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部屋に戻るとフォウもシャワー室から出てきたところだった。
備え付けのぺらぺらのタオルで髪の毛をやたらかき回している。開業以来ずっとこのタオルを洗濯しながら使いまわしているらしい。こんなことなら自前のバスタオルを持参すればよかったぜ、と愚痴を言っていた。
「温泉は気持ちよかったかい?」
「ああ、まあね」
和彦は曖昧に答えた。
よかったといえば温泉に入れないフォウに対して申し訳なく、だからといって、脱衣所で漏れ聞いたあの不穏な言葉を告げれば、無駄に心配をさせてしまうと思ったからだ。
「このあとは広場でバーベキューだっけ。せっかく風呂に入ったのに、また煙でいぶされちゃうわけだよな」
「美味しそうな匂いで小屋が充満するのは、そう悪いことでもないんじゃないか」
「それならいいけど、火起こしに失敗して炭と焦げの悪臭ばっかりが体に沁みついちゃったら最悪だぜ」
「まあ、それならそれでシャワーを浴びればいいだろう」
「あ、なるほど。シャワーが小屋についてるのは、そういう利点もあるわけか」
バーベキュー広場にはキャンプ場の管理人も来て、準備や後片付けも手伝ってくれるとのことだった。
経費を削減するため物理部では食材を自分たちで準備していたが、希望すれば調理器具から箸や皿まで先方がそろえてくれるプランもあるとか。
挑戦して失敗したら火起こしもしてくれるという。まさに至れり尽くせりである。
女子部員が前日から味付けをして仕込んだ肉や野菜の入ったタッパーを山ほどかついで、一同は広場で集合した。
女子も温泉に入った後ということで、上気した頬のいつもと少し違う姿に、男たちはややまぶしそうな目を向けていた。
もちろんフォウは、そんなボーイミーツガールには無関心で、管理人を押しのけるようにして火起こしに余念がない。
香港人もバーベキューは大好きで、山にも海にも街のど真ん中にも、バーベキュー用の施設が備えつけられているのだという。
「香港は灼熱の国と言ってなかったかい」
「熱いときに熱いものを食べてもいいじゃねえかよ。それに、香港では気温が二十度を切ったらもう冬ってことになってるんだ。野外でメシを食うにはちょうどいい季節なんだよ」
豪語するだけあって、フォウの手際はよかった。
ベテランの管理人や和彦の手を借りることなく、あっという間に火種から炭へ着火を完了し、勢いよく仰ぎたてて炎を起こした。
「火は俺の専売特許でもあるしな」
炎を扱う霊幻道士はそう言って、いたずらっぽく片目をつぶってみせた。
わいわいと皆で火を囲み、食材を焼いた。
もちろん未成年ばかりなので飲み物はペットボトルのジュースだが、非日常の興奮が普段よりも皆を饒舌にしている。中には、二人で話し込んで自分たちの世界を作っている男女も現れ始めた。
夜空には満点の星。
「あの空からニュートリノが降ってきて、地球を次々と通り抜けていくんだぜ」
無粋な台詞もこの場では大受けしたりする。
皆がワッと笑い、その場はさらに華やかに盛り上がった。
そんな中で。
ふと背後を振り返った和彦は、そこで部長と管理人が話し込んでいるのを見た。
話をしているというよりは、部長が強引に迫って、管理人の返答をうながしているといった雰囲気だ。
部長の顔は真剣そのもので、管理人は見るからに逃げ腰だった。
「おい、あれ」
フォウも目ざとく彼らに気付いた。和彦の脇を小突いて、管理人と部長のほうへ顎をしゃくる。
しかたなく和彦も頷いてみせた。
こうなってはもはや、知らないふりもしていられない。
「温泉でも部長が地元の人から話を聞き出していたよ。やはり何か、この土地には問題があるらしい」
「駐車場で会ったあの物騒な連中のことかな」
「たぶん」
「ぶっそうな捨て台詞を吐いていきやがったからな。警戒するに越したことはねえ」
ちっ、とフォウが舌打ちをした。
「こうなると、女子と男子の宿泊所が離れてるのはよくねえな。しょうがねえ、和彦さんには男子のほうを任せるとして、俺が女子小屋の外で野宿するか」
「野宿なら僕がするよ」
「いいって。俺は荒れ地や草むらで一晩じゅう悪霊を待って野宿するのに慣れてるんだから」
