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「ん?」


 フォウは顔を上げた。


 どこかで殺気がひらめいたのを、神経のどこかの部分が感じ取ったのである。


 慌てて携帯電話に目を落としたが、着信はなかった。


 女子の小屋を斜めに見下ろす、ちょっとした丘の張り出しである。

 女子たちには近くで見張ってるから心配するなと言い含め、戸締りを厳重にさせておいて、フォウはここに陣取った。

 和彦に言ったとおり、野宿には慣れている。

 敵を待って徹夜することも、かつては日常の一部だった。

 居心地のいい場所よりは、見晴らしのいい場所を。霊幻道士としての習い性が、そうフォウに命じたのだ。


 さすがに女生徒たちも、危険があると言われて深夜の長話はできないようだ。どの部屋の電気も早々に消えて、フォウは少し安堵する。

 寝静まってしまえば、どの部屋に客がいるか外からはわからない。やってきた敵も、どこを狙うかとしばらく小屋の周囲をうかがうだろう。

 そこをひっつかまえてのしてしまえば、仕事は終わりだ。


「悪霊なんかよりずっと楽ちん、といえるかもな」


 いっそ早く来てくれればいい。

 そうすれば悪人どもは簀巻きにするとして、朝まで少しは眠れるだろう。

 特に和彦は、明日も長距離の運転が控えているのだ。できればやつらが女子をさっさと襲撃してくれないかと、フォウは願った。


 そんな矢先の、殺気である。


 フォウは神経を研ぎ澄まし、耳をすました。


 聞こえる。


 どこかで叫び声がする。男のダミ声だ。

 しかも複数。


 携帯電話には相変らず、反応はない。


「ちぇっ。水臭いんだから、和彦さんってば」


 それとも和彦は、自分のほうに向かってきた連中がオトリではないかと警戒しているのかもしれない。フォウが勇んで和彦の加勢に出掛けたら、その隙を狙って女子を襲う別の一団がいるのかも。

 確かにそんな古典的な手に引っかかったら、フォウの名折れである。


 それに。


 フォウは首をかしげた。


 和彦がやつらと闘っているのだとしたら、位置がおかしい。

 男子の小屋は、山のもっと上のほうだったはずだ。

 さっきの物音はもっとふもとに近い、雑木林の奥あたりで聞こえたような。


「だからといって今ここで、俺たちとは無関係のやつが殺気を発しながら闘ってるはずはねえしなあ」


 ひょっとしてあれも、和彦やフォウをおびきだそうとするチンピラどもの策略かもしれない。

 それにしては、離れた位置にいるフォウに届くほどの殺気を発するところが、チンピラにしてはあっぱれというべきか。


 どちらにせよ、フォウの仕事は女子を守ることだ。


 フォウは居住まいを正し、改めて監視の態勢に入った。




 一方の和彦は。

 かつてないほどの苦戦に陥っていた。


 油断していたとはいえ、利き腕に加えて視力まで奪われるような失態は生まれて初めてのことだ。

 ただでさえ目が見えないのに、少しでも右腕が動いただけで脳天に突き抜けるような激痛に襲われ、敵の接近を感じ取ろうとしても真剣をそちらへ集中できない。

 そうして、簡単に攻撃を食らって、その衝撃でまた腕が悲鳴を上げるという悪循環だ。


 もはや敵が何人いるかということさえあやふやになっていた。

 複数なのは間違いないが、矢継ぎ早の攻撃を受けていると、無数の敵に攻められているような気がしてくる。


 落ち着け。


 和彦は必死で自分に言い聞かせた。

 リューンでは五十人、百人の軍隊と闘ったこともあったはずではないか。


 だが、そのときは剣を使えた。弓矢も槍もあった。

 今の和彦には、リューンの腕輪もある。


 しかし、とまた誰かの拳を避け損ねて不覚にも殴り飛ばされながら、和彦は思った。


 彼らに対して氷の剣を使うわけにはいかない。

 いかに卑怯で凶悪な相手とはいえ、和彦の基準で分類すれば、これはただの一般人でしかない。

 異能力を持っているわけでもなく、異空間からの侵略者でもない。それどころか、使っているのも武器らしい武器ではない。ただの木切れや金属の道具だ。


 動かせる左手で、打ち下ろされたそれの端を掴む。

 思い切り手前に引くと相手はバランスを崩し、和彦の脇へ倒れこんできた。

 

