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温泉も当然、男女は別である。
しかもこの温泉は、リゾートというよりは地元民のために整備されたもので、浴場は広いが特に面白いギミックもなく、外の景観が垣間見えたりもしなかった。
「あんなに雄大な自然が周りに広がってるのに、もったいないわよねえ」
「かといって露天風呂にされても、この辺りの気候では、入れる時期が限られちゃうからじゃない?」
温泉に浸かっても女子はにぎやかなものだ。
夕方の早い時間ということもあって、湯舟に他の客もいない。さっそくきゃーきゃーと叫びあいながら湯をかけあい、湯舟に入ってもおしゃべりはやまない。
駐車場での恐ろしい体験も、騒いでいるうちにすっかり過去の記憶へと追いやられた。
こういうときの女子会の定番はもちろん、恋バナというやつである。
どの男子が誰を好きらしいとか、別の学校の誰かがうちの女子を迎えに来ているとか、真偽のあやふやな噂話をひとしきり繰り広げた。
「それでさ、珊瑚はどうなの?」
「えっ?」
我関せずと湯の効能が書かれた看板を黙読していた珊瑚は、いきなり自分に話題を振られて驚いた。
「なんの話?」
「やあねえ、和彦さんのことに決まってるじゃない」
湯の熱さのせいではなく、珊瑚の頬がぽっと赤らんだ。
「どうって……別に、何もないわよ」
「そんなはずないでしょ。わが校の誇る最高の美少女が、山奥のへんぴな村で絶世の美男子とボーイミーツガール! このお伽話のような出会いが何かを生まないとしたら、私たち庶民の人生には夢も希望もないってことになっちゃう」
「大げさなこと言うのやめてよ。本当に、和彦さんはただのよい隣人なの。うちのお父さんの大親友の息子さんというだけ。向こうだって私のこと、そんなふうに思ってるはずよ」
自分で言いながら、ちょっと寂しい気持ちになる珊瑚である。
その雰囲気を、女子会は敏感にキャッチする。
「だいたいねえ、珊瑚。あんたアプローチが足りないんじゃない?」
「そうよそうよ。今回だって、うちの部活が雇ったのは和彦さん一人だったはずなのに、気がつけばフォウくんも一緒に来ることになっててさ」
「まあ、フォウくんが来てくれたのは、私たち的にはいいんけど。話は面白いし、楽しい人だし」
「それに、いざというとき頼りにもなるわよ」
「けど、珊瑚的にはどうなのよ。いつでも何のときでも、和彦さんとフォウくんはニコイチのセット状態でさ。あんた、たまにはフォウくんを出し抜いて、和彦さんを独り占めしようとか、能動的な努力はしてないの?」
「でも……和彦さんは、フォウくんが一緒にいるときのほうが、ずっと楽しそうだから……」
「あのねえ、珊瑚。そんなの和彦さんに限ったことじゃないでしょ。誰だってフォウくんと一緒にいたら楽しいに決まってるわ。明るくて元気でさ。私たちだってフォウくんのことは大いに歓迎してるでしょ」
「けど、それとあんたの恋心とは別なんじゃない?」
「恋っ!」
珊瑚は思わず湯から跳び上がりそうになった。
「だ、だから違うって。そんなんじゃなくて」
「いまさら何を隠そうとしてんの。あんたが和彦さんを好きなことくらい、全人類がお見通しよ。気が付いてないのは和彦さんくらいのもんでしょ」
「あー。だから、問題はそこなのよねー」
「下手をするとフォウくんも気が付いてなかったりして」
「あ、それありそう」
「いっそフォウくんに頼んでみたら? 一度ぜひ私と和彦さんを二人っきりにして、いいムードに持っていけるように協力してくださいって。フォウくんだったら二つ返事で珊瑚のことを助けてくれるんじゃない?」
「……そんなこと、ないもん」
珊瑚はぶくぶくと湯に半分顔を埋めた。
二人きりになったことは、何度もある。というよりも、フォウがやってくる前は、村で若いといえば珊瑚と和彦しかいなかったのだ。
村の住民たちも、今こうやって騒いでいる女子部員たちと同じく、よく妙な気を回して珊瑚と和彦を二人にしようとしてきたものだ。
それが現在の養父の異常なまでの和彦への警戒感につながっているとはいえ、二人っきりでいて皆が言うようなロマンチックな雰囲気になったことはついぞない。
なんなら、フォウが来てから後のほうが、和彦とはよっぽど仲良くなれたように珊瑚は感じている。
フォウと知り合う前の和彦は、表面的には人当たりがいいものの、心の中は凍り付いていて、どんな言葉も心に届く前に跳ね返される心地がしたものだ。
それが、フォウくんが来てからは。
珊瑚はそっと胸の中でつぶやく。
和彦さんは優しくなった。
フォウくんだけでなく、私にも心を開いてくれるようになった。
感情をあらわにしてフォウくんとケンカをすることもあるし、心情を素直に口にすることも増えた。
だから、いいの。
私はこのままでいい。和彦さんが、それで幸せならば。
珊瑚はぶくぶくと湯の中に頭を沈めた。
