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珊瑚の話術の成果ではあるのだが、九条はこの旅行を完全に学校行事だと誤解していた。
若い男女が一緒に旅行に行くなど言語道断。だが、それが学校の行事であればしかたない、という日本の親によくあるスタンスである。
「もちろん監視役の先生は同行するだろうな」
「当たり前じゃない」
それが生徒どころか教員間でも昼あんどんと評判のボンヤリした物理教師であることは伏せたまま、珊瑚は力強く請け合った。
九条家の食卓を一緒に囲み、夕ご飯をご相伴している和彦とフォウも、密かに目配せしあって笑いを噛み殺した。
もうそれだけで珊瑚とは共犯である。
食卓にはこぼれんばかりにおかずの皿が並んでいる。二人を味方につける必要もあって、珊瑚が前の日から気合を入れて仕込みをした絶品ばかりだ。
「いやー、どれも美味いよ珊瑚ちゃん」
次はどれを食べようと箸をかちかち鳴らしつつ、フォウが感心の声をあげた。
「しかも、昔の日本のテレビドラマなんかに当たり前に出てきて、どんな味がするんだろうと思ってたのばっかり! この天ぷらの中に入ってる、ちょっと苦っぽい野菜はなんていうの?」
「ふきのとうよ。香港にはなかった?」
「覚えがないなあ。いい匂いがするね。春って感じの」
「このへんの山に生える春の草なのよ。私もこれが食べ物だというのは、村の人たちに教わったの。うちの父さんもこれが好きで、春になったらまだかまだかって催促してくるのよ」
「だから俺が自分で摘んできたんじゃねえか」
九条が天ぷらをほおばって胸を張った。
「塩ゆでしてアクを取ったり水にさらしたり、摘んできてから食べ物になるまでには、けっこう手間がかかるんですからね。摘んだだけで偉そうな顔しないのよ、お父さん」
珊瑚が軽くいなした。
「それで、和彦はアルバイトでバスを運転するんだって?」
風向きがよくないと判断したか、九条は話を和彦のほうへ持って行った。
「そのアルバイト代も、俺のおかげってことになるよな。なにしろ、和彦に大型二種の免許を取らせたのは俺なんだから」
「無理やり誘っただけじゃないの。おまけに自分は結局、教習所を叩きだされて免許が取れなかったくせに」
「だから和彦の免許試験代は俺が出してやっただろうが」
「教習所の代金は氷浦先生持ちだったじゃないの。金額のケタが違いすぎよ」
フォウがたまらず笑い出した。
相変らずこの生さぬ仲の父娘は、チグハグなようで息ぴったりである。そのままでは苛烈でただ扱いにくいだけの暴走中年男を、可憐な珊瑚が軽々と手玉に取っているあたりがたまらない。
笑っていると、九条に箸の先を突きつけられた。
「フォウ、てめえもついていけ」
「はあ?」
いきなり矛先が自分に向かってきて、フォウは危うくふきのとうをそのまま呑みこみそうになった。
「な、なんで俺が」
「和彦だけじゃ頼りねえだろうがよ。お前らはコンビになってようやく一人前なんだし」
「いつから俺たちそういう設定になったんですか?」
「うるせえ。いいから、お前もついていけ。なあに、学生どものお守りをするだけのことじゃねえか。ついでに、珊瑚に悪いムシがつかんように見張っておくんだぞ」
これもまた相変らず、九条の中ではフォウはその「悪いムシ」の範疇にないらしい。
信用されているというよりは、男のうちに入れてもらってないんじゃないかと思うと、なんとなく業腹になるフォウである。
「そりゃあ、行けというなら行ってもいいですけど」
やけのようにごはんをかきこみながら、フォウは言った。
「俺だって一応、勤労青年なんですからね」
「けっ」
というのが九条の返答。
「どうせ氷浦の野郎のお大事の機械を使って、役にもたたねえデータを記録するだけのことじゃねえかよ。心配すんな、氷浦のほうには俺から話を通しとくから。なに、部下が一日二日休養を取りたいと言たからって、ダメだというやつじゃねえよ、あいつは」
「ダメといってもゴリ押しするくせに……」