 その脇腹に蹴りを叩き込もうとして、和彦はやはり急所を避けてしまう。


 殺してはいけない。

 なんとか、襲撃をあきらめて撤退するように仕向けなくては。


 などと考えることさえ、傲慢だったようだ。


 目が見えず絶え間ない激痛に襲われている和彦は、相手の攻撃を避けるのが精いっぱい。自分の立ち位置を確かめる余裕はない。


 気が付けば、片足が宙に浮いていた。


「ああっ!」


 ぐらりと体が傾く。

 慌てて足を踏みかえてみたが、今度はその足もとの地面が大きく崩れた。


 崖。


 いつの間にか和彦は、崖の端に追い詰められていたのだ。


「うわ、まずいぞ!」


「殺したんじゃコトが面倒になる!」


 男たちが叫び交わす声を、空中で聞いた。

 耳元をものすごい音をたてて空気が通り過ぎていく。


 和彦は必死で左手を振り回し、何かに掴まろうと試みた。

 幾つか枝のようなものが手に触れたが、脆弱な枯れ木は掴む前に折れてしまった。


 水を。


 落下していく先の地面に、和彦は念を飛ばした。


 水を呼んで、落下の衝撃を和らげる何かの形にしなければ。


 何も見えない。感じない。


 和彦はさらに遠くへ念を飛ばした。

 リューンの腕輪が急速に冷たさを増し、和彦の命令を周囲に放射した。

 春の夜の空気に含まれる水分が少量ながら集積を始め、和彦の体を包み込む。


 背中から何かに激突した。


 それでも水分のおかげでいくぶんかの衝撃は緩和された。

 問題はそこではなく、和彦の落下によって、その部分がさらに下へと沈み込んだことである。


 一瞬、和は気持ちの悪い浮遊感を覚えた。

 次には、大量の土くれと共に再び落下する。


 二度目の激突の前に、水分の覆いを背中へ集中させた。

 今度はなんとか、息を詰めずに着地することができた。


 相変らず、目は見えない。


 空気が淀んでいると感じた。

 和彦は周囲を手探りしてみた。

 すぐに、地面に置かれた何かにつまづいて転びそうになる。それを触ってみた。

 つるはしだった。


 錆の匂いがした。


 両側は不揃いな土の壁になっていた。壁を叩いてみると、音が気味わるく周囲で反射した。


「洞窟か」


 それにしても、なぜこんなところに洞窟が。


 用心深く一歩ずつ踏み出しながら、洞窟の中を手探りした。

 どこもじっとりと湿っていた。

 和彦がさきほど呼んだ水分の出所も、この洞窟だったのかもしれない。


 地面はでこぼこしていた。

 そのうちに、金属音をたてるものに足がひっかかった。

 しゃがんで触ってみると、錆に覆われたまっすぐな金属が二筋、先へ続いている。その金属の作った道をたどっていくと、朽ちた荷車のようなものが置かれているところで途切れていた。


