GOOD BYE MY……
夜、月が太陽に代わってこの雲ひとつ無き空を支配する時間
帰宅途中の会社員、大隈順二がそれを見つけた
場所は彼が帰路としてよく通る児童公園に立った巨大なイチョウの樹の下
それは少し膨らんだ真っ白い封筒
表には『コレヲミテクダサイ』と書いてある
何故カタカナなのかは不明だが、とにかく何かを訴えたい事だけは伝わった
加えて言うとこの大隈なる人物、好奇心は比較的旺盛な性格に位置する
大隈はサッと封筒を掬い上げると、手ごろなベンチに腰を掛けて封を切った
間に葛藤が無かったといえば間違いになるが、それは好奇心に飲み込まれている
ソレの中から出てきたのは黒紐で綴られた八枚の便箋だった
中身を見ようと、好奇心がソレに目を下し掛けたとき
「本当にいいのか?」
とさすがに思い止まった
が、「まァいいか」と間違ったポジティブシンキング
その後容赦なく振り下ろした目線の先には封筒と同じ様な字があった
大隈は一枚目に眼を通す
『幼少より見守ってくれた偉大なる母へ
ありがとう、今思えば出来の悪い子供だったね
こんな事を言うと又怒られるかな?
疲れたでしょ、こんなグータラの相手をするの
色々迷惑掛けたけど、もう胃を痛めなくていいよ
ダイエット成功してね、よく寝てね
ずっとずっと明るく元気でいてね
楽しい一生だった、ありがとう
もう一度言う、ありがとう
Good Bye My Mother』
大隈は顔を蒼くした
自分は途轍もない拾いもんをしたのでは、と
明らかにこれは遺書という今時流行らない代物である
それも封筒や便箋の新しさから見て、死にに行く途中で落とした物だと大隈は感じた
大隈は慌てて二枚目に眼を通す
もしかしたら、どこか死に場所が書いてあるからかも知れないから
『いつも私の声を聞いてくれた優しき父へ
こんな風に手紙を書くのは初めてだね
これが最初で最後って奴なのかな?
アハ、笑えないねこのジョーダン
そうだ、旅行で買ったあのお酒あげるよ
呑めないなんて言わないでよ、私からの最後のお酌なんだから
べろんべろんに酔っ払って、心の痛みを忘れ去るが良い!
な~んちゃって♪
それといっちゃ何だけど、また昔話をしておくれよ
父さんの話はどの教科書や歴史書にも無い、賑やかな御伽草子なのだから
Good Bye My Father』
三枚目
『常日頃遊んだマヌケな弟へ
勉強してる時に聞こえてくるアンタの歌、とても頭にきた
でも、いちばん心に残ってる
卒業のときも面接のときも今このときも
アンタの夢、叶うといいね
いや、きっと叶う、私のお墨付きだ
ガンバレ
Good Bye My Brouther』
四枚目
『遥か遠くから私を支えてくれた祖父母へ
久しぶり
そしてゴメンなさい
こんなことになっちゃったけど
私は貴方達を一生忘れない
Good Bye My Grandparent』
五ま……おや?
