を過ぎる。彼女は恋をする間もなく、自らそれを放棄した。
「人それぞれ、だから。オレがオレで、お前がお前であるから一緒に居るわけであって。その子にも必ず誰かが存在する。それは焦って探すものでもないだろう?」
「そうなのですけど……」
羨ましいと、楽しそうだと、言われるのは嬉しいのだ。ホントの事だから。
しかし、それを言われるということは、言った相手はそうではないということで。
どうにもならないのだけれど、苦しくなる。早く彼女を救ってあげて、と。
「ゆっくり、見守るしかないだろ。恋は焦って探すものではない、と言ったのは誰だった?」
「うん……私、言いました」
「その子に助けを求められた時、頑張ればいいから。精一杯親身になって寄り添うだけでもきっと友達は感謝するだろう」
「うん……ありが……と」
夫にしがみ付いていた腕の力が軽く抜ける。見れば女は寝息を立てていた、安心したのだろう。悩みすぎて疲れていたのかもしれない。安らかな表情で、眠っている。
「あ、寝た」
夫は苦笑いをすると、そのまま女をゆっくりと寝かせた。
オレも寝るか……。そう小さく呟くと、そのまま隣に倒れこむ。寝転び、女を軽く見つめて手を伸ばした。
何かを探して女が寝返りを打つ。決まった位置まで身体を動かし、見つけた夫にしがみ付いて、小さく笑う。
眠っていても、必ず探して動き回って、しがみ付くとようやく安堵するのだ。毎夜のことだった。
「おやすみ、愛しい人」
笑いを堪えながら夫は呟いた。その可愛らしい仕草を見るのが、夫は毎晩の楽しみにしている。それを、彼女は知らない。
……また、明日。
耳元で囁いて額に口付けを。仲良く二人で寄り添って、決して朝まで離れないように。
緩やかな月の光が、寄り添い微笑む2人を照らしていた。寒いことはない、愛おしい存在は、それだけで温かい。