転機
「どうしたの、杏?いきなりショートにしちゃって」
驚きの声を上げる麻耶。
「気分転換にカットしてみようと思ったの。どう似合う?」
「うん、とても似合っているよ」
杏が髪を短くした理由は明白だ。昨日メグミからもらった写真に写っていた綾という
女性に似せるために、思い切って髪を切った。ショートは杏にとって初の試み。だから
麻耶に一定の評価をもらってひと安心だ。
しかしショートにするには葛藤があった。それは長年親しんできた髪型に対する思い
だ。さらに先生に昔の彼女を想起させるためらいがあった。先生はこんなことをして
果たしてどんな思いになるのか、不安があったのだ。
「加藤先生、おはようございます」
「ああ、おはよう」
智樹は全身に鳥肌が立っていた。あの杏が髪をショートにしている。この展開は智樹
が最も恐れていたことだった。
「何か私、変わったと思いませんか?」
髪型が変わったことは明らかである。でもそれに触れるわけにいかなかった。
「どこが変わったのかな?先生にはわからないよ」
「本当ですか?」
「ああ、本当だ。それじゃ僕は忙しいから、これで失礼するね」
杏からなるべく離れたかった、これ以上杏を見ていたら、様々な思いが去来しそうに
なる気がしたからだ。
それにしても杏はなぜ髪をショートにしたのだろう。智樹はそればかりが気になって
いた。あの姿は昔交際してた綾にそっくりである。すでにこの世にいないはずの綾が、
まだ生きているのではないかと錯覚してしまう。智樹にとっては悲しみもあるのだが、
今は驚きがウェートを占めていた。
「今日の加藤先生、妙に杏のことを避けていると思わない?」
部活の休憩中に麻耶が言った。
「やっぱりわかる?原因は私のこの髪型なの」
「はあ?」
説明しなければ麻耶にはわかってもらえないだろう。杏は簡単に説明した。
「えっ、嘘でしょう」
麻耶が驚くのも無理はなかった。杏だって最初は信じられなかったのだから。
「まるでドラマみたいな話だね。信じられない……」
不安な杏をよそに、麻耶ははしゃいでいる。
「反応はバッチリだったんだけど、複雑な気分」
「先生も驚いただろうな。今までも十分だったわけで、今回は髪型まで合わせて完璧に
しちゃったのね。そりゃ先生の心中は穏やかじゃないぞ。来月には結婚も控えていると
いうのに、大変だな。でもこれで杏にも大逆転勝利への道も開いてきたわけだよね。
ある意味ここからじゃないの」
「そうだといいね」
麻耶のテンションは妙に高い。最近面白い話題も特になかったので、こうなってしま
ったのかもしれない。
「でも先生は私のこと、どう見ているんだろう?」
「どういうこと?」
不思議そうな様子で、麻耶は杏を見た。
「加藤先生が私のことを、昔の恋人の代わりだとしか思っていないかということ」
杏は杏として見てほしい。だから複雑だった。
「そんなこと心配している場合じゃないよ。今は加藤先生の結婚式を遅らせることが杏
の仕事でしょう。結婚しちゃったら、どうしようもなくなっちゃうんだよ」
麻耶の言葉には熱がこもっていた。落ち込み気味だった杏の心に明るい灯がともっ
たような気がした。確かに麻耶の言う通りだ。今まで婚約者の沙織に遠慮した部分も
あったので、これからはどんどん攻めていかなくては。
「生徒だからって関係ないんだよね。当たって砕ける気持ちで頑張ってみるね」
「そう、その調子だよ」
麻耶は勇気を与えてくれた。それにしても彼女がこんなにも大胆なアドバイスをす
るとは思いもしなかった。杏はその迫力に圧倒されていた。
「そこの二人、何を話しているんだ。休憩はもう終わりだぞ。早く戻って」
顧問の智樹が二人を注意する。慌ててコートに戻る杏と麻耶。杏と麻耶はお互い笑顔
でハイタッチを交わす。杏にとって麻耶は本当に頼りになる存在だった。