これ以上は押し問答になるばかりだ。それよりは、事態の把握に心がけたほうがいい。
和彦はさりげなく他の学生たちをうかがった。幸い、誰もが食べたり喋ったりのほうに夢中で、部長のふるまいには気付いていなかった。
和彦とフォウは互いに無言でうなずき合い、部長のいる広場の端のほうそっとへ移動を開始した。
和彦たちがたどりついたときには、管理人はすでに部長をふりきって逃げ出した後だった。
うかない顔でたちすくむ部長は、和彦たちを振り返って、すがるような目付きをした。
「メガソーラーの候補地なんだそうです」
「なんだって?」
「この土地のことです。採算の取れなくなったキャンプ場をどう処分するかというのは、そもそも、この町の騒動のタネだったんだとか。再開発して活性化させるには予算が足りず、かといってただ閉鎖するだけではもったいない……。そこに外国資本の企業が、土地を丸ごと買い取ろうと申し出てきた、と」
「それが、メガソーラー?」
眉をひそめて部長が頷いた。
「ただでさえソーラーパネルの設置は、自然を破壊するというので、あちこちからやり玉に上げられがちです。ソーラー発電で作られた電力を、地元が相場より高く売りつけられるんじゃないかと心配する向きもあります。そんなこんなで地元が紛糾している中に、地上げ屋までが絡んできたんです」
「地上げってなんだい?」
「なんだ和彦さん、知らないのかよ」
フォゥがえらそうな顔をして言った。
「和彦さんは本当に世間知らずだよなあ。要するに大企業は、いくら欲しい土地があっても、会社の評判を下げるような方法で手に入れることはできないだろ? だから、その代わりに汚い手を使って土地を強引に買い取ろうとする不動産屋を、日本では地上げ屋というんだ。
特に、権利関係が入り組んでて小さい区画ごとに売買交渉をしなくちゃいけないような土地は、まとめてしまえば何倍もの値段で売れるからお得だっていうんで、日本で地価が高かった時代には大暴れしてたんだぜ」
「なんでフォウくんは日本のそんな事情に詳しいんだ?」
「日本のドラマで見たからさ」
部長が目を丸くした。
「えっ、それもですか」
「だって昔の香港では、一日の三分の一くらいは日本の番組がテレビで流れてんだぜ。朝のニュース番組が終わったらまずはコドモ向けのアニメと特撮番組で、午後には大人向けのテレビドラマ。深夜には時代劇もやってたっけ。
特に、日本のバブル景気を題材にした作品は、画面も派手で大金が出てきて儲け話も絡むから、香港人には人気があったんだ。香港でもリーマンショックでアジアの金融危機に陥ったわけだから、日本のバブル崩壊にも親近感があった、という事情もある」
「ふうん」
納得しかけて、和彦は慌てて話を軌道修正した。
とかく話があさっての方角に行ってしまうフォウを避け、部長に向かって質問する。
「つまりは、このキヤンプ場を買い取りたい企業があって、けれども地元の人は土地を売りたくない。だからあのチンピラまがいの連中が地元の人たちに嫌がらせをして、土地を手放すか引っ越しをするように仕向けている、ということかい?」
「地元民だけじゃなくて、最近はキャンプに来たお客さんにも被害が出ているんですって」
部長が声をひそめて答えた。
「キャンプ場としての評判が悪くなれば、土地の値段も下がるわけですからね。僕たちも来るなり絡まれたじゃないですか。管理人さんはあまり詳しいことを言いたがらなかったんですが、盆踊り大会をしている最中に、トラックで突っこまれたこともあったとか」
「ひどいな、それは」
「特に僕たちは半分が女子学生という団体なので、気をつけたほうがいいと地元の人からも忠告されました。僕たち男子も、決して腕っぷしがたつほうじゃないですから」
腕っぷしどころか、なにしろ彼らの所属は物理部である。バリバリの文化系の彼らは、頭にみっしり脳が詰まってはいるが、暴力にはからきし弱そうだ。
「まあ、そっちのほうは俺たちに任せておいてもらうとして」
フォウが、バーベキューに興じる学生たちを振り返った。
「せっかく楽しんでいるのに気の毒だとは思うけど、できるだけ早くここを引いたほうがいいんじゃないか。それこそ、トラックに突っこまれたりしたら、たまったもんじゃねえだろ」