 スーパーカミオカンデの話が脳裏に甦った。


 ニユートリノを検出するための、その最先端の機械は、銅山の廃坑を利用して作られた地下実験室に置かれているという。

 その場所が宇宙科学の実験に使われるほどの深さにあるとすれば、よほど昔から稼働していた鉱山だったということでもある。

 近くには何本もの坑道が伸びていて不思議はない。

 和彦は、その天井に穴を開けて落ちてきたわけだ。


 だからといって、また天井から出ていくわけにもいくまい。

 よしんば穴の位置がわかったとしても、目も見えず片手も使えない状態で、壁を天井まで登ることは不可能だろう。


 出口はどこだ。

 いや、その前に。出口はあるのだろうか。


 廃坑には有毒物質が残り、崩落の危険もある。放棄された坑道は、みだりにいちずら者が侵入しないよう、入口を塞いであるはずだ。

 どこかに出口があれば少しは感じられるはずの空気の流れもない。

 せめて傾斜を手がかりにしようと思ったが、あまりにも地面が波打っていて、どちらが底に続いているのか判断もできない。


 どちらへ行けばいい。


 見えない目で、なんとか周囲を確かめようと首を巡らしていたら。


 ぼんやりとした輝きが見えた。


 正確には、見えたわけではない。

 感じたのだ。


 そちらの方角に、何か明るいものがある。

 見えなくとも、感じているだけで胸が熱くなってくる何かが。

 確かに、そこにある。


 和彦は歩き出した。


 一歩ずつ、慎重に。

 地面に足を取られて転ばないように、壁に左手をつけながら、それでも、ためらうことなく。


 見えない光がだんだん近づいてきた。


 弾んでいる。走っている。

 駆け寄ってくる。


 ついに声も聞こえた。


「和彦さん、和彦さあん!」


「フォウくん!」


 和彦はは叫び返した。


 胸の熱さは極限まで高まり、見えない目に涙がにじんだ。


 いくばくもなく、よく知った気配が目の前まで突進してきた。

 ぶつかりかけて、倒れかけたところを肩を掴まれ、引き起こされる。右肩に鋭い痛みが走り、和彦は思わず情けないうめき声を上げた。


「ありゃ、ケガしてんのか」


「脱臼、だと思う」


「ちょい待ち」


 シュッとマッチの擦れる音がして、目の中の乳白色がやや明るくなった。フォウが得意の炎を使って、和彦の様子が見えるようにしているのだ。


「和彦さんらしくもねえや。えらくやられたなあ」


「さすがに目が見えないとね」


「目? 見えてねえのか」


 和彦は黙ってうなずいた。フォウが呆れたように溜息をついた。


「あんな連中、さっさと凍らせてやりやあよかったんだよ」


「だって、一般人じゃないか」


「素人相手だと思って手加減するところが和彦さんらしいよな」


 そう言いながら、フォウは和彦の肩と腕を押さえた。


「よかった。ちょっとずれてるだけみたいだ。ちと我慢しててくれよ。入れるぜ」


 慣れた手つきでフォウが和彦の腕を掴み、ぐいと強くひねった。

 目の奥に火花が散るほどの激痛に、和彦は思わず歯をくいしばった。筋肉の下で肩と腕の骨がぶつかるのを感じた。乱暴なやり方ながら、骨が元の位置に戻ったこともわかった。


「大きく息吸って。吐いて」


 フォウはまだ和彦の腕を押さえている。ゆっくりと肩を回されて、和彦はまた呻いた。

 次第に感覚が戻ってくる。

 痛みはまだ消えないが、なんとか自分の意志で腕を動かせるようになった。

 

 フォウの指示に従って指を動かしてみた。どの指も、動かそうと思えば動いた。


「これでよし」


 フォウが安堵の息を吐いた。


「ゆっくり歩きなよ。腕に響かないように」


 和彦が姿勢を崩したらすぐに支えようというのだろう、すぐ脇をフォウが慎重に歩く。背中の下のほうに手を回しているが、触らないようにしているのは腕に響くことを警戒してのことだ。

 その気遣いに感謝するより、申し訳ない気持ちになる。


「すまない、フォウくん」


「なんで和彦さんが謝るんだよ。悪いのはあいつらだろ?」


 フォウが呆れた。


「ここの上のほうで会ったから、全員まとめてノシイカにしといたぜ。俺は和彦さんと違って、手加減なんかしねえからな。何人かは尻も焼いといた。焼きイカの出来上がりってわけだ」


 和彦は笑ってしまった。


「それで、そのノシイカや焼きイカはどうしたんだい?」


「警察は呼んだんだけど、この地区には駐在所しかないってんで、自転車に乗った制服のじいさんが一人来ただけさ。しかたないんで、男子連中を呼んで、みんなで縛り上げて朝まで見張っとくことにした。朝になったらさすがに、県警から暴力団対策課とかの刑事さんが引き取りに来るってさ」


「それはよかった」


 納得しかけて、和彦は改めて首をかしげた。


「それにしてもフォウくん、よく僕がここにいるとわかったね」


「和彦さんがやりそうなことは、だいたい想像がつくようになったからな」


 というのがフォウの返答。


「和彦さんこそ、目が見えないっていうのに、俺が助けに来るまでもなく、ちゃんと出口に向かって歩いてたじゃねえか。さすがだよな」


 本気で感心したように言われたので、和彦はどう返答しようかと困ってしまった。


 結局は、正直に話すことにした。


「君が見えたんだ」


 え、とフォウが驚きの声をもらした。


「でも、目が見えなくなってたんだろ?」


「見えないよ。今も見えない」


 でも、君の存在は見えるんだ。


 そう言ったらフォウはどんな顔をするだろうか。その表情を見ることができないのを、和彦は少しだけ残念に思った。


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