個人面談
いよいよ個人面談の日。
智樹が一週間ためこんだ悩みを、杏に直接ぶつけることができる。本来なら杏が相談
すべき場なのだが、立場はもしかすると逆かもしれない。婚約を控えている智樹は非常
に焦っていた。
しかしそんな智樹の不安を気も留めず、何食わぬ顔で杏は教室へ入ってきた。両手に
は進路希望先の大学のパンフレットを持っていて、優等生そのものである。出会い系サ
イトで嘘を重ねていた少女の面影は全くない。
「確か相馬はW大学が第一志望だったな。今のところ特に問題はないし、このままの調
子で勉強を続けてもらったらいい」
進路に関しての会話はこれだけ。それもそう、頭の賢い杏にはいらぬ進路相談は必要
ないのだ。
「これでおしまいですか。何だか短い時間でしたよね。それじゃ……」とここまで言い
かけて、杏は智樹に呼び止められた。
「この前の話の続きをしたいのだけれど」
智樹は本題を持ち出した。この話をするためにわざわざ杏を最後にしたのだからだ。
だからこのまま帰ってもらっては困るのだ。
「この前の話?さて何ですか?」
杏はとぼけた。本人は十分知っているはずなのに。憎たらしい生徒だ。ああいけない、
大切な生徒に対して、こんな感情を持ってはならない。教師たるもの常に冷静に行動し
なければならない。
「白昼の教師と生徒との追走劇。ついこの間のことなんだけど、覚えていないか?」
「あはははは、追走劇か。そのたとえ面白い」
智樹の苦労も知らず、杏は教室中に響き渡る声で笑った。
「笑うんなら笑えばいい。僕は教師を辞める覚悟だって出来ている。それだけのことは
しでかしたわけだから」
「ちょっと待ってくださいよ」
マジな智樹の表情を見て、笑っていた杏の顔が凍りついた。辞めるという言葉が胸に
突き刺さったようだ。
「この前言ったじゃないですか。秘密にしておくって。それだけではダメなんですか?
先生、もっと大らかな人だと思っていた」
普段智樹は大らかな性格だと自認しているけど、こういう環境に身を置くと、誰だっ
て余裕を持つのは不可能だ。杏は事の重大さを理解しているのだろうか。
「この一枚の紙切れ、僕の鞄へ入れただろ?」
智樹がそれを見せると、杏は下をうつむいた。ビンゴである。
「はい、私が入れました」
素直に杏は認めた。となるとなぜ入れたとかということが、どうしても知りたくなる。
さっそく智樹は杏に尋ねた。すると杏はこう答えた。
「プライベートで相馬先生と一度話がしたかった」
「どうして私とプライベートで会う必要があるんだ?」
「それは……」
杏は言葉を濁した。そればかりか俯いて泣き始めた。今はどういう理由があるかは知
らないけど、相当深刻なようである。泣いたり笑ったり、智樹は先程から杏のペースに
振り回されている。
「今回の件のことは、これでおしまい。もう話したりしないから。何かまたある様だっ
たら、僕の所へ相談に来ればいい」
泣きたいのは智樹も同じ気持ちだった。規律の厳しいこの高校で教師と生徒の密会が
発覚すると、どういうことになるか。過去にこの学校で教師と生徒の恋愛が実際にあっ
たらしい。その教師は校長に見つかってしまい、クビになってしまったそうだ。本当は
教師を辞めたくない。ようやく四年目になって、苦労を重ねて教師という職業がどんな
ものかわかり始めたのに。
「はい、わかりました」
杏はすっきりした表情をして、教室から出て行った。智樹は教室の机にぐったり倒れ
込んだ。
これでは何の解決にもなっていないじゃないか。
智樹の心の中はこれで支配つくされていた。杏の真相を知るまでしばらく悩みの日々は
続きそうだ。智樹は鞄の中からビタミン剤を取り出して、それを口にふくんだ。