「確かに」
部長が慌てて皆のところへ駆け戻っていった。
和彦とフォウは互いに無言で頷きあった。
野宿をどうするかの問題は後にして、女子の団体は当初のとおりフォウが護衛して小屋へ戻すことになった。
和彦は男子の引率を引き受けた。
全員で大急ぎでバーベキューの後始末をして、使ったものはとりあえずきちんと並べておいた。
終了時に受け取りの確認をするはずの管理人は、とうとう広場に戻ってはこなかった。
小屋へ戻る道すがら、和彦は部長と打ち合せをした。
相手も殺害を目的としているわけではないのだから、男子はとりあえず第一撃の暴力を持ちこたえる。
その間に部長が携帯電話で和彦に連絡をする、という手順を確認しあった。
女子のほうが危険が大きいことは、口に出すまでもなく男子学生たちも理解はしている。フォウと和彦が二人してそちらの警戒に当たるということにも異論は出なかった。
異論を出すとしたらフォウだけなので、和彦が女子のほうへ行くことは当面、フォウには黙っておいた。
どうせ説得の時間は一晩たっぷりあるのだ。
フォウはことさら陽気な話で女子たちを笑わせながら、一団となってふもとへの道をくだっていった。不安が広がるのを防止するだけでなく、声高に話しながら移動することは位置の確認にもなり、ある程度の抑止力にもなる。
あの剣呑な連中が、その程度のことでひるんでくれるのならありがたいのだが。
男子学生に戸締りをしっかりするようにと言って回り、小屋の周辺を見回って危険個所を確認した。
襲撃してくるならこちら側だろうと思うあたりを想定し、小屋に戻って念のため、ぶち用にその可能性を伝えておいた。
女子の小屋へ移動しようとして、自分たちの部屋のドアが開けっ放しになっていることに気付いた。
中をのぞいてみて、役に立つものはないかと探した。
懐中電灯をポケットに突っこんでから、ふと床に準備した布団に目をやった。フォウがこの布団で寝るのを楽しみにしていたことを思い出したのだ。
「毛布くらい、いいかな」
外で使うと汚れるかもしれないが、洗濯して返せば問題はないだろう。
キャンプ用品とて持参してきていない身だ。せめて、フォウが気にいったと言っていた寝床の一部なりとも、持って行ってやりたいと思ったのだ。
その気持ちがあだになった。
片手に丸めた毛布を持ち、もう一方の手に懐中電灯をぶらさげて和彦は一人、山道をくだっていた。
自分の姿を見たフォウが目を吊り上げてああだこうだと文句を言ってくることを想像し、どう反論するかを頭の中で考えていた。
そのせいで注意力が削がれていたのもあるだろう。
いきなり、木立の間から鋭い光が輝いて和彦を襲った。
「わ、あっ!?」
油断していた和彦は、その光でまともに目を焼かれた。
瞬時に目の奥へ激痛が走り、視界が真っ白になった。
レーザー光線だ。
しかも工業用のものをさらに違法改造した、大出力のものらしかった。
ありふれた学校用のレーザーポインタでさえ、直接その光が目に入れば一時的に失明することがあるのだ。
ましてや、その目的のためにわざと改造された光である。和彦は両目を押さえ、地に伏した。
「やったぜ!」
「この野郎、思い知らせてやる!」
怒声と共に、幾つもの足音が殺到してくる。
和彦はなんとか目を開けたが、乳白色の霧のようなものが視界全てに広がっているばかりで、何も見えない。
「くらえ!」
背後から木刀のようなもので殴られた。
とっさに身を縮めて後頭部への直撃は避けた。
しかし木刀を右肩で受ける形になった。
ごき、と嫌な音がして関節が外れた。
跳びあがるような痛みに耐えて、和彦は右腕を押さえながら地面を転がった。
不覚。
後悔のほぞを噛む。
相手はただのチンピヒラ風情だという驕りがあった。その心の隙が油断となった。
まさか、こんな形でピンチに陥るとは。
かろうじて無事な左手で目をこすってみた。そんなことで視力は回復しなかった。
目が見えない。右手も使えない。
しかも、フォウは和彦がここにいることを知らないのだ。
男子の小屋にいるのだから、万が一にも和彦が苦戦したとして、学生から電話で状況報告が来ると思っているだろう。
「やっつけろ!」
男たちが口々に叫び、四方から一斉に襲い掛かってきた。




