最後の試練
婚約破棄、教師の辞職、そして入院と色んなことが起こった一年が終わった。
正月。いつもなら家でゴロゴロして過ごしている日が多いが、今年は病院のベッドの
上。まあこんな年始めもいいものかと、智樹はのんびりと窓の外の風景を眺めていた。
しかし杏は今頃何をしているのだろう。ここ数日姿を見せていない。彼女に何かあった
のだろうか。
病室のドアをコンコンとノックする音。数日ぶりに杏がやって来たのだろうか。わく
わくしながら、どうぞ入ってと伝える智樹。
しかしやって来たのは麻耶だった。杏の親友であるが、彼女の代わりにやって来たの
だろうか。まあこの際誰でもいい。病室で一人きりというのは本当に寂しいものだ。話
相手になってくれるなら、誰でもいい。
「しばらくぶりだね。年末年始は元気に過ごしていたかい?」
「はい、私は。だけどテニス部は大変ですよ」
「それはもう。申し訳ないことをしたと思っている」
麻耶に言われると、何も返す言葉がない。
「先生、私が今日どうして来たかわかりますか?」
「さあ、何だろう?テニス部のこと?」
智樹がそう話すと、麻耶は首を振った。
「やっぱり。杏から何も聞かされていないんですね」
「何かあったのかい?」
やはり杏がここ数日訪問しなかった理由があるらしい。
「これは私から話していいものかわからないけど・・・・・・」
「お願いだ、ぜひ聞かせてくれ。一人で悶々とするのはこりごりだ」
「そうですよね。じゃ私から話します」
買ってきたペットボトルの水を飲んでから、ゆっくりと麻耶は話した。
「実はメグミという杏の元親友が亡くなったんです」
「メグミちゃんが?」
智樹は病室に響き渡る大声で言った。
「そうです。死因ははっきりとわかりませんが……」
杏が来られない理由が判明して、今すぐにでも駆けつけたかった。恐らく相当なショ
ックを受けているに違いない。智樹は彼女の様子を心配した。
「杏はどんな様子?」
「相当落ち込んでいます。私が言ったことが原因かもしれないって」
「そうか。早く会って励ましてやりたいんだけど、この体では・・・・・・」
「任せてください。私が付き添いますから」
「頼むよ」
麻耶は非常に頼もしかった。智樹はメグミに刺された傷跡を見つめた。非常に複雑な
思いである。この傷の責任を彼女は感じたのだろうか。
メグミの死亡を聞いてから、杏は部屋で一人ひきこもっていた。食欲も無くただうな
だれるここ数日。入院している智樹の元へ行く気にもならない。非常に落胆していた。
「麻耶ちゃんが来ているわよ。中に入ってもらうからね」
母の声がした。杏は布団を被った。今は誰とも会いたくない。一人にしておいてほし
かった。
「ねえ、杏。ドアは開けなくてもいいから、聞いてもらえるかな」
麻耶の声がする。本当は扉を開けて、彼女に抱きつきたかった。しかし今はそれを許
さない。まるで体を動かせない魔法を掛けられているみたいに、全く動けなかった。
「今日、加藤先生に会ってきた。杏のこと心配していたよ。杏には悪いけど、メグミさ
んのことは伝えてきた。先生退院したら、すぐに駆けつけるって言っていたから。一人
で抱え込まないでよ」
麻耶のこの一言で、涙が出てきた。一人で悩んでいたことを後悔した。杏には麻耶と
智樹と頼りになる二人がいる。
「それじゃ私はまた明日来るから」
麻耶が階段を下りていく音がする。杏は後を追い掛けたかったが、やはり体が動かな
い。まるで脳の思考が停止しているかのように。しばらくしてようやく体を動かせるよ
うになった杏は、机の上に置かれている手紙に目をやった。
手紙はメグミ宛からのもの。中身は何が書かれているのか恐ろしくて開けられなかっ
た。けれども焼却して捨ててしまうわけにもいかない。結局見ることでしか、解決方法
は残されていなかった。
勇気を出して封を開ける。手紙はメグミの自筆で書かれていた。
(まずあなたにお詫びしなければなりません。こんな結果になってしまったことをどう
ぞお許しください。私にはこうすることしか自分の罪を償うとことができなかったので
す。
そして今まで必要にあなたを追い掛け回して、申し訳なかったと思います。さぞかし
不安な思いをされたことでしょう。しかし私はああするしか手段がなかったのです。
あなたが私を避けていることは理解していますが、私は私を止めることができなかっ
た。私はあなた以外に生きる術を見つけることができなかったのです。実に悲しいこ
とだと思われるでしょうが、それが事実なのです。
でもこれからは安心してください。そしてあなたは加藤智樹さんと幸せな人生を送っ
てください。それが私の今の最大の願いです」
メグミの遺書を読み終えた杏は、体中が震えていた。水分が欲しくなって、杏は自然
と階段を下りていた。一目散に冷蔵庫に向かう。
「どうしたの、杏ちゃん?」
リビングには驚いた様子の母と、帰宅したはずの麻耶がテーブルに座っていた。どう
やら二人で話し合いをしていたらしい。
「杏、顔が真っ青だよ」
「とにかく水を一杯ちょうだい」
杏はフラッとしてイスに腰掛けた。慌てて母が水をコップに汲んで、杏に手渡した。
「麻耶、まだ帰ってなかったんだ。良かった。二階へ来て、話を聞いてもらえる?」
「もちろん」
杏は麻耶に手紙を呼んでもらった。麻耶の反応を知りたかったからだった。




