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サヨリちゃんの歌が聴こえる  作者: 陽花紫


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1/3

 仕事、育児、妻の機嫌取り。


 ――俺の自由な時間は、どこにあるんだ。


 若い頃は、そう思っていた。

 だが気づけば娘は成人し、早々に結婚して家を出てしまった。

 しかも相手は、信頼していた俺の部下。

 遠く離れた土地へ行ってしまい、家には俺と妻だけが残っていた。


 それからほどなくして、妻も友達と旅行に行くだの、実家に泊まるだのと、家を空けることが増えていた。

 そして、離婚した。

 気付けば俺は、独りになっていた。


 俺だけが、この世界から取り残されていたような気がしていた。


 周囲からは、第二の人生を考えろと言われていた。

 しかし、今さら何をすればいいのかがわからない。

 かつて娘が好きだったキャラクターやアニメにも、ほんの少しの興味はあった。

 だが四十を過ぎたおっさんがハマるには、どこか気恥ずかしい。


 同僚は決まって、酒、タバコ、ギャンブル、ゴルフ。

 どれも俺には合わなかった。


 そんな俺の唯一の慰みが、伝説のアイドル、サヨリちゃんだった。

 青春時代、俺は彼女に夢中だった。

 明るい笑顔、少し鼻にかかったような歌声、恋と失恋とを同時に歌うようなその歌詞。

 電撃引退をした時は、本気で落ち込んだものだった。



 ある休日、ふと思い立って駅前の古いCDショップに入った時のこと。

 棚の奥に、埃をかぶった『サヨリ ベストアルバム』があった。

 それに手を伸ばした瞬間。

「……あ、」

 指先が、別の誰かの手に触れた。

「す、すみません!」

 慌てて手を引いたのは、二十代ほどの青年だった。


 ひどく洒落た丸眼鏡に、黒い髪は今どきの真ん中分け。

 少し緊張したような面持ちをして、青年は頭を下げていた。


「いえ、こちらこそ……」


 気まずい沈黙のあと、俺はつい口を開いていた。

「あの、サヨリちゃん……。好きなんですか?」

 青年の目が、ぱっと明るくなる。

「はい!親が、よく聴いていまして。最近、ちゃんとアルバムを通しで聴いたら……すごく良くて」

「そうなんだ。どの曲が?」

「……風の帰り道、です」

 その曲名を聞いた瞬間、胸が少し締めつけられた。

「俺もだ。あれは、名曲だよなあ」

 青年は驚いたように俺を見て、そして笑った。

「わかる人に、初めて会いました!」

 その笑顔が、やけに眩しく感じられた。

 かつての俺も、このようにきらきらとした目でサヨリちゃんのことを見ていたのだろうか。


 彼の名前は、セイヤと言った。

 それから俺たちは、店の片隅で三十分も話し込んでいた。

 昔のテレビ番組や、サヨリちゃんの特徴的な衣装について、親衛隊事情や、引退のニュースまで。

「やっぱり、当時はショックでした?」

「そりゃあ……。失恋みたいなものだったからなあ……」

「それ、わかるような気がします。俺も、もう歌ってないのかって悲しかったです」

 セイヤはそう言って、ひどく真剣な顔をして頷いた。


「サヨリちゃんって、恋人じゃないのになんだか寄り添ってくれるような雰囲気がありますよね」


 ――この子、ちゃんと聴いているんだな。


 それが、妙に嬉しかった。


 それから、俺たちは連絡先を交換した。

 最初は、サヨリちゃんの話題だけだった。


『この前の歌番組、見ました?』

『見たよ。サヨリちゃんのヒット曲集だったね』

『あの衣装、可愛かったですよね』

『あの歌もよかったな』


 気付けば月に一度、セイヤとはCDショップやカフェで会うようになっていた。


「このお店、少し、サヨリ世代っぽくないですか?」

「確かに……、落ち着いてるね」

「最近レトロブームなので、それっぽいところが多いんですよ」

「そうなんだ。セイヤくんは、こういうの好き?」

「はい、好きですよ。とても静かで、落ち着きます」


 そう言って、セイヤは流れるように俺の隣へと座る。

 無意識のうちに、俺は背筋を伸ばしてしまう。

 若い彼と並ぶと、自分の年齢が嫌でも際立つような気がしていた。