一方の男子浴場では、女子の騒ぎには負けるものの、各人がそれぞれ温泉を楽しんでいた。
さすがに高校生ともなると洗い場を駆けまわったり湯舟で泳いだりする者はいないが、やたらバチャバチャと湯をかき回したり、他人の背中に石鹸をぶつけたりして、それはそれなりににぎやかだ。
和彦はそんな元気な学生たちをほほえましく見守りながら、湯舟に入った。
この規模には比べられないものの、和彦たちの村にも温泉はあり、一応の作法は氷浦から習っている。
「和彦さんって、水着で温泉に入るタイプかと思ってましたよ」
「ばか、失礼だろ」
「だって和彦さん、どこか日本離れしてますもん。肌の色だって北欧人そこのけの、透き通るみたいな薄い象牙色だし」
「そうかな」
和彦は自分の手を湯から出して、しみじみと見つめた。
「これでも自分では、だんだん濃くなっているように思っていたんだけれど」
リューンでは、濃い肌の色は特権階級の証とされていた。日光が滅多にささない極寒の地だからだろうか、庶民は青く見えるほど薄い肌をしていた。裕福な者は好きなときに好きなだけ日光浴ができ、その蓄積によって庶民よりも濃い色の肌を持てるのだとリューン人は信じていた。
だから地球に来たときは、誰もかれもがどんなリューン貴族より濃い肌色をしていることに、ずいぶん驚いたものだ。黒人などはその最たるものだった。
和彦には解せない話だが、特に日本人はなぜか、肌の色が薄いことを好む。女性は和彦の肌をうらやましがったりもする。
そのたび和彦は、リューンのあのひ弱な日の光を思い出して、嫌な気分になる。
「僕は君たちやフォウくんみたいな健康的な肌の色に憧れているんだ。もっと精を出して日に当たらなくちゃいけないな」
「またまた、ご謙遜を」
「おい、よせよ。蓼食う虫も好き好きだろ。和彦さんは自分で気に入らないと言ってるんだから、もうこの話はよそうぜ」
やはり物理部の学生たちは善良だ。
「そういえば」
言い出しっぺの学生が、話をそらす目的もあっただろう、きょろきよろと浴場の中を見回して言った。
「フォウさんがいなくねえか?」
「あ、ほんとだ」
全員が口々に言って周囲へ目をやった。
「いつだって和彦さんと二人一緒だから、てっきりいるとと思い込んでたよ。和彦さん、なんでフォウさんを置いてきたんですか?」
「ああ、彼は香港人だから」
きっと尋ねられるだろうからこう答えておいてくれと、フォウに頼まれたとおりのセリフを和彦は口にした。
「みんなと一緒に風呂に入るという習慣がないんで、照れくさいんだそうだ。僕たちが入浴している間に、小屋についてるシャワーを浴びるから大丈夫だと言っていたよ」
「ええ? あの水道のまたいとこみたいなやつですか? あの蛇口から、湯なんか出るのかなあ」
「それはちゃんと確かめてたよ。研究所でもフォウくんは基本的にシャワー派なんだ。香港では、かなりの高級アパートに住んでる人も、備えつけのバスタブは物置にしていることが多いんだそうだよ」
できるだけ軽い口調になるよう心がけて話しながら、和彦は内心では、苦い思いを必死で飲み下していた。
フォウの体は古傷ばかりだ。切り傷打ち身もあるが、最も面積が広いのは火傷の跡である。
それを、フォウは人に見せたがらない。
体の傷は男の勲章という人もいる。リューンでも、刀傷の多さを自慢しあうのは剣士の習い性というこことになっていた。
しかしあの火傷はフォウにとって、違うものなのだ。
罪の印。
それが真実か否かには関わらず、フォウ自身はそう感じている。
己の手で魂までを滅ぼした実の妹が彼の体に刻みつけていった、実際には呪いの痕だと和彦は思う。
自分がこの世から消滅した後も、兄が傷つき続けるように。
そのときの判断が本当に正しかったかどうかを自ら問い続け、あわよくば、後悔を抱くように。
断末魔の瞬間に、よくそれだけの悪意をぶつけられたものだと、和彦は妙な感心のしかたをしたりもする。
彼女の思惑どおり、フォウは今でも苦しんでいる。
決して口に出してそうとは言わないが、もっと他の方法はなかったかと悔やむこともあるだろう。
だからこそ、フォウは妹の刻んでいったその火傷を、他人に見られることを好まない。
その後は、上の空で学生たちと空虚な会話を交わし、早々に湯から上がることにした。
脱衣所には地元の人らしい老人がいた。
和彦より先に風呂から出た部長と、なにやら話し込んでいる。というより、逃げ腰の老人に部長が食い下がり、質問を試みているといった状況のようだ。
「なにも、こんなときに来なくてもいいのに」
脇を通るとき、老人のそんな言葉が耳に入ってきた。
「あいつらはメンツをつぶされたといって、ずいぶんあんたたちに腹を立てているという噂だよ。気をつけたほうがいい」
やはり何かこの土地には問題があるらしい。
気にはなったが、問い詰める者が増えると気まずい雰囲気になるだろうと思い、和彦はわざと視線をそらして二人の脇をすり抜けた。