「なんかいったかフォウ」
「いーえ、別に」
今度は和彦が噴き出した。
むせて咳込む和彦に、急いで珊瑚がお茶を手渡す。
ぐいとひと飲みしてから、和彦は居住まいを正した。
「僕としても、フォウくんが一緒に来てくれたほうが何かと心強いですよ。九条先生、よいご提案をありがとうございました」
面と向かって礼を言われ、九条は照れた。
「まあな。免許を取ったとはいえ、お前は日本の道路にあまり慣れていないからな」
「そりゃ俺も同じですよ九条先生」
フォウがまぜっかえす。
「忘れてらっしゃるみたいですけど、俺ぁ外国人なんですぜ。交通法規も車線も違う国からやってきてるってことをお忘れなく」
「ありゃ、香港も日本とは車線が違うのか」
「元がイギリス圏でしたから。走ってるバスも日本とは違って二階建てですよ」
「二階建てかあ。運転が大変そうだな」
「いや、そうでもないっす。客のことを考えないでいいんなら、軽トラ感覚で運転できますよ」
「ということは、フォウくんは二階建てバスの免許持ち?」
「まさかあ」
「だったらどうして運転経験があるのよ」
「商売柄やむなく経験せざるを得なかった、というか」
「ええっ。霊幻道士と二階建てバスにどんな関係があるの?」
「聞きたい?」
「聞きたい聞きたい!」
珊瑚にせがまれ、食卓ではフォウの血沸き肉躍る悪霊退治の体験談が語られることになった。九条も話のそこかしこに突っこみを入れて、一同を笑い転げさせた。
楽しいなあ、と和彦は思った。
そして、そんなふうに思っている自分に対して密かに驚いた。
この世界で生きていく覚悟を決めたときも、日本の片田舎に連れてこられてからも、他人と付き合うことは苦痛でしかなかった。
特にこの陽気な父娘は、相手がこちらを案じている気持ちが伝わってくるだけに、仮面のような笑顔を防御壁がわりになんとかやり過ごすのが日常となっていた。
それを今、これほど幸せな時間に感じている。
慣れたこともあるだろう。
しかし一番の原因が自分の脇で今しも熱っぽく話をしている青年にあることを、和彦は自分でよくわかっていた。
フォウがやってきて、和彦の世界は変わった。
敗残者としてのつけたりの人生を消化するつもりでいたのに、今では日々毎時毎刻に希望があり、未来がある。
この青年と二人で歩んでいく先に何があるかと考えるだけで、心が躍る。
僕は幸せ者だ。
「なにをニヤニヤしてんだよ、和彦さん」
気がつけば、その青年が大きな黒い瞳でこちらをのぞきこんでいて、和彦はうろたえた。
「な、なんだいフォウくん」
「それはこっちのセリフだよ。まさに話が緊張と興奮で手に汗を握るとこまできてんのに、なんで和彦さんだけ笑ってるんだよ。あーもう、ゼンゼン俺の話を聞いてなかったってことだよな。ちぇっ、喋り損だぜ」
「そんなことないわよ、私とお父さんはちゃんと聞いてたもの」
「珊瑚ちゃんはともかく、九条先生の態度は聞いてたとはいわないだろ。話に茶々いれるのが楽しいだけなんだから。もっとも九条先生は、いつだって人の話をちゃんと聞いてないけどさ」
「お、それは誹謗中傷というもんだぞフォウ」
「へー。だったらここまでの俺の話を要約してみてくださいよ。ほら、俺が洞窟の中へ追い詰めたのはなんという妖怪でした?」
「うぬ、抜き打ちテストとは卑怯なり」
九条先生が箸を刀がわりにして、はっしとばかりフォウに切りかかった。すかさずフォウがそれをスープ用のレンゲで受け止める。食べ物で遊ばないでと珊瑚が怒り出し、和彦はまた声を出して笑った。
笑いながら、和彦は思った。
フォウと二人、学生を引率しての温泉旅行。そう考えるのも悪くない。
最近は闘いばかりで彼も疲れているだろう。何より、知らない土地に行って気の合った相手とのんびり一泊するのは、想像するだけでも楽しみだ。
「楽しみだね、フォウくん」
つい口に出てしまったが、唐突なその発言にフォウは、九条とのチャンバラをやめて振り返り、ニッと笑いを返してくれた。
「ああ、そうだな和彦さん。俺も楽しみだ」
胸がほっこりと温かくなった。