 昨晩は白髪染めをして、今日はおろしたての服を着た。若向きな香水も、控えめにつけてきたつもりだ。


「会社は、相変わらず大変ですか?」

「まあ、そうだね……」

「そうなんですね。俺はまだ就職したばかりで、いつも失敗ばっかりです……」


 気付けば俺は、セイヤの話を真面目に聞いていた。

 思えば、新入社員たちもいつも暗い顔をしていたと。


「誰だって、初めは失敗だらけだ。でも、それでいいんだ。逆に、失敗できるのは今の内だけだよ。年数を重ねたら誰も何も言わなくなる……」


 そう言うと、セイヤは少し安心したような顔をして息をついた。


「ありがとうございます。そう言ってくれる人、これまでいなかったので……」


 そういう時、俺は勝手に、父親みたいな気分になっていた。

 そして、ふと思う。娘は今、元気にしているのだろうかと。

 遠くを見つめていると、熱いコーヒーが目の前に置かれていた。


「……あつっ!……少し、待った方がいいですね」

「そうだな」


 くすりと笑って、俺たちは再びサヨリちゃんの話に花を咲かせる。

 気付けばコーヒーは温くなっていて、それでも俺たちは語っていた。

 今の時代の言葉で言うなら、これは推し活というものなのだそうだ。


 俺の推しは、今も昔もサヨリちゃんだ。

 気付けば、セイヤから貰ったポスターを部屋に飾ったりしていた。

 年甲斐もなく、恥ずかしいと思う。しかし、今は仲間がいる。

 毎朝、メッセージアプリの返事を気にしてしまう。たまに会った時には、何の話をしようかと考えてしまう。


 今の俺は、確かに自由を謳歌していた。

 それはサヨリちゃんのせいだけではない、セイヤがいるからこそ自由を心から楽しむことができていた。


 セイヤと出会って推し活を知って、半年が過ぎたある日、彼は眼鏡を押し上げながらこう言った。

「もしよかったらなんですけど……。今度、サヨリちゃんのライブ映像を家で観ませんか?」

「……家?セイヤの家でか?」

「はい。だめですか?」

「いや……」

 一瞬だけ迷ったものの、特に断るような理由もなかった。


 約束のその日、俺はセイヤの家のリビングで、並んでDVDを観ていた。

 今どきの若者らしく、やけに清潔感溢れる極端に物が少ない洒落た部屋。


「コーヒーで、いいですか?」

「いいよ、そんなの。お構いなく」

「そうはいきませんよ。あ、こないだ職場でクッキー貰ったんです。一緒に食べましょう」


 白いカップに、上品な小皿。

 俺の家とは、何もかもがかけ離れていた。

 唯一、視界の端にある観葉植物の緑だけが、俺の心を癒していた。


「なんか、ごめん。いろいろしてもらって……」

「いえ、俺がしたいだけなので。おいしいですね、このクッキー」

「そうだな」


 そして、二人して映像に夢中になっていく。

 セイヤは、下手したら俺よりもサヨリちゃんのことが好きだと思う。

 熱心に解説をしては、楽しそうに笑みを浮かべる。


「これです、この振り付け!かわいいですよね」

「そうだな。昔は、よく真似したな……」

「え、そうなんですか?……なんだか、想像つかないです」

 そう言って、セイヤはまた笑っていた。

「ここの腕回すところは、掛け声もあったんだ。アイラブサヨリ!ってな……」

「そうなんですね!いいなあ、俺もあの場にいたかった……」


 画面の中で歌うサヨリちゃんは、いつだって伏し目がちで、それでいて確かな愛を歌っていた。

 その淡い光に照らされて、セイヤの横顔が浮かび上がる。

 いつしかサヨリちゃんではなくて、俺はただセイヤの横顔だけを見つめていた。


 その瞬間、俺は気づく。


 ――これは、息子を思うような気持ちなんかじゃない。ただの推し友達でも、いられない。


 それでも、何も言うことができずにいた。


「今日は、楽しかったですね」

「こちらこそ、今日はありがとう。いろいろと、懐かしかったよ」

「よかったです」


 彼の純粋な優しさを、無下にしてはいけないと。


 帰宅しても、俺の頭の中はセイヤのことでいっぱいだった。

 柄にもなく、ため息なんかをついて。

 あのコーヒーと上品なクッキーの味を思い返しては、静かにサヨリちゃんの曲を聴き直した。


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