今まさに一枚捲ろうとした、ちょうどその時に
順二は幾度か蠢いた、背後の叢に目を向けた
赤く/黄色く/橙に染まった葉っぱたちが震えている。
冷たい秋風が冷たく大隈の頬を打つ
青白き月光は地上の全てを照らしていた
静寂が、再び居座る
ジトリと汗ばんだ右拳に、否が応にも力が入る
ベンチから腰を上げかけた、その瞬間
――――ナァ~ゴ
叢から出てくる黒い影
一匹の黒猫が、地面の上に舞い降りた
彼(もしくは彼女)は金色の瞳をこちらに向け、すぐに行ってしまった
公園に三度静寂が訪れる
順二は再び手紙に集中した
五枚目
『古き時代からの親友へ
よぅ、久しぶりだね兄弟
お前さんは元気かい
突然で済まないが、次に会った時に是非アレを教えてくれないか
キミの鬼をも泣かせるCQCを
共に轡を並べることを夢見て
来たるその時まで、私は孤軍奮闘しておくよ
Good Bye My Best Friend』
六枚目
『私に文学の心を教えて下さった師へ
この度の突然の無礼な手紙、お許し下さい
ですが是非とも貴方様にも一言のこしておきたかったのです
コレを見て下さってありがとうございます
またいつの日か
Good Bye My Master』
此処まで読み終わり順二の頭に何かが生まれた
それは例えるなら、水にひそりと垂らした一滴の墨のような
広大な砂漠に紛れた一粒の落し物のような
小さな小さな、違和感
七枚目
だがその直後に順二は満月を仰ぐ事となった
なぜなら、彼は冒頭のこの一文を眼中に入れたからである
『私が愛した可愛いワンちゃんへ』
――何だ、コレは
大隅順二は戸惑った
しかしそれでも、彼はこの七枚目を読み
再び青白い天を仰いだ
コレは今までの物とは違う
何といえばいいのだろうか
コレはただ単に対象の種の違いのみではない
文全体が纏う雰囲気
一文字一文字に込められた想いの強さ
全てにおいて、他の六枚とは比べ物にならなかった
ダメな意味で
何というか
知らず知らずの内に、いつの間にか道化を演じさせられた
そんな脱力感と虚無感が混ざり合いひしめき合う時に
順二は、先程の違和感の輪郭に気が付いた
八枚目を見るより早く、再び一枚目から読み返す
母へ、父へ、兄弟へ、祖父母へ、親友へ、師へ、そしてペットへ
全てを読み直し、輪郭は次第に骨を作り肉を付け、一つの推論となった
――これは遺書なのか?
順二がこう考えたのにも無理はない
何故ならこの七枚の手紙には、ある文字が書かれていなかったのだ
勿論コレはその文字が書かれていなくても十二分に遺書にはなるだろう
だがしかし、決定的と言えるその文字が欠片も見当たらないのだ
それは――――
――『死』
そして順二は八枚目に眼を通す
時間が、止まる
彼の口から、言葉が滑り出す
その内容とは
「これを見てくれた貴方へ
どうでしたか、この手紙は
最後までお付き合い下さり、ありがとうございます
あ、もちろんこれはフィクションなんで安心して下さい
『私』は死んだりしませんよ
為すべき事がありますので
最後に一つだけ貴方に伝えたい事があります
それは――――」
そこまで呟き、順二は字が見えなくなった
影法師が、彼に覆いかぶさっている
後ろに振り返る、その寸前に
影が動く
衝撃、後、鈍痛
彼の体が地に伏せる
大隅順二が、闇に沈んでいく
頭からは赤い滝が
眼の前には白い靄が
意識も朦朧とする中
大隈君が最後に聞いた言葉が、これだ
「Good Bye My Victim《サヨウナラ 私の知らぬ人》♪」
ナァ~ゴ――――
夜、月が太陽に代わってこの雲ひとつ無き空を支配する時間
そして帰宅途中の大学生、小暮正一がそれを見つけた
場所は彼が帰路としてたまに横切る児童公園に立った巨大なイチョウの樹の下
ソレは少し膨らんだ真っ白い封筒
表には大きな字で『コレヲミテクダサイ』と書いてある
小首を傾げながらソレをひらう、小暮を見つめる影が一つ
そいつはニタリ、と嗤いながら時が来るのを待っていた
己の獲物がまた一人、自分の毒牙に掛かるその時を
だがコイツでも、一応獲物への礼儀は持ってる
そう、此処は銀杏が視える所だから
え? ナゼダか分からない?
じゃあ教えてあげる
銀杏の花言葉はね―――――
――――――――――――――――――――――――――――――『鎮魂』なんだ